□ 四十一歳 冬⑥ その1−3
「もうすぐで例のファームに着くよ。思ったより早かったね」
「やっぱりコロナの影響かな、明らかに車の数が違うんだよね。最近、すごくそれを感じる。以前なら途中で渋滞に巻き込まれる、嫌だなって道でも、全然止まることなくスイスイいけちゃうんだよね」
「そうだよね、こんな出歩いて県境跨いで、私達って保健所泣かせだね」
「あ、そっか、県を跨いだ移動は厳禁だった!」
「車だから、いいでしょ。別に三密に突入するわけじゃないし。このお店だって……ほら、駐車場、ガラガラじゃん」
「……大丈夫だよね? 保健所職員がコロナになったりしたらシャレにならないわ」
車から降りて、大きく伸びをする。身体的にも精神的にも小さく縮こまっていた気がした。
可愛らしいゲートをくぐって、ファームに入る。入り口のところでアルパカが放されてうろうろしている。
「ええっ」
「大丈夫。近寄らなければ悪さしないよ。もし触りたいんだったら、近寄っても大丈夫」
まるでファームのスタッフみたいなことを慧が言う。
「触ってもいいの?」
私達の会話を聞いていたのか、アルパカの隣に立っていた若い女性が声をかけてくれた。
「触っても大丈夫ですよ。ユキちゃんって言います。とても大人しいので、ちょっと撫でてみて下さい」
私は恐る恐る近寄って、ユキちゃんの頭に手を伸ばす。
「うわ、フワフワ、フカフカ!あったかーい!」
「毛の奥に手を入れてみて下さい。とってもあったかいんです」
「ホントだ……いやーん、可愛い、あったかい、素敵!」
ユキちゃんは大騒ぎするおばさんを優しい目で見つめたまま、じっとしている。本当に大人しくて可愛らしいアルパカだ。
慧は大胆に背中の毛をもしゃもしゃしている。あったかいわーと言いながら両手を毛の中に突っ込んでニンマリしている。
「ほら、そろそろユキちゃんも嫌になってるかもよ?」
「いやーホントいい手触りだー」
私達の後ろに、女子大生と見える三人組が並んでいた。彼女達に場所を譲って、私達はカフェに向かって歩きだす。
「アルパカ、本当に可愛いねえ」
「一時期、CMで人気出てたよね。それでアルパカがあちこちの農場とかアトラクション場とかで増えて。でも、コロナのせいもあって倒産する会社とかあったらしいよ。で、ここのオーナーがペットとして何頭か引き取ったらしい」
「ホント、さっちゃん詳しいねえ」
「前回来た時も、ユキちゃんと、もう一頭……クルミさん、だったかな、茶色い子をモフったから」
「前回って、結構最近じゃないの?」
「えーっと、九月頃かな……確か」
第二波がまだ明けたかどうか、って時期だ。何だか……変じゃない? また私は彼女に対して、違和感が湧き上がってきた。それでもすぐに打ち消した。きっと厚山は仲杜と違って、第二波は大したことがなかったんだろう……。じゃなければ、本庁の課長が九月に休んで、旅行になど行けるはずもない……。
カフェは敷地の奥にドーン、と建っていた。卵の直売所とは名ばかりの、野菜やお肉など地域の生産物を色々売っているらしい広い店舗の隣が、目指すカフェスペースだった。どうやら夜は地元野菜を使ったステーキハウスになるようだ。
「今、三時半か。おやつの時間だな」
「ランチ兼スイーツタイム、だね」
「オムライスと……ここのガレットが美味しいから、それを食べよう」
慧はウキウキと言う。気付いたら私の背中に腕を回して、カフェにぐいぐい連れて行こうとしている。
そんな慌てなくても、と思いながら、ものすごくお腹が減っているのを自覚して、私も小走りになりながらカフェに飛び込んだ。
「わー、オシャレ……」
何となく農場経営のお店なんて、と侮っていたのが申し訳ないくらい洒落たインテリアの店だった。全体的に古き良きフランス風、とでも言えばいいのか、窓がたくさんあって明るく、テーブルはダークチェリー材のように暗く艶やかに配置されている。テーブルクロスは柄織のモスグリーン、椅子は本革が貼られている。なんて贅沢な場所。
「こんなところにあるのは勿体ないくらい、お金のかかった店でしょう?」
「う、ん……イメージと全然違ってた」
「でも、メニューはそんな気取ったものはなくてさ、もうランチタイムは終わってるけど、オムライス単品は頼めるから」
慧はテーブルの隅に立ててあるメニューを私に向けて広げてくれながら、オムライスを指差す。え、結構高いじゃん……。
私は三種類あるうち、一番オーソドックスだろうトマトソースのオムライスを頼み、慧はなぜか卵サンドを注文してメニューを片付けた。
「さっちゃん……お腹減ってなかった?」
「え? ああ……えーっと、あー……実は、月曜、CFする予定なんだよね。だから、あまり食べないようにしようって思って……」
「ええ? CF? 何で?」
「職健で引っかかって、精査、っていうか……」
「症状あるの?」
「ないない、全然ないよ。全く心配要らないから。大丈夫だから。ただ、義務だよ、義務。要精査だからさ、受けないわけにいかないじゃん? 絶対、偽陽性だったんだと思うけど、ま、仕方ないわな」
「CF受けたことある?」
「あるよ、研修医の時に、何度か被験者になった」
「えー!! 大変!! カワイソー!!」
「だから、ま、慣れてはいる……ってこんな話、食事前にすることじゃないよ」
私達ももう四十を越えて、色々身体にガタがくる時期なのかもしれない。それにしても大腸カメラとは。あの検査の辛さって、何よりも下剤を大量に飲まなきゃならない点にあるからなぁ。ま、私は受けたことは一度もないけど。……コロナが終わったら私も一度受けた方がいいのかしら……。
想像してたよりずっと早く提供されたオムライスを食べながら、慧がちびちびサンドイッチを食べているのを眺める。
「何? あゆ、食べたいの?」
「え? いやいや、そんな。ただ、私達ももう、歳なのかもって思ってちょっと切なくなってた」
「いやいや、まだまだでしょ。そんな、歳なんて思いたくないよ、まだ」
「そうだよねぇ……でも、いつまでも若いつもりで無理してると、いつか一気にドカンと爆発するかもしれないしさ、ちゃんと自分の身体の状態を確認しないとなぁって。医者の不養生にならないように」
「……まあ……そうね……」
ちょっと慧は苦い笑みを浮かべて口籠った。
「ま、そんなの、コロナが終わったら考えよーっと。今はとにかくせっかくの休日を楽しまないといけないし、現実に戻ったらさ、またコロナのことしか考える余裕ないし」
私はちょっと無理して元気よく言って、オムライスを頬張った。
慧がわざわざ連れてきてくれるだけあって、卵が本当に美味しかった。恐ろしくたくさんの卵が使われているだろうゴージャスな金色の見た目を全く裏切らない味で、私はちょっと目眩がしそうになっていた。中のライスも変わっていて、少しスパイシーな香りがする。それが優しい卵の衣をさらに引き立たせているような、ちょっと卵に意地悪をしているような、とにかく、上手く言葉が出てこないくらい不思議な味のオムライスだった。一口食べる毎に、もっと食べたいと思わせる、危険な食べ物だった。
月曜の慧に気を使い、大きなガレットを二人で分けて食べて、ものすごく香りの良い紅茶で身も心も満たされて、私達はお店を後にした。
「うへぇ、お腹一杯になっちゃった」
「ごめんね、あゆに後半、押しつけちゃった」
「全然、もう美味し過ぎて嬉し過ぎて、限界なしに食べられる感じだよ」
「はは……あゆが喜んでくれて、良かった」
良かった、という割りに元気がないような気がしたが、気のせいだろうか。
「なんか……図々しすぎる? なんか、私、変?」
「え? どうしたの?」
「何だか、さっちゃんが元気がない気がして。私、何か気に触ることしちゃったかな、久しぶりに会うのに馴れ馴れしすぎるかなって」
「まさか。……一つ一つ、あゆと過ごすとさ、その分、別れが近づいてくるなぁ、って思って……私こそ変だよね、ごめんね」
「別れって言ってもさ……また、機会があったら会おうよ、ダメかな? 弟さん、仲杜なんでしょ、また、機会あるよきっと」
「うん。そうだよ、……うん」
今からもう、別れる時間が気になるなんて、彼女らしくない気がした。私が慧の何を知ってんだって自分で自分にツッコミながら、でもやっぱり少し違和感が残った。
何となくしんみりとした雰囲気の中、車に戻る。辺りはもう夕焼け空になっていた。
「うわー、今日って、めちゃくちゃ、空が綺麗ねー」
「そうだね、周り山ばっかりだから、余計にキレイに見えるね。建物に遮られないから、ほら、赤から青に変わっていくグラデーションがキレイだよ」
慧が指差す方向へ目を向けながら、ちょっと身体の奥がギュッと痛んだ。
「これは、星が綺麗に見えるでしょうね」
「無理にあゆを誘った甲斐がありそうで良かった」
「すごく楽しみ」
「うん。さ、行こっか」
ニコリと首を傾けてロックを解錠した慧の横顔は、もうすっかり次の目的地へ思いを馳せているように見え、私はホッとした。さっき元気がなかったのは、本当に大したことじゃなかったのかも。
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