第29話 クードリア秘密都市ラオジット2

 ラオジットのサロン街地区、外観は老朽化しているが、内装は最新のセキュリティで固められた3階建ての建物の一室に、ショウマ・ジェムジェーオンは連れてこられていた。いまは、ひとり、部屋のなかで面会を待っていた。


 コンコン、部屋のドアの外側から、ノック音が響いた。

 ドアが開いた。

 先ほど出て行った体格の良い仮面の人物と華奢な仮面の人物が戻ってきた。

 続けて、白髪白髭の老人と初老の男が部屋に入ってきた。


「お待たせしました」


 白髪白髭の老人が醸し出す威厳と風格は圧倒的だった。

 部屋のなかに入ると、柔和な表情を浮かべた顔をショウマに向けてきた。


「こちらにお座りください」


 白髪白髭の老人がソファに腰を下ろし、ショウマに目の前に座るよう促した。

 仮面の人物たちは、老人の背後にまわって直立の姿勢をとった。初老の男は部屋の隅の小さな給仕場でコーヒーを用意している。

 ショウマは目礼して、老人の対面の椅子に腰をおろした。


「そんな、厳しい顔をしないで、リラックスしてください。わたしのような老人では、あなたを組み伏せることなどできませんよ」

「申し訳ありません。何から話をすればいいか、頭を整理しています」

「こちらこそ、突然お呼び立てしてしまいました。お詫び申し上げます、ショウマ・ジェムジェーオン殿」


 白髪白髭の老人が柔らかな物腰で接してきた。


 ――当然か。


 老人は自分がショウマ・ジェムジェーオンであることを知っていた。


「失礼ですが」

「そうでしたな。わたしの自己紹介をしていませんでしたな、失礼。わたしは、この街の者たちから『長』と呼ばれております。しかしながら、ショウマ・ジェムジェーオン殿にこのように呼ばせるのは、無礼が過ぎましょう。わたしの名はガオ・オンピン、どうか『ガオ』とお呼びください」


 ガオ、亡き『光』国の民、影背人の名前だった。凹凸の少ない顔立ちと、細い眼が特徴的だった。

 コーヒーの香ばしい芳香が部屋を充たした。初老の男が厳しい顔つきで横目でショウマの顔を確認しながら、テーブルにガオとショウマの前にコーヒーカップを並べた。


「どうぞ」


 初老の男がコーヒーカップを並べ終わると、ガオの横に座った。

 早速、ガオがテーブルのコップを手に取り、コーヒーを口を付けた。

 ショウマはガオを見据えた。


「私がこの地に連れてこられた理由を聞かせていただけませんか」


 ガオが静かにコップをテーブルに置いた。

 ショウマは口をつぐみ、ガオの出方を窺った。


「ショウマ殿、急いておられますかな」


 ガオには年齢を重ねて獲得したであろう貫禄があった。

 若輩のショウマでは遠く及ばない。駆け引きしても無駄なことだと悟った。


「はい」


 ショウマは頷いた。

 ガオが相好を崩した。


「正直なお方ですな」

「ガオ様の仰る通り、私は急いでおります」

「ショウマ殿の立場を考えれば、当然、焦りをお持ちでしょう」

「ご存じのことだと思いますが、ジェムジェーオンはいま、当主アスマを失って混乱しております。ハイネスでは、弟カズマが暫定政府の遠征軍と戦闘しており、首都ジーゲスリードでは、弟ユウマが暫定政権に傀儡の当主として担がれております。私も何かを成し遂げねばなりません」


 まあまあ、ガオが軽く手でショウマを制した。


「あなたの話の前に、この街のことをお話しさせてください」


 ガオがショウマの表情を見て、諭した。


「そのような不服な顔をしませんと。長い話ではありません」


 ガオが立ち上がった。老人とは思えない凛とした立ち姿だった。

 窓際まで進むと、ショウマにこちらに来るように手招きした。

 ショウマは立ち上がって、ガオのもとに寄った。


「この街はラオジットといいます」

「聞いております」


 ガオの顔は窓の外の街に向けられていた。


「ラオの隠れ家。ラオジットの由来です。ジェムジェーオン各地で迫害を受けた影背人たちが集まって、この地に自分たちの活動拠点を築きました。それがこの街の始まりです。影背人たちのリーダーの名がラオでした」

「……」

「警戒する必要はありません。何もこれまでのジェムジェーオン伯爵家の政策を糾弾するために、この話を始めたのではありません」


 ガオが窓の外を指差した。


「窓の外をご覧ください」


 さきほど歩いてきたサロン街は、夜が更けるとともに、さらに賑わいを増していた。老若男女を問わず、様々な人種の人間が、往来していた。


「どうですか」

「まさか、これほど賑わいをみせている街が、閉鎖空間に存在していようなど、夢にも思いませんでした」


 街を往来する人間は、どの顔も明るく映った。


「平等」


 ガオが顔を外に向けたままで、その言葉を発した。

 ショウマはガオを振り返った。


「この街を支えている思想です。ラオは『平等』を街を造る礎にしました。影背人だけでなく、西方人や北方人、もちろん、ジェムジェーオン人でさえ分け隔てしないと」

「ジェムジェーオン人さえも?」

「そうです」

「それで街を守れるのですか」


 ガオがフッと笑った。


「ショウマ殿は鋭いお方ですな。街の歴史は失敗と挫折の繰返しです。現在のラオジットに至るまでに、紆余曲折を経てきました。結果、ラオが目指した理想とはかけ離れた部分もあります。たとえば、完全に街を開放することを諦めました。現在、ラオジットは人間の出入りを厳しく管理しています。これはラオの当初の考え方と異なっています。わたしは、ラオから続くこの街を一時的に預かっているに過ぎませんが、街の人々の生活を守る責務を負っています。そして、ラオの理想が根底に流れるこの街を、わたしは誇りに思っています」


 ガオが話を一瞬、止めた。


「ショウマ・ジェムジェーオン殿、あなたにお聞きします。この国を、どこに向かわせようとしていますか?」


 ガオの顔から、柔和な表情が消えていた。


 ――ガオに試されている。


 現在、ガオの立場はショウマより数段強い。それどころか、ショウマの生殺与奪さえ握っていると言っていい。ガオは、ショウマがジェムジェーオン伯爵に値するかを見定めている。

 ジェムジェーオンは、他国人に対して、排他的傾向が強い。影背人であるガオにとって、決して住みよい国とはいえない。ジェムジェーオンの現状に対して鬱憤があるはずだ。

 一方で、ガオはラオジットの為政者だ。本国ジェムジェーオンの情勢が定まらなければ、クードリア地方やこの街が安定しないことを理解している。ガオの言葉は、短期的にラオジットの安全をどのように保障するかと、中長期的にジェムジェーオンをどの方向に導くか、という問いであると理解した。


 これらを充たす答え。

 ショウマは必死に頭を回転させた。


 ――みつけた。これでお互いが妥協できるはずだ。


 回答を口に出そうとした時、何かが引っ掛かった。


 ――本当にそれでいいのか。


 引っ掛かっりが次第に大きくなる。


 ――似ている。


 街で感じたあの強烈な不協和音と同じだった。

 一瞬の間に、様々なことが頭を駆け巡った。


 ショウマは宙を仰いだ。


「士官学校時代から、私は双子の弟カズマと、この国、ジェムジェーオンの未来について考え、話をしてきました」

「おふたりが、どのような未来を描いてきたか、聞かせていただけますか」

「誰もが笑って暮らせる国。それを、ふたりで造りあげようと」


 ガオの顔は柔和な表情に戻った。だが、顔に失望が浮かんでおり、その感情を隠そうとしなかった。


「そうですか」


 ガオが踵を返しソファに戻ろうとした。

 ショウマは続けた。


「誰もが笑って暮らせる国、それは何のか。この未来像を実現するには、何をすればいいのか、ずっと、私は考えています。首都ジーゲスリードの市民は、澱み、沈み、諦めている人間が多い。対して、ここラオジットの市民は、生きることに貪欲で、前向きな人間がたくさんいる。この街の人々に出会ったことで、徐々にではありますが、何をすればいいのか、ぼんやりとカタチになってきた気がします」


 ガオの足が止まった。顔をショウマに向き直した。


「話を続けてください」

「当たり前のことですが、常に笑っている人間などいません。時に、人は苦しみ、泣き、憎しみさえもします。それでも、自分自身の力が及ばなかった結果であれば、人は時間とともに笑えるようになります。人がいつまでも消えぬ憤りを抱くのは、失敗した原因が、自分自身ではなく、不平等や不公正にあると感じた時ではないのでしょうか。それは、やがて諦観となって、停滞を招く。首都ジーゲスリードで感じている閉塞感は、それなのだと思います」

「ショウマ殿はまだ若い、そのため、理解できないかもしれませんが、世の中は不条理や不公正に満ちています」

「そうだとしても、私が見て観ない振りをしたら、未来が良くなるわけがない」

「すべての人が現在のジェムジェーオンに不満を持っているとは思えません。現状のままを望む者も、多いのでは」

「人間だけでなく、組織やシステムにおいても、不変であることはあり得ません。人間が、昨日と同じ満足を得るには、昨日と同じ結果では満足できない。すでに、昨日経験しているものにプラスアルファの何かがなければ、同じ刺激を得ることができない。だからこそ、絶えず変化が求められるのです」

「お言葉ですが、何不自由なくジーゲスリードの宮殿で暮らしてきたショウマ殿に、市井の人々が、何を望んでいるかが判るというのですか?」


 ガオの口調には毒が混じっていた。


「ガオ様の言う通り、私は恵まれた立場を享受してきました。しかしながら、ジーゲスリードを追われて以来、色々な立場の人間と交流してきました。このことが影響したのかもしれませんが、私自身が変わらねばならないと、強く思うようになっています」


 ふぅ、ガオがため息をついた。


「ショウマ殿の想いは判りました。ただ、口で言うのは簡単なことです。具体的な方針はあるのですか」

「私からガオ様に質問させてほしい。この街は『平等』を基礎に築かれていると仰いましたが、すべての人間が何の代償もなしに、等しく同じ権利や同じサービスを与えられているのですか」

「そんなことはあろうはずない」

「では、何を尺度にそれが決められるのですか」


 ガオが少し押し黙った後、言った。


「敢えて言えば……金、でしょうな」

「首都ジーゲスリードでも、金は力を持っていますが、最終的に身分の壁が大きく立ちはだかります。金であれば、使用すれば無くなります。努力しなければ手に入れることができません。それに対して、身分はいくら行使しようと目減りしません。どちらの方が、健全といえるでしょうか」

「短絡的に考えない方がいいです。金であっても、差別を生み出します」

「金が集まればそれ自体が力となる、ということですね。是正する再分配の仕組みが必要と理解しています。ただ、再分配の仕組みも作った当初は上手くいくが、時が経つにつれ、仕組みそれ自体が既得権益となる。だから、再分配する仕組みは、その時必要な人や所に行き渡るようにすべてを時限的にしなければならない」


 ふむ、ガオが渋い表情を作った。


「ショウマ殿の言葉は全面的に正しい。だが、わたしはこの小さな街でさえ、それを完全に実現することができずに苦しんでいる。まして、ジェムジェーオン一国となると相当難しい。それに重要なことを理解しているのですか?」

「何をですか?」

「あなたの考えを実現しようとすると、ショウマ殿自身の存在を、自ら否定することにもなるということを」

「当然、そういう方向に進むことになるでしょう。ですが、誰もが笑って暮らせる国、これを諦めたくないのです」

「ショウマ殿は興味深いお方だ。もっと、この国の未来について話を続けたいのはやまやまですが、そろそろ、実務的な話をしなければならない」

「正直に言います。私は、ガオ様にラオジットの自治権と引き換えに、力添えを得ようと考えていました」


 ガオが怪訝な表情をした。


「続きを聞かせてもらえますか」

「この提案は、私が描いた未来像を、裏切ることになる。クードリア地方、ラオジットもジェムジェーオンの一部です。恒久的な例外や特権を約束してはならない。ただ、現実には、体制を急激に変更できない。時限的に、ラオジットに現在と同じ自治権を与えます。ですが、この街と同じ平等をジェムジェーオン一国に渡らせた暁には、このラオジットも、私に統治させてください」

「何と、ショウマ殿は、わたしに力添えを求めるだけでなく、この街そのものを差し出せと言うのですか」

「はい」


 ガオが口を開き、何か言いそうになったが、結局、口を閉じた。

 もとの席に戻って座った。

 ショウマにも対面に座るように促した。


「ショウマ殿、聞かせてください。あなたは頭の良い方だ。なぜ、自治の話だけに留めようと思わなかったのですか」

「私はガオ様のパートナーと思っています。そのためには、私もガオ様と同じものを見なくてはならない。ガオ様がこの3日間、自由にこの街を確認する時間を与えた意味がそこにあると思っています」


 ははは、ガオの表情から毒気が抜けた。


「ショウマ殿、あなたは本当に興味深い人だ」

「興味深いとは?」

「失礼、あなたが真剣だというのは、その目を見れば判ります。それにしても、その目は、父君アスマ・ジェムジェーオン様とよく似ておられる」

「ガオ様は父と面識があったのですね」

「はい。初めてお会いしたのは、かれこれ15年程前のことになります」


 ラオジットは閉鎖空間に造られているとはいえ、これだけの規模の街だ。冷静に考えれば、出入りする人間の数も相応なはずで、すべての人間の口を黙らせることなど不可能に違いなかった。

 では、どのように存在を秘匿し続けてきたのか。ジェムジェーオンの政権上部で情報をコントロールしていたということか。


「わたしたちはジェムジェーオン伯爵に、資金と情報の提供を約束しました。もちろん、無償ではありません。見返りにクードリア地方での自由を保障頂きました。お互いの利害は一致していました」

「クードリアがジェムジェーオン伯爵家と通じているならば、なぜ、クードリアで戦いが起きたのですか。直近で発生した7年前の第3次クードリア掃討戦は、双方とも凄惨な結果になりました」

「わたしはラオジットの市民すべてと、クードリア地方の多様性を愛しています。指導者が未来に導くためには、愛だけではなく、覚悟が必要です。あの戦闘は必要悪でありました。ですが、想定以上に悲惨な戦いとなってしまいました」


 ショウマは皮肉な口調を隠すことなく、質した。


「必要悪?」


 ガオが遠い目をした。


「ここラオジットには多くの者が流れ着きます。活性を保っていくには、多様性を受け入れていくことが重要です。しかし、多くの人間が流れ込み、街の未来にとって、看過できない思想が、激情とともにうねりとなった場合、非情の決断を採らねばならないこともあるのです」


 過去十年間、ジェムジェーオン周辺では、ライヘンベルガー男爵独立騒動を中心に、いくつかの戦役が発生していた。クードリアに多くの人が流れ込んだことが容易に予想できた。


「それでは、あの第3次クードリア掃討戦は仕組まれた戦いだったというのですか」


 ガオが肯定も否定もせずに、曖昧に首を振った。

 ショウマはガオを注視した。


「膿を外に出す必要があった、……ということですか」

「良い指導者になるには、鋭い感性が必要になる。人は論理だけでは動かない。感情が動いた時、人は行動に移ります。その点、ショウマ殿は高い感性をお持ちのようだ、良い指導者になる素養を持っています。ただ、忘れないでほしい。ショウマ殿の感性は、いずれ自分の身を深く削り取ります」


 ガオの隣に座る初老の男が口を開いた。


「あの戦いは規模が大きくなりすぎた。誰も制御することはできなかった。我々はあなたがたと同様、いや、それ以上に多くの同胞を失いました」


 ガオが初老の男を遮った。


「前マクミラン家当主のロディ・マクミラン卿とは、お互いに、クードリアの未来を案じておりました。わたしどもにとっても、卿の死は大いなる逸失でした」


 ショウマは闘いの戦死者に思いをはせた。

 第3次クードリア掃討戦、当初のジェムジェーオン軍の総司令官はロディ・マクミラン大将だった。アンナ=マリー・マクミランの父、武家御三家のひとつマクミラン家の当主ロディは、このクードリアの地で謎の死を遂げた。暗殺されたとも噂されている。


「戦闘が泥沼化したことの原因ということですか」

「和平を望む者だけでなく、戦いを望むものがいたのは事実です」


 それ以上誰も言葉を発しなかった。

 この場を沈黙が支配した。

 しばらくののち、ガオが口を開いた。


「そろそろ、この会をお開きにしましょうか。ショウマ殿、お力添えの件については、明日ご返答します」

「承知しました」


 こうして、ラオジットの地におけるガオ・オンピンとショウマ・ジェムジェーオンとの会合は終了した。

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