第7話 ジェムジェーオン北部方面戦3
時は再び、帝国歴628年2月22日、バトルシップ『トルメンタ』の司令室に戻る。
士官たちが集まる前で、カズマ・ジェムジェーオンがふざけた調子で、アンナ=マリー・マクミランを揶揄するような言葉を放った。
「15年前、マリ姐が自分でそう呼べと言ったんだよね。そうだよね」
この言葉に、我慢を続けていたアンナ=マリーは限界を超えた。
「カズマ、いい加減にしなさい」
気付くと、思いきり、カズマにゲンゴツを振り下ろしていた。
「おお、痛て~」
「公の場では、ちゃんと階級付でマクミラン大佐と呼ぶ」
「わかったよ」
カズマが大げさに頭を抱えながら、殊勝な態度を示した。
アンナ=マリーはハッとした。
――これでは、どちらが公私をわきまえていないのか。
君臣のけじめを逸脱していた。
しかしながら、会議に出席していた士官たちは、この様子を笑いながら見ていた。この場にいる誰もが、カズマとアンナ=マリーの幼い頃からの関係を知っていたからだ。
アンナ=マリーは気付いた。
もう、この場に張り詰めた空気は無かった。いまでは、カズマを中心にリラックスした空気がこの場を支配していた。
カズマなりの配慮。
士官たちは、ただでさえ、連続する戦闘で、気持ちが高ぶり極度の緊張を強いられている。それを和らげるために、カズマが自ら進んで道化に徹したのか。
――いや、違う。
アンナ=マリーはカズマの自然体の笑顔を見て、考えを改めた。
結果はその通りだったかもしれない。だが、カズマは意識的にこの行動を選択したのではない。天性の感覚で自分の行動を決めただけだった。
――それにしても。
ショウマとカズマ、『勝唱の双玉』と呼ばれている双子の兄弟のことを想いやった。
身体の大きさ、これ以上ない端正な容貌、ふたりは見分けることが困難なほど、同じ外見をしていた。だが、ふたりから受ける印象は全く異なった。ショウマに感じる鋭利で繊細な完全性を、カズマから感じることはなかった。カズマに感じる鷹揚でかつ無邪気さを伴ったダイナミズムを、ショウマから感じることはなかった。いうなれば、兄ショウマは静、弟カズマは動、だった。
カズマが指揮テーブルから、足を下ろして、姿勢を改めた。
「マクミラン大佐、申し訳なかった」
カズマの謝罪を受けたアンナ=マリーは、背筋を伸ばしたのち、頭を深く下げた。
「陳謝すべきは私の方です。カズマ様に対する失礼な態度は、不敬罪に問われてしかるべきです」
「マクミラン大佐、頭をあげてくれ。全面的にオレが悪いのだ。詫びる必要はない」
「しかしながら……」
「オレが調子に乗り過ぎたのは、この場にいる誰もが認めることだろう。頭をあげて、本題である作戦会議を始めてほしい」
アンナ=マリーは頭を上げた。
カズマがニコッと笑った。
アンナ=マリーは頷いた。
「分かりました。作戦を説明します」
カズマと士官たちの目が、一斉にアンナ=マリーのもとに集まった。
ゴホン、アンナ=マリーは照れ隠しに咳払いをひとつ入れてから、指揮テーブルのキーボードを操作した。
「皆さんの活躍によって、緒戦はこれ以上ないというべき戦果を上げることができました。しかし、トマソン少将が率いるハイネス駐留軍2個師団がこちらに向かっているという情報が入っています」
士官たちがディスプレイに映し出された情報を食い入るように見つめた。
「次の戦闘まで1日もないのか……」
ハイネス駐留軍との予想遭遇時刻、ディスプレイに〈20時間後〉と映し出されていた。
「この20時間で、兵士たちに休息を与え、陣形の再編成を行います。各隊の現状を報告してください」
バトルシップ『トルメンタ』の司令室には、大隊長以上の士官たちが集められていた。緒戦で受けた自部隊の被害状況と、稼働できる現存兵力の報告を行っていった。
緒戦の北部方面軍との戦闘は、考えうる最高の戦果を収めた。それでも、全兵力の3分の1は補修を必要としていた。この状態のままで次の戦いに出撃させるのは難しかった。20時間後、無傷のハイネス駐留軍の2個師団と戦闘が始まる。損傷した戦力を考慮すると、兵力差は1.5倍に開いていた。次の戦闘までに、出来る限り損傷を修繕し、戦力を回復させることができるかが、勝負の鍵だった。
さらに、作戦の足枷となっていたのは、物資が少なくなってきたことだった。次の戦闘が持久戦となった場合、こちら側の軍需品が、相手より先に尽きる可能性が高いことが判明した。
「なかなか厳しい状況だな」
思わず、カズマの口から洩れた。
いつも冗談交じりに明るく振舞っている分、士官たちは神妙に、カズマの言葉を受け止めた。
コンコン、司令室のドアの外側からノックされた音が響いた。
司令室の士官たちの視線が、ドアに集まった。
アンナ=マリーはドアの向こうに言葉を掛けた。
「会議中です。どのような要件ですか」
「至急の報告があります」
アンナ=マリーは周りの士官の顔を確認した。
カズマが入室に同意する表情を見せた。アンナ=マリーは応えた。
「入って構わないです」
司令室のドアが開き、下級士官が入室してきた。
「失礼します」
「報告してください」
下級士官がアンナ=マリーに近づき、耳打ちした。
報告を受けたアンナ=マリーは、眉間にしわを寄せた。
カズマが苦笑いを浮かべた。
「マクミラン大佐がそのような表情をするとは、良くない情報なのだろう。でも、この場にいるオレたちに聞かせてもらえないか」
「そうですね」
アンナ=マリーは一拍置いた。
「イル=バレー要塞がバルベルティーニの攻撃で陥落しました」
「そうか」
応答したカズマの声は小さかった。
ここにいる士官全員が覚悟していた。
守護四神。イル=バレー要塞が誇る4台の強力な火力のレールガンの呼称だ。これまでに幾度かのイル=バレー要塞侵攻に、この強力な武装をもって、対抗してきた。劣勢を跳ね返したこともある。だが、今回の作戦において、イル=バレー要塞に残した兵の数は、余りに少なかった。要塞に兵を残す余力が無かった。絶大な威力を誇るレールガンをもってしても、バルベルティーニが兵力差を活かして力攻めを仕掛けてきた場合、耐えるのは難しいと分析していた。
――戻る場所はもうない。
出撃時から、イル=バレー要塞が失陥の可能性が頭にあったとはいえ、これまでバルベルティーニによる幾度の攻略戦に耐えてきた不落のイル=バレー要塞が堕ちたという報せは、想像以上に士官たちの心を抉った。
「つまり、オレたちがイル=バレー要塞を出撃してから、すぐさま、バルベルティーニが攻撃を掛けてきたということか」
アンナ=マリーはカズマの言葉のなかに潜む含みを掬った。
「カズマ様が考えている通りでしょう。暫定政府が仕掛けてきたと思います」
イル=バレー要塞駐留軍は、カズマ・ジェムジェーオンに率いられ、ほぼ全軍をジェムジェーオン側に出撃させていた。しかし、要塞反対側のバルベルティーニ伯爵国は、そのことを知る由はない。だが事実は、この短い時間で、バルベルティーニはイル=バレー要塞を強襲するという決断を下してきた。
これまでバルベルティーニは、堅固なイル=バレー要塞を前に、幾度も苦杯を喫してきた。要塞に残留している兵の数が僅かであるとの確信がなければ、短期決戦を強行してくるとは考え難い。確信に至る情報。ジェムジェーオンの暫定政府が、要塞残兵力の情報を流したと考えるのが、妥当だった。
士官の誰かが呟いた。
「暫定政府は売国奴だ」
落胆と焦りが入り混じった言葉だった。
バルベルティーニ伯爵国が攻撃を躊躇して、イル=バレー要塞の陥落まで時間稼ぎができるという期待が、もろくも崩れ落ちた。
カズマがアンナ=マリーに問うた。
「レッドマンたちの安否は」
イル=バレー要塞駐留軍司令レッドマン少将は、僅かな兵とともに要塞に残留し指揮を続けていた。
「要塞を守っていた士官たちは脱出したとの報せを受けています」
「そうか」
ははは、カズマが笑った。
「やはり、兄貴、ショウマは凄いな。このケースすら想定していた」
イル=バレー要塞失陥という厳しい報せが届くなか、カズマが見せた余裕の表情に、士官たちは困惑し、互いに顔を見合わせた。
カズマは断言した。
「大丈夫。現在の状況は、イル=バレー要塞で兄貴が想定したシミュレーションの範囲のなかに収まっている」
バトルシップ『トルメンタ』の司令室を支配していた重い空気が、少しだけ緩和した。
――カズマは嘘をついていない。
確かに、ショウマ・ジェムジェーオンはこの事態を予想していた。
この作戦を実行する前、潜伏していたイル=バレー要塞で、ショウマとアンナ=マリーはシミュレーションを実施していた。そのやりとりを思い返した。
戦力の分析を終えたショウマが断言した。
「緒戦で激突するデービス少将の北部方面軍との戦いは、充分に勝機がある。本当の勝負は、次戦のトマソン少将が率いるハイネス駐留軍との戦いになる」
続けて、ハイネス駐留軍との戦闘がやってくる。この戦いで勝利を掴み取るには、緒戦の勢いのまま、短期決戦に持ち込むことが重要だった。持久戦となれば、厳しい状況に陥る可能性が高いと予測していた。
「相手が持久戦を仕掛けてきた場合、イル=バレー要塞に退却することも、選択肢のひとつだ」
もちろん、この退却策の前提条件は、イル=バレー要塞がこちら側の手にあることだった。ショウマが述べた最悪のケースは次の事態だった。
「私たちの退路を封じるため、暫定政府がバルベルティーニに情報を与えた場合、非常に苦しくなる。最悪の事態は、バルベルティーニがイル=バレー要塞を早期に攻略し、そのうえでトマソン少将のハイネス駐留軍が持久戦を仕掛けてくることだ」
その時、生死を分ける一戦に挑まねばならない。私たちの選択肢は限られていた。
イル=バレー要塞が堕ちたいま、次の戦いは、絶対に短期で決着させねばならなくなった。
カズマもこのシミュレーション結果を認知していたが、悲観的な表情を一切見せることはなかった。
「兄貴、ショウマは、必ず状況を打開する策を持っている。オレたちは必ず勝てる」
カズマの言葉に押されるように、士官たちが力強く拳を握りしめた。
――私たちは信じて進むしかない。
アンナ=マリーは、迫り来るハイネス駐留軍を迎え撃つため、戦闘部隊を指揮する士官に迎撃するための準備を指示し、補給部隊を指揮する士官に出来る限りの部隊装備の修復を命じた。
ハイネスから出撃したトマソン少将の部隊との戦いは近づいていた。
アンナ=マリー・マクミランとカズマ・ジェムジェーオンは、次の戦闘が苦しい戦いとなることを覚悟していた。
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