□ 四十一歳 冬② その4




 夜間出入口を飛び出したところで、スマホを取り出した。今いいです、とメッセージを送る。

 こちらからかけてみるか?・・・いや、そんな恐ろしい。無理無理。

 自分がみっともなく動揺しているのは自覚できていた。しかし、どうしたって冷静にはなれない。絶対変な顔をしている。誰にも見られたくないので私は一駅歩くことにした。

 早くかけてきて。二駅目は結構遠いから。できればそんなところまで歩きたくない。

 やっぱりかけようか、と思い始めたところで、着信した。

 一瞬、出るのを躊躇ってしまった。しかし、切れる前には間に合って、勢いこんで応答した。

「はい、藤野保健所、堀川です。じゃなくて」

「うん」

「元、合原です?」

「分かってます。相変わらず、あゆ、慌てているね」

 別に慌てていない。癖になっているだけだ。

「なんの用事ですか」

「別にたいした用事じゃないけど・・・今日、仲杜市、在宅療養者が亡くなったって、聞いたから」

「藤野区って?」

「そうなの?それは知らなかった。ほら、私本庁だから、他の自治体の報道発表とか、見聞きすることが多いから」

「それって自慢したいの?」

「違うに決まってるでしょう。相変わらず、すぐに変な誤解する」

「・・・相変わらずって・・・こうして電話するの、二十年ぶりなんだよ」

 貴方に私の何がわかるんだ。

「相変わらず、細かいことに拘るね。でも、違うよ、電話で話すのは、ほぼ十九年ぶり」

「十九年?」

 そっちだって細かいだろ。大体一年の誤差はどこからくるんだ。

「だって、組織のスケブ、返すって、あゆが電話くれたじゃない」

「・・・そんなこと覚えてるんだ」

 私だって覚えているけど。いや、せっかく忘れていたのに、思い出してしまったけど。

「結局あゆに会えなかったけどね」

 なんでそんな言い方するの?気を利かせてやった私の気持ち、分からないの?

 私は慧に会いたかったのに。慧に直接会って渡したかったのに。

「在宅療養の患者が亡くなったって、あゆのせいじゃないんだよ」

 また話が嫌な話題に戻る。

「どうして全くの部外者に分かるの」

「会見の資料を見た」

「興味本位で」

「違います。・・・明日は我が身だと思うから」

「なんだ、やっぱり興味なんじゃない」

「興味とは違うでしょ。参考にしているだけで。あゆ、イライラしてるね」

 どうして分かる。二十年も音信不通だった相手の何が分かる。でも、間違っていない。こういうところが慧の人心掌握術なのかもしれない。

「たとえ違う自治体だとしてもさ、COVIDという共通の敵に虚しい戦いを挑んでいる、仲間じゃない。保健所の医者っていうさ。あゆの感じてる無力感とか、悲壮感って、みんな医者は同じように感じてるんじゃないかな」

 相変わらず、正しい。相変わらず立派な人。・・・こういうところが、辛い。自分の器の小ささをまざまざと見せつけてくる。

「疲れたよね。みんなさ。厚山市は、東京とか大阪とかどころか、仲杜市の半分も患者発生していないけどさ、ものすごく疲れたなって思う。どんなに頑張っても、それが目に見える結果にならない。どんなに良かれと思って対策立ててもさ、コロナはその上をいくし。結局、誰にも会うな、どこにも行くな、って市民にお願いしてみたところでさ、それって動物としての人類の在り方の逆を示すわけじゃん。出来るわけない。社会も回らなくなるしさ」

「そうだよ・・・」

「しかもさ、患者を診ずに患者管理しろって、臨床非エリートの保健所に責任がのしかかってくるわけでさ、電話だけで何が分かるんだよって、現場はヒヤヒヤしている」

「そう・・・」

「私は直接患者管理してないから、本当のところあゆ達現場の医師がどれだけの負担を強いられてるかは、分からないけど。ああやって、急に在宅死、コロナで死亡、保健所の患者管理とは、みたいに言われてもさ、じゃああんた達やんなさいよ、としか思わないよね?」

「よく分かってるじゃん」

 ハッとした時にはすでに二つの駅を通り過ぎている。顔がとても冷たいことにも気付いて頬に触れると、私は泣いていた。

「私・・・自分がちゃんと富永さんを診てたのか、分からなくて」

「ちゃんとは・・・診ること出来ないでしょう、誰も」

「PPEでも着てさ、患者宅を回れば」

「そんなの非現実的だよ。保健所にそんな事をさせなきゃいけないんだとしたら、それは施策が間違ってるんだ」

「でもさ」

「あゆはそれでいいかもしれないけど、根本的解決にならないでしょ」

 そこを何とかするのが国の仕事だと思うんだけどね、と慧は呟いて黙ってしまった。

「そう言えば・・・」

「うん、どうしたの?」

「なんか、普通に喋ってるね」

「うん?」

 私達は二十年も口を聞いていなかったのに。

「・・・そもそも、何の用だったの」

「そもそもって?」

「突然、本庁に電話してきてまで私の連絡先を聞いた理由」

「・・・特に理由なんかない」

「そんなワケないでしょ。だって二十年以上も音信不通だったんだよ?友達でもなかったし、単なる同じ大学の学生だっただけじゃない。そんな人、何百人もいるよね。何か用がなけりゃ、連絡なんかしないでしょ」

 つい声が大きくなって、慌ててトーンダウンした。

「何の為に連絡先聞いたの」

「・・・あゆの声が聞きたかったからだよ。それは理由にならないの?」

「なるわけないじゃない」

 また大声になってしまう。

 電話の向こうから、溜息が聞こえてきて、私はつい絡んでしまった事を死ぬ程後悔した。

「・・・あゆがどこにいるのか、自信が持てなかったから、こんなに時間空いてしまったけど、私はずっとあゆを探してたよ。どこに行ったのか、分からなかったから、時間かかったけど」

 私は、何も言えずに途方にくれて、立ちすくんだ。


 じゃあ地下鉄の駅に着いたからと言って電話を切った。まだ何か言いたそうに思えたが、私がこれ以上冷静に会話を続けることが出来そうもなかったので、正直にそう言って切った。次の約束はしなかった。

 なんでこんなに苛々するんだろう。

 理由は分かっている。私達は、最後までお互いの本心を明かさないまま、離れてしまったからだ。前向きに友人関係を解消したわけではないからだ。だから変な違和感が残って苛々する。・・・そうとしか思えない。

 あの頃の自分は、ただ幼かっただけだ。だから慧の気持ちを推し量ろうともせず、自分が傷付くのが怖いから向きあおうともせず、勝手に拗ねて逃げ出した。でも今は?大人として、相手を尊重出来ているだろうか。

 慧がわざわざ私を探してくれたのは、私にチャンスを与えようとしてくれるのかもしれない。今度こそ、前向きに・・・終わらせるために?

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