第116話 口喧嘩──再出発

 一瞬だけ、辺りが静かになる。

 まるであの3人以外、この世界に誰もいなくなった錯覚に陥った。


 既に結構酔っている花本さんは、鋭い目で青座さんを睨めつける。

 青座さんは一瞬だけ気圧されたような顔になり、目を逸らした。



「智香、こっち見ろ」

「……何?」

「私の手に持ってるこれ、わかるか?」

「……お酒でしょ」

「そうだ。で、お前の手に持ってるものは?」

「……お酒よ」

「その通り」



 酔ってる花本さんに怖いものはないのか、大股で青座さんに近付いた。

 あまりの迫力に、青座さんは顔を引きつらせて少したじろぐ。



「飲むぞ」

「……え?」

「いいから、飲むぞ」



 白百合さんを交えた3人は、予め用意したブルーシートに座って酒盛りを始める。

 酒盛り……というほど盛り上がってはないけど。



「うぅ……見てるこっちが緊張するっす……!」

「見守るしかできないとわかってても、もどかしい……!」



 純夏と天内さんの気持ちが、わかるほどわかりすぎる。

 本当に大丈夫か……?


 死にかけの空気の中、白百合さんが缶チューハイを一気に空けて深く息を吐いた。



「ぷはーっ。それにしても、あれから3年ですか〜。もうお酒を飲む年齢ですよ、私たち」

「だな。私からしたら、智香が酒を飲むのが意外だったけど。昔はザ・優等生って感じだったし」

「わ、私だって飲む。大人だから」



 お? 少しだけ話が盛り上がってきたか……?

 生唾を飲んで見守っていると、花本さんもビールを空けて宙を見上げた。



「そう、私らは大人だ。……だから、過去を清算したい」

「っ……な、なに。清算って……」

「あのことについてだ。はっきりいって、私はまだ理不尽だと思ってるからな」



 なんで喧嘩腰なの、あの人。あんなに散々仲直りしたいとか言ってたのに。

 これ、もしかしてやらかした……? 仲直りさせるの、早急すぎたか?



「ねーヨッシー。あの2人、そーとー険悪なよーな……?」

「わ、わかってる」



 どうする。このまま見守るか? それとも、いったん邪魔をして日を改めて……。

 いろんなことが脳裏を駆け巡る。

 下手したら、このままじゃ2人の仲を再構築するのは難しくなる。

 仕方ない。ここは……。

 邪魔をしようと腰を上げると、白百合さんがこっちを見てウインクをした。


 あれは……任せろって意味、かな。

 なら、今は見守ってた方がいいか……。


 青座さんは当時のことを思い出したのか、苦い表情で顔を背けた。



「わかってる。……あの頃の私は、どうかしてた」

「恋は盲目とは言うけどな。けど、お前があんなに罵倒してくるとは思わなかったぞ。しかもあいつが私を好きになったの、私のせいじゃねーし」

「あ、あれは……カレンが、あいつにべたべたボディータッチするからで……!」

「はぁ? 私、基本誰にも距離近いぞ。白百合にも、智香にも、他の男子にも」

「勘違いさせる行動してたじゃない!」

「してねーよ!? 前にも言ったけど、男女分け隔てなく友達として接してたの、私は!」

「してた!」

「してない!」

「してたもん!」

「しつこい!」



 ギャーギャー言い合う2人を肴に、白百合さんは日本酒を煽る。

 本当に止めなくていいのか、これ。

 純夏と天内さんもあわあわしてるし、今回の件に関してほぼ無関係ないソーニャも、気が気じゃないようだ。


 青座さんは頭に血が昇ったのか、立ち上がって花本さんを睨みつける。



「あんたに私の気持ちなんてわかるはずない!」

「人の気持ちなんてわかったら、言語とかコミュニケーションなんていらねーわ! 言葉を喋れ! その小綺麗な口はお飾りか!?」

「あーわかった! じゃあ言うよ!」



 青座さんが花本さんの胸ぐらを掴みあげた。

 花本さんも、青座さんの胸ぐらを掴んでメンチを切る。

 一瞬の沈黙。けど、それを破ったのは青座さんで……。






「私はあいつが好きだった! でもそれ以上に──もっとカレンと、仲良くなりたかった……!!」






 魂の、叫びだった。


 青座さんの悲痛な声が、風に乗って消える。

 後ろ姿で、花本さんの表情は見えない。けど青座さんの今にも泣き崩れそうな顔は見える。



「もっと遊びたかった……もっとバカをして笑いたかった……でも、できなかった。あいつがカレンを見つめる目が、他と違うって気付いてから。それで……カレンを恨むようになっちゃったの……」



 そ……うか……そうだったんだな……。

 大袈裟に聞こえるかもしれないけど、人の心はそんな簡単に割り切れない。

 それで青座さんたちは、喧嘩別れすることに……。



「ごめん……ごめんなさい、カレン……!」

「……なんだよ、それ……」



 花本さんが声を振り絞るように呟く。

 胸ぐらを掴んでいた手が、力なく離れた。



「私だって……私だって……もっと智香と、遊びたかった。もっともっと……!」



 今度は花本さんが、青座さんの体に手を回して抱き締める。

 青座さんの目が揺らぎ、間髪入れず花本さんを抱き締め返す。


 ──直後。2人の背後で、大きな花火が打ち上がった。


 2人が顔を上げ、空を彩る大輪の花を見つめる。



「……綺麗……」

「だな……」

「……カレン、覚えてる?」

「何を?」

「みんなが集まって最後に遊んだの……この夏祭りだったの」

「……そっか……そうだった」



 2人が同じ方向を見つめ、呟く。

 そんな2人を、白百合さんが上から包むようにして抱き締めた。



「なら、それは昨日までですね。……今日からは、この花火が再出発の証ですよ」

「はは。だな」

「白百合、いいの……? 許して、くれるの……?」

「はい。そもそも私は、喧嘩なんてした覚えありませんから。全部カレンがやったことなので」

「いきなり梯子外すじゃん」



 わいわい、キャッキャと楽しそうにお喋りをする3人。

 まるで、ここ数年の空白を埋めるように。



「ゔゔゔゔ……よがっだっずぅ〜……!」

「ヴヂ、メイグぐずれぢゃっだぁ〜……!」

「わだじ、がんげーないのにがんどーじだぁ〜」

「おーよしよし」



 大号泣の純夏、天内さん、ソーニャの頭を順に撫でてやる。

 本当は、今回の件に関しては首を突っ込む予定じゃなかったけど……上手くいってよかったよ。


 そっと息を吐き、空を見上げる。

 大輪の花は3人を祝福するかのように。そして一時の夢のように、咲いては散っていった──。

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