第50話 ジーゲスリード講和会議1日目 3

 ジーゲスリード講和会議、最後の講和条件の交渉相手は、バルベルティーニ伯爵国だった。


「続いて、バルベルティーニ伯爵国との講和条件の締結になります」


 会議を進行するジェムジェーオン伯爵国のイアン・ブライス内務大臣が、バルベルティーニ伯爵代理人クーペルに発言を求めた。


「バルベルティーニ伯爵代理人クーペル外務大臣。卿より貴国バルベルティーニ伯爵国の要求を説明していただきたい」


 ショウマ・ジェムジェーオンは、ブライスの発言意図を理解した。

 バルベルティーニの要求は、あらかじめジェムジェーオンに伝えられていた。ブライスの口から説明することもできたが、クーペルの口から要求を述べさせることで、講和会議出席者の心証に影響を与えようとしていた。


 クーペルが非難の目をブライスに向けた。

 クーペルの視線は、真っ直ぐブライスに向けらていた。ライヘンベルガーやニューウェイと同じようにブライスの口で説明してほしいと訴えかけている。

 ブライスの口は、真一文字のままで、自分の口から説明しない意思を表していた。


 会議が無音に支配された。

 沈黙が続くにつれ、出席者の冷ややかな視線が、クーペルに集まっていった。

 クーペルが観念した。


「バルベルティーニ伯爵代理人クーペルです。我々バルベルティーニ伯爵国は、今回のジェムジェーオン内乱に巻き込まれた結果、多くの犠牲を払いました。バルベルティーニとジェムジェーオン両国間に立ち塞がるイル=バレー要塞は、現在バルベルティーニが実効支配しています。我々の要求は、この要塞を名実ともに、バルベルティーニの支配地として獲得することになります」


 やっと発言したクーペルに対して、即座にブライスが返答した。


「ジェムジェーオン伯爵国は領土の割譲を、一切認めません。バルベルティーニに不法占拠されている湾岸都市サローネとイル=バレー要塞の即時返還を求めます」


 一気に捲し立てた二人のやりとりのあと、再び、沈黙が訪れた。

 クーペルが周囲の視線を伺いながら、額の汗を拭った。


 ハハハ、大きな笑い声が会議の席上に響いた。

 突如、沈黙を打ち破ったのは、ライヘンベルガー男爵オリバーだった。


「皇帝陛下の代理人や各国代表が出席するこの会議の場で、バルベルティーニ伯爵代理人の口から、つまらぬ冗談を聞くことになるとは思ってもみなかった」


 オリバーの口調は、明らかにクーペルを蔑むものだった。

 クーペルが鋭い目つきで反論した。


「ライヘンベルガー男爵。つまらぬ冗談とは、我らバルベルティーニの要求のことでしょうか!? 男爵がどのような意味で発言されたのかを、説明していただけますか」

「バルベルティーニ伯爵代理人。まさかとは思うが、卿は正気で先ほどの言葉を発したとでもいうのか」


 クーペルが不快感を隠すことをやめ、怒りを顕した。


「無礼が過ぎますぞ!」

「俺の態度が無礼であると感じたなら、オリバー・ライヘンベルガー個人として卿に謝罪しよう。ただし、先に無礼をはたらいたのは、バルベルティーニ伯爵国そのものということを、卿は自覚しているのか」

「な、なにを言っているのだ」

「卿の言葉はバルベルティーニ伯爵国を代表しているのであろう。どういう精神で、このような下賤な要求を公言できるのか。俺だけでなく、この会議の出席者は厚顔無恥と思っている。俺が言いたいのは、このような要求を公然と発し、講和会議に出席者を不快な思いにさせたことに対して、バルベルティーニは謝意を示すべきということだ」

「ばかなことを」


 クーペルがオリバーを糾弾する意を込めて、会議の主催者である皇帝代理人ヴァイシュ・アプトメリア侯爵の顔を窺った。

 アプトメリア侯爵は無言のまま腕組みしていた。何も言わない。オリバーの発言を許容していることを意味した。

 オリバーがアプトメリア侯爵の態度を確認した後、ニヤリと笑った。クーペルに対して、宥めるように続けた。


「バルベルティーニ伯爵代理人は冗談のセンスを欠いていた。発言を取り消すことで、無かったこととして、水に流そうじゃないか」


 クーペルが真っ赤な顔で返した。


「小職は、冗談を述べたつもりは一切ありませんし、発言を取り消しすることもありません」


 オリバーが表情を一変させ、厳しい目で迫った。


「では、美辞麗句を一切排除して言わせてもらおう。バルベルティーニ伯爵代理人。戯言はよせ。いったい、どの面さげて、イル=バレー要塞の割譲を求めているのだ。即刻、無断占領しているイル=バレー要塞を、ジェムジェーオンに返せ」


 オリバーの発言に対して、アプトメリア侯爵が口を開いた。


「ライヘンベルガー男爵、講和会議の場だ。表現を慎みたまえ」


 オリバーがアプトメリア侯爵に頭を下げた。


「感情が先走りました。申し訳ありません」


 顔を紅潮させたクーペルが、捲し立てた。


「アプトメリア侯爵の言う通りだ。ライヘンベルガー男爵、発言を取り消したまえ」

「誤解しないでいただきたい。表現は修正するが、意見を曲げるつもりはない。貴国バルベルティーニは、どんな理由をもって、イル=バレー要塞の割譲を要求するのだ? むしろ、迷惑料として、貴国の首都イワイをジェムジェーオンに献上することを提案したらどうなのだ」

「ばかばかしい」

「それは、こちらの台詞だ。今回のジェムジェーオン内乱が拡大助長した原因のひとつは、貴国バルベルティーニがジェムジェーオンの混乱に乗じて、ジェムジェーオン国内に軍事介入してきたことにあろう」


 オリバーの威迫に、クーペルは屈さなかった。

 むしろ、余裕の表情で笑みすら浮かべながら返してきた。


「やれやれ。ライヘンベルガー男爵は誤解している」

「何? 説明してもらおう」

「ライヘンベルガー男爵が我らバルベルティーニが今回の内乱に乗じて兵を進めたと認識していることが、ばかばかしい考えなのです。我国の参戦は、アスマ・ジェムジェーオン伯爵から正式に依頼を受けたものです」


 オリバーが身を乗りださん勢いで立ち上がった。


「こともあろうに、この場に死者を持ち出すか!」


 緊迫したやりとりに、アルベルト・パイナス伯爵が立ちあがり、介入してきた。


「まあ、待ちたまえ」


 アルベルトの顔には、いやらしい笑みが浮かんでいた。

 オリバーが舌打ちした。横目で、アルベルトを睨みつけた。


「パイナス伯、貴国とは関係ないことだ。口出し無用だ」

「ライヘンベルガー卿、これはジェムジェーオンとバルベルティーニの問題だ。関係がないのは貴公とて同様なはずであろう」

「何を言っている? パイナス伯は、ライヘンベルガーが、バルベルティーニと同様に、今回の内乱の当事国であるのを忘れたのか」

「さきほど、卿自身が無条件で講和すると署名したばかりであろう。早速、それを反故にして、講和に介入しようとするつもりなのか」

「それは、俺たちライヘンベルガーとジェムジェーオンとの間の取り決めだ」

「そう、判っているさ。だから、吾輩は言っているではないか。ジェムジェーオンとバルベルティーニの問題に口を出す権利があるのかと」

「なんだと」


 オリバー・ライヘンベルガー男爵とアルベルト・パイナス伯爵の間に、緊張が走った。意外にも、アルベルトが一歩退いて発言した。


「まあ、待て。吾輩とて、卿と言い争って、むやみにこの場を乱そうとしているわけではない。ただ、少し気になるのでな」

「何をだ」


 オリバーがアルベルトの次の言葉を待つ構えをみせた。


 ――まずいな。


 ショウマは嫌な予感を覚えた。場の雰囲気が変化し始めているのを感じた。パイナス伯爵アルベルトが、徐々に場の空気を支配しようとしていた。

 アルベルトが立ちあがって、両手を拡げた。


「吾輩は、第三者の立場として、どうして、バルベルティーニ伯爵国がこのような主張をするのか気になっている。その根拠を確かめたい」


 アプトメリア侯爵が無言のまま頷いた。アルベルトの主張に賛同の意を示した。


 ――芝居がかった態度だ。


 ショウマの目には、アルベルトの態度が作為的に映った。

 アルベルトがクーペルに向かって詰問口調で問い質した。


「クーペル卿、貴公の言葉を裏付ける証拠を提示して欲しい。物証がなければ、吾輩をはじめこの場の誰もが、卿の言葉を信じられない」

「パイナス伯のお言葉、尤もです」


 クーペルが大きく首を縦に振って、恭しく懐から一通の書簡を取り出した。


「この書簡は、アスマ・ジェムジェーオン伯爵から当国フランク・バルベルティーニ伯爵宛てに送られたものです。書簡には日付が記されております。帝国歴627年11月13日。我々バルベルティーニがジーゲスリードに入城する1週間前のものです。我らバルベルティーニは、この書簡をもって派兵に至りました」


 おお、会議の出席者がどよめいた。

 アルベルトが大仰に応じた。


「な、なんと。そのような書状が存在するのか」


 パイナス伯アルベルトはこの書簡の存在をあらかじめ知っていたに違いない。


 ――やられた。


 この講和会議のなかでバルベルティーニとパイナスは、効果的な演出で、この書簡の存在を明らかにするタイミングを狙っていた。

 ショウマは無言のまま、クーペルが手に持つ書簡をみつめ、対処に頭を巡らせた。

 皇帝代理人アプトメリア侯爵が、静かに口を開いた。


「バルベルティーニ伯爵代理人、その書簡を吾の目で、直接確認したい。構わないな」

「もちろんです」


 クーペルが立ち上がって、アプトメリア侯爵に書簡を差し出した。

 アプトメリア侯爵が、封筒を丁寧に検視した。一通り検分を終えた後、封筒のなかから書状を取り出し、再度、慎重に確認した。それで、ようやく文書に目を落とし、じっくり内容を読み込んだ。

 書状を読み終えると、書状をもとの封筒のなかに戻し、アプトメリア侯爵に付き従う臣下の者に手渡した。


「ショウマ・ジェムジェーオン卿。よろしいかな」

「はい」

「この書状にはジェムジェーオンの国璽が、特殊なインクで押されている。貴国の者であれば、真贋を判断できるであろう」

「すぐさま、鑑定させていただきます」


 パイナス伯爵アルベルトが口を挟んできた。


「当然のことながら、鑑定には当事国であるバルベルティーニ伯爵国の者も随員できるのであろうな」


 ショウマはアルベルトの目を捉えた。


「仮に書簡の内容が、私に都合が悪いものだとしても、姑息な真似をするつもりはありません。ただ、パイナス伯がそれほど言うのであれば、バルベルティーニ伯爵国の随員を断る理由はありません」


 ふっ、アルベルトが掛けている丸眼鏡の奥の目が光った。口の端を歪めた。


「新しいジェムジェーオン伯は話の分かる方だ」


 進行役のブライスが提案した。


「鑑定の結果がでるまで時間が掛かります。本日の会議はこれにて散会とし、明日、鑑定結果の報告とともに、会議を再開したいと考えていますがいかがでしょうか」


 会議の出席者が頷いた。

 ジーゲスリード講和会議の一日目はこうして閉会となった。

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