第5話 ジェムジェーオン北部方面戦1

 帝国歴628年2月22日、イル=バレー要塞を出撃したカズマ・ジェムジェーオンたちは、デービス少将が率いる北部方面軍に完勝した。


 部隊の士気は最高潮まで高まり、興奮状態にあった。

 佐官以上の士官たちは、今後の作戦を確認するため、バトルシップ『トルメンタ』の司令室に集められていた。カズマ・ジェムジェーオンが乗艦するバトルシップ『トルメンタ』は、イル=バレー要塞司令レッドマン少将の乗艦だったが、いまは、カズマたちの部隊の旗艦となっていた。本来の主であるレッドマン少将は、僅かな兵力でイル=バレー要塞に残留していた。


 カズマ・ジェムジェーオンは『トレメンタ』の司令室の前で立ち止まった。

 扉の向こうから、幕僚たちの声が聞こえてきた。


「俺たちはイル=バレー要塞で最前線に立ち戦ってきたんだ。ほかの部隊とは練度が違う。いっそ、このまま首都ジーゲスリードに進軍してもいいのではないか」

「何を言っている! 兵力差を考えないのか。ジーゲスリードには首都方面軍が無傷で残っているんだぞ」

「そんなことは百も承知している。だが、グズグズしていると、シャニア帝国本隊がジェムジェーオンに介入してくるんだぞ」

「征東大将軍ヴァイシュ・アプトメリア侯爵が帝国の勅使として帝国軍を引き連れて、ジーゲスリードに到来するというあの噂か」

「噂なものか、すでに準備に入っているという情報だ」

「あの『常勝の軍神』がジェムジェーオンに、やって来るというのか……」

「暫定政権は、既にユウマ様を国主に担ぎだしている。正式に、帝国から伯爵位継承を認めてもらうつもりなのだろう」

「それを防ぐためにも、早急に首都ジーゲスリードを奪還するべきだろ」

「それにしても、ジェムジェーオン伯爵アスマ様が亡くなったのをいいことに、ユウマ様を利用して帝国を味方につけるなんて。あいつらはどこまで卑怯な奴らなんだ」

「マクシス・フェアフィールド元帥のことか」


 室内は騒然としていた。その様子が室外のカズマにも伝わってきた。

 ここで、カズマが入室すると、幕僚たちは本音で語るのをやめてしまう。カズマは入室するのを待って、話を聞くことにした。


「奴のことを元帥と呼ぶ必要はない。考えてみれば、アスマ・ジェムジェーオン伯爵が何者かに殺されたという報告をしたのも奴だ。それも怪しい」

「まさか。マクシス・フェアフィールドが主君殺しの大罪を犯したとでもいうのか?」

「可能性の話として、ありえるだろう」

「その話の真偽は分からないが、忘恩の裏切り者であることは間違いないな。マクシス・フェアフィールドは自身の立身出世のために、ユウマ様を利用している。武家御三家フェアフィールド家当主の身では飽き足らず、傀儡の君主ユウマ・ジェムジェーオン様を立てて、ジェムジェーオン伯爵家そのものを乗っ取ろうとしているんだ」

「フェアフィールドといえば、アンドレイ・フェアフィールド少佐。貴官は、何かを聞いていないのか」


 ひと際大きいこの声は、ジョブス中佐のものだった。

 徐々に、穏やかな話し合いではなくなってきたようだ。不穏な空気が扉越しに伝わってきた。


 ――そろそろ、入室するタイミングだ。


 カズマはたなびく長髪を、後ろ手で強く縛ったあと、扉を開けた。

 アンナ=マリー・マクミラン大佐が、カズマが司令室に入室したことに気が付いた。近寄ってきて耳打ちした。


「カズマ様、私がこの場を収めます」


 アンナ=マリーの硬い表情は、扉越しに考えていたより切迫した状況を物語っていた。


「いや、オレに任せてくれ」


 カズマはアンナ=マリーを手で制した。

 ジョブスの目に、この部屋に入室してきたカズマの姿は映っていなかった。

 無言のアンドレイ・フェアフィールドに対して、激昂したジョブスが、さらに大きな声を響かせた。


「どうなのだ! アンドレイ。黙っていないで、何か言ったらどうなんだ」


 ジョブスが身を乗り出し、テーブルを叩き付けた。

 この場に同席する士官たちは、ジョブスに相槌を打ち同意する者が半分、辟易した表情の者が半分だった。しかし、全員の目が末席に座る男に向けられていた。


 アンドレイ・フェアフィールド少佐。暫定政府の首脳で、ジェムジェーオン防衛軍司令長官マクシス・フェアフィールド元帥の甥だった。子供のいないマクシスは、アンドレイをジェムジェーオン武官御三家のひとつ名門フェアフィールド家の次期当主とすることを公言していた。

 アンドレイは俯いたまま黙っていた。一切、口を開かなかった。


 一同の鬱積した不平が、アンドレイに向かって集中し、先鋭な切っ先に変貌して、いまにも襲いかかろうとしていた。

 カズマは一歩前に進んだ。


「落ち着け、ジョブス中佐。テーブルに罪はない。ジョブズの馬鹿力で強く叩きつけたら可愛そうじゃないか。それに、そのディスプレイは高いぞ。割れたら、俸給から修理代を引くからな」


 カズマの口調は、場の空気に反して軽いものだった。


「何だと!」


 ジョブズの顰め面がカズマに向けられた。

 勢いに任せ身を乗り出していたジョブスが、カズマの姿を認めると、所在ない様子で身の置き場所を模索した。


「カズマ様、いらっしゃっていたのですか」

「ああ、さっきな」

「お人が悪い。声を掛けていただければ」

「今到着したのだ。そして、ジョブズに声を掛けた」


 ジョブスが赤面した。


「みっともない姿をお見せして、申し訳ありません」

「とにかく、座ったらどうだ」

「承知しました」


 ジョブスがカズマに低頭し、席に腰を下ろした。




 アンナ=マリー・マクミラン大佐はホッとため息を漏らした。

 カズマ・ジェムジェーオンが全員の顔をざっと眺めた。


「皆は忘れていないか? あの混乱のなか、オレと兄貴のふたりを首都ジーゲスリードから救い出してくれたのは、他でもないアンドレイ・フェアフィールド少佐なのだ」


 この場にいる士官たちは、ショウマやカズマの口から聞いて、この事実を知っていた。それでも、士官たちがアンドレイに対する疑念を払拭できなかったのは、アンドレイが何も説明しなかったからだった。

 アンドレイは、ジーゲスリードが騒乱の極に陥っているなかで、どうやって、ショウマとカズマのふたりを発見し連れ出すことができたかを、一切語らなかった。この件に関するアンドレイの沈黙は、士官たちに向けてだけでなく、ショウマとカズマに向けても、同様だった。


「しかし……」


 士官の誰かが呟いた。

 この言葉こそ、アンドレイの現在の状況を物語っていた。アンドレイの沈黙が、幕僚の間に疑惑を生み出し、暫定政府首班マクシス・フェアフィールド元帥への憤怒と絡み合って、反感となっていた。


「オレにとって、アンドレイは命の恩人だ。それに、皆も今回の戦いで、アンドレイの活躍を目にしたであろう。あの姿を見ても、なお、アンドレイを疑うのか? オレはアンドレイに全幅の信頼を置いている」


 一同の表情は様々だったが、カズマの言葉を受け入れた。

 ここにいる誰もが、北部方面軍との戦いで活躍したアンドレイの戦果を認めていたからだった。


 ――あとは、アンドレイが話してくれさえすれば……


 皆の心のシコリは残ったままだった。

 司令室に集められた士官たちのなかで、アンナ=マリーは最高位の大佐だった。今後の作戦を確認するため、発言しなければならなかった。


「次の作戦を、皆さんに確認してもらうため、集まっていただきました」


 相変わらず、士官たちの表情は固かった。

 重苦しい雰囲気のなか、突然、カズマが椅子に座ってふんぞり返り、片足をテーブルに投げ出した。両手を広げて宣言した。


「さあ、会議をはじめようじゃないか」


 アンナ=マリーは当惑した。カズマを見詰めた。


 ――どういうことなの?


 カズマがアンナ=マリーの視線を無視して、続けた。


「さあ、マリ姐、早速、作戦を確認しよう」


 アンナ=マリーは困惑と不愉快さが入り交じって、皮肉を込めて返答した。


「小官をお呼びになりましたか、カズマ様」

「どうしたのさ、マリ姐。いつもみたいに、カズマでいいよ」


 アンナ=マリーは怒りを通り越して、呆然とした。

 この集まりが公式の作戦会議の場であると、カズマだって理解しているはずなのに。


「あれ、どうしたの。始めないの?」

「どうしたの、じゃありません。この場を何と思っているんです?」

「作戦会議だろ」

「そうです。その通り。いま、カズマ様は、正式な軍議の場に出席しております」

「当たり!」

「何なの? 当たりって」

「この場が何なのか、質問したのはマリ姐じゃないか」

「軍議の場なのだから、もう少しまじめにして! ……ください」


 アンナ=マリーの口調も所々、カズマに乗せられて砕けてきた。


「硬いねえ、マリ姐。しばらく、お硬いギャレスと一緒に行動していたから、性格が移っちゃったんじゃないの」

「移ってません」


 アンナ=マリーはギャレス・ラングリッジ元帥の名前を聞いて、ドキッとすると同時にその身を案じた。

 ギャレス・ラングリッジ元帥はジェムジェーオン軍統合幕僚本部長であり、アンナ=マリーの直接の上官だった。ジーゲスリードがマクシス・フェアフィールド元帥の軍勢に占拠された際、部下の多くを逃がすのと引き換えに、自らが囮となって暫定政府に拘束されていた。逃がされた部下のひとりがアンナ=マリーだった。


「あのギャレスが、そう簡単にくたばるわけないさ」

「そうだといいのですが」

「マリ姐は心配性すぎるんだよ」


 カズマの顔は楽観的で、何の心配もないように見えた。


 ――誰のせいで。


 アンナ=マリーはカズマを強く睨みつけた。


「カ、ズ、マ、様」

「何だい、マリ姐」

「何度も言っているでしょう。小官のことは、公の場ではマクミラン大佐と呼んでくださいと」


 カズマが大仰に怖がってみせた。


「マリ姐と呼べと言ったのは、自分じゃないか」


 はぁ、アンナ=マリーは大きなため息をついた。




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