第12話 新たなる戦いの序曲1

 帝国歴628年2月24日、瞬く間に、ジェムジェーオン北部で発生した戦闘の結果は、イル=バレー要塞に潜伏していたジェムジェーオンの『勝唱の双玉』が表舞台に返り咲いたことを伴って、シャニア帝国各地に伝わった。


 『勝唱の双玉』に率いられたイル=バレー要塞駐留軍は、寡兵であるにもかかわらず、迫りくるジェムジェーオン暫定政府の北部方面軍、ハイネス駐留軍を連続で撃破し、北部要衝の都市ハイネスを陥落させた。

 華々しい『勝唱の双玉』の再登場となった。

 この報せは、ジェムジェーオン国内に留まらず、シャニア帝国各地に拡がった。特に、ジェムジェーオン伯爵国も属するアクアリス前脚地方の周辺諸国に衝撃をもって伝えられた。周辺各国は何らかのリアクションを取ることを余儀なくされていた。



 ジェムジェーオン東方に位置するバルベルティーニ伯爵国は、当初から、ジェムジェーオン暫定政府を軍事支援してきた。早速、『勝唱の双玉』に対抗する動きをみせた。もぬけの殻になったイル=バレー要塞を奪い取った。

 バルベルティーニ国内では、一部の主戦派の軍人が、この勢いに乗って、更なるジェムジェーオン侵攻を主張したが、結局、断念することになった。バルベルティーニ国内の事情が他国に干渉する余力を奪ったからだった。バルベルティーニ国内の左前脚半島に位置するデル=サニト都市群が、自治権を超えて完全独立に向けて動きをみせていた。不測の事態に備えるため、バルベルティーニ国内の兵力をこれ以上ジェムジェーオンに割くことは、見送られることになった。



 南西のライヘンベルガー男爵国では、当主オリバー・ライヘンベルガー男爵が直ちに「ジェムジェーオンへの出兵の準備を整えよ。『勝唱の双玉』を支援する」と、臣下に命令を下した。アスマ・ジェムジェーオン伯爵時代から、ジェムジェーオンとライヘンベルガーは同盟関係を築いてきた。現当主オリバーのもとには、ショウマとカズマと同腹の姉シオンが嫁いでいた。

 これまでも、ライヘンベルガーは暫定政府を認めない姿勢を示していたが、具体的な行動は自重していた。その慎重な姿勢が『勝唱の双玉』の登場によって、積極的な介入に変化しようとしていた。オリバー・ライヘンベルガー男爵は、周辺諸国のなかで、いち早く『勝唱の双玉』を支援する意を示し、直接の軍事支援も辞さないと表明した。



 ジェムジェーオンの西方、アクアリス大陸前脚地方において、ジェムジェーオンに並ぶ大国であるパイナス伯爵国は、これまでのところジェムジェーオン内乱に対して、静観する姿勢をとってきた。

 だが、ライヘンベルガー男爵国が積極的に介入する姿勢を見せたことによって、パイナスの態度にも変化が生じようとしていた。パイナスとライヘンベルガーは、近年、抗争を繰り返してきた。パイナスにとって、敵の味方である『勝唱の双玉』よりも、敵の敵である暫定政府に味方すべきという意見が強くなっていた。



 ジェムジェーオン北部マクスローズ山脈を越えたアスミラル盆地に、ニューウェイ子爵国は位置していた。巷間、当主タイガ・ニューウェイ子爵は、ジェムジェーオンの暫定政府に味方すると目されていた。

 タイガのひとり娘ミランダは、アスマ・ジェムジェーオン伯爵の後正妻であり、三男ユウマの母親であったことが理由だった。暫定政府はユウマ・ジェムジェーオンを伯爵位継承者として次期国主に推戴していた。


 タイガ・ニューウェイ子爵は、首都アスミラルの宮殿に、ジェムジェーオンのニューウェイ在大使ボーモンドとニューウェイ子爵国の重臣たちを集めた。

 ジェムジェーオン暫定政府から、『勝唱の双玉』が籠るハイネスに向けて出兵を要請されてのことだった。


 ジェムジェーオン大使ボーモンドが慇懃にタイガに挨拶した。

 タイガ・ニューウェイは君主というよりは、軍人然とした立派な身体をしていた。太い声で、鷹揚な姿勢で挨拶に応えた。


「ジェムジェーオン大使よ。話とは何だ?」

「御多忙のところ、ご参集いただき、感謝いたします。早速のところ大変恐縮ですが、我らジェムジェーオンのお願いをお聞きいただけないでしょうか」

「余にお願いとは。その中身を聞こうではないか」


 ボーモンド大使が暫定政府に与するよう要請してきた。


「お恥ずかしながら、先日、ジェムジェーオンの北部要衝ハイネスが賊徒によって占拠されました。ここニューウェイ子爵国首都アスミラルからハイネスまでは、バトルシップで僅か1日の距離となります。ぜひ、殿下にハイネスへの出兵をお願いしたいと考えております。ジェムジェーオンは閣下の力を必要としております」


 タイガはボーモンドを制するようにゆっくりとした口調で言った。


「大使、そう結論だけを急くものではない」


 快諾を得られなかったことに、ボーモンドが心外の表情を浮かべた。


「お言葉ながら、殿下はご息女様やお孫様の将来をどのようにお考えでなのでしょうか」


 ボーモンドの表情から、ニューウェイの参戦を当然とみなしていることが見て取れた。


 ――やはり、ジェムジェーオンはニューウェイを下に考えているのか。


 タイガは左腕をひじ掛けに乗せ、左手に顔を乗せた。沸々と湧き上がる憤りの感情を可能な範囲で抑えた。


「大使が言いたいことは、こういうことか。ジェムジェーオン暫定政府は、ニューウェイに対して人質を取っている。おとなしく要請に従えと」


 ボーモンドが顔の前で手を振った。大きく頭を下げ、謝罪した。


「滅相もありません。私の発言に他意はございません。ご不快であったならば、お詫びいたします。ミランダ様やユウマ様の将来は、殿下のお力添えがあって、初めて磐石となるとお伝えしたかったのです」


 タイガは腕を組み、目を閉じた。

 もちろん、娘のミランダや孫のユウマは可愛いかった。そして、タイガにとって、ユウマの後ろ盾となることで、実質的にジェムジェーオン伯爵国をコントロールするチャンスでもあった。


 ――だが、忘れもしない。あの屈辱を。


 4ヶ月前、ジェムジェーオン暫定政府が国主としてユウマ・ジェムジェーオンを推すと宣言した。ユウマの祖父であるタイガは、後見人としてニューウェイの軍勢を引き連れ、ジェムジェーオンの首都ジーゲスリードに入城することを暫定政府に打診した。


「余は不安定な政情となっているジェムジェーオンの治安を維持するため、ニューウェイの軍勢の一部を、首都ジーゲスリードに駐留させてもいいと考えている」

「お気遣いに及びません」

「バルベルティーニの軍勢が首都ジーゲスリードに駐留していると聞いている。血縁関係も何もないバルベルティーニに頼るより、縁戚であるニューウェイを頼りにするほうが真っ当であろう」

「ご提案いただいたことには感謝に尽きませんが、ジェムジェーオンはニューウェイ子爵国に軍勢の派兵を依頼する気はありません。これ以上の議論は無用です」


 ジェムジェーオン暫定政府首脳のひとり、ドナルド・ザカリアス将軍に、ニューウェイの提案は一蹴された。


 ――あの時は、無下に断ったではないか。


 しかも、ジェムジェーオンの平民上がりのザカリアスが、ニューウェイ子爵である余に対して示した態度は許されざる無礼に該当する。


 ――ザカリアスら暫定政府の謝罪が先にあるべきではないか。


 謝罪も一切ないなかで、ジェムジェーオン暫定政府は、自分たちの都合が悪くなると、厚顔無恥にもニューウェイに支援を求めてきた。

 タイガは目を開き、ボーモンド大使に尋ねた。


「ジェムジェーオンはニューウェイをどのように考えているのだ」

「もちろん、心強き縁戚であり、大切な同盟国と考えております」


 ニューウェイはジェムジェーオンの分家として興った国だった。さらに、アスマの父である先々代のジェムジェーオン伯爵国当主リューマの異母兄リューガが、当時のニューウェイ子爵位を強引に継いだ。現当主タイガはそのリューガの息子だった。

 タイガは血統的にジェムジェーオン伯爵家の一門である自負が強かった。


「余は貴国ジェムジェーオンの誠意を先に示すべきと考えているがな」

「殿下の仰ることは尤もです。その話はジェムジェーオン本国にお伝えします。必ずや十分な報いをさせていただきます」


 タイガは冷笑した。


「大使の空約束でなければいいがな」

「私をご信頼ください」

「しかしながら、この要請に応えるかどうかはニューウェイ子爵国にとって重要な問題だ。余だけでは決められない。臣下の者にも話を聞かねばならない」


 タイガが視線を臣下に向けた。受け止めたのは、首相のブラックバーンだった。

 ブラックバーンは、主君タイガが、この戦闘において積極的にジェムジェーオン暫定政権に味方する姿勢を示さないのは、戦略の問題ではなく、タイガ自身の感情の問題であることを薄々感づいていた。


「恐れながら、申し上げます」


 タイガの思惑はともかく、ブラックバーンら旧来からのニューウェイの土豪たちにとって重要だったことは、大国ジェムジェーオン伯爵国に影響力を行使することではなく、ニューウェイ子爵国を独立国家として維持していくことだった。

 今回の騒動では、ニューウェイはジェムジェーオンのどちらの陣営にも与さない。

 それが、ニューウェイが生き残っていく最良の選択だった。『勝唱の双玉』が世の噂通り傑物であるならば、今後、ジェムジェーオンはどちらに転がるか判らない。


「昨今、西方で隣接するコントラニーニ男爵国が政情不安定に陥っており、大量の難民がニューウェイに押し寄せています。ニューウェイの国軍はコントラニーニと接する西方国境の治安を維持するため、出動を余儀なくされています。現在のニューウェイには、ジェムジェーオンに出兵させるための余力はありません」


 ボーモンド大使が顔を紅潮させた。


「ニューウェイは、ジェムジェーオンを、いや、ミランダ様やユウマ様をお見捨てになるおつもりか!」

「ニューウェイの実情を、率直に申し上げたまでです」


 ブラックバーンは顔色一つ変えずに、ボーモンド大使に返した。

 タイガは悠然と、わざと余裕を見せつけるように、ゆっくりと喋った。


「国家同士の交渉の場である。ジェムジェーオン大使、感情的に発言するのは控えてはどうかね」


 ボーモンド大使がタイガの顔を見上げた。


「殿下。それではタイガ様の口から、ハイネス派兵をお認めになってくださるのですね」

「大使よ、落ち着いて聞いてほしい。余はジェムジェーオンを、もちろん、個人としては、娘のミランダや孫のユウマを助けたい。しかし、国主といえども自らの気持ちだけで、ニューウェイ国軍を動かすわけにはいかないのだ。ブラックバーン首相の言葉通り、現在のニューウェイには他国に派兵する余力がない。その点を斟酌してもらえないか」


 ボーモンド大使が、タイガの発言が終わったと同時に言った。


「昨秋には、ジェムジェーオンに派兵を打診してきたではありませんか」


 タイガはキッと表情を硬くした。


「その際、余を一顧だにせず、必要なしと拒絶したのは、ジェムジェーオン暫定政府ではないか!!」


 ボーモンド大使が黙った。


「物資などの援助が必要であれば、言ってくれればいい。余の気持ちだ。なんとか捻出しようではないか」




 巷説の予想に反して、ジェムジェーオン暫定政府によるニューウェイ子爵国への支援要請は失敗に終わった。





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