第39話 ジーゲスリード入城2

 ジーゲスリードの伯爵家居城、別称グランドキルンの南大門を、ショウマ・ジェムジェーオンとカズマ・ジェムジェーオンは抜けた。約4ヶ月ぶりにグランドキルン内廷、自分たちの住居である西天宮に足を踏み入れた。


 ショウマは自分たちが生まれ育ってきたこの空間を、まじまじと見回した。


 ――しっくりとこないな。


 ショウマはカズマの顔を確認した。

 カズマもショウマと同じ想いだったのだろう。苦々しい笑みを浮かべていた。


「オレたちの家って、こんな風だったっけ?」

「そうだな。私もカズマと同じことを感じていた」

「知っているけど、知らない場所みたいだ」


 華麗な室内装飾や調度品。懐かしさは感じる。

 以前は、これらの物に囲まれて何の疑問もなく暮らしていた。しかし今は、豪奢過ぎて心地悪さを感じることを否定できない。もちろん、室内装飾や調度品が変化したわけではない。変わったのは、これらの物を視る自分たちの主観だった。


 ――機能的ではない。華美であることそれ自体が目的の壁や家具だ。


 これらを当り前と捉える感覚が異常だったのかもしれない。


 ショウマとカズマは、懐かしき異空間となった自分たちの住居のなかを進んだ。

 突然、ふたりの往く手に人が現れた。

 ショウマは身構え、警戒を強めた。

 目の前に立っているのは、若い女性だった。次の瞬間、こちらに向かってきて、ショウマに身体ごと飛びついてきた。

 思わず、ショウマはその身体を受け止めていた。

 その若い女性が耳元で囁いた。


「お・に・い・さ・ま」


 こんな行動を、ショウマに向かって実行しようとする人物は、ひとりしか心当たりがなかった。

 ショウマは女性の身体を抱きかかえたまま、ため息をついた。


「信じられない! ため息で返すなんて。せっかく、可愛い妹が精一杯の愛情表現で、久しぶりに再会した兄を出迎えたというのに」


 サヤカ・ジェムジェーオン。ショウマとカズマの同腹の妹だった。

 士官学校の制服を身につけたサヤカが、ショウマから離れると、ふたりの行き先を大の字になって立ち塞いだ。

 ショウマやカズマと同じ血を受け継ぐだけあって、サヤカも人の目を惹きつけてやまない優美で整った顔をしていた。サヤカが士官学校に入学したのは、敬愛するアンナ=マリー・マクミラン大佐に影響されてのことだった。

 ショウマはジーゲスリードに残した妹サヤカをずっと心配していた。


「サヤカ、元気そうで安心した」


 思い掛けないカタチだったが、壮健なサヤカの顔を見られて、ホッと胸をなでおろした。

 カズマが続いた。


「久しぶりだな。サヤカ。本当に元気で何よりだ」

「直接、ふたりに会うのは久しぶりなのだけれども、あたしはここ最近、ショウ兄とカズ兄の姿を映像で何度も見ていたから、そういう感じはしないわ。不思議な感じね」


 サヤカが両手を後ろ手に組み、ショウマとカズマの顔を覗き込んできた。


「ふたりとも、少しやせたみたい」


 ショウマはサヤカに訊ねた。


「サヤカのほうこそ、少しやせたんじゃないのか。軟禁されていたと聞いていた。身体は大丈夫なのか」


 この報せを聞いたとき、ショウマは怒りを隠すことことができず震えた。

 サヤカが首を曲げた。


「軟禁って、何?」

「ジーゲスリードでサヤカは捕われていると聞いていたのだが」


 サヤカが自分自身を指さした。


「あたしが?」

「違うのか」

「ああ、そういうものなのかしら。けれども、ここ『グランドキルン』のなかでは行動が自由で、士官学校にも普通に出席していたわ。確かに、士官学校に向かう途上、監視の者が付いていたけれども、幼い頃から、どこに行くにも、常に護衛は付いていたでしょ。だから、自分が改めて軟禁されているという感覚はなかったわ」

「不自由はなかったのか」

「そういわれてみれば、『グランドキルン』と士官学校以外に、外出することを禁止されていた。けれども、毎日、士官学校で、あれだけの量の課題を出されたら、外に出掛ける暇なんてありっこないわ」

「そうか。良かった」

「良くないわ。士官学校がこんなにも大変だなんて、聞かされていなかったわ」


 ショウマは心の底から安堵した。


 ――無事でよかった。


 次の瞬間、サヤカが俯き、何かを考え始めた。

 顔の表情も険しくなっていく。

 カズマがサヤカの変化に気づいた。


「サヤカ、どうした?」


 サヤカが顔を上げた。瞳の光が増幅したような気がした。


「ショウ兄とカズ兄。訊いていい?」

「ああ」


 ショウマは応じながら、嫌な予感を覚えた。


 ――この表情。


 サヤカのこの顔は、何かを決心した時のものだった。


「いまから、ふたり揃って、どこに向かおうとしているの」


 カズマが振り返って、ショウマの顔を覗った。

 一瞬、ショウマは言葉に詰まった。

 しかし、サヤカに隠すことではない、と思い至った。


「ユウマとミランダ様の処だ」

「やっぱり」


 瞬間、サヤカの目に炎が灯った。

 腰まで伸びる金髪を振り払って、大きな瞳に強い意志を映し出しながら、改めて、大の字に仁王立ちして、ショウマを睨み付けてきた。


「ショウ兄、教えほしいことがある」


 強い口調だった。こうなった時のサヤカは、誰にも止められない。

 ショウマは心中でため息をつきながら、平静を装い応じた。


「なぜ、それほど剣呑なんだ」


 サヤカがショウマの前に一歩踏み出した。


「何言っているの? あたしはいたって平穏よ」

「すでにプンプンしているじゃないか。どうして、そうなったんだ」

「質問しているのは、あたしの方!」

「何が聞きたい」


 サヤカの視線は、ショウマを真っすぐに貫いていた。


「ショウ兄、教えて。ユウマをどうするつもりなの」


 ショウマは得心した。


 ――やはり、その件か。


 サヤカの表情から、ユウマのことが話題に上がることは、予想できた。


 ――さて、どうしたものか。


 正直、ショウマは、ユウマとその母ミランダと面会を約束したこの段階においても、ユウマの措置をどう決着させるか、決めかねていた。

 暫定政府軍に錦の御旗として担がれたのは、14歳のユウマ自身の意志でない。それは理解している。だが、不問に付せば、後に禍根を残すことになる。再び、ユウマを担ぎ出し利用する者を出してはならない。

 隣からカズマの視線を感じた。

 横を向くと、カズマの硬い表情が目に入った。

 カズマはショウマに直接言ってこなかったが、ジーゲスリードに入ってから、ユウマのことを気にしていた。ショウマはそれを察知していた。


 サヤカが語気を荒げた。


「視線を逸らさないで」

「……」


 ショウマはサヤカに視線を合わした。

 焦れたサヤカが、さらに一歩前に詰め寄ってきた。


「ねえ、どうなの」


 ショウマは思わず、視線をサヤカから離してから、言った。


「ユウマは自らの意思で行動したのではない」

「そうよ。ユウマは暫定政府に担がれただけ」


 ショウマはサヤカに視線を戻した。


「ユウマ自身に罪があるとは思っていない」

「ユウマの意思とは関係ないのだから、当り前じゃない」

「サヤカはユウマに罪があると思っていたのか?」


 サヤカが首を大きく振った。


「思っている訳ないじゃない。ショウ兄がそう思っているなら、安心した」


 その言葉とともに、サヤカが大きく深呼吸した。

 サヤカの表情を見て、ショウマは後続の言葉が述べられなくなった。

 カズマが続いた。


「サヤカ、心配は無用だ。何を気にしているんだ? オレたちがユウマをどうにかするなんて、有り得ないだろ」

「そ、そうよね」


 サヤカの目は、半信半疑のままだった。疑いの目をショウマに向けてくる。

 つれて、カズマの目もショウマに同意を求めてきた。


「そうだろ、兄貴」


 ショウマは後頭部に熱い血が集まってくるのを感じた。

 サヤカはまだしも、カズマがこの次元で考えていることに、憤りを覚えた。

 ユウマの問題は単純な家族の問題ではない。高度に政治的な判断を要する問題だった。


 ショウマは無言でカズマを睨みつけた。

 カズマが慄然とした目を、ショウマに返してきた。


 ――家族のなかでいがみ合っても、仕方がない。


 ショウマはひとつ間をおいて、心を鎮めてから言った。


「ユウマを今回の件で罪に問うことはしない」


 カズマとサヤカが、同時に、安堵の表情を見せた。


「そうさ。サヤカ」

「あたしもね、そう思っていたんだけど」


 サヤカが言いにくそうな口調で続けた。


「でも、義母さまがとても心配しているの。あたしは『心配しなくても、兄さんたちも判っているから、大丈夫ですよ』と何度も言ったんだけれども……。義母さまの心配する顔をずっと見ているうちに、あたしも『もしかしたら』って」


 サヤカが言う義母さまとは、父アスマの後妻ミランダのことだった。弟ユウマはアスマの5人の子供のなかで、唯一人、彼女の実子だった。

 ミランダの立場を考えれば、憂慮する気持ちも理解できる。

 カズマが、サヤカの言葉に引っ掛かったようだった。


「『もしかしたら』って、どういう意味だよ」


 サヤカがショウマとカズマに頭を下げた。


「ごめんなさい」

「サヤカは、オレたちがユウマをどうにかすると思っていたのか」

「カズ兄、しつこい。だから、あたしも謝っているでしょう」

「けれどなあ」

「あたしは何もないと思ってた。だから、義母さまに『心配しなくても大丈夫』って伝えたって、言ってるでしょ。もし、ショウ兄やカズ兄がユウマをどうにかしようものなら、あたしが絶対にユウマを護るって約束したんだから」


 ショウマはサヤカの言葉の裏にある危惧を理解した。


 ――なるほど、ふたりは考えたのだな。


 カズマとサヤカは、ショウマがユウマのことを冷徹に処分するかもしれないと危惧していた。だからこそ、カズマは軽々に、ユウマのことを話題にしてこなかった。


 はは、カズマが声に出して笑いながら、サヤカの頭を撫でた。


「サヤカは相変わらずだな」

「もうやめてよ。それに、相変わらずって何よ」

「サヤカは全く変わってない。思い込んだら一直線。その姿を見ていたら、ようやく自分の家に戻ってきたと実感できたよ」


 カズマの態度は、ショウマの目に少し作為的に映った。

 サヤカが、頭を撫で続けるカズマの手を振り解いた。


「ちょっとぉ、カズ兄やめてよ。あたし、もう子供じゃないんだから」

「まあ、まあ」


 カズマが笑いながら、さらにサヤカの頭を撫で続けた。

 サヤカがふくれっ面をつくりながら、カズマの腹にパンチで反撃した。カズマが大げさに腹を押さえた。

 ショウマはふたりの姿を、傍目で見ながら歩き始めた。


「さあ、行くぞ。サヤカ以上にミランダ様やユウマのほうが心配しているだろう」


 先を進むショウマの後方から、カズマとサヤカの足音が続いてきた。




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