第22話 ハイネス攻防戦5
帝国歴628年3月6日、ハイネス攻防戦は、ハイネス東門を巡って、戦闘の火蓋が切って落とされた。
猛然と襲い掛かった師団指揮官は、コートバット准将だった。ジェムジェーオン暫定政府の遠征軍総司令官ドナルド・ザカリアス大将の演説が終わった後、コートバットはザカリアスの許に駆け寄り、先鋒を熱望した。
ザカリアスはコートバットの意気を買って先鋒に指名した。
遠征軍の参謀長ヒューゴ・マクスウェル准将が、コートバット准将に作戦の全容を説明した。コードバット准将の部隊は陽動部隊として東側にハイネス守備部隊の主力を引き付ける。ハンフリーニ少将の部隊がハイネス南側の正門から攻城戦の主力を担う、という作戦内容だった。
「つまり、小官たちの部隊に好餌となれということですな」
「不満ですか?」
「いいえ。先陣を受け持つのは武門の誉れ。喜んで役目は全うします。そのうえで、隙あらば、小官の部隊だけでハイネス守備部隊を蹴散らしてみせましょう」
指揮官コートバットの意気そのままに、指揮下の兵士たちの士気は高かった。コートバットの覇気そのままに、激波のごとくハイネス東門に襲い掛かった。
ただ、ハイネス守備部隊は準備万全だった。すぐさま、コートバットの猛攻に負けじと反撃してきた。
暫定政府遠征軍の総司令官ドナルド・ザカリアス大将は、旗艦バトルシップ『モノポライザー』の艦橋にて、椅子の肩肘に身体を傾けていた。
モニターに映し出された戦況に、満足気な表情を浮かべた。
隣に立つヒューゴ・マクスウェル准将が語りかけてきた。
「順調に進んでいますな」
ザカリアスはモニターに顔を向けたままで応えた。
「コートバットはよくやっている」
「しかしながら、ハイネス側の対応はなかなかです。コートバット准将の猛攻に対して、即座に的確に対応してきました」
「まるで、東側からの攻撃を予期していたような動きだな」
「まさしく」
「敵も間抜けではないか」
「こちらが仕掛けた罠に落ちてもらうため、これ見よがしに目の前で部隊編成を行ってきました。さすがに、ハイネス側も気付くでしょう」
「そうだな。もう少しの時間、コートバットには頑張ってもらわねばならない。このままで大丈夫だろうな」
「心配は無用です。むしろ、この勢いが続けば、コートバット准将は囮の役割以上の戦果をあげてしまうかもしれません」
「それは嬉しい誤算だな」
ザカリアスとマクスウェルは、序盤の東門での戦闘を、本格的な攻略の前哨戦と位置づけていた。一進一退の激しい攻防が続いていた。
しかしながら、時間の経過とともに戦闘の流れが変わっていった。
当初優勢だったコートバット准将の部隊は、ハイネス守備部隊の反撃で、勢いが失われつつあった。コートバットの2度目の突撃も、ハイネスの守備部隊に、跳ね返された。
戦闘は開始から4時間が経過していた。
遠征軍の先鋒、コートバット准将の部隊は完全に勢いを失っていた。だが、陽動部隊として、ハイネス守備隊の主力を、東門に引き付ける役割は果たしていた。
戦況を見守っていたザカリアスは、潮時と判断した。
「そろそろか」
「はい。コートバット准将の戦果は十分です」
マクスウェル准将の言葉に、ザカリアスは頷いた。
「次の段階に移行する時期だな」
その時だった。
〈ハイネス正門より敵
ザカリアスは、報告に耳を疑った。
マクスウェルも同様に驚愕した。だが、即座に、気を持ち直し、怒声を艦橋に響かせた。
「オペレータ、その報告は本当なのか」
〈本当とは?〉
「敵が襲撃してきたのが、南側の正門で待ちえないかと聞いている!!」
突如、マクスウェルの怒声を浴びたオペレータは動揺を隠せなかった。
〈は、はい。お待ちください。もう一度確認します……………。間違いありません。南の正門よりハイネスの
南側正門のハンフリーニ少将の部隊には、次の攻撃に備えて、待機命令を与えていた。ここに、ハイネスより出撃した
「奇襲か」
南側に布陣していた部隊は、一気に大混乱に陥った。
南側の部隊は、総攻撃に備えて、足の鈍い火力部隊を中心に配備していた。ハイネス守備部隊が
攻撃を受けたタイミングといい、部隊構成の相性といい、最悪の取り合わせだった。
部隊は混乱の極みに陥り、完全に統制を失った。
――やられた。
ザカリアスは、呆然と、モニターに映し出された戦況を見詰めた。
ハイネス守備部隊に、こちらの作戦を完全に見抜かれていた。そう考えざるをえない。
ハンフリーニ少将から、緊急支援要請が入電した。
〈こちら、ハンフリーニ少将。至急来援を〉
バトルシップ『モノポライザー』の艦橋に、ハンフリーニ少将の声が響いた。
ザカリアスは黙ったままだった。
堪りかねて、マクスウェル准将がザカリアスを促す。
「ザカリアス総司令」
ザカリアスは目線だけをマクスウェルに返した。
「……」
「下知を」
ザカリアスは絞り出すように呟いた。
「マクスウェル。なぜ、こんなことに……」
「総司令」
「わかった……。本陣の部隊を援軍として投入せよ」
本陣の軍勢は最終決戦に残していた部隊だったが、この戦況に陥ってしまった以上、温存したままにしておくのは愚策だった。
本陣の部隊が、混乱したハンフリーニ少将の部隊を救出するために出撃した。
戦場は、味方と敵の区別が出来ないほどの軍勢であふれかえった。
援軍の到着によって、一方的な惨敗という状況は逃れたが、まだ劣勢を挽回できたといえる状況ではなかった。本陣に敵の突入を許せば、取り返しがつかなくなる。
「ザカリアス閣下……」
マクスウェルが不安げな顔で、ザカリアスの表情をのぞき込んでくる。
ザカリアスは次の援軍投入を指示した。
「他の陣からも、逐次、部隊を回せ。何としても、突破を許すな」
その時、奇襲を仕掛けてきたハイネス守備部隊の
ハイネスを出撃して強襲した部隊は、これ以上戦えば、自軍の犠牲が増えると判断したのだろう。実際、遠征軍が投入した加勢が効いて、戦況は徐々に拮抗し始めているところだった。
「追撃は不要だ。体制を立て直す」
兵力の少ないハイネス守備部隊は潮時と判断したのだろう。
――最悪の事態は免れた。
ふぅ、ザカリアスは一息ついた。
旗艦バトルシップ『モノポライザー』の艦橋モニターに、無残に壊滅したハンフリーニ少将の部隊の姿が映し出されていた。
ザカリアスはその映像を忌まわしげに眺めた。
作戦を再考しなければならない。部隊の再編も急がねばならなかった。
バルベルティーニ黒騎士第二軍団長、ベリウス・クラウディウス将軍は拳を机に叩きつけた。
「なにが、茶でも飲みながら楽しんでくれだ!!」
クラウディウスの大声が響いた。
誇り高きバルベルティーニのトライデントのひとり、『赤槍』のベリウス・クラウディウスは、2メートル近い長身で30代半ばの青年将校だった。感情が行動に直結しがちなのが欠点だったが、情に厚く、部下から絶大な信頼を受けていた。特徴的な左耳の大きなピアスは、バルベルティーニの名門クラウディウス家の家紋がデザインされたものだった。
まあまあ、部下たちが、激情に走るクラウディウスを宥めた。
「おまえたちは、この戦況を見ていて、腹立たしくないのか」
クラウディウスは収まらない。
ジェムジェーオン暫定政府の遠征軍は、ハイネスに篭もる守備部隊と比べて3倍以上の兵力を有していた。この有利な状況のなか、敗北など考えられない。にもかかわらず、奇襲を受けて右往左往しているのは、味方である暫定政府の遠征軍だった。
「俺たちは、はるばるジェムジェーオンまで出向いてきて、何をしているのだ!?」
クラウディウスが率いるバルベルティーニ黒騎士第二軍団は動けなかった。
ジェムジェーオン遠征軍総司令のザカリアス大将は、クラウディウスに待機を命じていた。この状況に陥っても、ジェムジェーオン大本営から何の要請もなく、クラウディウスたちは待機を続けるしかなかった。
クラウディウスは、苛立たしげに爪を噛んだ。
その様子を見ていた壮年の部下、ガルバ大佐が諫めた。
「クラウディウス閣下!!」
「ガルバか……」
「お鎮まりください。我々は待機するよう命じられています」
クラウディウスはガルバが言わんとすることを理解していた。
この戦いはジェムジェーオンの国民同士の内戦であって、自分たちバルベルティーニは、一歩退いて傍観すべきだと。だが、武人としての矜持が、目と鼻の先で味方が苦境に立たされているなか、じっと座視するのを許さなかった。
「味方が苦戦しているのだぞ」
「判っています。しかし、我々に待機の命令を与えているのも、その味方の司令官です。勝手な行動を慎むように、強く戒められているのをお忘れにならないでください」
「誰の言葉だ」
「ジェムジェーオンのザカリアスではありません」
「何?」
「バルベルティーニに残っているクラウディウス一門の言葉です。ベリウス・クラウディウス閣下、あなたに行動を自重するようにお願いしています。バルベルティーニ本国では、閣下のライバルであるアウレリウス統合本部長や軍務大臣が、閣下の落度を心待ちにしています」
ガルバの発言は歯に衣着せぬものだった。
ガルバは、クラウディウスより軍での階級は大佐と下位だったが、名門クラウディウス一門の筆頭重臣で、年齢はベリウス・クラウディウスより20歳ほど上だった。若くして名門クラウディウス家を継いだベリウス・クラウディウスは、家宰であるガルバの経験や叡智に助けられ、何度も窮地を切り抜けてきた。
クラウディウスは顔を顰めた。
「そんな奴らの名前は、聞きたくもない」
「奇遇ですな。私も口に出したくもないです」
現在、バルベルティーニ伯爵国は、宰相のジャン=ルイジ・アコスタが、国を掌握している。バルベルティーニ伯爵国の首都イワイで無窮光教大司教だったアコスタは、フランク・バルベルティーニ伯爵の強い要望によって還俗し、臣下最高位の宰相にまで上り詰めていた。
アコスタは、バルベルティーニの宰相に就任すると、国内で増加する無窮光教徒たちの統制に成功し、30年間対立してきた東方のデル=サルト都市群との和平を実現するなど、内政面の功績を続々と挙げていった。同時に、政権内部の反対派を容赦なく切り捨て、独裁体制を構築していた。
軍部に関しても、アコスタの息が掛かったジョルダーノを背広組トップの軍務大臣に送り込むだけでなく、制服組トップの統合本部長アウレリウス将軍と協力体制を築くことで、影響力を強めていた。そのなかで、旧勢力の中心クラウディウス一門はアコスタ派から目の敵にされていた。
「ジェムジェーオンへの遠征が決まったときは、これでしばらくは、嫌な奴らの顔を見なくて済むと心躍ったんだがなぁ」
ガルバが真顔で応えた。
「相手も同じ気持ちだったに違いありません。いや、それ以上でしょう。クラウディウス閣下がうるさく邪魔だったので、国外に追い出したのです」
クラウディウスは苦笑いした。
「俺だって、それくらい判っている」
「そして、その遠征先で何らかの落度があったならば、それに乗じて閣下の御身をおとしめるつもりです」
「そうかもしれないが、ひとりの武人として、この戦況下でみすみす手をこまねいて眺めていろというのか」
「むしろ、私はジェムジェーオンからの待機命令を歓迎しています」
クラウディウスが目の色を変えた。
「何だと!」
「あくまで、この戦いはジェムジェーオン国内の身内同士の争いです」
「しかしだな」
「我々バルベルティーニがこの戦いで労する必要がありましょうか。この待機命令によって、我らは激戦のなかにおいても、無傷でいられます」
「そうはいっても」
「あくまで、閣下はバルベルティーニのことを、第一にお考えください」
クラウディウスはガルバが伝えたいことを理解した。
現在、バルベルティーニは危機の真っ只中にある。当主フランク・バルベルティーニ伯爵が表舞台から消えてから約1年が経過していた。宰相のアコスタは、伯爵に誰にも会わせようとしなかった。
バルベルティーニを護るためにこの拳はあるのだ。ジェムジェーオンのために犠牲を払う必要はない。
「わかった」
ガルバの表情は満足そうだった。そして、頭を下げた。
「出過ぎたまねをしました」
「それにしても、なんなのだ、この作戦は。ザカリアスのような戦場を知らない官僚風情が、小賢しいことを考えるから、こんな事態を招くことになるのだ」
「といいますと」
ガルバが小首をかしげた。
「判らないか? なぜ、多数の兵を擁しているこちらの遠征軍が、部隊編成でミスを犯す必要があるのだ」
「東門方面に
「策を講じること自体が無意味なのだ。仮に、こちらの兵力が少なく不利を克服するのであれば、策を用いることも理解できる。しかし、もとよりこちらは兵力で勝っている。なぜ、策を用いる必要がある? 策を用いて部隊編成を偏らせれば、弱点も生まれる。もし、敵が策を見破れば、それに応じた用兵を行うであろう」
「つまり、今回は敵に策を見破られ、部隊編成の弱点を突かれたということですか」
「ああ、その通りだ」
クラウディウスは頷き、視線を再びモニターに移した。
ハイネスから出撃した奇襲部隊は、ハンフリーニ少将の部隊を壊滅させた後、深追いせずにハイネス城内へ撤兵を始めていた。
素早い決断だった。
この映像を見ていたガルバが言った。
「ハイネスの守備部隊はやりますな。奇襲を成功させ、ダメージを与え、素早く撤兵する。自分たちは最小限の犠牲で最大限の戦果を上げる。撤兵もこれ以上、自軍に被害を拡大させない絶妙なタイミングです」
「ハイネスの守備部隊はよく戦っている。寡兵にもかかわらず、士気高く精鋭が揃っている。指揮している者が優秀なのだな」
「だとすると、今後も苦戦が予想されますな」
「ああ。……そうだな」
クラウディウスの返事のなかに含まれていた微妙なニュアンスを、ガルバが読み取った。
「閣下は、何か違う考えがあるのですか?」
「……ああ。もし、俺があの奇襲を指揮するハイネスの司令官だったらどうするだろうかと思ってな」
「閣下であれば、どうしていましたか」
「無理してでも、戦闘を続けたかもしれない」
「犠牲が大きくなるのでは」
「間違いなく、被害は大きくなる。だが、依然として兵力の差は圧倒的だ。あのザカリアスでも今回のミスで、自らの愚かさに気付くだろう。さすがに同じ奇襲は通用しない。ならば玉砕覚悟で、奇襲が成功したこの機会に、ハイネス守備部隊は特攻を継続し、ザカリアスの首を狙うべきだったのではないか」
「それが唯一の勝機だということですか」
「唯一かどうかは、神のみぞ知る領域の話だ。ただ、今後、ザカリアスが小細工を用いずに、圧倒的な兵力差と十分な補給体制を活かす消耗戦に持ち込めば、付け入る隙が少なくなるのは確かだ」
「確かに、シンプルな戦術ですが、寡兵のハイネス守備隊にすれば、最もきつい戦術ですな。兵力に余裕がある遠征軍は、多少の犠牲を覚悟して、正攻法を繰り返せばいいのですから」
「その通りだ」
クラウディウスは頷いた。
同じ時、遠征軍の旗艦バトルシップ『モノポライザー』で、最高司令官ドナルド・ザカリアス大将が、消耗戦に持ち込むことを決意していた。
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