第42話 やべーやつかと思ったら噛ませ犬だった件
ミスティリアさんの言葉に、俺は動揺を禁じえなかった。よもやこの胡乱な男が彼女の夫だとは思いもしなかったからだ。
それに、おそらく森に火を放ったのはこの男だが、何故同胞たるエルフがこの森に危害を加えるのだろう。守りこそすれ、襲うなど理解ができなかった。
「おやおや、お久しぶりです我が妻よ。まだ生きていらっしゃったか」
「当たり前でしょうに。まだ娘は若く力不足なのです。私たち王の血族が守護せずしてだれが守護するというのですか?」
「くふふ……そうやって埃にまみれた慣習なぞに縛られているから、我らエルフは森なぞいう狭い牢獄に縛り付けられているのですよ」
男の不遜な物言いに、ミスティリアさんが歯ぎしりをする。しかし、次いで発せられた言葉に、俺たちは身構えざるを得なかった。
「我は偉大なる主から強大な力を授かり、魂を縛るこの肉体を超越し解放されたのです! 今や我は、木々を操るしか能のない下等なエルフとは違うのですよ……!」
ゴウ──ッ、と一陣の風が吹き抜けた。灰が舞い散り、月明かりの空を濁す。男の瞳が極彩色に輝き、揺れる。両の手の平を上に。体が宙に浮いて、発光し──
ドカン、と。
「な……っ」
「くふふふ……ふははははっ! これが我の真の姿です! 愚民たちよ、とくと目に焼き付けなさい!」
空間が、弾けた。
「うわああああああああっ!?」
この場にいる全員の悲鳴が森を揺るがす。それは恐怖によるものがほとんどだったが、三つほど趣の異なるものがあった。
「変態さん! クロノさんを超える変態さんです!」
「俺と比較するなよ! 俺は露出趣味なんざ持ってねえぞ!」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!? いや確かにアレは変態と呼ばざるを得ないけど!」
そう……宙に浮かび俺たちを見下ろすあの男、弾けた空間の中心にいたせいか布がすべて千切れ飛んでしまっていたのだ。おかげで全部丸出しである。ちょっとよろしくない。
「肉体の枷に囚われた低俗な者どもの作りし物など、もはやこの身には不要なのですよ」
「あなた、もしかして私の趣味に付き合いすぎて壊れてしまったのですか?」
「それは関係ないです」
頬を染めて上目遣いに問うたミスティリアさんの言葉を、全裸の男は仏頂面で切り捨てた。……いや、若干頬が赤い。
『結局低俗な側にとどまっておるようじゃのう』
「や、やかましいですよそこの蜥蜴人!」
さっきまでの恐ろしさはどこへやら。めっちゃキレてる。なんなら「我はそんなむ、鞭打ちや蝋などの攻めが良いなど思ったことはいちどもないですよ!?」と自白までしている。超越しても俗物じゃねえか。
「ミスティリアさん」
「な、なんでしょう?」
「……いや、何でもないです」
ちょっと文句を言いたくなって話しかけたが、とどまった。これは間違いなく失礼にあたる。自制した俺えらい。
今のミスティリアさんの盛大な失言は、幸い他のエルフたちには聞かれていなかった。みんなショックで気絶して、今は仲良く地面で大の字になっているからだ。
ただ、闇に紛れて様子を窺っているレイはばっちり聞いていたらしく……。
「あれはまだ序の口だったのですか……」
もうヤダこのエルフたち。
『気を抜いておる場合ではないぞ』
レジーナの声で、たるんでいた意識が引き戻される。気づけば男は両手に弓矢を携え、まっすぐにミスティリアさんを狙っていた。
「くふふ……今からあなたを解放して差し上げますよ、我が妻。この矢を受け入れなさい」
男が番えた矢の先は、奇妙にねじれてどす黒いオーラを纏っていた。間違っても受けてはいけないものだとわかる。ミスティリアさんはすでに周囲の木の枝で盾を作っていたが、男の得意げな表情は揺らがない。
──パシュッ、という音とともに、木の盾が破裂した。
「……えっ」
「おやおや? 思っていたよりも強かったようですね……これは想定外。ですが、矢はまだありますよ? くふふ……」
ミスティリアさんが尻もちをついている隙に、どこからか次の矢を取り出して番えなおす。今度は絶対に外さないと確信めいた表情で狙いを定め、
「──チッ」
「ふっ!」
見当違いな方に腕を振るった。
弓矢は遠く離れた大樹に突き刺さり、その中心部から木の幹をどす黒く浸食する。あっという間にその木は腐り、ドドドドド……と大地を鳴らしながら崩れ落ちた。
男は弓の柄の部分でレイの奇襲を受け止めていた。鋭く研がれたナイフが柄に食い込み……ナイフの刃があっけなくへし折られる。
「なっ!?」
「レイ、でしたか……くふふ、肉体に囚われている身ではしょせんその程度。私の足元にも及びませんよ?」
「がはあっ!!」
不敵に笑う男が、拳で一発。レイの体が勢いよく地面へ叩きつけられた。
レイはしばらく呻いたが、やがて全身が力なく崩れ落ちた。衝撃で気絶してしまったらしい。
「これで抵抗する愚か者も失せましたね……」
番えられる三本目の矢。狙われるミスティリアさん。俺は何もできず、ただ呆然と見ていた。
『のう、ミスティリアよ』
「なんでしょう?」
『あのバカ、殺しても良いか?』
「………………ええ。こうなっては仕方ありませんから」
ミスティリアさんが弱弱しくうなずく。その目尻はわずかに潤み、声は震えていた。
きっと俺が思う何倍も苦しいだろう。夫を殺すと言われたのだ。だが、それでも止めなかったのは、やはりどうしようもないと知っているからか。
レジーナがニッと口の端を釣り上げて、拳を突き合わせ男と向き合う。弓を番えたまま静止している男は、さも面倒くさそうに眉根に皺を寄せた。
「まだ抵抗する気ですか、蜥蜴人。今の光景で無駄だと理解できないとは、とんだ低の『どっせいっ』こひゅっ」
ドゴンッ! ──ドチャッ。
『あっけないのう』
男は、死んだ。
体が真っ二つに千切れている。ついでに弓は柄の部分で真っ二つ。矢に至っては鏃が粉々になっていた。
『……ああいう類の輩は、大きく二種類に分けられる』
男の上半身を抱えながら、レジーナが得意げに語り始めた。
『一つ目は、単純に壊れた輩じゃ。そういうのは言動こそおかしいが能力は大したこともない。潰して終わり、じゃ』
そういうや否や男の上半身を地面に投げ捨てた。
『そして、二つ目。今のような覚醒者じゃ。この手合いからは隠れることなどできぬ故、正面から殴り倒すしかない』
男の頭を踏みつけた。
──どうじゃ、簡単じゃろう? と言わんばかりの笑みがイラつく。
「うう……」
静まり返った森に、ミスティリアさんの泣き声が響いた。俺は慌ててうずくまる彼女の横に駆け寄り、
「ヴァーングルドに貸しを作るなんて……最悪です……」
レジーナを睨みつけた。
『なんじゃ、睨まれる道理もないじゃろうて』
なんかもう、全てがどうでもよくなってきた。
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