第31話 西部戦線1
ハイネス攻防戦が決着した日から遡ること3日前、帝国歴628年3月5日、ジェムジェーオン伯爵国の首都ジーゲスリード。ジェムジェーオン防衛軍の前統合幕僚本部長『麗髭卿』ギャレス・ラングリッジ元帥は、防衛軍本部庁舎の10階の一室に軟禁されていた。
ギャレス・ラングリッジはこの部屋で、5ヶ月もの間、閉じ込められていた。
180㎝を超える長身、50歳を超えても無駄な贅肉は一切ない若々しい身体、威風堂々とした顔、何より特徴的な美しく輝く鬚、ギャレス・ラングリッジは人々から尊敬を込めて『麗髭卿』の異名で呼ばれていた。
外部との接触は一切閉ざされ、鉄格子付きの窓、電子ロック制御の部屋のドアによって、内部より開けられなかった。
それでも、世間の動向は伝わってきていた。
2月に『勝唱の双玉』がイル=バレー要塞において蜂起し、現在ハイネスにおいて、首都から出撃した遠征軍と戦っていることを、ギャレスは心得ていた。運ばれてくる食事や、差入れの書物のなかに、ギャレスを慕う者が、報せを紛れ込ませていたからだった。
夜中23時、ギャレスは日課としていた瞑想をベッドの上で行っていた。
カラン、廊下で物音がした。
大きな音ではなかったが、日常、この時間の本部庁舎は物音ひとつ無い静けさが支配している。耳に残った。
ギャレスは瞑想を解き、目を開いた。
その瞬間、ギャレスの部屋の電子ロック制御された扉が開いた。
3人の男が一斉に部屋に入ってきた。
「ラングリッジ元帥閣下、お助けに参りました」
ギャレスは何も言わず、部屋に入ってきた3人の男を観察した。
3人ともジェムジェーオン防衛軍の軍服を着用している。リーダー格とみられる男がギャレスに近づき、行動を急かした。
「閣下、お急ぎください。さあ、ともに脱出しましょう」
残る2人は、扉を開けたまま、部屋の内側から外の廊下を見張っていた。
ギャレスはリーダー格の男に尋ねた。
「貴官の所属と名前は」
「小官はバルボア中尉です。マクシス・フェアフィールド元帥の司令本部の作戦室に所属しています。フェアフィールド元帥は、ラングリッジ元帥閣下を排除しようと動き始めました。小官たちはこれを看過できません。ラングリッジ元帥閣下はこの国に必要なお方です。お助けするためにここに来ました」
ギャレスが軟禁されているこの建物、防衛軍本部庁舎は首都の守備を統べるマクシス・フェアフィールド元帥が管轄している。
「脱出して、どこに向かうのだ?」
「ハイネスに向かっていただきます。かの地で『勝唱の双玉』のふたりと合流していただくつもりです」
ギャレスはベッドから立ち上がった。
「私には疑問がある。質問に答えてもらおう」
バルボアが苛立った表情を見せた。
「元帥閣下、いまは非常事態です。ご質問があるのであれば、移動している途中でお答えします。護衛に見つかる前に、早くご出立の準備を」
ギャレスがバルボアの言葉を無視し、質問を続けた。
「現在ハイネスは、『勝唱の双玉』が籠城している。ザカリアス大将が率いる遠征軍がハイネスを包囲し、雌雄を決しようとしている。いまから、自分が向かったとて、意味がないと思うが」
バルボアの表情が、一瞬たじろいだ。
「戦局をご存じで?」
「概要はな。詳細は知らぬ」
バルボアが頷き、強い口調で言った。
「閣下の認識は間違えておりませんが、戦場は生き物に例えられます。刻一刻と、状況は変化していきます。ラングリッジ元帥閣下がハイネスに現れれば、ハイネス守備部隊の士気が上がります。なによりも、ラングリッジ元帥閣下が亡きものとなれば、ハイネスが受ける衝撃は計り知れません。だからこそ、元帥閣下には可及的速やかにジーゲスリードを脱出していただきたい」
「マクシス・フェアフィールド元帥が自分を排除しようとしていると言っていたな」
「そうです」
ギャレスは一歩下がって、バルボアと距離を取った。
「それはおかしいな」
「何がですか?」
「マクシス・フェアフィールド元帥が自分の命を狙うという話だ。自分はフェアフィールド元帥に『暫定政府に味方しない』と、軟禁された当初から伝えている。フェアフィールド元帥はそれを了解したうえで、私を5ヶ月の間、この場所に閉じ込めている。もし、私の存在が危険だと判断したのであれば、『勝唱の双玉』がイル=バレー要塞から蜂起したタイミングとなるはずだ。なぜ、今この時なのか?」
「先程おつたえしたように、状況は変化しているのです。『勝唱の双玉』の蜂起した当時と、現在では情勢が異なります」
「その変化とやらを、説明してもらえないか。依然として、自分は暫定政府軍は優勢であると理解しているのだが」
バルボアが両手を広げた。
「なぜです? 我らは元帥閣下をお助けしようとしております。従っていただけないのですか」
「バルボア中尉といったな」
「はい」
「2年前、貴官がドナルド・ザカリアスとともにいる姿を見た憶えがある。その際、軍服の襟章は大尉だったはずだ」
バルボアが驚愕の表情を浮かべた。
何も言わず、ギャレスの顔をねめるように見つめてきた。
ギャレスは、もう一歩下がった。
「何か言ったらどうだ」
「驚きました」
バルボアが薄ら笑いを浮かべた。
「まさか、私の面が割れているとは。小官と元帥は直接話したことはありません。それにも関わらず、小官のような下っ端の顔を記憶していらっしゃるとは」
「一度見た顔は忘れない」
「素晴らしいです。ですが、残念なことです」
バルボアの顔には、冷ややかな笑いが浮かび続けていた。
何度か頷き、ため息をついた。そのあとで、ドア近くの2人に告げた。
「計画を変更する。ラングリッジ元帥はこの場で始末する」
部屋の扉近くで外を見張っていた2人の男が頷き、部屋の中に進んできた。
ギャレスの逃げ道を塞ぐように、回り込んできた。
バルボアが腰から、レーザー銃を取り出した。
「元帥閣下、死期が僅かに早くなったようです。苦しまないよう、一発で頭を仕留めます。安心してください」
「せめて、自分が殺される理由くらい聞かせてもらえないか?」
「フェアフィールド元帥がラングリッジ元帥を生かしたままで捕えているのは、いずれ、ふたりが共闘するためのもの。ジェムジェーオン武家御三家の当主のおふたりは、ジェムジェーオン国内に大きな影響力を持っています。ザカリアス大将が歩む覇道にとって、障害となるのです」
「そうか。ザカリアスらしいやり方だな。自分の殺害をマクシス・フェアフィールド元帥に被せて、フェアフィールド家とラングリッジ家を争わそうという算段か。ザカリアスのやり方は自らの道を示すのではなく、他人の道を潰すこと。消去法で自らの存在を誇示するやり方だ。そのような方法で国のトップに立った人間は、国を滅ぼすだけだ」
バルボアがレーザー銃を構えて、ギャレスに向けた。
「ご高説ありがとうございます。ですが、安心してください。元帥閣下は、これから、それらのことを心配する必要のない世界に旅立たれます」
バルボアが銃に引き金を引いた。
瞬間、ギャレスは横転した。
レーザーの銃光は、ギャレスの身体に当たらず、床を貫いた。
「これは見苦しい。『麗髭卿』ギャレス・ラングリッジ元帥ともあろう方が、往生際が悪いとは思いませぬか」
バルボアが再び、銃を構えた。
「泥臭くとも、床を這いつくばっても、僅かな可能性があるのであれば、生き残ることを選択する。それが自分のやり方だ。これまで幾多の戦場のなかで、学んできたことだ。最後の瞬間まで、諦めたりはしない」
「残念です。仕方ありません」
バルボアが横の2人に目配せしてから、命じた。
「元帥を取り押さえよ」
2人が動き出した。
その刹那、開いたままだった部屋の扉から閃光が光った。
閃光は的確にバルボア以外の2人の頭を貫いた。
「なにっ」
バルボアが振り返った。
次の瞬間、バルボアの額に穴が空いた。
バルボアの身体が部屋のなかに仰向けに倒れた。
ひとりの男が部屋の入口に立っていた。
「間に合った」
ギャレスは男の顔を確認した。
今度の男の顔には、見覚えが全くなかった。
「今夜は、客人が多いな」
「そのようですな」
「貴官の所属と名前を、聞かせてもらえないか」
「小官はウェン・ズーフォン大尉です。現在の所属は本部の情報部です。かつての上官スン・シャオライ中佐の命により、『麗髭卿』ギャレス・ラングリッジ元帥を救出しに参りました」
ギャレスはウェン・ズーフォンを観察した。
名前は背影人の姓名だったが、軍人とは思えぬ優しい顔立はジェムジェーオンをはじめとする東方人のものだった。唯一、背影人らしい特徴は黒髪だった。垂れ下がった前髪が、顔の右側を覆っていた。
ウェンが微笑を浮かべながら言った。
「小官は背影人のクォーターなのです」
「そうなのか」
「名乗りのあと、皆が同じ反応をします。背影人のクォーターの説明するまでが、小官の自己紹介ルーチンとなっています」
ギャレスは小さく笑った。
「期待を裏切れず、申し訳なかったな」
「いえいえ。むしろ、異なる反応をされると、小官のルーチンが乱れて対応できない恐れがあります」
「では、ウェン大尉、本題に移ろう。まず、自分から貴官に訊きたいことがある」
「はい」
「貴官のかつての上官、スン・シャオライ中佐は、現在ザカリアス旗下の士官のひとりだと記憶している」
ウェン・ズーフォン大尉の表情は揺らがなかった。
「その通りです。だからこそ、ザカリアス大将が元帥閣下を排除する動きを掴めました。そして、小官がここに遣わされたのです」
「命を救ってもらった身でありながら、申し訳ないと思うのだが、自分は貴官やスン・シャオライ中佐が、なぜ自分を救い出そうとするのか分からない」
「いえいえ、元帥閣下は小官が分かっていただきたいと思ったことを理解していただいています。小官が元帥閣下の命を狙っていない。まず、そのことを理解していただければ、これからの説明は小官の役割です」
ギャレスは、改めてウェン・ズーフォンを観察した。
――喰えない男だな。
情報部に所属しているだけはある。ウェン・ズーフォンの表情は常に穏やかで乱れなかった。しかも、差し向けられた刺客の3人を始末したのだから、話している言葉に嘘はないと思えた。
「で、貴官は自分に何を望む」
「元帥閣下にお願いする人物は、小官やスン・シャオライ中佐ではありません。ショウマ・ジェムジェーオン殿下です」
「ショウマ様」
「はい。現在、スン・シャオライ中佐は、ショウマ・ジェムジェーオン殿下と行動をともにしています」
ウェンが懐から書状を取り出して、ギャレスの目の前に差し出した。
ギャレスはウェンの顔を見ながら、尋ねた。
「これは」
「ショウマ・ジェムジェーオン殿下からの言伝です。小官が印刷してきました。ショウマ殿下は離れた場所にいるので、直筆でないのは、ご容赦ください」
ギャレスはウェンから書状を受け取り、中身を確認した。
書状の最初に、長年愛用している蒔絵がほどこされた漆塗りの万年筆をジェムジェーオン脱出時に持ち出し忘れたことを悔いている、と記されていた。この万年筆は、『勝唱の双玉』が士官学校に入学する際、ギャレスがショウマとカズマに贈ったものだった。
――間違いなく、ショウマ様からの書状だ。
書状の冒頭に記載されたこの文章は、この言伝が間違いなくショウマのものと顕かにするため、ショウマとギャレス以外の者が知りえない些細なやりとりを記したものだった。
ギャレスは中身を読み進んだ。ショウマからギャレスへの依頼が記されていた。
ショウマが依頼してきた内容は、ギャレスに西部要衝の都市オステリアに向かってほしいというものだった。そして、蜂起した兵士たちとオリバー・ライヘンベルガー男爵の軍勢と合流し、オステリアを奪還してほしいとのことだった。『勝唱の双玉』は、激戦のハイネスから動けない。自分に求められた役割と、行動の必要性を理解した。念のため、2回読み返してから、書状を閉じた。
ギャレスはウェン・ズーフォンの顔を見て、頷いた。
「ウェン大尉。貴官に従おう」
「承知しました。小官に付いてきてください。移動手段は外に用意しています。早速、オステリアに向かいましょう」
帝国歴628年3月5日の深夜、ギャレス・ラングリッジ元帥は、軟禁されていた首都ジーゲスリードの防衛軍本部庁舎を抜け出し、西部要衝の都市オステリアに向かうことになった。
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