第35話 元女王の屋敷にて
「そんなにかしこまらなくていいわよ。ヴァーングルドのお友達でしょう?」
「は、はあ」
「確かに元は女王だったのだけど、今はそこまで偉くもないわ。それに、堅苦しいのはあまり好きではないの」
口元を片手で隠してくすりと笑うその姿は、まるで芸術品のようだった。自分とは格が違うと思い知らされる。初めてレジーナと対面したときとは別のおそろしさまで感じた。
『そういうことじゃ。肩肘張らぬでもかまわぬ』
ミスティリアさんの言葉に続くレジーナが、彼女の肩に手を置く。それがあまりにミスマッチというか、奇妙というか……。
「ミスティリアさんと並ぶと古龍のだらしなさがより目立つわね」
『お前、ちょっとは我に優しくしてくれぬのか?』
レジーナはもの悲しそうな顔でため息をつくが、ニアは態度を改める様子もなかった。少しは慣れたかなと思ったが、まだニアは彼女を敵対視しているらしい。
ことあるごとにこんなことをやられるようじゃ、ちょっと大変だなあ、とアスカにぼやくと、
「元はと言えばクロノさんが蒔いた種です」
バッサリ切り捨てられた。俺に味方はいなかったようだ。
俺たちのやりとりに、ミスティリアさんが再びくすくすと笑う。俺は恥ずかしくなって、赤くなった顔を手で隠した。
それまでひざまづいて頭を下げていたレイが、訝しげにミスティリアさんを見上げる。
「……本当に、このような者どもを入れてよろしいのですか?」
「かまわないわよ。ヴァーングルドが私に害をなすような者を連れてくるわけがないじゃない」
「ですが……」
「レイ、あなたは真面目すぎるのよ。正式な場でもないのだから、少しは余裕を持ちなさい」
「…………仰せのままに」
レイは再び頭を下げ、フッとその姿が掻き消えた。明確な脅威が見えなくなったことで気が楽になり、俺は小さく息を吐く。
……だが、俺とは対照的に、レジーナは少し険しい顔をしていた。顎に手を当ててしばらく何かを考えていた彼女だったが、やがて顔をあげ、ミスティリアさんに問いかけた。
『のう、ミスティリア』
「なんでしょう」
『あやつはあれほど堅苦しいやつではなかったじゃろう。もっと爛漫なやつであったが……何があった?』
ミスティリアさんの笑みが深まった。直前までの柔らかいものではなく、人を揶揄うような……。
「惚れた相手に良いところを見せたくて空回りしているだけですよ」
『……あの頃我に懐いていたあやつは』
「もういませんね」
レジーナが膝から崩れ落ちた。『我は無邪気に甘えてくるあやつが良かったのに』とつぶやく声は震え、掠れている。ちょっとだけ怖かった。
ミスティリアさんは相変わらず含みのある笑みを浮かべ、さらに一言。
「彼は普段こそ堅苦しくなっちゃいましたけど、夜は相変わらず可愛らしいですよ? 鞭を打つとすごくよく鳴いて……ああ、失礼」
『貴様のせいかミスティリア!』
レジーナが目を血走らせてミスティリアさんに掴みかかり、肩を激しく揺さぶる。彼女は動じることもなく、蠱惑的な笑みで舌なめずりをした。
「……類は友を呼ぶって、こういうことなのね」
ニアのかすかな呟きに頷き返しながら、俺たちは二人から少し距離を取った。
🐉
人前ではとてもできないようなやりとりをした後、俺たちは応接間へと案内された。大きな四角のテーブルを、俺たちは窓側の、ミスティリアさんはドア側のソファーに座って囲んだ。
ミスティリアさんの屋敷は、龍の姿のレジーナと同等かそれよりも大きい老木の内側に造られていた。やはり屋敷の中も木造以外のものが一切なく、緻密な装飾が施された天井や壁や照明、いくつかの像以外は特に目立つものもなかった。
豪華絢爛、呼ぶにはやや物足りなく、されどその素朴さが却って気品を引き立てている。目の前で優雅にお茶を啜るミスティリアさんは、一段と美しく見えた。
これであの癖を知らなかったら、完璧だったんだけど。あの発言は、優雅で神聖な雰囲気をぶち壊すには少々パワーが強すぎた。
「最近新しくできたお茶なのだけど、どうかしら」
最初に声を出したのはミスティリアさんだった。俺はちょうどカップを唇につけたところで、温かい湯気を立てる赤茶色のそれを口に含む。
わずかな苦味と、それを包む豊かな香り。今までに味わったことのないような独特の味は、飲み込んだ後もしっとりと口の中に残る。
やや癖が強いが、すごく美味しいお茶だった。
「良いお茶ですね、気に入りました」
「そう、それならよかったわ」
ミスティリアさんが、皿に盛られたナッツを一粒つまむ。カリカリと小気味良い音を立てて咀嚼し飲み込むと、彼女はレジーナに目を向けた。
「それで、今回はどんな用事でいらっしゃったのかしら?」
『それについてはこの場では言えぬの』
「……なるほど」
ミスティリアさんの目がすうっと細められる。しばらく二人は無言で見つめあっていたが、やがてふうと息を吐き、同時に席を立った。
「場所を移しましょうか」
『そうじゃな』
ミスティリアさんは俺たちの方を振り向いて、少しだけ待っていてちょうだい、と言い、ドアのそばに立つ老執事を手で指した。
「何か要望があったら、そこのカイザーに言ってくれれば大丈夫よ」
『すまぬの、おそらく十分程度で終わらせるから、許してくれ』
二人はさっさと出て行ってしまい、応接間には碌に勝手のわからない俺たちが残されることとなった。さすがにそれはないだろ、とレジーナに文句を言う暇もなかった。
「言いたいことはいろいろあるけど……とりあえず、戻ってきたらあいつの顔面ぶん殴らなきゃね」
「ニアさん、それはやりすぎですよ」
「別にいいじゃない、アスカ。あなたも不満に感じてるでしょ?」
「……できることなら噛みついてやりたいですけど」
「一緒にやりましょ」
俺の横では、ニアとアスカが不穏な会話をしている。それがひと段落ついたところでニアがナッツを口に放り込み、バリボリと噛み砕きながら呟いた。
「あー、今日は服選びしようと思ってたのにどうしてこうなるのかしら」
「女性ものの服でしたら、不要なものがあります。お見せしましょうか?」
「え?」
単なるぼやきに、老執事──カイザーから返答があった。ニアは一瞬キョトンとしたあと、パッと笑みを浮かべて「お願いします」と席を立つ。
カイザーは一礼し、ついてくるよう言って部屋を出た。俺はニアに手を引かれ、一緒に部屋を出る。アスカは慌てて俺たちの跡を追ってきた。
「これでクロノの服の件も解決ね」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
「どうかした?」
どうかした、じゃない。
「さっき『女性ものの服』って言ってたじゃないか」
「それがどうかした? 別に問題ないわよ」
「も、問題ないって」
「それに、私としては女性ものの方が好都合よ」
ニアは跳ねるように軽い足取りで、カイザーの後を追う。
「私、ずっと思ってたの。可愛いクロノには女性服の方が似合うなって」
「…………マジかよ」
ニアにまで可愛いと思われてたとか、知りたくもなかったなあ。
俺はこれからの苦難を思ってため息をつく。後ろを歩くアスカから「大丈夫ですよクロノさん。きっと似合う服が見つかりますから!」と何の慰めにもならない言葉をかけてきた。
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