第4話 勝唱の双玉4

 北部方面軍はイル=バレー渓谷出口を塞ぐように陣を横に展開していた。

 まさか、中央陣が敵軍の集中攻撃を受けるとは思ってもいなかった。

 北部方面軍司令デービス少将は、歴戦の雄だった。予想外の事態にも、戦局を正しく読み、ここが踏ん張り時だと悟った。


 ――このまま中央を突破させるわけにはいかない。


 なりふり構わず、多少陣形が崩れてでも、左翼部隊と右翼部隊のうち足の速い部隊に命じて、中央の防御に移動するよう指示を与えた。

 だが、イル=バレー要塞駐留軍の進軍速度は、北部方面軍が配置変更する作戦遂行速度を上回った。最初の激突から僅かの時間で、デービス少将が指揮する北部方面軍の中央防御陣は、完全に引き裂かれた。さらに、中央陣の突破を許してしまった。


 その頃、北部方面軍の左翼部隊と右翼部隊は、崩壊寸前の中央部隊を救援するため、ASアーマードスーツ部隊を先発させ、中央の戦場に向かわせていた。

 北部方面軍は、司令官デービス少将の性格を反映して、直線的な攻勢局面に強いという反面、柔軟な対応が求められる守勢にまわるともろさを露呈した。

 北部方面軍の左翼と右翼のASアーマードスーツ部隊が、中央陣の戦場に到着した時には、戦闘はすでに終わっていた。


「敵兵はどこに消えたのだ?」


 ほぼ同時刻、北部方面軍の左翼部隊が、背後から敵に襲われた。

 襲ってきたのは、前方で戦っているはずのイル=バレー要塞駐留軍だった。しかも、迎撃部隊となるはずの足の速いASアーマードスーツ大隊を中央陣に向かわせていため、足の遅い部隊で進行してくるASアーマードスーツ部隊に立ち向かわねばならなかった。

 中央陣を突破したイル=バレー要塞駐留軍は、進軍速度を緩めず左回りに部隊を旋回させていた。回り込まれて、北部方面軍の左翼部隊は後背を突かれた。

 北部方面軍にとって、最悪の連続だった。




 イル=バレー要塞駐留軍は北部方面軍の左翼陣を攻撃した。攻勢の中心は、カセルス少佐が率いる第二ASアーマードスーツ大隊だった。


「今後は俺たちの出番だ」


 初戦の中央陣突破で活躍したのは、ジョニー・マクレイアー少佐が率いる第一ASアーマードスーツ大隊だった。これに負けじと、続く左翼陣への攻撃は、カセルス少佐が率いる第二ASアーマードスーツ大隊が、存在感を発揮した。カセルス少佐とマクレイアー少佐はライバルだった。

 カズマ・ジェムジェーオンの活躍も凄まじかった。初陣にも関わらず、合計で11機のASアーマードスーツを戦闘不能に陥れていた。

 新たな伝説が戦場に生まれた。


 アンナ=マリー・マクミラン大佐が、カズマに退却を厳命した。


「カズマ様、お引きください」

「何でだ? まだ戦える」

「休まずに戦い続けるのは厳禁です。カズマ様が傷つき倒れそうになったら、私たちは何を置いても救出に向かわねばならなくなります。補給を受けて万全な状態を保つことも、カズマ様の大切な仕事です。判ってください」

「仕方ないな。了解した」


 カズマは渋々頷き、旗艦バトルシップ『トレメンタ』に戻った。

 艦橋に上がると、アンナ=マリーが近寄ってきた。


「カズマ、お疲れさま。イル=バレー要塞駐留軍のなかは、あなたの噂で持ちきりになっているわ」

「確かに、実戦と訓練では勝手が違うな。感覚の修正が必要なことが判った」


 アンナ=マリーのカズマに対する口調は、ふたりきりの時と衆人の前とで、全く異なっていた。


「何言っているの、カズマ? 皆はあなたの操縦が凄いと噂しているのよ」

「全然だめだ。自分の手足の感覚とズレがある。ASアーマードスーツに乗っているのではなく、乗せられている感じが強い」

「あれだけの操縦を披露して戦果をあげているんだから、満足しなさい。カズマがそんな顔していたら、将兵たちが不安になるわ」

「そうなのか。気を付けるよ」


 カズマは苦笑いで応じた。


 バトルシップの艦橋のモニターから戦況を確認した。

 カズマの目に、一際活躍する味方部隊の姿が留まった。


「あの部隊の活躍は凄いな。敵の攻撃を恐れず、常に先陣を駆け抜けて戦場をリードしている」


 アンナ=マリーもモニターで戦場の様子に目を凝らした。


「本当に驚異的な働きだわ」

「もしかして、連続して『疾風』ジョニー・マクレイアー少佐が出撃しているのか?」

「マクレイアー少佐は待機しているはずなのだけれども」

「では、誰があのASアーマードスーツに搭乗しているのだ」

「待って。確認するわ」


 アンナ=マリーがオペレータのもとに歩み寄って、確認を取った。

 戻ってきて、部隊を率いる人物の名をカズマに告げた。


「あのASアーマードスーツに搭乗して部隊を率いているのは、アンドレイ・フェアフィールド少佐だそうです」

「そうか、アンドレイか」


 カズマは僅かに表情を緩めた。

 アンドレイ・フェアフィールド少佐とカセルス少佐の部隊の活躍は、初戦のジョニー・マクレイアー少佐の部隊に匹敵する戦果だった。北部方面軍の左翼部隊を、僅かな時間で壊滅に近い状態に追い込んだ。




 北部方面軍司令デービス少将は、最前線で孤軍奮闘していた。

 不利な状況に陥るなか、精一杯の抵抗を続けていた。しかしながら、大混乱に陥った北部方面軍を立て直すことはできなかった。ここに至ると、北部方面軍の各部隊は、組織的に対抗することができなくなっていた。イル=バレー要塞駐留軍に、ASアーマードスーツ部隊や火力部隊が各個撃破され、続けてバトルシップも次々に戦闘不能にされていった。


 ――総崩れとはこのことか。


 デービスの頭にこの言葉が浮かんだ。

 生涯最大の敗北を自覚した時、デービスが乗る旗艦『プロディヒオ』は、敵軍に包囲されていた。


「デービス司令、敵軍のバトルシップから通信回線を開くように要求されています」


 オペレータの声に、艦橋の士官たちがデービスの顔を一斉に伺った。


 ――クルーたちの顔にも諦めが見て取れる。


 この期に及んで、デービスひとりの意思で強硬な姿勢をとれないことは明らかだった。


「回線を繋いでくれ」


 通信回線が繋がり、美しい女性将校の姿が現れた。


「通信を繋いでくれたことに、感謝します。私はアンナ=マリー・マクミラン大佐であります」

「こちらはデービス少将だ」

「われらは完全に貴船を包囲しています。これ以上の戦いは犠牲を増やすのみで、無意味と考えます。閣下には勇気ある降伏の決断を要請します。寛大な処置を持って迎えると約束します」


 アンナ=マリー・マクミランの顔が傲慢不遜にみえた。


 ――こんな女に屈していいのだろうか。


 正義は我らにあるはずだった。


「アンナ=マリー・マクミラン。暫く見ぬうちに、高慢ちきな態度が増長したようだな。教えてやろう。貴様やラングリッジがジェムジェーオンの武家御三家と呼ばれ、名声を集めたのは過去の話となったのだ。いまや、貴様らの呼称は『逆賊』だ。ここにいる誰もが貴様ら賊軍に降ることなど考えておらぬ」


 モニター越しでアンナ=マリーの美しい顔が曇った。

 同時に、モニターの向こうから大きな声が響いた。


「どこの誰がオレたちを『賊軍』と呼んでいるのだ」

「誰だ?」


 アンナ=マリーの制止を振りほどいて、モニターの向こうから、ひとりの美しい若者が画面に立った。


「オレが誰かだって? いいだろう、聞かせてやる。オレの名はカズマ・ジェムジェーオン。ジェムジェーオン伯アスマの第二継子、『勝唱の双玉』と呼ばれている。デービス、オレの名を知らぬわけではなかろう」


 ああ、『プロディヒオ』の艦橋にいた士官たちの驚嘆の声を上げた。


 ――まずいことになった。


 デービスは狼狽した。


 ――本物のカズマ・ジェムジェーオンに間違いない。


 首都ジーゲスリードを出陣する前、マクシス・フェアフィールド元帥とドナルド・ザカリアス大将から、何が起きようとも自分たちの正義を曲げて兵士の士気を下げてはならない、と厳命されていた。


 ――元帥閣下たちは『勝唱の双玉』の登場を予測していたのか。


 デービスは裏切られた気持ちと焦燥感が混じった気持ちに襲われたが、いまさら引くことは出来なかった。


「貴様がカズマ・ジェムジェーオン様であろうはずがない。『勝唱の双玉』は亡くなったと聞いている。貴様は何者なのだ。伯爵家の名を騙る不届き者め」

「貴官こそ、何を言っている。オレがカズマ・ジェムジェーオンだと認めないつもりなのか?」

「黙れ、逆賊」

「なんだと」


 デービスはモニターの向こうに反発した。

 だが、旗艦バトルシップ『プロディヒオ』艦橋は、反比例するように騒然とした雰囲気が増していった。


 ――この状況を何としても打破しなくてはならない。


 デービスは強い口調で、糾弾した。


「もし、貴様が本物のカズマ様なのだとしたら、どうして、このタイミングで姿を現したのだ? これまでに、正々堂々と姿を見せる機会はあったはずであろう」

「笑止な。オレ達兄弟が公に姿を現わしたら、暫定政府とやらに利用されるのがオチではないか。そんなのは御免だ」

「利用する、だと」

「現に、マクシス・フェアフィールドやドナルド・ザカリアスは、弟のユウマを利用しているではないか。あのやり方を傀儡と呼ばずして、他に何と言うつもりなのだ」

「貴様は、カズマ様に擬態するだけでなく、ユウマ様をも侮辱するつもりか。不遜な行為で、許されざることだと判っていないのか」

「何を言っているのだ。暫定政府は、ユウマを利用するだけでなく、バルベルティーニの軍勢を自国に迎え入れて、この事態に対応しようとしている。その行為こそ、軍人として屈辱に思わぬのか」

「黙れ、偽物のカズマめ。誑かそうとしても無駄なことだ。我らは決して、貴様の虚言には踊らされぬ」


 デービスは『プロディヒオ』のオペレータに通信を切るように命じた。


「しかし……」


 オペレータが抗議の表情でデービスの顔を伺った。


「いいから、切るんだ」


 デービスが怒声でオペレータに通信切断を強要した。

 怯んだオペレータが回線を切った。


 通信が切断された瞬間、旗艦バトルシップ『プロディヒオ』艦橋は静寂に包まれた。

 デービスは周りを見渡した。

 艦橋の士官たちが、デービスを白い目で見ていた。


 ――部隊の士気は限界を迎えている。


 だが、デービスのマクシス・フェアフィールド元帥に対する忠誠は、ジェムジェーオン伯爵家に対する忠誠を上回るものだった。

 デービスは降伏を拒否し最後まで戦う姿勢を明らかにした。


「私は最後まで抵抗する。私に付いていけないと思う乗員はすぐに下船して構わない」


 デービスの期待に反して、多くの士官たちが続々と艦橋から出て行った。




 ふぅ。カズマ・ジェムジェーオンは大きなため息を吐いた。


「マリ姐、我慢できなかった。すまない」

「そうね。カズマが姿を現した時は『なにしてるの』と思ったけれど、結果を考えると、あれでよかったのかもしれない。『勝唱の双玉』が健在であることを公にするタイミングとしては悪くなかったと思うわ」


 アンナ=マリー・マクミランから大目玉を食うと考えていたカズマは、いささか拍子が抜けた。


「あれで良かったのか。これまで、必死にオレたちの存在を隠してきたじゃないか?」

「ええ。もし、事前にあなたたち『勝唱の双玉』の存在が明るみに出れば、暫定政府は交渉してきたでしょう。正式に交渉を持ちかけられれば、あなたたちはジェムジェーオン市民への手前、何らかの対処を余儀なくされる。ショウマは行動の足かせとなるその事態に陥るのを、恐れていた。だから、存在を公にしなった。けれども、今回は正々堂々、暫定政府に対抗する姿勢を宣言している。だから、このタイミングで公表することは悪いことではないと思うわ」

「それでも、デービスは反発してきたではないか」

「デービス少将がそのように発言したとしても、暫定政府軍の人間全員が同じ考えであるとは限らないわ」


 カズマにもその先の答えが見えてきた。


「やれやれ、できれば、これ以上犠牲は増やしたくないんだが」

「そうね」


 降伏勧告に対して、デービス少将の回答は拒否だった。

 ただ、デービス少将が乗艦するバトルシップ『プロディヒオ』から、多数の乗員が下船してきた。

 カズマは乗員の退避が終わるまで、全軍に手を出すことを禁じた。


 乗員の退避が終わった時、デービス少将が回線を繋いできた。


「感謝する」


 それだけを言って、回線が切れた。

 同時に、バトルシップ『プロディヒオ』が、半壊状態のまま単独で特攻を仕掛けてきた。

 カズマは力なく呟いた。


「仕方ない」


 アンナ=マリー・マクミラン大佐は頷き、全軍に攻撃命令を伝えた。

 バトルシップ『プロディヒオ』に砲火が集中した。

 抵抗は一瞬だった。

 集中砲火にさらされた『プロディヒオ』が爆発した。


「掃討戦は無用だ」


 カズマはそれだけ言うと、艦橋から退いて自室に戻った。

 イル=バレー要塞駐留軍、『勝唱の双玉』が、北部方面軍に勝利した瞬間だった。




 帝国歴628年2月22日、イル=バレー要塞を出撃した『勝唱の双玉』カズマ・ジェムジェーオンは、初戦を勝利で飾った。だが、戦いは始まったばかりだった。

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