第38話 ジーゲスリード入城1

 帝国歴628年3月15日、『勝唱の双玉』カズマ・ジェムジェーオンとショウマ・ジェムジェーオンは、車両に乗って、ジェムジェーオン伯爵国首都ジーゲスリードの街に入った。

 瞬く間に、いくつのもの歓声が多重奏となって、空から降り注いできた。


 車両の窓から外の街を見ると、老若男女、大勢のジーゲスリード市民が街路を埋め尽くしていた。市民の視線や歓喜はすべて、若く美麗な救国の英雄『勝唱の双玉』に向けられていた。どの顔も明るかった。


〈ショウマ様、ジェムジェーオンを救っていただいてありがとうございます〉

〈本当に、この世のものと思えないほど美しい〉


 カズマは車両の窓を開けた。

 身を乗り出し、笑顔で市民に向かって手を振った。


〈きゃー、カズマ様がこっちを見てる〉


 隣に座っていたショウマが言った。


「カズマ、あまり調子に乗っていると叱責を受けるぞ」


 ジーゲスリードに入る前、何が起こるか判らないため、防弾ガラスとなっている窓は絶対に開けないようにと、警備担当から釘を刺されていた。


「そうだったな」


 カズマは車内に身を戻し、窓を閉めた。

 それでも、車のなかから窓越しに手を振り、集まった市民に笑顔を向け続けた。

 隣に座るショウマは微動だにせず、静かにしていた。


「兄貴も笑顔のひとつでも作って、ジーゲスリード市民の歓迎に応えたらいいのに」

「カズマ、市民たちの顔をよく見てみろ」


 ショウマが小さく外の方に指をさした。

 カズマは窓の外を確認した。

 街路を埋め尽くしたジーゲスリード市民たちの顔が、目に入ってくる。喜色を浮かべて熱烈に『勝唱の双玉』を迎えている民衆の奥に、何とも言えない表情でジッとこちらを見詰めている壮年の夫婦の姿を見つけた。


「幸いにもジーゲスリードは無血開城となったが、集まった市民のなかには、この内戦で家族を失った者もいるだろう。私たち兄弟のどちらもが、無邪気に笑顔を振り撒いている姿を見たら、どう思うだろうか?」

「そうだな」


 カズマは深く項垂れた。

 ショウマの言う通りだった。この戦いでは、多くの血が流れた。カズマは無神経だった自らを恥じた。


「誤解するな。カズマは、そのままでいいんだ」

「……」

「ジーゲスリード市民は、この数日、市街戦の恐怖とともに過ごしていた。これまでも、治安部隊によって抑圧をうけてきた。現在は、恐怖から解放されて、興奮とともに喜びを享受している。自己の昂ぶりを満たす対象として『勝唱の双玉』は最適だろう。だから、一方はそれを受け止める存在でなければいけない。私たちは、2人なんだ、どちらも同じ役割を担うことはない」

「まったく、兄貴には感心するよ。この熱烈な歓迎のなか、そんな打算的なことを考えているとは」

「まるで、私が人でなしのような言いぐさだな」

「オレは大勢の市民の顔を見て、ジーゲスリードでの戦闘を回避できて良かったとしか、考えていなかった」

「私もカズマと同じ思いだ。ジーゲスリードが戦場とならなくて、心から良かったと思っている」


 ショウマの言葉は実感が伴っていた。


 ――オレたちは異なる役割を果たせばいい。


 カズマは改めて、窓越しに市民に向かって、手を振った。




 『勝唱の双玉』が搭乗する車両は、ジーゲスリードの街を抜けて、ジェムジェーオン防衛軍本部庁舎に到着した。


 防衛軍本部庁舎の正面玄関で『勝唱の双玉』を出迎えたのは、内戦で暫定政府軍に属していた大勢の下士官たちだった。

 跪き、頭を下げて『勝唱の双玉』を迎えた。


 暫定政府に加担し、国家を乱しことを、『勝唱の双玉』に直接謝罪したい。


 下士官たちの気持ちだった。

 実際には、もっと多くの兵士たちが防衛軍本部庁舎に押し寄せていた。

 暴動になるほどの勢いだったため、抑制されることになった。兵士たちの代表として下士官だけに、『勝唱の双玉』が搭乗する車両と一定距離をとる条件で、拝謁する機会が与えられた。


 車両が正面玄関の前で、止まった。

 車のなかからこの光景を観たカズマ・ジェムジェーオンが、思わず呻いた。


「何だ? 大勢の兵士たちが跪いているぞ」


 衛兵が車両に近づいてきた。

 ショウマ・ジェムジェーオンが車両の窓を下げた。


「彼らは何をしている」


 衛兵が直立不動で敬礼した。


「彼らは暫定政府軍に従軍していた下士官たちです」

「佐官よりも階級が下の兵士たちには、自宅待機を命じているはずだが」

「どうしても、『勝唱の双玉』のおふたりに直接謝罪したいと。これ以上は近づけさせません。当然、全員の身体検査は済ませております」


 ショウマがカズマの顔を向けた。


「カズマ、いくぞ」

「もちろん」


 ショウマとカズマ『勝唱の双玉』が、車両の扉を開けて、ジェムジェーオン防衛軍本部庁舎の正面玄関の前に降り立った。

 神話に出てくる若き英雄が、地上に降臨した如き荘厳な美しさだった。

 下士官たちの心は、一瞬にして奪われた。改めて、一斉に頭を下げた。

 『勝唱の双玉』のふたりが下士官たちのもとへ近づいてきた。

 衛兵が慌てて、ふたりを制止した。


「お待ちください」


 カズマが笑みを浮かべて、衛兵に応えた


「彼らはジェムジェーオンの忠志だ。何も問題ない」


 その言葉に、衛兵が直立不動で敬礼して応えた。『勝唱の双玉』が進むに任せた。

 下士官たちの前に立ったショウマが、下士官たちに命じた。


「諸君、立ち上がってくれ。貴官らが私たちに謝罪することなど何もない。自らの職務に忠実に従っただけだ」


 下士官のひとりが代表して、頭を下げたまま言った。


「我々は恐れ多くも『勝唱の双玉』に弓を引きました。お許し頂きたい」


 カズマが大きな声で応えた。


「許すも何も、君たちは何ひとつ悪いことはしていない」


 なおも、兵士たちは跪き続けていた。

 ショウマが目の前の下士官の肩を叩いた。


「カズマの言う通りだ。私たちと貴官たちの間に、勝者も敗者もない。ともに、ジェムジェーオンのことを強く愛している同士だ。昨日までのことは不幸な過去だ。今日からは、ともに前を向いて歩んでいこうじゃないか」


 肩を叩かれた兵士は、万感の涙を流しながら顔をあげた。

 ショウマが左右に顔を向けながら、この場にいる下士官たち全員に呼びかけた。


「さあ、みんな。立ち上がってくれ」


 ジェムジェーオン防衛軍本部庁舎の正面玄関を埋め尽くした兵士たちが立ち上がった。

 ひとりの下士官が叫んだ。


「ジェムジェーオン伯爵ショウマ様、万歳」


 多くの下士官たちがそれに続いた。


「ジェムジェーオン伯爵ショウマ様、万歳」


 大きなうねりとなって、この場にいる下士官たち全員が万歳三唱を叫んだ。




 ジェムジェーオン防衛軍本部庁舎内で、ギャレス・ラングリッジ元帥は『勝唱の双玉』と約半年ぶりに直接の再会を果たした。


 ――本当に立派になられた。


 幼少期から二人を見守ってきたギャレスは、感極まる想いを抑えながら、頭を下げた。


「ショウマ様、カズマ様。申し訳ありませんでした」


 カズマ・ジェムジェーオンが面食らった表情で、頭を下げるギャレスを見やった。


「どうして、ギャレスが謝罪しているんだ」

「小官はジェムジェーオン防衛軍の統合幕僚本部長という重責の身でありながら、この内戦では、何も役立つことができませんでした」


 ショウマ・ジェムジェーオンが言った。


「アンナ=マリーから話を聞いている。ギャレスは部下を逃がすために、自らの身を犠牲としたのであろう。それで捕まったのだから、むしろ、私が、ギャレスの苦労に頭を下げねばならない」


 ギャレスは頭を下げたまま、言った。


「国の未来を担うアンナ=マリー・マクミラン大佐をはじめとする若者を優先するのは、当然のことです。小官は何もできなかった。結果がすべてです」

「オステリアでは、決起した義勇兵をまとめあげたではないか」

「オステリアの兵士たちがひとつに纏まったのは、ショウマ様とカズマ様がハイネスで暫定政府軍に勝利したことによるものです。小官が果たした役割など微々たるものに過ぎません」


 ショウマがギャレスに命じた。


「ギャレス、頭をあげてくれ」


 ギャレスは顔を上げた。

 ショウマがじっとギャレスを見詰めてきた。


「もし、本当に謝罪したいと考えているならば、これからもジェムジェーオンに尽くしてくれ。もし、今回を機に引退を考えているならば、許さない」


 今後、若く君主としての器量充分なショウマ・ジェムジェーオンを中心に国造りを進めていく。そんな時、旧時代の人間であるギャレスは障害となる可能性がある。

 ギャレスは、マクシス・フェアフィールド元帥の死に直面して、そんな気持ちを抱いた。

 この内戦が落ち着いた後、自らの身を引こうと心に決めた瞬間だった。


 ――気持ちを見透かされていた。


 ショウマが右手を差し出してきた。


「私はまだ若い。マクシス・フェアフィールド元帥が亡くなった今、私の経験不足を補える者は、ギャレス・ラングリッジ元帥、そなたしかいない」


 ギャレスの脳裏に故アスマ・ジェムジェーオン伯爵の顔が浮かんできた。


〈ギャレス、任せたぞ〉


 ――私に課せられた役割なのか。


 ギャレスは意を決して、ショウマの右手を握った。


「承知しました。ただし、口うるさいかもしれませんぞ」

「もちろん、覚悟のうえだ」


 カズマが優しい表情で、この場を眺めていた。

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