第35話 ジーゲスリード奪還戦3

 すでに、太陽は高くなっていた。

 北部要衝ハイネスを出発した遠征軍の旗艦バトルシップ『ギュリル』は、もうじき首都ジーゲスリードに到着するところだった。


 遠征軍を率いているショウマ・ジェムジェーオンは、気を重くしていた。

 索敵によって、ジーゲスリードまで敵軍と遭遇しない可能性が高いことが判った。それは、暫定政府軍が野戦ではなく、首都ジーゲスリードでの籠城戦を決意したということを意味した。

 ジーゲスリードの兵士たちは士気が低下しているとはいえ、戦力が残っていた。しかも、ショウマたちは、帝国中央から征東将軍ヴァイシュ・アプトメリア侯爵が到来する前に、ジーゲスリードを陥落させねばならなかった。時間を掛けた包囲戦という選択を採れない。短期決戦を目指せば、戦闘が激戦となることは必至だった。


 隣に座る双子の弟カズマ・ジェムジェーオンが、何度も足や手を揺さぶった。


「いっそのこと、ジーゲスリードから出てきてくれれば、いいのに。そうすれば、いますぐに出撃できる」


 カズマもショウマと同じ未来を見ていた。


 ――カズマらしいな。


 ジーゲスリード攻城戦が始まれば、間違いなく激しい戦闘になる。市民に犠牲者が出ることは避けたかったが、多くの死傷者が出ると予想していた。

 この遠征軍の士官や兵士たちのなかにも、ジーゲスリード出身者が多数いた。

 彼らもショウマやカズマと同じように複雑な想い抱いていた。故郷に戻る歓喜、恋人の安否の心配、友人や家族のなかで敵同士となる悲壮。ジーゲスリードが近づくにつれ、部隊全体の空気が重くなっていった。


 ジーゲスリードの街が、肉眼でも視認できるまでに近づいた。

 ショウマはバトルシップ『ギュリル』の司令官席に座ったまま、オペレータに尋ねた。


「ジーゲスリードまでの距離は」


 オペレータが即座に応答した。


〈約5000です〉


 この場所は、前方がジーゲスリードまで開けており、背後が小高い丘となっていた。攻撃陣を築くのに適した土地だった。

 ショウマは全軍に伝えた。


「全軍停止し、この場所に布陣する。そして、ジーゲスリードの暫定政府に対して、私ショウマ・ジェムジェーオンの名をもって最後の降伏勧告を行う。回答期限はいまより2時間後とする」


 戦いの前の独特な昂揚感と緊張感に包まれた。

 様々な感情が入り交じって、異様な空気が、全軍を覆っていた。


 1時間後、西方要衝オステリアからギャレス・ラングリッジ元帥が2個師団を率いて、戦線に加わった。ハイネスから『勝唱の双玉』が率いてきた6個師団の軍勢と合わて、8個師団の軍勢となった。

 ここに、ジェムジェーオン伯爵国の首都ジーゲスリードに対する攻撃布陣が完成した。




 ショウマ・ジェムジェーオンがジーゲスリードの暫定政府に降伏勧告してから、1時間50分が経過していた。

 約束の回答期限、2時間が迫っていた。


 兵士たちのジーゲスリード攻撃準備は、完了していた。

 ジーゲスリードを取り囲む遠征軍の旗艦バトルシップ『ギュリル』の艦橋、士官たちが一様に黙ったまま緊張した面持ちで、時がゆっくりと経過するのに耐えていた。


 ――落ち着かない。


 カズマ・ジェムジェーオンは意味もなく何度も足や手を揺さぶった。

 ショウマが時計を確認した。

 総攻撃のデットラインまで残り5分。


 その時だった。


〈ジーゲスリードから通信が入っています〉


 早口になったオペレータの声が艦橋に響いた。


 急遽、もどかしい時間が破られた。

 この一報に『ギュリル』の艦橋が堰を切ったようにざわつき始めた。なかには安堵のため息も入り交じっていた。


 アンナ=マリー・マクミラン大佐がショウマに顔を向けた。

 ショウマが頷き、アンナ=マリーが目で応えたあと、オペレータに指示した。


「暫定政府に通信を繋げてください。併せて、ギャレス・ラングリッジ元帥にも繋いでください」

〈承知しました。暫定政府の交渉相手は、マクシス・フェアフィールド元帥です〉

「わかりました。こちらは私アンナ=マリー・マクミラン大佐が臨みます。通信をこちらに回してください」

〈回線繋ぎます〉


 艦橋の中央モニターに、マクシス・フェアフィールド元帥の姿が映し出された。

 皺が年輪のように刻まれた顔は威厳に満ちており、ピンと正した姿勢も威風堂々としていた。


 ――まさか、敵として対峙することになろうとは。


 カズマは、幼少の時から見知っているマクシスの姿を、複雑な想いで見詰めた。

 堰を切ったのは、アンナ=マリーだった。


「お久しぶりです。フェアフィールド元帥閣下」

「マクミラン卿か」

「フェアフィールド元帥閣下。あなたほど経験のある人であれば理解しているはずです。これ以上の戦闘継続は無意味であるということを」


 ふっ、マクシスが小さく冷笑した。


「マクミラン卿、貴官とワシは同じジェムジェーオン武家御三家の当主の立場にあるが、いまや政治的立場が格段に違う。ワシは暫定政府の代表の身で、貴官は軍の一大佐に過ぎない。交渉はそちら側の政治的代表の地位にある者、つまり、ショウマ・ジェムジェーオン殿下としか行う気はない」


 アンナ=マリーが苦い顔をした。

 同時に、男性の声が割って入った。


「同じジェムジェーオン防衛軍の元帥という立場であれば、私が対応しよう」


 モニターが映し出したのは、ショウマやカズマと別のバトルシップに乗艦していたギャレス・ラングリッジ元帥だった。


「ラングリッジ卿か」

「フェアフィールド元帥に訊きたいことがある」


 マクシスが再び冷笑した。


「武官としての立場であれば、ワシとラングリッジ卿と同等の立場にある。だが、マクミラン卿に伝えた通り、現在のワシには政治的な立場がある。ショウマ様としか、交渉する気はない」


 ギャレスが表情を曇らせた。


「フェアフィールド元帥、なぜ、自らで退路を塞ぐのだ」


 マクシスの左眼が、一瞬、ゆるんだ。

 だが、即座に、厳しい表情に戻った。


「何度も言わせないでほしい。ワシはショウマ・ジェムジェーオン殿下としか話さない」


 マクシスが画面に映っていないショウマに呼びかけた。


「傍にいらっしゃるのでしょう、ショウマ様」


 ショウマが歩み出た。

 アンナ=マリーがショウマを抑止するため、頭を左右に振った。

 ショウマがアンナ=マリーの制止を無視して進んできた。天を仰いだアンナ=マリーに代わって、モニターの前に直立した。


「待たせたな、マクシス。ショウマ・ジェムジェーオンだ」

「ショウマ様、お久しぶりですな」

「ああ、久しいな。このようなカタチでマクシスと向き合うことになるとは、夢にも思わなかった」

「ワシもです。ここまで長く生きてきましたが、人生とは自らの予想を超える驚きをもたらすものですな」


 カズマは、幼少時から接してきたマクシス・フェアフィールドを思い出していた。


 ――なぜ、マクシスは暫定政府軍に与した?


 カズマの思い出のなかのマクシスは、そのどれもが、優しい顔でオレを包み込んでいた。ジェムジェーオン伯爵家に対する高い忠誠心、自分たち『勝唱の双玉』と争う理由などみつからなかった。

 アンナ=マリーがその横で、会談の映像を全軍に流すように伝達していた。


 ――この会談を政治的に利用しようとしているのか。


 一瞬、アンナ=マリーに憤りが込み上げたが、すぐに意図を理解した。

 ショウマとマクシスの交渉は個人間のものではない。会談の内容次第で、命を賭けて戦場に赴くべき人間が何万といるのだ。敵味方は関係なく、ジーゲスリードで対峙するジェムジェーオンの兵士であれば、この会談の内容を知る権利がある。

 ショウマがマクシスに告げた。


「本題に移ろうではないか」

「そうですな」


 ショウマが、これまでよりも強い口調で言い放った。


「これ以上、戦いを続ける必要はなかろう」


 マクシスの表情は変わらなかった。何も言わず、ショウマをじっと見据えてきた。

 ショウマが、抑えた口調で繰り返した。


「戦いは終わっていると思わないか。マクシス」

「ほう、そうですかな」

「改めて述べる必要はないと思っていたが、判らないというのであれば、説明しよう。私たちはジーゲスリードを圧倒的な数の兵で、取り囲んでいる。いまこの時も、私たちに味方したいと、ジェムジェーオン全土から兵士たちが、集まってきている。戦いの帰趨は見えた。これ以上、戦闘を続けるのは意味がない。いたずらに犠牲者を増やすだけだ」


 ハハハ、マクシスが声に出して笑った。


「決着はついていると」

「そうだ」

「ショウマ様が、この会談の場で、ワシらに降伏を宣言していただければ、戦いは終わります」

「独創的でおもしろい解釈だな。だが、残念ながら、私が言いたいことはまったく逆のことだ。暫定政府軍の最高司令官であるマクシス・フェアフィールド元帥が、私、ショウマ・ジェムジェーオンに降伏を宣言するべきと思っている」

「ご冗談を。ワシらには、まだジェムジェーオン最精鋭の軍隊と、不落のジーゲスリードが残されています」

「あくまで、降伏を拒否するというのか」

「なぜ、ワシらが降伏する必要があるのか、理解できません」


 ショウマが目線を宙に向け、一瞬、目を閉じた。

 乾いた口唇を舐め、モニター越しにマクシスの瞳を覗き込んだ。


「なぜ、現状を無視して、頑なに否定し続けるのか理解に苦しむ」

「確かに、ショウマ様たちが多くの兵を集めたは事実です。しかしながら、戦闘とは兵力差だけで決まるものではありません。これまで、イル=バレー渓谷やハイネスで、ショウマ様自身が、それを証明してきたではありませんか」

「私たちには大義があった」


 マクシスが冷笑した。


「何を仰いますか。ワシらにも故アスマ・ジェムジェーオン伯爵の遺志という正義があります。そして、忘れないでほしい。ジーゲスリードに残っている兵は士気高く、意気盛んであることを」

「激戦となれば、また、多くのジェムジェーオン市民の血が流れることになる。フェアフィールド元帥はそれを憂慮しないのか」

「ワシも危惧しております。最も良い解決法を知っております。ショウマ様がワシらに降伏してください」


 堂々巡りだった。会見の様子を観ていたカズマは、頭を抱えた。

 ショウマとマクシス、お互いが黙した。


 ――なぜ、マクシスは降伏を選択しない。


 カズマは苛立ちを覚えた。

 負け続けたうえでの籠城、ジーゲスリードの兵士の士気を保つことは厳しく、援軍の当てもない。暫定政府は、どこに勝機を見出すつもりなのか。

 ショウマが、この沈黙を破った。


「帝国中央より征東将軍ヴァイシュ・アプトメリア侯爵の軍勢が到着するのを待つつもりか。それが、降伏を拒否する理由で、時間を稼ごうという腹づもりか」


 ひとつ間があいた。

 マクシスが首を傾げた。


「ショウマ様が何を仰っているのか、ワシは理解できませんな」

「ならば、マクシスにも理解できるように、私の口から説明しよう。暫定政府が弟のユウマ・ジェムジェーオンを国主として擁立して、政権の正当性を、ヴァイシュ・アプトメリア侯爵やシャニア帝国に主張しようとしている。違うか」


 カズマはショウマの意図を察した。


 ――なるほど、そういうことか。


 ショウマが敢えてこのことを口にしたのは、マクシスを糾弾することが目的ではない。映像を観ているであろう兵士たちの目と耳を意識してのことだった。


「まさしく、心外とはこのことですな。ユウマ・ジェムジェーオン様は、正統な国主となるお方です。新たなジェムジェーオン伯爵のもと、一丸となるのを邪魔しているのは、ショウマ様たちです」


 カズマの頭に大量の血が逆流してきた。


 ――弟のユウマまで巻き込んで。


 マクシスが、自らの正当性を主張するために、ユウマを利用している。憤激に身が震えてきた。

 その言葉に対して、ショウマが反論を言いかけた時だった。


「待て」


 画面の向こうから、マクシスとは別の人物の大きな声が響いた。

 マクシスが声の発生方向に顔を向けた。

 明らかにマクシスの顔色が変わった。


「パ、パーネル……」

「フェアフィールド元帥、あなたは暴走している。潔く退場していただくことが、この国のためになることだ」

「何を言っているのだ、パーネル中将」

「何を? 言葉通りの意味と理解してください。フェアフィールド元帥には、この舞台から身を退いていただきたい」

「誰か、この不届き者を退出させよ」


 マクシスが画面に背を向け、周りの者にパーネル中将の排除を命令した。

 だが、マクシスの言葉に従う者はなかった。


「なぜ、ワシの命令に従わぬのだ」

「私たちは、これ以上、あなたが暴走するのを看過できない」

「血迷ったか」

「笑止。血迷っているのは、フェアフィールド元帥、あなたの方だ。ユウマ様はあなたが担ぎ上げた神輿に過ぎない。神聖なるジェムジェーオン伯爵家の室に踏み入り、国に混乱をもたらす元凶は、あなただ」


 画面に映ったマクシスの横顔が引き攣っていた。


「この裏切り者め」

「国を裏切っているのは、フェアフィールド元帥、あなただ。あなた以外すべてのジーゲスリード市民は、ショウマ・ジェムジェーオン様を次の国主と考えている。直ちに、この場で降伏を選択してください」


 つい先ほどまで威厳に溢れていたマクシスの顔は、すでに失われていた。

 信頼していた側近に裏切られ、動揺していた。紅潮し必死に言葉をつぐ姿は、愚者そのものだった。慌てうろたえたマクシスの甲高い声が響く。


「パーネル、貴様、自分が何を喋っているか理解しているのか」

「当然、理解しています。そのうえで、もう一度言います。フェアフィールド元帥、降伏を宣言してください」

「臆病者め。命が惜しいのか」

「なぜ、冷静に判断できないのです。フェアフィールド元帥、武人としての本当の誇りを捨てたのですか」

「早く、誰でもよい。この裏切り者を捕らえよ」

「残念です……」

「な、なんだ、それは」


 パーネルの右手に拳銃が握られていた。

 パン。乾いた炸裂音が響いた。


 次の瞬間、マクシスの左胸が鮮血に染まった。

 マクシスの身体がゆっくりと崩れ落ちていった。マクシスが倒れた地面から血が拡がっていった。


 バトルシップ『ギュリル』の艦橋にいた士官全員が、モニター越しに繰り広げられた一連の光景に眼を奪われていた。

 カズマもこの事態を前に、呆気にとられていた。

 何が起きているか、この映像が意味するものを充分に理解することが出来なかった。

 倒れたマクシスから、カメラが切り替わった。


 拳銃を手に持ったパーネル中将が映しだされた。

 パーネルがショウマを確認するなり、最敬礼した。


「小官はロイ・パーネル中将であります。大変お見苦しいものをお見せしました。申し訳ございません」


 ショウマがひとつ間をおいてから、ゆっくりと言葉を発した。


「パーネル中将」

「はっ」

「私はこの戦いを速やかに終わらせたいと強く願っている。貴官にその協力をお願いしたい。私の申し出を受けてくれるか」


 パーネルが拝礼した。


「謹んでお受けいたします」

「頼む」

「私だけでなく、ジーゲスリードの兵士や民衆はショウマ・ジェムジェーオン様を国主として迎えたいと願っております。少しだけ時間をください。必ずや、兵士や民衆を説得して、ジーゲスリードを開場してみせます」

「わかった。貴官に、さらに2時間の時間を与える」

「必ずや期待に応えてみせます」


 ジーゲスリードとの通信は、そこで途絶えた。

 ジェムジェーオン暫定政府は、実質的に降伏を受託した瞬間だった。





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