第6話 ジェムジェーオン北部方面戦2

 いまから15年前、アスマ・ジェムジェーオン伯爵の正室ミズホ・ジェムジェーオン様が若くして亡くなられた時に遡る。


 ジェムジェーオン武官御三家のひとつマクミラン家のひとり娘アンナ=マリー・マクミランは、1歳年下で伯爵家の長女シオン・ジェムジェーオンと、面識がある程度の間柄に過ぎなかった。

 ふたりは皇族や貴族の子女が通う同じ女学校に在籍していたが、活発で軍隊の戦術論やASアーマードスーツシミュレータなどに興味を抱くアンナ=マリーと、淑やかで華や料理に興味を抱くシオンとの間に接点はなかった。


 ミズホ様の国葬が終わって二日後、アンナ=マリーは母から言われた。


「シオン様たちが淋しがっているので、遊び相手になってやりなさい」

「えぇ」

「そんな顔しないで、必ずグランドキルンの西天宮に覗うのですよ」


 アンナ=マリーは渋々承諾した。


 ――面倒で仕方ない。


 母からの言葉を忘れた振りをして、数日をすごした。

 だが、アンナ=マリーの期待もむなしく、母はこのことを忘れなかった。母から更なる催促があり、アンナ=マリーは伯爵邸に向かうことになった。ジェムジェーオン伯爵家一族が住むグランドキルン内廷、西天宮。父母に連れられて何度か訪れたことがあったが、ひとりで来たのは初めてだった。

 アンナ=マリーは建物を見上げた。


 ――これほど大きな家に住んでいるのか。想像ができないな。


 ただただ、感嘆するしかなかった。

 警備の人間が西天宮の入口で訪問者を待ち構えていた。

 アンナ=マリーは警備の人間に名を告げた。受付名簿を持った別の警護の人間が、詰所から現れて、アンナ=マリーを確認した。


「お待ちしておりました」


 そのまま、警護の人間がアンナ=マリーに随行した。ようやく、玄関に辿り着いた。

 警護の人間は、アンナ=マリーに頭を下げて去っていった。

 アンナ=マリーは、意を決してドアをノックした。


「マクミラン家のアンナ=マリーです。シオン様はご在宅ですか」


 二度ノックしたが、誰も出てこなかった。


 ――もう一度、ノックして誰も出てこなかったら帰ろう。


 アンナ=マリーは最後のノックを試みた。

 ちょうどその時、ドアが開いた。


「アンナ=マリーさん、ですか」


 現われたのはシオン・ジェムジェーオンだった。泣いていたのだろう、まぶたが腫れて眼が充血していた。

 それにしても、女のアンナ=マリーでさえも、一瞬、シオンの美しさに凍りつく。この世のものとは思えない造形物。アンナ=マリーとて周りから綺麗だと言われていたが、シオンの美しさは同一のベクトル上にない別次元のものだった。比較することすら、おこがましかった。

 アンナ=マリーは、シオンの顔を見て、同じ女ながらに、心を奪われた。


「どうかいたしましたか」


 シオンの問い掛けに、アンナ=マリーは我に返った。


「あ、はい。アンナ=マリー・マクミランです」

「よかった」

「シオン様。その、ご機嫌はいかがですか」


 アンナ=マリーは自分が舞い上がっているのを自覚した。


 ――何を言っているのだ? 私は。


 シオンが頬を緩めながら、アンナ=マリーに微笑みかける。


「わざわざ、アンナ=マリーさんに訪問していただき、とても嬉しいです」

「いえ、そんな」

「さあ、こちらに」


 シオンがアンナ=マリーを屋敷のなかに招いた。


「失礼します」


 シオンは自分の訪問を迷惑がるのではないか、アンナ=マリーはそう考えていた。


「本当に来てくださったのですね」


 シオンの様子から、アンナ=マリーを忌避している様子はない。


「私などが、お邪魔してよろしいのですか」


 アンナ=マリーの言葉に、シオンが顔を曇らせた。


「ご迷惑でしたか……」

「いえ、そういう意味ではないです」

「アンナ=マリーさんを呼んでほしいと言ったのは、実は私なのです。学園でいつも姿を拝見しておりました」

「そうなのですか」


 意外だった。先を歩くシオンの後姿を見詰めた。

 シオンはジェムジェーオン伯爵家の長女で、さらにこの美貌だ。女学校のなかで知らぬ者などいなかった。当然、アンナ=マリーもシオンを見知っていたが、自分とは生き方が違う人間と決めつけていた。淑女然とした女性像を教育目標に掲げる学園に対して、アンナ=マリーは常に息苦しさを感じていた。密かに、エスカレータ式に女学園から女子大学に進むのではなく、軍士官学校に進もうと考えていたくらいだった。

 そのシオンがアンナ=マリーのことを気に掛けていたとは、思ってもみなかった。


 アンナ=マリーはシオンに従い、奧の大部屋に通された。

 部屋のなかには、ジェムジェーオン伯爵家の姉弟たちがいた。姉弟が一斉に、入室したアンナ=マリーを見上げた。母親であるミズホ様を亡くした姉弟たち。『勝唱の双玉』と呼ばれる双子の男子ショウマとカズマ、次女のサヤカ。

 幼いながら、この世のものとは思えない美しい姉弟たちだった。

 自分自身に後ろめたさを抱くほどだった。


 一番強い目をアンナ=マリーに向けてきたのは長男のショウマだった。泣きじゃくっている妹のサヤカをあやしている。次男のカズマはしょんぼりと、ひとりで座り込んで床の絨毯の毛をむしっていた。

 シオンが力なく話し始めた。


「私、駄目なんです。母様が亡くなったことを考えると、胸が苦しくなって。私が姉弟のなかで一番のお姉さんなのだから、弟や妹の面倒を看なくてはいけない立場なのに」

「シオン様」

「アンナ=マリーさんは私のことをどう思われてましたか? 何もできないお人形だと思いませんでしたか」

「いえ」


 アンナ=マリーは否定したものの、ばつが悪かった。

 正直なところ、シオンのことを、典型的なお嬢様で、両親や周りの期待に沿って着飾るだけの人間だと思っていたからだ。


「無理しなくてもいいのですよ。私は何もできないのですから」

「ミズホ様がお亡くなりになられて、シオン様は気が弱くなっているだけです」

「結局、私ひとりでは何も成し遂げられない。しっかりしなくてはならないと頭では判っているのに」


 シオンの大きな目に、涙が溜まってきた。弟妹たちも悲しげな表情をしている。

 アンナ=マリーはシオンを慰め、弟妹たちに笑顔を作りながら話しかけた。


 数十分の間、そんな風にこの部屋で過ごしていると、ある瞬間、アンナ=マリーのなかで何かが弾け飛んだ。


 ――私もつくづく損な性格だな。


 居ても立ってもいられなくなってきた。


「みんな、聞いて」


 アンナ=マリーの言葉に、シオン、ショウマ、カズマ、サヤカの4人姉弟が、一斉に顔を向けた。


「私は決めたわ。今日からシオン様のお姉さんになる。だから、あなたたちにとっても、もう一人のお姉さんということになるわ。これからは、私のことをお姉さんと呼びなさい」


 ショウマ、カズマ、サヤカは、大きな目を瞬いて、お互いの表情を伺っていた。

 そのあと、三人ともがアンナ=マリーをじっと見つめ、無言のまま、頷いた。

 シオンはアンナ=マリーの両手を取った。


「ありがとう、アンナ=マリーさん」

「いえ……」


 アンナ=マリーは、勢いのまま凄い事を言ってしまったと後悔した。

 そして、シオンの喜ぶ顔を見たら、発言の撤回は許されないと悟った。


「これからは、わたしのことを『シオン』と呼んでください」

「そんな」

「アンナ=マリーさんは、お姉さんなんですから」


 最終的に、シオンの勢いに押し切られた。

 ええい、ままよ。


「私のことも『アンナ=マリー』で」


 こうして、アンナ=マリーは、シオンの親友かつ姉に、10歳のショウマとカズマ、4歳のサヤカにとっての姉かつ母親の代わりとなった。




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