第32話 西部戦線2

 帝国歴628年3月10日、ハイネス攻防戦において『勝唱の双玉』が大逆転勝利を収めてから2日後、遠征軍の総司令官ドナルド・ザカリアス大将が残兵を引き連れ、首都ジーゲスリードに引き返してきた。


 ジーゲスリードに帰還した兵士の数は4万、12師団約12万人で出兵した遠征軍は、ハイネスの『勝唱の双玉』に降伏した者も相当数にのぼったが、損失率67%という稀にみる凄惨な状態で、帰還することになった。


 ジーゲスリードの市民は暫定政府に失望した。

 敗軍。

 生還した遠征軍を迎えたジーゲスリード市民の頭に浮かんだのは、その言葉だった。

 暫定政府は、戦場に散った兵士の命の数以上に『勝唱の双玉』に多くの兵が投降した事実を隠蔽したが、噂は人づてに民衆の耳に届いていた。


 ハイネス攻防戦の敗北の報に続けて、西部要衝都市オステリア失陥の報が届いた。

 ギャレス・ラングリッジ元帥がオステリアで蜂起した兵士たちを指揮し、ライヘンベルガー男爵と協力して、オステリアを奪取した。

 もともと、オステリア戦線は暫定政府が優勢な状況を作りあげていた。

 暫定政府は外交を駆使して、パイナス伯爵国を動かし、ライヘンベルガー男爵国を牽制することで、援軍の参戦を防いでいた。オステリアで蜂起した兵士たちのなかに核となるリーダーが不在であったことを突いて、兵士たちの間に主導権争いを生じさせていた。

 オステリア蜂起の完全鎮圧は、目前のはずだった。

 ここに、ジーゲスリードで囚われているはずのギャレス・ラングリッジ元帥が、オステリアに登場した。

 蜂起した兵士たちの指揮系統をまとめ、ラングリッジ元帥が代表となりライヘンベルガー男爵と連携することによって、息を吹き返した。


「『麗髭卿』ギャレス・ラングリッジ元帥が監禁されていたジーゲスリードを脱出して、オステリアで立ちあがったぞ」

「ラングリッジ元帥は、ハイネスの『勝唱の双玉』と連携しているということだ」


 ラングリッジ元帥合流の報は、瞬く間に、ジェムジェーオン全土に広がった。

 ハイネス攻防戦で『勝唱の双玉』が勝利したという報も相まって、ギャレス・ラングリッジ元帥の指揮によって、オステリアは呆気なく陥落した。


 ついに、ジーゲスリード市民の暫定政権に対する感情は、失望から怒りへと変化し、小さな暴動となって破裂した。

 最初は、警官隊の出動で鎮圧が試みられた。暴動は収まらなかった。次第に、警官隊の手に余る規模へと、暴動が拡大していった。


 側近がマクシス・フェアフィールド元帥に訊ねた。


「フェアフィールド元帥閣下、本当に軍を投入していいのですか」


 ふぅ、マクシスは深い悲しみと苦しみの混じった嘆息をついた。

 苦渋の決断をくだした。


「首都ジーゲスリードで、好きなように暴れさせるわけにはいかない」


 フェアフィールド元帥の命令により、ジェムジェーオン防衛軍のなかから治安部隊が出動した。

 いったん、首都ジーゲスリードの暴動は、軍部の治安部隊により鎮圧された。だが、暫定政府軍の締め付け強化は、民衆たちの反発を呼び、新たな暴動が連鎖的に生じる結果となった。新たに発生した暴動を鎮圧するため、再び、軍の治安部隊が投入された。


 ――負のジレンマだな。


 マクシスは苦悩していた。

 治安維持のために動員する武力、それに反抗する民衆。徐々に規模が大きくなる。この事態が、良い結果を産みだすことはない。

 命令を下したマクシスも、それを重々承知していた。

 だからといって、軍の治安部隊の投入をやめられなかった。すでに、軍の治安部隊の投入すること以外に、暴発する民衆を抑える術がなかった。




 マクシス・フェアフィールド元帥は、ハイネスでの敗北の報告を受けるため、ドナルド・ザカリアス大将を、自らの元帥府に呼びつけていた。


「ザカリアス閣下が到着されました」

「応接部屋に通してくれ」


 マクシスは支度を終えると、元帥府の応接部屋に向かった。部屋に入室すると、既にドナルド・ザカリアス大将が出頭していた。

 ザカリアスの様子は、悪びれたところが全くみられなかった。むしろ、堂々と胸を張ってマクシスが到着するのを待ち構えていた。

 マクシスは対面ソファではなく、机に腰かけた。

 目の前で直立し敬礼するザカリアスに告げた。


「まずは貴官の話を聞こう」

「ハイネスの敗因は、スン・シャオライ中佐とバルベルティーニのクラウディウス将軍が裏切ったことが主因です」

「バルベルティーニのクラウディウス将軍はともかく、スン・シャオライ中佐は貴官の部下ではないか」

「その通りです。背影人は信用できません。まさか、オステリアに向かうために預けた3個師団まるごと、ショウマ・ジェムジェーオンに味方しようなどと誰が予測することができましょうか。文字通り、あれは想定外でした」


 マクシスはすでに、ハイネス攻防戦に参戦した者たちのうち信頼できる者から、戦場で何が起きたかを確認していた。


 ――まるで、他人事のような話しぶりだな。


 確かに、ザカリアスの言葉はマクシスが確認した事実と合致していた。

 しかし、ザカリアスは多くの将兵が命を賭けて戦い、敗北を喫した戦いを指揮した最高司令官だった。その人間の言葉と考えた時、内から怒りの感情が湧き上がってきた。


 ――落ち着くのだ。感情に任せて糾弾してはならない。


 マクシスは感情を抑え込んだ。

 冷静な口調で、ザカリアスを問い質した。


「貴官に預けた兵力は、たとえ3個師団が離反しようとも、なおもハイネスの兵力とくらべて優位に立てたはずだ。それを踏まえたうえで、もう一度、ワシは貴官に問いたい。これほどの大惨敗をどう考えているのだ」


 ザカリアスが微笑を浮かべた。大仰に両手を上げた。


「元帥閣下の仰る通り、我々遠征軍は数だけを考えるならば、敵軍の兵力をはるかに上回っていました。ただし、全軍が小官の統制下で正しく機能していれば、という注釈を付けさせてください。そうであったならば、敵軍が奇襲を仕掛けてきても、跳ね返すことができました」


 回りくどい口調だった。マクシスの癇に障った。


「含みのある言い方だな」

「ショウマ・ジェムジェーオンがスン・シャオライに預けた3個師団を引き連れて、我らの背後を突いた際、バルベルティーニのクラウディウス将軍が裏切ったのです。クラウディウスは窮地に立った我らを助けようとせず、静観を決め込みました。あの行為を背信行為と言わずして、何と呼びましょう。結果、遠征軍全体の指揮系統が乱れて、対抗できなくなったのです。真の敗因は奴らバルベルティーニです」


 ザカリアスの弁に、マクシスは憤懣やるかたなくなってきていた。


 ――背影人、バルベルティーニ。


 ザカリアスが語る弁明の言葉から、自らの非を認める発言はなかった。


「つまり、貴官は何が言いたいのだ」

「小官の説明でご理解いただけませんか? 背影人やバルベルティーニは信頼に値しないということです」

「そうではない。組織は多様な人間で構成されるのだ。与えられた軍勢の指揮統制をまとめることは、全軍の総司令官である貴官の役割であろう。そして、総司令官として、この戦いをどう総括するつもりなのだ」


 マクシスは抑制しようとする意思に反して、口調が荒くなってきたのを自覚していた。

 この言葉を受けて、ザカリアスが心外という表情を見せた。


「お言葉ですが、小官は誰が総司令官であったとしても、結果は同じだったと考えています。勝負は時の運とも言います。従いまして、今回の戦いは不運が重なった、と言っておきましょう」


 ザカリアスの言葉に自省の色はなかった。


 ――きっと、これまでも外部環境や部下に責を押し付けることで地位を昇ってきたのだろう。


 だが、この人物に地位を与えたのは、マクシスを含むジェムジェーオンの軍部だった。

 マクシスの心のなかを占めていたのは、諦観に近かった。


「不運。貴官は、これだけの敗北を、その一言で片付けるつもりなのか」


 ザカリアスが誇大するかの如く両手を大きく広げた。


「元帥閣下こそ、何を仰っているのですか! まだ、我々の負けが決まったわけではありません。最高指揮官たる元帥閣下や小官が弱気な姿を見せれば、末端の兵士たちに動揺が波及します。改めてお考えください。このジーゲスリードは不落の堅城であることを。ハイネスとは逆の立場、この首都で、今度は我々が敵を翻弄する番です」

「ハイネスに引き続き、オステリアも落ちた。ギャレス・ラングリッジ元帥をジーゲスリードから逃がすことになった。これに対して、貴官は弁明があるか」


 ザカリアスが小首を傾げた。


「何のことでしょうか」

「ラングリッジ元帥を監禁した部屋に3名の死体が転がっていた。いずれも貴官の幕下に所属している者たちだ」

「小官は初耳です。調査を約束しましょう」


 ザカリアスは白を切るつもりのようだ。

 マクシスは天を仰いだ。


 ――限界だな。


 マクシスは立ちあがった。ザカリアスを強い眼差しで睨みつけた。


「まあ、ラングリッジ元帥の件については、おいおい話を聞かせてもらおう。ワシらは今後のことを考えねばならない。貴官に聞きたい。暫定政府や軍が置かれている状況をどのように理解しているか」


 ザカリアスがこちらを見上げつつ、大声で虚勢を張った。


「元帥閣下もこれからが大切であることを、ようやく理解していただけましたか。確かに、我々はいくつかの戦いに破れました。ですが、我々の戦いは終わっていません。まだまだ続くのです。弱気になれば戦いの前に敗北を喫してしまいます」

「貴官は何か勘違いをしていないか」


 マクシスの冷たい口調に、ザカリアスが怯えるように見上げた。


「勘違いとは、何のことでしょう」

「これほどの大惨敗だ。立て直しするには、まず、誰かが責任をとらねばらならないとワシは考えている」

「……」

「頭の良い貴官には、この意味が分かるな」


 ザカリアスが口の端を曲げた。


「それは、小官に責を負え、という意味ですか」


 マクシスは冷たく言い放った。


「ワシの言葉が、それ以外の意味に聞こえたか」

「私の他に誰が……」


 マクシスはザカリアスの言葉を遮った。


「残念だが、ザカリアス。貴官と『勝唱の双玉』は違う。兵士たちは、ハイネスで多くの命を失わせた貴官の命令を、聞くことはない」


 くっ、ザカリアスが表情を歪めた。


「あとは、ワシに任せろ」

「元はと言えば、フェアフィールド元帥の部下が裏切ったことが原因でありましょう!」

「ワシが遠征軍を指揮するのを止め、自らが最高司令官として遠征軍を指揮すると主張したのは、貴官であろう」


 ザカリアスは顔面をひくつかせながら、甲高い声で発した。


「なぜです? 我々は正義のもと行動している。故アスマ・ジェムジェーオン伯爵の遺志を継いで行動しているのです。それなのに、なぜ、私にだけ敗戦の責任を負わされ、このような立場に陥いらなければならないのですか」


 マクシスは大きくため息をついた。


 ――そのようなことも判っていないのか。


 正義とは主観的なものに過ぎず、相対的にあるべき正しさとは異なるものだ。正義を大きく振りかざす者ほど、その当然たる常が見えなくなる。


「ワシも故アスマ・ジェムジェーオン伯爵の遺志を受け継いだひとりだ。その責任は果たすつもりだ」

「元帥閣下、あなたは何も判っていない。武家御三家や伯爵家の『勝唱の双玉』では、この国は何も変わらないのです。ジェムジェーオンを正しい方向に変えることができるのは、私だけです」


 マクシスは頭を振った。


 ――優秀な人物なのだが。


 人の上に立たせてはいけない人物だった。

 マクシスは応接部屋の後方で控える憲兵に聞こえるように声を張った。


「ドナルド・ザカリアスを捕らえよ」


 現れた憲兵が、ザカリアスの身体を捕らえた。


「小官を捕える? 何を考えているのだ、やめたまえ。貴様ら、判っているのか? 私を誰だと思っている」


 ザカリアスが憲兵に押さえつけられた身体を振り解こうと、全身を大きく振った。取り押さえていた憲兵が、マクシスの顔を確認した。

 マクシスは無言で頷いた。

 憲兵にそのまま連れて行くように、目で指図した。


「無礼であろう」


 ザカリアスが必至で抵抗した。

 再度、憲兵が目でマクシスに確認してきた。

 改めて、マクシスは憲兵に命じた。


「ザカリアスを捕らえよ。連れて行け」

「フェアフィールド元帥、あなたでは役不足だ」


 ザカリアスの捨て台詞だった。

 マクシスはザカリアスの言葉が間違いでないことを理解していた。


 ――知っているさ。


 しかし、正しいことが最善の答えに必ずしもならないことも知っていた。ザカリアスは知ろうとしなかったが、マクシスはそれを知っていた。

 静かに冷静な口調で言った。


「ザカリアスよ。貴官の言う通り、ワシでは役不足なのかもしれない。ただ、ワシは己の器の大きさを自覚しているし、貴官のようにそれを大きくみせようなど思っていない。貴官の心配は無用だ」


 ザカリアスが何か言おうとした。が、結局、口を閉じた。

 マクシスはその姿を眺めながら思った。

 ザカリアスの事務能力は卓越している。己をわきまえることさえできれば、ジェムジェーオンという国にとって、有意な人材になるのだが。

 現在、ジェムジェーオンは国難にある。一刻も早く、秩序を回復しなければならない。国を真っ二つに分けた内乱に決着をつけるのは、ジェムジェーオン防衛軍元帥という過分の地位を与えられた、自らの責務と確信していた。

 憲兵によって、ザカリアスが部屋から連れ出された。


 マクシスの脳裏に、いまは亡きアスマ・ジェムジェーオン伯爵の顔が浮かんできた。


 ――お任せください。


 マクシスは机の上の通信機を操作した。


「マクシス・フェアフィールド元帥だ。パーネル中将をワシの元帥府に呼んでくれ」





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