第36話 ジーゲスリード奪還戦4

 遠征軍の旗艦バトルシップ『ギュリル』は静かだった。

 モニター越しに、ジェムジェーオン暫定政府の首班マクシス・フェアフィールド元帥が、側近のロイ・パーネル中将に撃たれるという信じられない出来事が、繰り広げられた。

 誰もが何も言葉を発しないまま、マクシス・フェアフィールド元帥とパーネル中将とのやりとりを見詰めていた。

 パーネルがショウマ・ジェムジェーオンに頭を下げた。


 ――降伏勧告の受託。


 カズマ・ジェムジェーオンは、ようやくその意味を理解できた。

 静かだったカズマの心のなかに、小さな感情が芽生えた。その感情は、じわじわと大きくなっていった。ある瞬間、それが加速度的に膨張しはじめ、カズマの奥底から身体を突き動かした。

 カズマは自然と大声を上げた。


「よぉーし」


 それを契機に『ギュリル』の艦橋がはじけた。士官、一般兵士関係なく、歓声を上げた。


「戦いは終わったぞ」

「これで終わりだ」


 バトルシップ『ギュリル』の艦橋は、興奮と歓喜に支配された。

 同時に、他のバトルシップからも、驚喜の声があがった。


 カズマは艦橋の中心に目を向けた。

 周囲の喧噪のなか、ショウマだけが顔色ひとつ変えずに、小さなモニターに向かって何かを話していた。

 勝利を確信したカズマは、意気揚々とショウマのもとに近づいた。ショウマとオンラインで話していた相手は、ギャレス・ラングリッジ元帥だと判った。

 ショウマが周りに聞こえないような小さな声で、ギャレスに尋ねた。


「たしか、パーネル中将はマクシスの腹心だったな」

「はい。フェアフィールド元帥の絶対の忠臣です」

「そうか」

「フェアフィールド元帥は、あの会談が、兵士そしてジェムジェーオン国民すべての間に流れることを理解していたはずです。そして……」


 ショウマが、画面に向かって手を差し出して制した。


「ギャレス、解っている」

「ショウマ様」

「マクシスは芝居が下手くそだな」


 ふぅ、ギャレスが大きく深呼吸してから返した。


「そうでしたな」


 ショウマがギャレスとの通信を切った。

 ショウマがカズマの視線に気づき、力なく笑った。


「少し疲れた。部屋で休むことにする。この戦いは終了したと思っているが、まだ、ひと悶着ある可能性がある。しばらくしたら、カズマが皆の興奮を鎮めてほしい」


 カズマはショウマに尋ねようとしたが、ショウマの疲弊した顔を見たら、何も訊けなくなった。それでも、返事だけはした。


「ああ。判った」

「頼んだ」


 ショウマが力なく笑って、艦橋の出口に向かっていった。

 カズマの目には、狂喜のなか、ショウマはたったひとりで、異次元に向かって歩みを進めているように思えた。




 ロイ・パーネル中将は『勝唱の双玉』ショウマ・ジェムジェーオンとの通信が切れたのち、即座に、周囲の人間に対して、この部屋からの退出を命じた。


 部屋から誰もいなくなった瞬間、パーネルは倒れたマクシス・フェアフィールド元帥のもとに駆け寄った。

 血に染まっているマクシスの身体を抱きかかえた。


 マクシスの返り血は生温かく、血生臭さかった。

 だが、いまのパーネルに、それらは全く気にならなかった。自然と、両目から大粒の涙が溢れ出てきていた。


「元帥閣下、申し訳ありませんでした……」

「なぜ、パーネルが謝るのだ?」

「私は元帥閣下を……」

「おいおい、撃てと命じたのはこのワシだ。ワシの方こそ、謝らねばならない。パーネルに辛い役目を背負わせてしまったな。本当に済まないと思っている」


 マクシスの顔には脂汗が滴っていた。苦しくないはずがない。そのなかで、精一杯の微笑を浮かべた。


「いいえ」

「パーネル、感謝している」


 パーネルは首を振った。

 マクシスが目を閉じた。


「元帥閣下!」

「おい、おい。……まだ、殺さんでくれよ」


 ユーモラスに言いたかったのだろうが、マクシスの青白い顔から聞こえたのは、吐息に似た弱々しい声だった。


「本当に、この方法しかなかったのでしょうか」

「そうだ。これしかない。火種は残してはならない。ワシら暫定政府がユウマ様を神輿として担いだのは事実だ。ジェムジェーオン伯爵家の分裂という最悪の芽を摘み取るには、誰かがこの一件に関して罪を背負って、綺麗な形で終わらせる必要があるのだ」


 マクシスの言葉は徐々に弱くなり、最後は消え入りそうだった。

 パーネルはマクシスの身体から次第に力が失われていくのを、抱きかかえた手を通して感じていた。


「たとえ、そうだとしても、責任をとるのがフェアフィールド元帥閣下である必要があったのでしょうか」

「忘れているのか。……ワシは暫定政府の最高責任者で、この国の元帥なのだぞ」


 パーネルの言葉は愚問だった。マクシス・フェアフィールドは決して自らの責任から逃がれようとする人間ではなかった。


「はい」

「これが非才の身ながら、元帥という過分の地位を授かったワシにできる精一杯」

「はい」


 パーネルはマクシスの顔をまともに見れなかった。何度も何度も頷いた。


「ショウマ様であれば、この国を」


 マクシスの体から力を感じない。パーネルは無我夢中にマクシスを揺すった。


「元帥!!」


 マクシスの口が動く。


「パ、パー、ネル、最後に」

「はい」


 パーネルはマクシスの口許に耳を近づけた。


「お、まえは、死ぬな、よ」


 それが、マクシス・フェアフィールド元帥の最後の言葉だった。58歳、常に最前線で戦い続けた一生だった。

 パーネルは外に音が漏れぬよう声をあげずに嗚咽した。このまま、ずっと、泣き続けていたい気分だった。


 ――見透かされていた。


 パーネルは、すべての事を済ませたあと、フェアフィールド元帥の後を追って自死する気であった。それを止められた。考えてみれば、元帥を撃ったパーネルが後を追うように死ぬことは、元帥が身を犠牲にして作り上げたこの舞台に、疑義を生じさせてしまう。パーネルだけが自らの役割を捨てて舞台から降りるわけにはいかなかった。


 ――小官が閣下の遺志を引き継ぎます。


 パーネルは自らに課せられた役目を果たさねばならなかった。

 身体の奥底から力を振り絞って、何とか立ち上がった。




 帝国歴628年3月14日、ジェムジェーオン伯爵国の首都ジーゲスリードは『勝唱の双玉』の手に堕ちた。多大な犠牲を払うことになったジェムジェーオン国内の戦争は、ここに終結した。

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