第49話 ジーゲスリード講和会議1日目 2

 ジーゲスリード講和会議の初日、まず、ライヘンベルガー男爵国との条件交渉から始まった。


 進行役のジェムジェーオン伯爵国イアン・ブライス内務大臣が、オリバー・ライヘンベルガー男爵に顔を向けた。


「まずは、ライヘンベルガー男爵国との講和条件となります」


 オリバーが大きな動作で頷いた。

 ブライスは一拍置いて、他の出席者の反応を伺っていた。

 進行に異論が挙がることはなかった。それを確認してから、ブライスがジェムジェーオン伯爵国がライヘンベルガー男爵国に提示した条件を説明した。


「当国ジェムジェーオン伯爵国は、ライヘンベルガー男爵国に対して、騒乱の解決を支援していただくために派兵を要請しました。ライヘンベルガー男爵国は、当国の要請に応じていただき、軍を派兵いただきました。当国は、騒乱解決の協力の御礼として、ライヘンベルガー男爵国に、謝礼金を提供することを提案しております」


 オリバー・ライヘンベルガー男爵が大きく手を振った。


「ライヘンベルガーはこれまで、ジェムジェーオンから大恩を受けている。それらを考慮するならば、むしろ、恩義を返さねばならない立場にある。両国の関係から無償で協力するのは当然のことだ。よって、謝礼金は無用だ」


 オリバーが発言しながら、横目でパイナス伯爵アルベルトを見た。

 視線を向けられたアルベルトがオリバーを睨み返した。


「何を見てるのだ」

「これはジェムジェーオンとライヘンベルガー二国間の取り決めだ。パイナス伯の口出しは無用と思っているが」

「無論、判っている。だから、何も発言していないではないか。吾輩は、貴様が吾輩の顔を何度も覗き見ていることを、問題としているのだ」

「たまたま、視線が合ったに過ぎない。些細な物事を荒立てているのは、パイナス伯の方であろう」

「何だと」


 ブライスが立ちあがった。


「両者とも、そこまでにしていただきたい」


 ふたりの間に入って、両手を拡げた。


「ここは、ジェムジェーオンの講和会議です」


 これ以上、ふたりの諍いで場を乱す訳にはいかない。


 ――このタイミングでの介入。よくやった。


 ブライスが介入したことによって、ショウマは自らが首を突っ込む必要がなくなった。アプトメリア侯爵の相好を確認した。腕組みしたまま、厳しい目でこの状況を見守っていた。

 オリバーが殊勝な表情で頭を下げた。


「特別な意図はなかったが、俺の態度が誤解を与え、この講和会議を乱したならば、謝罪しましょう」


 アルベルトが応えた。


「吾輩も必要以上に神経質に対応したかもしれないな」


 オリバーがブライスに向かった。


「ブライス卿の言う通り、ここはジェムジェーオン騒乱の講和会議の場だ。ジェムジェーオンとライヘンベルガーの条件の話に戻そう。ライヘンベルガーは、前代ジェムジェーオン伯の時代から、多くの恩義を受けている。それだけでなく、ライヘンベルガーとジェムジェーオンは、いまや家族も同然の間柄となっている。家族が困っていれば手助けするのは人としての道理だ。その行為に対して、謝礼金を受取るのはおかしい」


 アルベルトが苦々しい顔で、オリバーの言葉を聞いていた。

 パイナス伯アルベルトとライヘンベルガー男爵オリバー、ふたりの不和は世間に広く知られていた。10年前、当時パイナス伯爵国の自治領区だったライヘンベルガーは、独立を巡って、パイナスとライヘンベルガー両国の間で、激しい戦闘が繰り広げた。アルベルトとオリバーは、両国の最高司令官という立場で、何度も戦場で対峙していた。この戦争に、ジェムジェーオンは直接参戦することはなかったが、裏でライヘンベルガーを支援していた。この戦争は、最終的に、パイナスがライヘンベルガーから多額の金銭を受領することで手を引くことで決着した。それをオリバーが辛辣に皮肉っているともいえた。


 ゴホン、ブライスが空咳をした。

 再び、オリバーの隠れた意図を察知したブライスが、ライヘンベルガー男爵オリバーとパイナス伯爵アルベルトの間に諍いが発生するのを抑止する意図だった。

 同じく、意図を察知したショウマは、口を開いた。


「ライヘンベルガー男爵、ありがとうございます。お言葉に甘えて、ジェムジェーオンは提案を取り下げます。ライヘンベルガー男爵からの申し入れを、有り難く受けさせていただきます」


 口に出した言葉と、ショウマの本心は違った。


 ――ライヘンベルガー男爵の面子を潰すわけにはいかない。


 出来れば、ライヘンベルガー男爵国に何らかの形で謝礼を返したかった。只より高い物はない。だが、ジェムジェーオンが謝礼することを強く主張することで、場を乱すのは得策と思えなかった。

 オリバーがショウマと目を合わせ頷いてみせてから、破顔した。


「ライヘンベルガーとジェムジェーオンの間のこと、当然の帰結だ」


 書記官が決定事項を文面にしたためた。

 ショウマとオリバーのもとに文書が届けられ、二人はサインした。

 会議出席者が拍手をもってこの結論を支持した。




 会議は続く。次は、ニューウェイ子爵国との条件交渉だった。


「次に、ニューウェイ子爵国との講和条件になります」


 会議進行役のイアン・ブライス内務大臣の言葉によって、会議出席者の視線がニューウェイ子爵タイガに向けられた。

 ブライスがニューウェイ子爵国との講和条件を読み上げた。


「ニューウェイ子爵国は、今回の戦いへの協力として、ジェムジェーオン伯爵国に謝礼金を求めています。なお、当国ジェムジェーオン伯爵国はニューウェイ子爵国に対し、提案そして要求を一切行っておりません」


 ニューウェイ子爵タイガは、立派な身体を仰け反らせながら、太い声で己の考えを主張した。


「ハイネスでの勝利は、ニューウェイが中立を貫いたからこそだ。勝利への貢献度を考えれば、ニューウェイ子爵国がせめてもの恩賞を受取るのは当然であろう」


 この発言に噛みついたのは、ジェムジェーオン防衛軍の統合幕僚本部長ギャレス・ラングリッジ元帥だった。


「ニューウェイ子爵国は、ジェムジェーオンで暫定政府が国を掌握した際、ジーゲスリードに兵を派兵し、暫定政府軍に与する意志を明らかにしたのでは」


 タイガ・ニューウェイは不愉快だった。


「貴様、臣下の分際で」


 厭わしい感情を隠そうとせず口にしたタイガの言葉に反駁したのは、皇帝代理人ヴァイシュ・アプトメリア侯爵だった。


「この講和会議において、各自の身分を振りかざすのは禁じているはずだ。全員が等しく皇帝陛下の臣として振舞うことを会議の冒頭で約している」


 タイガは反発を覚えた。


 ――どの口が言うのか。


 この会議の初めアプトメリア侯爵自身が皇帝代理人という立場を振りかざして、バルベルティーニ伯爵代理人を恫喝したではないか。


 ――しかし。


 反感を表に出して、アプトメリア侯爵を敵に回すのは得策ではない。

 タイガは頭を振った。


「アプトメリア侯爵の言葉は尤もです。私が主張したいのは、私どもニューウェイが今回の勝利にいかに貢献したかを、ラングリッジ元帥をはじめとするジェムジェーオン伯爵国の方々に理解してほしいという想いからです。つい、頭に血が昇ってしまいました」


 アプトメリア侯爵が首を傾げた。


「ニューウェイ子爵自らが中立を貫いたと言っているではないか。卿はどちらの陣営が勝利しても同じ主張をするつもりなのか。どのような結果になったとしても、何もしていないニューウェイは得をする。その主張はあまりに虫が良すぎるのではないか」


 タイガのアプトメリア侯爵への反感は、激憤となって身体のなかを駆け巡った。


 ――ジェムジェーオン伯爵の後継は、ショウマではなく孫のユウマのはずだった。


 そもそもの話から考えると、妾腹というだけでジェムジェーオン伯爵家の長兄だった父リューガがジェムジェーオン伯爵の嫡子から外され、ニューウェイ子爵家を継いだことが、間違いの始まりだったといえる。能力に応じた正当な継承が行われていれば、父リューガがジェムジェーオン伯爵となっていたはずだ。そうなっていれば、現在のジェムジェーオン伯爵は、父リューガの正嫡であるタイガが襲名していた。伯爵位は不当に盗まれたといっていい。


 ――その余が僅かな報償を求めただけで糾弾される。


 この不条理が許されるはずがない。


「ニューウェイは孫のユウマへの支持を捨ててまで中立を保ったのです。この決断を理解してください」


 ギャレス・ラングリッジ元帥が意見した。


「暫定政府の支援要請を拒否したのは、提示された条件が気に入らなかったからなのではないのですか」

「根も葉もないことをぬかすな」


 はぁ、アプトメリア侯爵がため息を吐いた。


「どちらにせよ、ニューウェイは今回の内乱において、旗色を明確に示さなかった。これが事実なのであろう」


 積年の不条理をアプトメリア侯爵は理解していない。


 ――謝礼金の多寡の問題ではなく、余に対するジェムジェーオンの誠意が問題なのだ。


 しかし、それを主張すれば、場の流れからいって、皇帝陛下の代理人たるアプトメリア侯爵を敵に回すことを覚悟しなければならない。タイガの理性は、冷静に損得を天秤に掛けた。主張を続けたとしても、謝礼金などたかが知れている。得られる実益は僅かだ。


「アプトメリア侯爵の言葉によって、目が覚めました。今後、新しいジェムジェーオン伯爵のもと、国が興隆していくのを支援していくことが、ジェムジェーオン一族である私に課せられた役割というもの。ニューウェイ子爵国の要求は、この場をもって取り下げることにします」


 アプトメリア侯爵が特に感想もなく、涼しい顔で言った。


「それがいいだろう」


 タイガは後悔した。


 ――これほどの譲歩した余に対して、何の賛辞も得られないとは。


 このような屈辱を味わうのであれば、マクシス・フェアフィールドやドナルド・ザカリアスの無礼な態度を水に流して、あの時、暫定政府軍を支援するために軍を送るべきだった。もし、ニューウェイが派兵協力していれば、呆気なく暫定政権が瓦解することはなかったはずだ。

 結果として、孫のユウマがジェムジェーオン伯爵を継ぎ、後見人として余タイガ・ニューウェイがジェムジェーオンを仕切っていたに違いない。

 ショウマ・ジェムジェーオンがこちらを見た。小さく笑った気がした。

 タイガは気も狂わんばかりだったが、自らに言い聞かせた。


 ――皇帝代理人アプトメリア侯爵の前で怒りを前面に出すのは得策ではない。


 煮え立つ感情を抑え込むしかなかった。

 進行役のイアン・ブライスがタイガとショウマに促した。


「では、調印をお願いします」


 ライヘンベルガー男爵国との調印時と同じように、書記官がしたためた文面が、タイガの許に届けられた。

 タイガは怒りで震える手を押さえ込み、サインした。


 続いて、ショウマの許に届けられた。

 ショウマはタイガを一瞥することなく普段通りの顔で書面にサインをした。

 講和会議出席者の拍手のなか、タイガ・ニューウェイ子爵は心中で雪辱を誓い、左手の拳を机の下で握りしめた。

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