第49話 生の魚を食べてみよう
カウンターで居眠りをしていた子が、本を脇に押し除けて分厚いファイルをめくる。俺たちはそれをぼうっと見守っていた。
この子が男子でも女子でも俺たちにはなんら影響のない話なのだが、それはそれとして衝撃がデカすぎた。
後ろで一纏めにした長い赤髪、長いまつ毛にぱっちりした目。着ている服は花柄の可愛いワンピースだ。なかなかお目にかかれないような可愛らしさである。
『可愛いおのこじゃのう……』
「念のため言っておくが、手は出すなよ?」
『む、や、それはわかっておるぞ?』
「なんか怪しいな……」
レジーナは最初こそ穏やかな笑みを浮かべていたが、男児だと発覚した瞬間から下心が透けて見えるだらしない顔になった。大の大人が人前でしていい顔じゃない。
この子の母親らしき女性もちょっと引いていた。多分俺と同じことを考えていると思う。
「ええと、何泊されますか?」
若干変な空気になっていたロビーに、カウンターに座る少年の声が響く。値段を確認すると、手持ちのお金はちょうど食事付きで二泊分。
袋の中の貨幣を全部渡して、鍵を受け取り早速部屋に向かう。部屋にはダブルサイズのベッドが二つ並び、すこしこぢんまりとしていた。
荷物を下ろして、軽く一息。その頃には日も西に傾いていて、今から外出するのはよくないだろう。
……さて、金が尽きた。明日は朝一番にギルドを探して、仕事を取らなきゃヤバい。三日目から町の外で野営する羽目になるのは絶対に避けたかった。
「コアストは生の魚が食べられるって聞いているのだけど、どんな味なのかしらね」
「な、生魚ですか!? お腹壊したりは……」
ニアの呟きに、アスカが悲鳴をあげる。俺もびっくりしたが、声を出す前にアスカが大きいリアクションをとったせいか喉の奥にひっこんだ。
……そもそも海の魚を食べることが今までなかったが、川魚でも生で食べるなんてことはなかった。あっても酔狂なやつがたまにやらかして食あたりを起こしているのを稀に見かける程度。
それが、この町では当たり前のように生の魚が食されているというのだから驚きだ。かなり楽しみだが、同時に不安もある。
『そろそろ時間かの』
何もせずゴロゴロとしていると、あっという間に外も暗くなった。部屋を出て食堂の方へ向かうと、きた時の空きようは何処へやら、ほとんどの席が埋まって賑わっていた。
俺と同じ人間がほとんどだが、ちらほら獣の耳を持っている人や手が翼のようになっている人がいた。獣人や鳥人だ。
食堂内は独特なにおいが充満していた。潮と、あと何かしらの料理のものっぽい。アスカはそれが不快なようで、入った途端顔を顰めていた。
食堂内を歩いていると、チラチラと目を向けられる。それ自体はいつものことなので本来は気にしないのだが、今回はなぜか一つだけ気になるものがあった。
視線を感じた方を見てみるが、正体が誰なのか分からない。みんな同じ席の奴らと大騒ぎしていて、俺たちを気にするそぶりは見せていなかった。
「奥のあそこ、空いたわ」
ニアが見つけた席はちょうど四人分椅子があって、俺たちはそこに座った。メニューを開くとほとんどの料理が海産物を用いたもので、生の魚を捌いた物──刺身というらしい──もその中にあった。
サラダやパンと共にそれを頼む。十分ほどたって出てきたのは、赤みを帯びた光沢のある切り身が綺麗に並べられたものだった。
「ちょっと生臭いです……」
アスカがボソッとつぶやいた。鼻をつまんで俯く彼女を尻目に、最初に手を出したのはレジーナだった。
一緒に小皿で出されたピンク色の塩をまぶし、野菜と一緒にパンに乗せて食べる。一口齧って何回か噛んだあと『美味い』と一言こぼしてまた一口食べた。
満足げな表情のレジーナを見る限り、本当に美味しいんだろう。一度試してみなくちゃ始まらない。俺も彼女に倣って恐る恐る食べてみた。
「……おお、美味しい」
「本当ね、これは良いわ」
柔らかい身を噛めば魚の身にある個性豊かな旨味が染み出して、振った塩がそれを引き締める。それを野菜とパンに合わせて食べれば、あっさりさっぱりしていながら満足感の高い逸品になった。
俺はずっとそんなふうにして食べていたが、ニアは途中から刺身をそのまま食べ始めた。それでもかなり美味しいらしく、それは幸せそうな笑顔を浮かべて手を頬に当てていた。
……アスカについては、どうしても刺身がダメなようだったので、メニューの端の方に載っていた肉料理を頼んでいた。刺身も食べてみれば美味しいのにな、と思ったけど強要するのは良くない。
食事を済ませたら、再び部屋に戻った。アスカは食堂に充満するにおいと刺身のダブルコンボで体力が尽きたらしい。すぐに寝てしまった。
俺も寝るかとベッドに寝転がり……ふと気づく。
「リンクはどこにいったんだ?」
ニアもはっとしたふうに顔を上げた。室内を見回しても姿が見当たらない。というか、俺たちは荷物を預けていたはずなのになんで自分で持ってるんだ?
……そういえば、町が見えてきて平原に降りた時、当たり前のように荷物を受け取っていた。その後道に沿って歩き、最初に町の住人に話しかけたときには、すっかり姿が見えなくなっていた。
『おそらく町の外で咽び泣いておるのじゃろうなあ……』
「どういうこと?」
『あやつ、人の姿をとっておるときは貧弱も良いところじゃから、すぐ力尽きて歩けなくなってしまうのじゃよ』
「なんでそれを知ってて言わなかった」
『……ぶっちゃけ、忘れておったわ』
なんとも哀れな鳥である。
🐉
次の日、朝早くに部屋を出てギルドに向かった。場所は受付の少年に聞いたのだが、今回ばかりはちゃんと正しい道順を教えてくれた。
ギルドはかなり混んでいて仕事も様々あったのだが、今日中に受けられてすぐに終わるもの、となるとかなり数が少なかった。
「とりあえず、この二つにしておくか」
そう言って指差したのは、路地裏の清掃と木材の運搬。これなら簡単に終わりそうだ。
アスカの登録(ニアは既に済ませてあった)と同時に請けて、レジーナとアスカ、俺とニアの二手に分かれて(これ以外はニアが許さなかった)行うことにした。
レジーナたちは路地裏の清掃、俺たちは木材の運搬。
「そんなに力持ちじゃないけど大丈夫なのか?」
「概要を読む限りでは、そこまで重いものを持たされることもなさそうじゃない。いざとなったら私が助けるから大丈夫よ」
ニアに背中を叩かれて、俺はため息をついた。強いのは知ってるんだが、彼女に頼りっきりな彼氏とか情けなさすぎてしんどいな……。
🐉
日が暮れる頃には、両方とも終了してギルドに集まっていた。
お金を受け取ったあと、長期的な仕事を一つ請けてからギルドを後にした。迷うとまずいので、帰りはどこにも立ち寄らない。
「一回船に乗ってみたいわね」
右手側を見て、ニアが言う。海岸線にはいっぱいに船が並び、その上をたくさんの人が歩いていた。
俺たちの住んでいた町には、海はおろか湖すらなかったから、船に乗るなんてことはなかった。俺も試してみたくて仕方がない。
「明日ギルドに行って船に乗ってするのを探してみるか」
「いいわね、そうしようか」
水路を渡る橋の上で、海の沖に思いを馳せた。どんな感じなのか、今から楽しみだ。
……そういえば、何か忘れている気がするな?
🐉
宿に着いた。
「ボクは、ずっと、つらい思いを、していたノニ……ウウ……」
誰も迎えに来なかったために自力でここまできたリンクが、酒を片手に泣いていた。
「ごめんて」
「本当に、思ってるなら、脇を、嗅がせて、くだサイ」
「それは嫌だ」
それとこれとは別じゃい。
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