第48話 港町の人々は誰一人として正しい道順を言えないらしい

 コアストに近づくにつれ、塩辛い風を感じるようになった。道はレンガで舗装されていて、ちょっとおしゃれな黒い街灯が左右に立っている。

 建物は全体的に高く、最低でも三階建てはあるみたいだ。町の通路は陸路と水路が入り乱れ、規則性もなくあちこちに伸びている。

 アスカが住んでいたベルガー以上の複雑さは、まるで迷路のようだ。


「迷わずにいられる自信がないな」

『これはなかなか強敵じゃの』


 ベルガーでの苦い記憶を思い出し、思わず顔をしかめる。反対にアスカとニアは、どうしてこれで迷うのかと不思議そうにしていた。


「一度通ればわかりますよね……?」

「そうね、このぐらいの規模なら覚えられるわ」


 まるで大したことでもないだろうといった様子だ。頭がいいニアはともかく、アスカはどうやって覚えるんだ?


「においとかです。目印になるものなら簡単に探せますから」

「……なるほどなあ」


 狼獣人だからこそなせる技か。いいなあ。

 町の内外ははっきり区切られていない。道の周囲に少しずつ家が増えてきて、気が付けば町の中にいた。

 さて、俺たちは現状宿をとっていない。一応まだ昼過ぎだからしばらく明るいものの、うだうだしているとあっという間に夜になってしまう。

 その前に宿をとって、食堂とギルドの場所も確認しておかなければならないのだが。


『……全くわからぬの』

「自力で見つけるとなるとかなり時間を喰いそうだ……」


 ご丁寧に案内があるわけでもない。初めて来た俺たちに場所がわかるはずもなかった。

 仕方ないから近くを通りかかった人に聞くことにした。つかまえたのは白い袖なしシャツに短パンの、ムキムキなおじさん。


「ああ、宿を探してるのか? だったらこの道をまっすぐ行って、分かれ道を右、左、左、右の順に曲がれ。途中で橋に差し掛かるがそれは渡れ。そしたら目の前に見えてくるはずだ」

「ありがとうございます」

「いいってことよ。楽しんでけよな!」


 外見の威圧感はすごかったが、かなり気さくな人で快く教えてくれた。言われたとおりに道を進み、橋を渡って、言われた場所にたどり着いた。

 が、しかし。


「ここ、明らかに宿じゃないよね」

「書店ね、これ」


 目の前に建っていたのは、少し大きめの書店だった。念のため周囲を見るが、宿は見当たらなかった。

 ……まあ、魔法の本を買いなおそうと思っていたから、書店の場所を知れたのは良かったかな。


「すみませーん」


 また近くの人に道を尋ねる。今度はパツパツのシャツを着た恰幅のいいおばさんだった。


「なんだい、全然違うこと教えられたなんてかわいそうね。宿なら底をまっすぐ行って二回右に曲がって、橋を二つ超えた先にあるよ」

「ありがとうございます」

「あいよー」


 再び教えられたとおりに進む。海に面した通路に出て、橋を二つわたると、そこにあったのは、


『神殿じゃな』

「立派だねえ」


 間違っても宿と呼べるものではなかった。

 かなり豪奢な見た目の神殿が広場に面するように鎮座しており、その周囲にある店といったら移動式の屋台のみ。


「どうなってんだ」

『二人とも嘘をついておる様子はなかったがのう』


 結局また聞くはめになった。今度は近くの石段に腰を下ろしていた老人。


「なんじゃあ~、宿がどこかじゃと~? う~んと、確かあの道をまっすぐ行って~、川に当たったら橋を渡ってすぐ右に行けばあるはずじゃがの~」


 絶対ではないと付け加えつつも、顔には絶対正しい道順を言ったという自信があふれていた。二回違う道を教えられたと教えてみると、老人が一瞬きょとんとしたのち大声で笑いだす。


「はははは、間違った道を教えられるなぞよくある話じゃの~、じゃが、わしは信用してくれていいぞ~」


 一抹の不安を抱えつつ言われた道を行く。進んだ先にあったのは締め切った怪しげな店だった。


「ここ、夜に開く類の店よね」

「だろうね」

「ダメじゃないの」


 次、おもちゃを持った小さな少年。


「あっちに行って、曲がって、橋を渡ったらあるよ!」


 試しに行ってみる。あったのは廃墟と廃墟。

 次、警備兵。


「まずこの道を曲がって、道なりに進むと小さな噴水の設置された広場がある。そこを超えて奥の通路に入り、分かれ道を左、右、右と行けばある」


 行ってみる。服飾店だった。

 これを何度も繰り返し、その途中で食堂をいくつかとギルドも見つけたのだが、肝心の宿は移動と宙にも指定された場所周辺にもなかった。


「この町の住人はどうしてこれで生きていけるんだ……!?」

「不思議ですね……においで判断しているようでもありませんし……」


 全員真面目に答えてくれているというのは、様子を見ればすぐわかった。俺たちの質問に真剣に考えこんでくれる、すごく優しい人たちばかり。

 しかし、それに対してこの町の住人の方向音痴ぶりは度を越していた。その後も含めておそらく十数人にみちを聞いたが、全部違う場所にたどりついたのだ。しかも、説明している時、自分だけは正しいと信じ切っていた。

 そこらへんに空腹で動けない人が見当たらないのがびっくりだ。


「もう空が暗くなってきちゃった」


 さすがにもうそろそろヤバイ。アスカがこれまで訪れていない道を探してくれるというので、彼女について行くことにした。

 そして、十分後。


「あるじゃないの」

「こんな簡単に見つかるとは……」


 あまりのあっけなさに、思わず愚痴をこぼす。

 あれだけ散々違う道を通らされて、結局そこにはないとかとんだ喜劇だろう。当事者にとっちゃ悲劇もくそもないが。

 さて、ようやく見つけた宿は一回にテラス席ありの食堂が付いていて、途中で見つけた食堂に行く必要性もなくなった。海に面した場所で、宿の裏側には水路が通っている。


「失礼します」


 ゆっくりドアを開いて中を覗く。宿のロビーは結構空いていて、カウンターでは少女が本に顔をうずめてうたた寝しているところだった。


「んむ……ふぁ……」

「すみませーん」

「んう…………むにゅう」


 声をかけても起きる様子がない。試しに頭をつついてみたが、それでもだめだった。

 どうしたものか……と思案していると、入り口が開いて一人の女性が入ってきた。両手に大きなかごを持つ彼女はカウンターを見て目を見開き、駆け寄ってくる。


「もう、この子ったらまた居眠りして! 起きなさい、お客さん来てるわよ!」


 彼女に揺さぶられ、ようやく目を覚ました少女は瞼を手でこすってきょろきょろと周囲を見回した。

 そこでようやく俺たちに気が付いたらしい。彼女はかなり慌てた様子で居住まいを正した。


「うちの息子がごめんなさいね。最近任せるようになったのだけど、すぐ寝ちゃって」

「いえ、大丈夫ですよ」


 見たところこの子はまだ小さいから仕方ない。今回はすぐに解決したし、何の問題もないだろう。

 ……ん?


「ちょっと待て、今『息子』って言ったか」

「ええ、言ってたわね」


 分厚いファイルをパタパタと捲っている子は、どこからどう見ても少女なのだが。


「これが、男子……?」


 情報量が多すぎて、頭がおかしくなりそうだった。

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