第13話 新たなる戦いの序曲2

 首都ジーゲスリードのジェムジェーオン防衛軍本部庁舎に、デービス将軍の敗死、北部要衝ハイネスの失陥、トマソン将軍の降伏、立て続けにこれらの凶報が届いた。


 緊張の面持で伝令を届けにきた若手士官に対して、暫定政府の首脳のひとりドナルド・ザカリアス大将が、顔を真っ赤にさせて、語気を荒げた。


「デービス少将やトマソン少将にはイル=バレー要塞駐留軍に対抗できるだけの十分な兵力を与えていたはずだ。なに故、こうも簡単に抜かれるのだ!?」


 若手士官が、オロオロと次の言葉を探した。

 ザカリアスが捲し立てるように続けた。


「何か特別な事情があったに違いない。それについて、報告は届いていないのか?」

「いえ、小官のもとにはこれ以上の詳細は……」

「なぜ、確認していないのだ?」


 マクシス・フェアフィールド元帥は、ザカリアスを制した。


「ザカリアス大将、やめなさい」


 ザカリアスがマクシスを睨み返した。

 平民出身ながら主席で士官学校を卒業したドナルド・ザカリアスは、前線よりも事務方として軍のキャリアを重ねてきた。何事も感情を交えず淡々と仕事を遂行する姿が常のザカリアスが、苛立ちを隠す様子もなく、珍奇に見えるほど怒りの感情を表に出していた。


 ――この男は自分の思い通りにならないと、このような姿を見せるのか。


 マクシスは、ザカリアスがその地位に比べ人望が薄いといわれている理由を、はっきりと判った気がした。

 マクシス・フェアフィールドは、貴族、それもジェムジェーオン武官御三家のひとつといわれる名門フェアフィールド家の当主の身だった。だが、ザカリアスと対照的に、常に前線の司令官として現場でキャリアを積み重ねてきた。移り気な上官の機嫌を伺う。自らも経験してきたことだった。下士官の気持ちは手に取るように判った。

 困惑した表情で立ち尽くす若手士官に、マクシスは穏やかな表情で慰労した。


「報告ご苦労だった。貴官のもとには、他に気になる報告は届いていないのだな」

「いまのところ……」

「良い。わかった。もし、少しでも気になることがあったら、速やかに報告してほしい」

「承知しました」


 若手士官が直立し元帥に敬礼した。

 元帥の言葉で救われた、表情が物語っていた。

 依然として、ザカリアスの態度は憮然としたままだった。

 マクシスは若手士官に退室するように促した。


「下がってよいぞ」

「元帥閣下、失礼します」


 若手士官が頭を下げて、部屋を出て行き、ザカリアスとマクシスのふたりが残された。

 ハハハ、マクシスは大きく笑い声を上げた。


「ここは素直にイル=バレー要塞駐留軍の戦術を評価しようではないか。寡兵の不利を撥ね返す見事な戦いであったと」

「元帥閣下、よくこの状況で笑っていられますな。私たち暫定政府軍は戦闘で敗北し、ジェムジェーオン北部の重要拠点であるハイネスは陥落したのですぞ」


 マクシスは緩い表情を一変させ、固い顔つきでザカリアスを一喝した。


「だからこそだ」


 ザカリアスが反発してきた。


「フェアフィールド元帥。元帥直属の部下、レッドマン少将の裏切りと敗北によって、この事態を迎えていることをお忘れなきよう」

「貴官がワシに含むところがあるように見えたのは、それが言いたかったのか?」

「事実を申し上げたまでです。この現実に対して、元帥閣下がどのように考えているかお聞きしたい」


 マクシスは大きく息を吐いた。


「無駄なことを」

「無駄とは、何のことです。元帥閣下の部下が裏切ったため、私たち暫定政府は窮地に陥っているのですぞ」


 ザカリアスが顔を赤くした。

 マクシスはもう一度、大きく息を吐いた。


「ワシと貴官は、ともに暫定政府の首脳で等価の責任を負っている。お互いに非を責めあっても、事態はなんら改善しないし、無意味なことだと言っている」

「責任から逃げるおつもりですか」

「逆に、聞かせてくれ。実戦部隊を旗下に持たない貴官は、ワシと同じ責任をどのように負うつもりなのだ。貴官は常に自分を安全地帯に置いているように見える。その姿勢を誰が支持するというのか」

「小官の役割は、作戦立案や兵站整備で戦いを支えることです」

「では、今回の敗北に、貴官の言うところの作戦や兵站で、責任は全くないと思っているのか」

「それは……」

「敗北はワシと貴官、両者の責任なのだ。苛立たしい気持ちは分かるが、それを下の者に向けてはならない。上に立つ人間は、失敗を受け止め自省し、自らの姿勢を改めるのだ」


 ザカリアスがビクッと反応した。

 小動物のような目を眼鏡の奥に隠した。たしなめられたことを不覚に思ったのか、苦い表情を浮かべた。


「貴官らしくもない。少し落ち着いたらどうだ」

「そうですな」


 ザカリアスが眼鏡を直した。

 マクシスはゆっくりと立ち上がった。


「ワシらが置かれている状況を、改めて整理しようじゃないか」


 マクシスが端末を操作し、ディスプレイにジェムジェーオン北部地域の地図を表示させた。

 地図の上に、イル=バレー要塞が青く光って浮かび上がった。イル=バレー要塞から青色の矢印が伸び、イル=バレー回廊を一直線にジェムジェーオン国内に向かって進んだ。デービス少将の北部方面軍が赤い矢印となって出現し、イル=バレー回廊出口を塞いだ。回廊出口のY字路で、青い矢印と赤い矢印が衝突し、赤い矢印が砕け散った。


 ザカリアスが不快な汚らわしいものを見るように、青い矢印を評した。


「この叛乱兵が、今日のジェムジェーオンを乱している元凶となっているのですな」


 マクシスは苦々しい感情を押し殺して、ザカリアスの目を見た。


「貴官の言う通りだな」


 次に、地図の上にハイネスが赤く光って現れた。トマソン少将のハイネス駐留軍が赤い矢印となって、青い矢印が留まっているイル=バレー回廊出口に向かった。赤い矢印と青い矢印がぶつかった瞬間、ハイネスが赤から青に反転した。青に変化したハイネスから、細い青の矢印が出現し、イル=バレー回廊出口で戦う赤い矢印を挟撃した。この戦いも赤い矢印が消滅する結果となった。


 ハハハ、マクシスは笑って見せた。


「素晴らしい。これほどまでに、大胆かつ緻密な奇襲を目にしようとは」


 ザカリアスが不快な表情をみせた。何も言わずに、マクシスの表情を窺っていた。

 マクシスは続けた。


「まだ、続きがある」


 イル=バレー要塞は、小規模な抵抗ののち、バルベルティーニ軍が占領した。

 イル=バレー要塞が青からオレンジに変わった。


「イル=バレー要塞をバルベルティーニに渡すことになったが、仕方ない」

「ハイネスとイル=バレー要塞で連携を取られたら、鎮圧が難しくなりますから、バルベルティーニに情報を流して、制圧を促した判断は妥当でしょう」

「その通りだ。改めて、貴官に問う。ワシらの当面の戦略とは何かね」

「征東大将軍ヴァイシュ・アプトメリア侯爵がジェムジェーオンに到来する前に、国内の反乱分子を潰し、帝国中央に新しいジェムジェーオン、ユウマ・ジェムジェーオン様の体制を正式に認めさせること……」


 ジェムジェーオンの混乱がアクアリス大陸前脚地方全域に飛び火することを危惧したシャニア帝国は、皇帝の勅命をもって、征東大将軍ヴァイシュ・アプトメリア侯爵に全権を与え、ジェムジェーオンに派兵することを決定した。

 ヴァイシュ・アプトメリア侯爵、異名は『常勝の軍神』。その名はシャニア帝国中に響き渡り、知らぬ者はいなかった。今回、アプトメリア侯爵自身が、ジェムジェーオンに赴くことを志願したと噂されている。

 アプトメリア侯爵の領国は北方に位置していた。降り積もった雪が溶け、行軍が可能になり次第、帝国最強と畏怖される『常勝の軍神』が、ジェムジェーオン伯爵国の混乱を収拾するために到来する。それは、ジェムジェーオン国内の軍事バランスが大きく変化することを意味した。


「帝国を完全にワシらの味方につけるためにも、国内の軍事掌握は欠かせない。反乱分子が要塞から出てきたのは、むしろ歓迎すべき事態だとは思わないか?」

「なるほど。敵軍がイル=バレー要塞に籠っていたならば、制圧することが難しい」


 ザカリアスが眼鏡の奥で目を見開いた。

 イル=バレー要塞。難攻不落の代名詞といえる軍事拠点だった。ジェムジェーオン東方国境、イル=バレー回廊に築かれたこの要塞は、隣国バルベルティーニ伯爵国から受けた侵攻を、ことごとく弾き返してきた。

 マクシスはザカリアスに問うた。


「改めて訊こう。そうは思わないか?」

「元帥閣下は、難攻不落のイル=バレー要塞に籠城されるよりも、ハイネスのほうが攻略できる可能性が高いとお考えになっている」

「ハイネスも堅城と呼ばれているが、要害にすぎない。純軍事的な基地であるイル=バレー要塞と比べるまでもない」

「確かに」

「相手は、デービス少将の北部方面軍やトマソン少将のハイネス駐留軍の残兵を加えているとはいえ、無傷のジェムジェーオン首都方面軍の兵力と比べれば、寡兵に過ぎない」

「しかも、首都方面軍はジェムジェーオン防衛軍の最強部隊です」

「その通りだ」


 ザカリアスが、眼鏡の位置を戻した。


「つまり、元帥はこのように考えているのですね。敵軍は戦術レベルで勝利したに過ぎない。戦略レベルで考えれば、気に病む必要はない」

「『勝唱の双玉』はハイネスを奪取したが、代わりにイル=バレー要塞を失った」

「このままハイネスを自由にしておけませんな」

「直ちに兵を向かわせる必要がある」

「なるほど。それでは、ハイネスには私が向かいましょう」

「ここは正念場だ。実戦経験は、ワシのほうが貴官よりも豊富だ」


 マクシスは、ザカリアスの戦闘指揮能力に懐疑を抱いていた。

 事務方のキャリアが長く、実戦経験が少なかった。加えて、エリート故か逆境に弱い側面があった。先ほどザカリアスが見せた自分の意に沿わぬ事実に取り乱した姿は、端的にそれを表していた。


 しかし、ここはザカリアスが退かなかった。


「だからこそです。最高司令官たるフェアフィールド元帥には、このジーゲスリードに残っていただき、首都の抑えとなっていただきたい」


 ザカリアスが眼鏡を光らせ、マクシスを制した。


 ――ワシに兵権を与えたくないと考えているのかもしれない。

 

 だが、ザカリアスの主張は間違っていない。

 緒戦に敗北したことによって、暫定政権が不安定となっていることは認めざるを得なかった。首都ジーゲスリードを安定維持することができなければ、雪崩のように国内諸都市の離反を招くことになる。

 暫定政府の首班マクシス・フェアフィールドが首都を不在にするのは、更なる事態の悪化を招きかねない。


「貴官の進言を容れよう。ワシがジーゲスリードに残る」

「首都ジーゲスリードの守備は、元帥閣下にお願いいたします。早速、私はハイネス遠征軍の編成を開始します」

「判った。ところで、バルベルティーニはどうする」


 ジェムジェーオン暫定政権樹立後、バルベルティーニ伯爵国が誇る黒騎士三騎士団のうち第二黒騎士団が、ジェムジェーオンの治安維持を名目に、首都ジーゲスリードに駐屯していた。


「元帥閣下はどのようにお考えですか」

「ハイネス遠征軍には首都方面軍の多くを組み入れねばならない。軍勢がハイネスに向かった後、寡兵となった首都ジーゲスリードにあの強兵を駐留させるのは、不安要因となりえる」

「承知しました。私が僚軍としてバルベルティーニの軍勢を連れて行きましょう。使えるものは何でも使います」

「うむ。それがよかろう」


 ザカリアスが席を立ちあがりながら言った。


「もうひとつ、元帥閣下にお願いしたいことがあります」


 マクシスは立ちあがったザカリアスを見上げた。


「なんだ」

「ジェムジェーオン市民を、私たち暫定政府の味方にしなければいけません」

「例の件か」

「そうです。元帥閣下の口から市民に発表してください」


 マクシスは、一瞬、顔を落として沈黙した。

 ザカリアスが強硬に催促した。


「ここでこのカードを切らずに、いつ使うのです。躊躇する理由がありますか?」


 ザカリアスの言は正しい。

 数秒ののち、顔を上げた。


「わかった」

「よろしくお願いいたします」


 ザカリアスが納得した表情で、部屋を退出していった。

 ひとり部屋に残ったマクシスは、ディスプレイの地図上に輝いている青く輝く点を見つめた。

 脳裏に『勝唱の双玉』のふたり、ショウマ・ジェムジェーオンとカズマ・ジェムジェーオンの顔が浮かんできた。続けて、暫定政権の国主として推戴したユウマ・ジェムジェーオンの顔が浮かんできた。

 胸が熱くなった。


 ――立ち止まるわけにはいかない。


 マクシスは決意を新たにした。




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