第2話 勝唱の双玉2
ショウマ・ジェムジェーオンたちがハイネスに潜入した日から遡ること3日前、帝国歴628年2月20日、イル=バレー要塞駐留軍が暫定政府に反抗の意思を表明し、宣戦布告した。
この報せは、たちまち、ジェムジェーオン伯爵国首都ジーゲスリードの暫定政府軍の統合幕僚本部に届いた。
将校たちは内心で狼狽しながらも、平静を装いながら整列していた。皆が注目していたのは、中央に鎮座したジェムジェーオン防衛軍司令長官マクシス・フェアフィールド元帥だった。
元帥はこの報せを耳にしても、全く動じなかった。何も言わず目を瞑って深く椅子に腰かけていた。
マクシス・フェアフィールドはもうじき60歳を迎えようという年齢だった。白髪で背はそれほど高くないが、がっしりとした張りのある身体を維持していた。兵士やジェムジェーオン市民から、『子熊』元帥という愛称で呼ばれていた。
統合幕僚本部は、一見落ち着いていたが、不穏な空気が流れていた。
「元帥閣下、説明してもらえませんか」
マクシス・フェアフィールド元帥に発言を促したのは、フェアフィールド元帥とともに暫定政府の首脳のひとりであるドナルド・ザカリアス大将だった。ザカリアスは眼鏡の奥に光る鋭い両眼と、背は低いが無駄な肉が一切ない痩身の壮年将校で、軍服を脱がしスーツを着せれば、やり手の実業家を想起させた。
マクシスは、姿勢を変えずに目を薄く見開き、ゆっくりと言葉を発した。
「貴官はワシに、何を説明しろと言っているのだ」
「元帥閣下、言うまでもなく、イル=バレー要塞の件です」
ザカリアスの口調は挑発的だった。
統合幕僚本部に詰めていた将校たちが固唾を呑んで、マクシスの言葉を待った。
もともと、イル=バレー要塞を含むジェムジェーオン北部一帯は、フェアフィールド元帥の軍派閥が盤石の基盤を築いてきた地域だった。3人の軍司令、北部方面軍司令デービス少将、イル=バレー要塞駐留軍司令レッドマン少将、ハイネス駐留軍司令トマソン少将は、いずれもフェアフィールド元帥のもとで出世した子飼いの将校たちだった。そのひとり、イル=バレー要塞駐留軍司令レッドマン少将が、フェアフィールド元帥が首班を務める暫定政府に反旗を翻した。
――レッドマン少将がフェアフィールド元帥を裏切るなんて。
レッドマンが暫定政府に宣戦布告したとの報告に、幕僚本部の将校たちが動揺した。
将校たちの動揺は、次第に、不安へと変わりかけていた。
「既に手は打っている」
マクシスの言葉は短かった。
その短い回答だけでは、将校たちの憂いを払拭するに充分でなかった。
ザカリアスが立ち上がり、大きく手を広げた。
「どのような対応ですか? 小官をはじめ、ここにいる将校たちが理解できるように、具体的に説明してもらえませんか」
マクシスは目を大きく見開いた。目でザカリアスを追ったあと、椅子を浅く腰掛けなおした。
「貴官はワシにこの状況への対応を説明しろと言っているのか」
「もちろん、元帥閣下は説明していただけると思っています」
よかろう、マクシスは頷いた。
「既に、北部方面軍のデービス少将に緊急部隊招集を命じている。すぐさま、2個師団を集め、この部隊を2時間前にイル=バレー渓谷の出口に向かわせた」
「イル=バレー要塞駐留軍も2個師団の戦力を有しています。デービス少将とレッドマン少将は、ともに歴戦を重ねた名将。デービス少将が負けるとは言いませんが、万全とは言い難いのでは」
「まずは、敵軍をイル=バレー渓谷から出さないことが戦略的に重要なのだ。ジーゲスリード平野に進軍を許せば、討伐が容易ではなくなる。加えて、要塞反対側のバルベルティーニ伯爵国に、イル=バレー要塞への出撃を要請した。すぐにでも、バルベルティーニはイル=バレー要塞に兵を向けるであろう。レッドマンは出撃するにしても、イル=バレー要塞を防衛するため、兵力を残さねばならない。つまり、2個師団全軍での出撃はないということだ。これで、デービス少将の北部方面軍だけで、兵の数を上回る公算が高くなった」
「それで勝てますか」
「必勝だよ」
マクシスは口の端に笑みを浮かべた。
「さらに、万全を期すために、ハイネスのトマソン少将に、後詰としてハイネス駐留軍の出撃を命じている。イル=バレー渓谷出口で、先発のデービス少将の北部方面軍と合流するのは、1日後だ。このことは、両軍に伝えている。デービス少将は、たった1日、イル=バレー要塞から出撃した部隊を足止めすれば、兵力差で圧倒できる」
ザカリアスが大きく手を広げながら、まわりの将校たちを見回した。
「それが聞きたかったのです。元帥閣下、説明いただき、感謝いたします。小官をはじめここにいる将校たちは、元帥閣下が泰然自若としている理由を納得しました」
将校たちの多くが安堵の表情を浮かべた。
この緊急事態を解決するため、マクシス・フェアフィールド元帥は周到に準備している。元帥の口から説明を受けて、ようやく安心した。
ザカリアスが何度か頷いた。この場を閉める言葉を口にしようとしたその時、ひとりの将校が口を開いた。
「小官には、ひとつ理解できないことがあります。なぜ、レッドマン少将は元帥閣下に反旗を翻したのですか」
ザカリアスが質問した将校に問い掛けた。
「元帥閣下の言葉を聞いていなかったのか」
「レッドマン少将と元帥閣下は、長い間に渡り、ともに戦ってきた間柄と聞いています。イル=バレー要塞駐留軍に『勝唱の双玉』が加わっているという噂を耳にしました。このことが関係しているのですか」
「敵軍が流した偽情報に、兵士たちを統率する立場の貴官が惑わされてどうする? 元帥閣下は、既にデービス少将やトマソン少将に敵軍討伐の下知を与えている。あとは作戦を遂行するだけだ。何の心配もいらない。対策は十分と判らないのか」
ザカリアスが早口で、発言した将校に詰め寄った。
――逆効果だ。
マクシスはザカリアスの応対に閉口した。
マクシスとザカリアスは、この会議の開催前に、お互いの役割を決めていた。ザカリアスが将校たちの想いを代表してマクシスを煽り、マクシスが不動の姿勢で受け止める。将校たちの動揺を抑えるためだ。もうひとつ、巷間でイル=バレー要塞蜂起に行方不明となっている『勝唱の双玉』が参加しているという噂が流れていたが、このことには触れないと決めていた。
だが、将校の口から『勝唱の双玉』の名前が挙がってしまった。
ザカリアスの態度は自分の考えを押し付けるもので、将校たちの疑念を増幅する効果しか生まない。
場を鎮めるため、マクシスは言葉を発した。
「ワシも『勝唱の双玉』の噂を耳にした。だが、ザカリアス大将の言う通り、偽報だと思っている」
将校がマクシスを強く見詰めた。
「元帥閣下がどうして、そのように判断されたかお聞きしてよろしいでしょうか」
「ワシがこの噂を偽報と判断したのは、もし『勝唱の双玉』が生き延びていたのであれば、正々堂々と姿を現せばよいからだ。ワシらに対抗して、武力行使という手段を採る必要はなかろう」
「なるほど。『勝唱の双玉』に対する元帥閣下のご意見はその通りだとして、では、なぜ、レッドマン少将は反旗を翻したのでしょうか?」
将校の言葉には、払拭しきれない疑念が含まれていた。
マクシスは俯いて、視線を下げた。
「レッドマンは不満を抱いていた」
ザカリアスを含む将校たちの顔が、一斉にマクシスに向けられた。
マクシスは視線を下げたままで続けた。
「イル=バレー要塞はジェムジェーオン防衛軍の最前線だというのは、言うまでもなかろう。絶えず、バルベルティーニ伯爵国と戦闘を繰り返している。レッドマンは命の危険にさらされている最前線の任務から解放されることを望んでいた。暫定政府の発足直後から、ワシのもとに首都ジーゲスリードへの転属希望を何度も提出していた」
「レッドマン少将はイル=バレー要塞駐留軍司令という重責の身でありながら、自らの命を惜しんでいたということですか!」
「残念だが、その通りだ」
攻防兼備のレッドマン少将は、マクシス・フェアフィールド元帥を、長い間支えてきた。人柄は実直で自分の主張よりも組織の調和を重んじる。そのレッドマン少将のイメージと、マクシスが語ったレッドマン少将とはあまりに乖離していた。だが、これまで最前線で戦い続きてきたマクシス・フェアフィールド元帥という人物の言葉の重みは、将校たちのなかに芽吹くかもしれなかった疑いの念を、吹き飛ばすに充分だった。
次第に、レッドマン少将に対する反感の声が広がっていった。
「許すまじ、レッドマン!」
「小官に、レッドマン討伐の下知を」
将校たちの声に押されるようにマクシスは立ち上がった。一気に捲し立てた。
「とにかく、ワシらはイル=バレー要塞から、のこのこと出てきた敵軍を叩き伏せるのみだ。いまは、それに集中する」
「承知」
将校たちが一斉に立ち上がり、マクシス・フェアフィールド元帥に向かって敬礼した。
「それでは、皆、頼んだぞ」
マクシスは統合幕僚本部の席を立った。
首都ジーゲスリードのマクシス・フェアフィールド元帥から命令を受けたデービス少将の北部方面軍は、イル=バレー渓谷出口に到着した。
デービスは率いてきた軍勢を、予定通り、渓谷出口を塞ぐように布陣させた。
いまだ、イル=バレー要塞駐留軍は到着していない。
軍司令デービス少将は、北部方面軍の旗艦バトルシップ『プロディフィオ』の艦橋で、前面モニターを見据えた。モニターには、味方の部隊が布陣する峡谷出口が映し出されていた。
何時間後には、レッドマン少将が率いるイル=バレー要塞駐留軍がここに到着する。
「あとは奴らが到着するのを待つだけだな」
デービスのレッドマンに対する怒りは、いまや憎しみに昇華していた。
レッドマンとデービスは、マクシス・フェアフィールド元帥旗下で、ライバルとして互いに功を競い合ってきた仲だった。時に、利害が絡むことや功を競う機会があったため、昵懇の間柄とはいえなかったが、お互いを認め合ってきたつもりだった。マクシス・フェアフィールド元帥傘下の仲間のひとりと信じていた。
マクシス・フェアフィールド元帥を裏切る。
レッドマンは越えてはならない一線を越えた。
――トマソンの援軍などいらぬ。
デービスが率いる部隊だけで、レッドマンをブチ殺してやる。
デービスは拳を固く握った。
オペレータの声がバトルシップ『プロディフィオ』の艦橋に響いた。
「イル=バレー要塞から出撃した部隊を視認しました。敵部隊の兵力は2個師団。敵軍の進軍速度を考えると、15分後に戦闘状態に突入します」
デービス少将はがなり声を発した。
「戦力の報告は確実なものか」
オペレーターが即答した。
「間違いありません」
ふむ。デービスは片目を瞑った。
――意外だ。
2個師団ということは、イル=バレー要塞駐留軍のほぼ全軍だった。あの慎重な性格のレッドマンが要塞を空にして全軍で出撃してこようとは。イル=バレー要塞反対側のバルベルティーニ伯爵国から攻勢を受ける可能性がある。にもかかわらず、レッドマンはイル=バレー要塞に兵力を残すことなく、デービスの北部方面軍を撃破することに全軍を投入してきた。
まるで、攻勢を得意とするデービス自身の用兵のようであった。
――それだけ、レッドマンも必死の覚悟ということか。いいだろう。叩きのめしてやる。
デービスはマイクをとった。
「敵軍は2個師団。兵力は互角。敵はレッドマンの軍だ。あやつの用兵は熟知している。まず、左翼か右翼に威嚇攻撃を仕掛けてくる。二次攻撃を許すな。予定通り、最初の攻撃を飲み込み、喰らいつけ。それを合図に一気に攻勢に移る。そうなれば、この戦場は、われらデービス部隊のものとなる」
デービス少将の部下たちは、北部方面軍のバトルシップのなかで、デービスの言葉を聞いた。
戦闘準備は万端だった。
イル=バレー要塞を出撃してきた敵軍は、縦陣を敷き、予想以上の進軍速度で、デービス少将の北部方面軍の中央に向かって、錐型で突撃してきた。
「まさか」
デービスは拳を叩き付けた。
「指揮をとっているのは、本当にあのレッドマンなのか」
デービス少将の北部方面軍は、イル=バレー渓谷の出口を塞ぐため、横方向に展開していた。陣は薄く拡がっている。しかも、左翼と右翼の部隊には、敵軍の動きに合わせ攻勢を受け止めるため、こちらから攻撃しないように指示を与えていた。
デービスの部隊は攻勢局面を得意としているが、図らずも守勢局面を迎えていた。
敵の進軍速度よりも早く左翼と右翼を畳み込んで、中央を突破してくる敵部隊を囲むことができれば、包囲殲滅の大きなチャンスとなる。しかし、それが出来なければ、敵軍に自軍中央を食い破られる。
「中央に進撃してくる敵軍を包囲する。左翼と右翼には早急に対応を開始しろと伝えよ」
「は、はい」
予期していなかった守勢を迎えて、各部隊の反応が鈍い。
特に、左翼と右翼の動きはバラバラだった。
――このままでは、中央を突破される。
デービスは矢継ぎ早に、指示を与えた。
「中央、集中砲火で敵軍の進軍を足止めするんだ」
「左翼と右翼は敵軍を囲め」
「
――正念場だ。
デービスのこれまでの戦場経験が告げていた。
ここを耐えることが出来れば、ハイネスから出撃したトマソン少将の部隊と合流できる。トマソンの力を借りることは本意ではなかったが、敗北するよりましだ。トマソンが率いるハイネス駐留軍と合流すれば、兵力で上回れる。陣形を再編すれば、絶対に負けない。
イル=バレー要塞を出撃した部隊と暫定政府軍の戦いは、統合幕僚本部のマクシス・フェアフィールド元帥や北部方面司令デービス少将が想定したよりも、早急な展開を見せ始めていた。
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