第106話 ギャルと成長

「まったくもう、カイ君ったら……!」

「いや、本当にごめん。……ごめんなさい」



 帰って来たのは夕方すぎ。もう夜になろうって時間帯だ。

 純夏は俺の隣で、ずっと腕に抱き着いたまま離れてくれない。さっきからずっとこの調子だ。

 今更、この程度の抱き着きに緊張なんてしないけど……あの、汗くさいし、できれば離れてほしい。



「心配したんっすよ。ずっと帰ってこないし、なぜか白百合さんのご実家に行くことになってるし……!」

「同感」



 でもごめん。でも俺もなんで連れていかれたのか、いまだにわかってない。

 なぜかお見合い問題は解決してるし。



「しかもなんですか、あの猫まみれの写真は。あざとすぎるんです。かわいすぎます。好きです」

「しれっと告白してこないで」



 好きって言われ慣れてないから、緊張しちゃう。

 気恥ずかしくなって、もぞもぞ動く。と、純夏はにやっと口元を歪めて俺の耳元に口を寄せて来た。



「緊張、してるんです?」

「ひっ……!? み、耳元でささやかないで……!」

「ASMRっすよ、カイ君」



 え、えーえすえむあーる……? 最近話題のあれか?

 でもあれって、特殊な機材を使ってるから効果があるんじゃ……?

 そんな俺の疑問をよそに、純夏は反対側の耳をフェザータッチで触って来た。

 く、くすぐったすぎるっ。それに、触り方がなんかエッチだ……!



「カイ君……いえ、せんぱい」

「ぅ……」

「せんぱい、こうはいの声で気持ちよくなってるんですか?」

「な、なってなんて……!」

「ふぅ~……」

「ひぇっ……!?」



 もう無理! 無理! 降参です降参!

 慌てて両耳を手で塞ぐと、純夏はおかしそうに笑った。



「あっはー! カイ君、顔真っ赤っすよ!」

「そ、そういう純夏だって顔赤いから」

「私のは日焼けです~。ふふん、私を置いて白百合さんとお出かけした罰ですっ」



 それは本当に申し訳ない。



「さて、カイ君も疲れているでしょうし、お風呂入ってきてください。ご飯は私が用意するので」

「……え、純夏が?」



 純夏って料理できなかったような。

 最近は少し教えてるとはいえ、それでも料理って……。

 不安を覚えていると、純夏は腰に手を当ててむふふんとドヤ顔を見せた。



「これでも私、成長してるんですよ。深冬にとっておきの料理を教わったので、期待していてくださいっす」

「……それじゃあ、お言葉に甘えようかな」

「おいっす!」



 この場を純夏に任せて、俺はここ数日の疲れを取るために湯舟にお湯を張った。

 一人暮らしにとって、湯舟にお湯なんて贅沢なものだけど……ま、たまにはね。



「あぁ~……生き返る」



 ソーニャの家でも広々とした風呂に入らせてもらったけど、人の家の風呂ってあまりリラックスできないから……やっぱり自分の家が一番だ。

 純夏が夕飯を準備してくれてるし、そんなに長風呂はできないけど。

 肩まで湯に浸かっていると、脱衣所の扉が開いた。



「カイ君、大丈夫っすかー? 生きてますー?」

「勝手に殺さないでくれますー?」

「あははっ。もう作り始めるので、もう少しゆっくりして大丈夫ですからね」

「うん、ありがとー」



 脱衣所から純夏の気配が消える。

 ちゃんと気遣えるようになって……なんか感動。

 まあ、純夏と一緒に住み始めてもう二ヶ月以上になるもんな……改めて考えると、もうそんなに経つのか。

 家事や掃除面でも成長してくれてるし、いつ純夏がこの家を出ても問題はない、か……。

 本当は、純夏にはずっとここにいてほしい。けど、純夏の気が変わって家を出たら……俺にそれを止める権利はない。

 なら俺は……どうするのが正解なんだろうな。

 ……考えても無駄か。そうなったら、そのとき考えよう。

 まだ見ぬ未来から目を背けるように、お湯の中に頭から潜った。






「はぁ~……さっぱりしたー」



 なんだかんだ、30分近く入ってしまった。

 脱衣所から部屋に入ると、エアコンの効いた涼しい空気が肌を撫でた。

 と、同時に。俺の鼻腔をくすぐる香ばしい匂いが。



「あ、カイ君、お帰りなさいっす!」

「うん、ただいま。……って、それ何?」



 テーブルの上に乗っている、山盛りの茶色い物体。

 俺と純夏の分なのか、それが二つ……え、本当に何それ?



「さあさあ、座ってください。もーお腹ぺこぺこっす」

「う、うん。……で、これ何?」

「焼肉丼っす」



 ……焼肉丼?

 よく見るとご飯の上に乗っているのは、焼肉ともやしだ。

 この甘辛い匂いは……あ、市販のタレ?



「どうっすか? 最高に美味そうじゃないっすか!?」

「そ、そだね……」



 だって肉ともやしを、市販のタレで焼いただけだし。

 手を合わせて、いただきます。

 先に口を付けたのは、純夏だ。



「んーっ! うまー!」

「……うん、おいしいね」



 さすが市販のタレ。ただの肉ともやしに、ここまで味を付けるとは。

 ……ぷ。ふ、ふふっ。



「んぉ? カイ君、なんで笑ってるんすか?」

「あーいや、なんでも」



 さっきは成長してくれてるって言ったけど、まだまだ純夏は成長途中ってことか。

 もう少し、俺がちゃんと面倒みてあげないとね。

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