第34話 ジーゲスリード奪還戦2
帝国歴628年3月14日の早朝、カズマ・ジェムジェーオンは、北部要衝ハイネスを出発した遠征軍の旗艦バトルシップ『ギュリル』に乗船していた。艦橋の端で、壁によりかかりながら、ひとり窓の外を眺めていた。
遠い山の稜線に朝のまばゆい太陽が鮮やかに輝き始めていた。
ハイネスやイル=バレー要塞が位置する北部地方は、いまだ雪と氷で覆われ冬が居座っていたが、海が近く平野に位置しているジーゲスリードの大地は、草花が芽吹き始め、春が訪れようとしていた。
――戻ってきた。
生まれ育った首都ジーゲスリードのなじみの風景。命からがらジーゲスリードを脱出したのが去年11月。僅か4ヶ月前のことだったが、郷愁を感じずにはいられなかった。
「随分と早いな、カズマ」
艦橋にやってきてカズマに声を掛けてきたのは、双子の兄ショウマ・ジェムジェーオンだった。
「眼が冴えてしまった。そういう兄貴だって、早いじゃないか」
「カズマと同じだよ」
カズマはジーゲスリードを目の前にして、興奮と緊張で昂ぶっていた。
ハイネスを出発してから、4日が経過していた。ジーゲスリードは、至近の距離に迫っていた。首都決戦に備えて、軍勢はこの場所で休息をとっていた。
ショウマが指揮官席の中心に座った。
「ようやく、ジーゲスリードだ」
「ついに、ジーゲスリードだな」
カズマの脳裏に、ここに至るまでの出来事が蘇ってきた。
イル=バレー要塞、ハイネスでの日々。短い期間だったが、そのなかで起こった濃密な出来事の数々。心の奥から深い感慨が湧き上がってきた。
ショウマに続いて、バトルシップ『ギュリル』の艦橋に人が集まってきた。
カズマは、窓際からショウマの左隣の席に移動した。反対側には、既にアンナ=マリー・マクミラン大佐が臨席していた。
「おはよう、マリ姐」
「カズマ様、これは珍しい、すでに集合しているとは。いつもは、時間ギリギリに駆け込んでくるのに」
アンナ=マリーの洒落に、カズマも軽口で返した。
「目覚まし時計がぶっ壊れたんだ。とんでもない時間に、大きな音で鳴り始めた」
「その時計は貴重ですね。ぜひ、大切にしてください」
間に挟まれた形のショウマが、ふたりの掛け合いを穏やかな表情で見ていた。
やり取りがひと区切りしたところで、ショウマが指揮官席から立ち上がった。
「皆、集合したようだな」
艦橋にいた士官とクルーたちが、一斉にスイッチが入ったように、真剣な眼差しでショウマに身体を向けて見上げた。
「このまま進めば、本日、首都ジーゲスリードに到達する。ここにいる皆が様々な想いを抱いているのは、理解しているつもりだ。私が皆に告げるべき言葉はこれだけだ。ようやく、ここまで来た。あともう少しだ」
アンナ=マリーが付言した。
「この先に、小さな谷があります。ジーゲスリードまでの途上で、暫定政府軍が伏兵を配置するとすれば、ここになるでしょう」
「念のため、索敵部隊を出そう」
「最後の索敵です。万全を期して、ジョニー・マクレイアー少佐の部隊にお願いしています。マクレイアー少佐、聞こえていますか」
艦橋のモニターにパイロットスーツに身を包んだジョニーの姿が映った。
「索敵の準備は整っています。5分後に、出ます」
ショウマが付け加えた。
「マクレイアー少佐、頼む。これまでと同様、敵兵に戦意がなく投降する意思を示したならば、連れてきてくれ。私が出迎える」
「承知しました」
ハイネスからジーゲスリードまで、バトルシップを通常航行させて2日の距離だった。それが、ハイネスを出発して今日の朝で、倍の4日目を迎えていた。
行軍途上、暫定政府軍の部隊、なかには都市部隊まるごと投降してきたこともあった。加えて、ジェムジェーオン各地から援軍が駆けつけた。援軍と称する者のなかには出自が怪しい者たちも含まれていた。
ショウマは新たに加わる意思を示した彼らを、自らが直接出向いて、歓迎して迎えた。
これらの対応が行軍遅延の原因となっていた。
カズマは苛立ちを覚えて、ショウマに詰め寄ったことがあった。
「兄貴、訊いていいか?」
「どうした。カズマ」
「援軍が加わり軍勢が増えるのは、確かにいいことだ。だが、同時に兵士の質が落ちている。兄貴も気付いているだろう」
ジェムジェーオン各地から、様々な人間が『勝唱の双玉』という勝馬に乗ろうと駆けつけていた。
「もちろん、判っている」
「軍勢の増加に従って、ジーゲスリードへの進軍速度も遅くなっている。これで良かったのか? 暫定政府に迎撃準備する時間を与えるよりも、これまでの勝利に乗じて、一気呵成に勢い乗ってジーゲスリードに詰め寄った方が良かったのではないか」
ショウマが小さく口の端を歪めた。
「他国を攻めているのであれば、カズマの意見が正しい。だが、ここはジェムジェーオン国内だ。直接の武力行使ではなく、数の力で戦闘を終結できる可能性があるのであれば、私はそれを選択したい」
目を開かされた気分だった。
――兄貴が見ている景色は、オレよりずっと遠くだ。
カズマは兄ショウマの言葉に首肯しながら、謝罪した。
「兄貴、申し訳ない。オレはいつの間にか、戦闘で勝つことに執着していた。兄貴の考えの通り、犠牲を最小限にして戦いに勝つことこそ、これからのオレたちが考えねばならないことだ」
ショウマが優しく微笑んだ。
「そんなに卑下する必要はない。カズマが言うことは戦術的に間違えていない。むしろ、暫定政府がジーゲスリードで徹底抗戦してくるならば、カズマが言うように即断速攻したほうが良かったとなる。できれば、武力を用いずに勝利を掴みたいと思っているが、それほど甘くはないのかもしれない」
「たとえ、ジーゲスリードで戦闘になったとしても、ジェムジェーオン市民は兄貴が戦闘を回避しようとした姿勢を理解してくれるはずだ。だからこそ、この選択は間違えていないと、オレは思う」
「ありがとう、カズマ。迷いが吹っ切れたよ」
ショウマが発したその最後の言葉が、強く印象に残った。
――兄貴にも迷いがあるのか。
カズマは意表を突かれた。ショウマでも躊躇することに対して。常に、正しいことを即断即決することができると思っていた。
30分後、ジョニー・マクレイアー少佐が、索敵から戻ってきた。
「ジョニー・マクレイアー少佐です。索敵から帰還しました」
「何か報告はありますか」
「伏兵は存在しませんでした。ただ、ジーゲスリードから脱出した下士官数名を、保護しました」
ショウマは目を見開いた。
「マクレイアー少佐、索敵ご苦労だった。ジーゲスリードでの戦闘に備えて、休んでくれ」
「保護した下士官たちはどうしましょうか」
「応接室に通してほしい」
「承知しました。伝えておきます」
ショウマ・ジェムジェーオンは、バトルシップ『ギュリル』の艦橋から応接室に移動した。下士官たちから首都ジーゲスリードの現在の様子を、直接確認したかった。
カズマ・ジェムジェーオンとアンナ=マリー・マクミラン大佐が付き添った。
15分後、ショウマの待つ応接間に、5名の下士官が連れてこられた。
部屋に入ってくるなり、下士官たちが『勝唱の双玉』のショウマとカズマの姿を認め、恐怖にも似た驚愕の表情を浮かべた。
「シ、ショウマ・ジェムジェーオン様」
「なぜ、ショウマ様とカズマ様がここに」
下士官たちが呆然と立ち尽くした。
ショウマは下士官ひとりひとりに歩み寄り、順に手を取った。
「よく来てくれた。歓迎する」
下士官たちがショウマに向かって、何度も首を垂れた。
「本来ならば、『勝唱の双玉』に敵対する行動をとり、罰せられてしかるべき小官たちをこのように迎えていただけるなんて」
「貴官たちは自分たちの意思で、私たちと対峙したわけではない。暫定政府軍の上官の命令に従ったに過ぎない。罰せられることなど、何もない」
「は、はい」
下士官のなかには、感激のあまり涙を流す者もあった。
ショウマは尋ねた。
「ジーゲスリードの様子を聞きたい。話をしてもらえないか?」
「はい。ジーゲスリード市民は『勝唱の双玉』が帰還するのを、待ち焦がれています。暫定政府は市民の支持を失っています。暴発した民衆を、軍隊を動員して締め付けていますが、事態は悪化する一方です」
「市民が暴動を起こしているのか?」
「暫定政府は、必死に統制しようと試みていますが、ほとんど効果をあげていません。臣民の抵抗は激しさを増しています。犠牲者が出ている状況です」
「犠牲者が!」
「市民に10名以上の犠牲者が……」
「ジーゲスリードの事態はそこまで悪くなっているのか」
「このような状況ですから、暫定政府の兵士たちも、多くが戦意を失っています。小官たちだけではなく、他にも大勢の者が、出来ることなら『勝唱の双玉』の陣営に馳せ参じたいと考えています」
ハイネスから時間をかけて行軍したことが、効果を発揮していた。
『勝唱の双玉』の優勢が明らかになるにつれ、ジーゲスリードに厭戦気分が拡がっていることが確認できた。それだけでなく、暫定政府軍は兵士たちからの支持を失いつつあるようだった。
だが、市民に犠牲者が出ていることは見逃せなかった。
「貴重な情報を聞かせてくれて感謝する。貴官たちはゆっくり休んでくれ」
「ジーゲスリードで決戦する際は、ぜひとも、小官たちをお使いください。暫定政府の軍のなかで不満を抱く多くの者たちを、味方に引き入れてみせます」
「分かった。頼りにする」
下士官たちが最敬礼した。
そのあと、応接室から出て行った。
ショウマは首都ジーゲスリードの現在に思いを巡らせながら、後方で控えていたカズマとアンナ=マリーに聞こえるように告げた。
「暫定政府の武力鎮圧によって、ジーゲスリードでは市民に犠牲者が出始めている」
カズマが眉根を寄せた。
「急いで、ジーゲスリードに向かおう。これ以上、市民から犠牲者を出したくない。ジーゲスリードは混乱している」
ショウマはカズマに顔を向けた。
「そうだな。悠長に構えている場合ではないな」
「ジーゲスリードの兵士たちの士気は、高くないようだ」
「ハイネス攻防戦と立場が逆転したということだ。私たちもハイネスにおいて苦しい戦いを経験したが、援軍の見込みのない籠城戦は、兵士たちの士気を保つのが厳しい」
アンナ=マリーが静かな口調で付け加えた。
「しかも、暫定政府軍は敗戦したうえでの籠城ですから」
「ああ。そうだな」
ショウマたちは艦橋に向かった。
艦橋に到着すると、全軍に告げた。
「ジーゲスリードに向けて出発する」
ハイネスを出発した遠征軍は、首都ジーゲスリードに向けて、最後の進軍を開始した。
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