第39話 元女王の屋敷が迷宮だった件
野菜を胃の中に流し込んでいると、レジーナが部屋に入ってきた。どうやらミスティリアさんのところに言っていたらしい。
……正直なところ、気づいてなかった。訳の分からないままに気持ちが乱れて、周りを見る余裕がなかったから。
『む、どうしたクロノ。目の周りが赤いぞ』
「あ、うん、知ってる。気にしないで」
朝に何があったか知られるのは恥ずかしいから、黙っておいた。
『昨晩、何かあったのか?』
「え?」
不意にそんなことを聞かれた。彼女の目は真剣そのものだが、俺にはさっぱり見当もつかない。
だって、昨晩はニアに膝枕されて寝てからさっき起きるまで一度も目を覚ましていない。俺が首をかしげると、レジーナは表情を和らげて『なら良い』とだけ言った。
「……なんだったんだ?」
「さあ? 良いって言ってるし大したことでもないでしょ」
ニアと言葉を交わしながら、荷物の準備を進める。全員の支度が整った頃には、レジーナの意図が読めない質問のことなど忘れてしまっていた。
🐉
俺たちの中で唯一迷宮の場所を知るレジーナに連れられて、やってきたのは昨日も訪れたミスティリアさんの屋敷だった。
レジーナは玄関の前で俺たちに向き直ると、一言、
『ここがこの町の迷宮、イグドラジルじゃ』
俺たちはぽかんと口を開けてドヤ顔の奴を見た。
「いや、ここミスティリアさんの屋敷じゃん」
『そうじゃな』
「モンスターとか出なかったじゃん」
『そうであるな』
「迷宮なわけあるか!」
『迷宮じゃ』
訳が分からなかった。それじゃああれか、ミスティリアさんはわざわざ迷宮内部を何かしらの方法でモンスターが出ないようにして、そこを屋敷に改造したと?
『そういうことじゃ』
「めちゃくちゃですね……」
アスカの言葉に「本当だよ」と返す。いくら最序盤が危険も少ないとはいえ、迷宮に住むなんて正気の沙汰じゃないだろ。というかどうやってモンスターを抑え込んでるんだ。
レジーナは嘘を言っている様子でもない。じゃあ本当に、ここが迷宮なのか。……いやいやそんなわけがあるか。
「あら、いらっしゃい。みんな早起きね」
静かに通る声が、レジーナの後ろから聞こえた。昨日と同じドレスを着たミスティリアさんが、あくびをかみ殺してレジーナの横に立つ。
彼女はレジーナから何かをささやかれると、合点がいったというふうに頷いた。そして、昨日訪れた応接間に来るように言って、先に中へ戻っていった。
「本当に大丈夫なのか」
「そうみたいね」
レジーナはおそらく俺たちの目的を言ったんだろう。迷宮に行きたいという俺たちの望みを。
ここが迷宮でないというのであれば、違うと言ってくるはず。それがないということはつまり、レジーナの言っていたことが正しかったというわけだ。
「どうやって住めるようにしてるのか気になるわね」
ニアが天を衝く巨木を見上げる。……特別な木、ぐらいにしか思っていなかったが、これが迷宮と言うならこの陣地を優に超えた大きさも納得できる。
ここがどんな迷宮なのか、少し楽しみだ。大樹の内部を昇っていく感じなのだろうか?
迷宮のことでいろいろ空想しながら、俺たちは屋敷の中に入った。
🐉
応接間で待っていると、五分ほどしてたくさんの資料を抱えたミスティリアさんが入ってきた。テーブルの上にそれを勢いよく置くと、額の汗をハンカチで拭って向かいのソファーに座る。
見ても良いと言われたので、俺は一番上の黄ばんだ紙束をとる。表紙には『イグドラジル探査記録』とだけ書かれており、中には膨大な回数の探査の一部始終が、時系列順に事細かに記されていた。
探査メンバー、持ち込んだ物、探査日数、到達階数、接敵回数、回収品、使用ルート……とにかく正確に書かれている。俺は最後の方までパラパラとめくって眺めたが、どうやら最上階に到達したことはないらしかった。
百を優に超える高さを踏破し、なおも果てに着かない。これを完全に制覇しきるのに、いったいどれだけの苦労を強いられるのだろうか。
「すごいでしょ? 私が女王になったすぐあとぐらいからほとんど行わなくなったのだけど、ここで手に入るものは貴重だから今でも重宝してるの」
ミスティリアさんが微笑む。具体的にどういうものが出たのかは教えてくれなかったが、それがあれば大抵の危機はどうにか対処できるらしい。ものすごいものだ。
……ところで、それ以外にもう一つ、気になることがあった。
記録を読む限り、討伐したモンスターは、顔が浮き上がる木や鋭い棘でめった刺しにしてくる蔦などが多かった。中にはアルラウネなどもいて、上階に進むほど強いモンスターが多くなる。
それ自体は、別に不思議でも何でもない。至極当然のことだ。が、しかし。
「これ、肉手に入らなくないか?」
「…………そうね」
ニアと顔を近づけてひそひそと話す。手元の紙束に再び目を落とし、内心で大きくため息をついた。
俺が迷宮に来たのは、肉を手に入れるためであると言っても過言ではない。しかしどうだ、書類を見れば出てくるモンスターはすべて植物系で、しかも可食部があるものは一切ない。
絶望だった。
「肉は町の外に出て狩りをするぐらいしないとダメそうだな」
呟いて、紙束を元に戻す。ミスティリアさんは俺のぼやきを聞いて「あら、獣の肉など何に使うのかしら?」と首を傾げた。エルフ以外の種族は肉を食うんだぞ、知らないのか。
「ああそういえば、エルフ以外は肉を食すのだったわね。忘れていたわ」
頭を抱えた。なんでそんなに適当なんだ。
🐉
その後諸々の資料をざっと見て、俺たちは迷宮三階へ続く入口に向かった。ミスティリアさんの寝室の隣、やや小さな部屋の中に入ると、両開きの豪奢な扉が目に飛び込む。
「扉をくぐるとすぐ迷宮三回に続く階段があるわ。そこを昇ればもうモンスターがいるから、気を付けてね」
ミスティリアさんがそう言って、俺たちに一つずつ金色の指輪を渡してきた。身に着けるように言われたので右手中指に着けると、なんだか暖かいものがつながった感覚がした。
「それを両手で包んで【帰還】と叫べば、どんなところからでもここに戻ってこれるわ。ヴァーングルドがいるから大丈夫だとは思うけど、万が一の時に使って」
そう告げると、ミスティリアさんは「楽しんできてね」と部屋を出ていった。
資料を見る限り、最初の方に出てくるモンスターは俺でもなんとかなりそうなぐらいのものだったが、緊急時の策ができたのはありがたい。
「早く行きましょう!」
アスカが俺とレジーナの服の裾をつかんで引っ張る。彼女が住んでいた町には迷宮がなかったから、きっと楽しみでしょうがないんだろうな。
はしゃぐアスカにつられて笑みがこぼれる。俺たちは大きな扉を開いて、中に足を踏み入れた。
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