□ 四十一歳 冬② その3




 富永さんは在宅療養中に亡くなってしまった市内第一号になった。プレス発表もされ、地元の報道機関から複数問い合わせの電話もかかってきた。富永さんが藤野区の患者だなんて誰も言っていない筈なのに、どうして問い合わせが来たのか非常に疑問だった。彼らの情報収集能力は、こんな小さな案件にも遺憾無く発揮されるのだ、と私は他人事のように思った。

 少なくとも、誰も保健所の落ち度だとは言わなかった。我が国のコロナ対策は云々、そんな政策批判になっただけだった。

 でも私の罪悪感は消えない。割り切れない精神力だから、私は臨床にむかなかったのだ。そんな適性のない私に、患者管理など、させるべきじゃなかった。

 終業時間がきても、私はずっとぐずぐずとしていた。月曜だからか、新規患者が発生しなかったので助かった。


「先生もさっさと帰ったら?」

 課長が帰りながら言う。気がついたら、主査はすでに帰宅していた。

「結木主査はもう帰ったよ」

 通りすがりに課長は、私にチョコレートを二つ渡して去っていった。

 課長が帰るのを待っていたのか、職員がどんどん帰り始めた。私の周囲の電灯を残してバチンバチンと消されていく。暗くなった所内に、私を除いて三人しか残っていない。

 三人のうちの一人、保健看護主査が、やはり帰りなから呟く。

「結局、富永さんはどうして亡くなったんでしょうね。コロナじゃない気がしてしかたないんだけど」

「私もそう思っているけど」

「保健所に患者管理させるのが無理なんだよね。先生も嫌なんでしょう」

「・・・いやって言うか、怖いよ」

「近藤さんのせいにされなくて良かった」

「保健師も、嫌だよね・・・患者管理」

「そもそも、コロナ対応全てが嫌だよ、分からないことばっかりだし」

「・・・そうだね、お疲れ様でした」

 片手を振って帰っていく姿を見ながら、私も帰るために、パソコンを開いて退勤処理のシステムを立ち上げた。

 突然、蛍の光が流れ始めた。二十時の合図だ。これが流れたら職員は帰宅しなければならないルールだ。コロナがなければ。

 唐突に始まって、唐突に終わる蛍の光をぼーっとしながら聞いていた。この曲を聞くと体の力が抜けるような気がする。スーパーの閉店間際にもかかっていることが多いが、私は焦るより動けなくなる方が多い。

「うおっ」

 突然、自分のスマホが震えた。そのブルッとした音にびっくりして思わず飛び上がる。

「なんだ、ショートメッセージか」

 ロック画面を解除して確認すると、ショートメッセージが新しく一件増えている。

 ・・・は?

 登録されていない番号からだが、文面を見て、急に鼓動が早くなった。

 突然のメールごめんなさい。佐倉です。今、電話してもいいですか?

 背景が青、慧もiPhoneなんだ。どうでもいいことを考えて、私はスマホをトートバッグに放り込んだ。

 今はダメです職場です。心の中でだけ返事をして私は最大速度で帰宅の途についた。

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