第32話 エルフの町にたどり着いた

 ──ドクン! と、以前も感じた衝撃で目を覚ました。


 周囲は暗く、視界には生い茂る木々とその隙間から覗く星々だけが映る。さらさらと流れる水の音が聞こえて、体を起こすと目の前に川があった。


『目が覚めたか』


 背後から声をかけられる。レジーナだ。俺はほんの少し迷い、「おはよう」とだけ返して振り向いた。


「まったくもう……心配したわよ、クロノ」

「ご、ごめん」

「今回は無事だったからいいけど。私のこと置いて先にいっちゃダメだよ?」

「……うん」


 レジーナの後ろから出てきたニアに抱きしめられ、俺はなんだか惨めな気分になった。せっかくニアと再会できたのに、こんなに心配かけさせてちゃダメじゃないかと。


 強くなろう。強い剣を持っているんだから、これを完璧に使いこなせるようになりたい。魔法ももっとしっかり学んで、剣がなくとも戦えるようになろう。そう心に誓った。


『……話を進めても良いかの?』


 レジーナがばつの悪そうな顔で頭を掻く。もうちょっとだけニアに抱きしめてもらいたかったが、我慢した。


 ウトウトしているアスカを含めた四人で円を作るように川辺に座り込み、大きめのランプを一つ中心に置く。みんなの顔がぼんやりと浮き上がるなか、最初に口を開いたのはレジーナだった。


『単刀直入に聞くが、なにがあったのじゃ?』

「あー……」


 昼間の事を思い出す。あの時は確か、少し体力が回復していたからみんなが寝ている間起きていて、川の上流から音が聞こえたから見に行って……。


「エルフの水浴びを見て木の枝にぶん殴られた」

「へ、変態!」


 森に響くはアスカの絶叫。なんでうたた寝してたのにそこで起きるんだよ、と思わず言いかけた。もしかしてばっちり起きてたんだろうか。


「なるほどね。それならその服の穴も納得だわ」

「へ? ……あ」


 ニアに言われて見てみれば、なるほど確かに俺の服の左胸辺りが大きく破けていた。枝が引っ掛かって破り取られてしまったか。


 これは早急に買い換えないといけない。ニアがお願いのこともあるし、明日あたりには目的地に着けばいいが……。そんなことを考えているうちに、レジーナが就寝の準備を進めていた。


『どうなるかとは思うたが、特に問題もなさそうで良かった。それに、エルフを見かけたということは明日には目的の場所に着くじゃろうな』

「このまま何日も森の中を彷徨うんじゃないかって思ってたけど、過ぎてみればそこまでかからなかったわね」

『ひとつしくじれば、そうなっておったかもしれぬの。下手をすれば一生出られぬか』

「……え?」


 しれっと怖いことを言って、レジーナは『では我は寝るぞ』とアスカを抱えテントに潜り込む。全身から血の気が引くのを感じて、ニアと目を合わせれば彼女もちょっと青白い顔になっていた。


 昨晩と同じように俺はニアと同じテントで寝ることになったが、二人で恐怖をごまかすように硬く手を握り見つめあったまま、しばらくガタガタと震えていた。


「……森に囚われなくて本当に良かったわ」


 まったくもってその通りだ。俺は起こり得た未来を想像してしまい、しばらく寝付くことができなかった。


 外では相変わらず川の流れる音と、小さな虫の声が静かに響いていた。


     🐉


 昨晩はひどい夢を見た。薄暗い森の中を、いつ獣に襲われるかと怯えながら彷徨い続ける夢だ。最終的に食べるものがなくなって飢え死にし、そこで目が覚めた。


 昨晩レジーナが何気なく言ったことのせいだ。寝ぼけていたアスカは覚えておらずケロッとしていたが、ニアは俺と同じように最悪の目覚めを経験したらしい。目の下にクマができていた。


「どうして寝る前にあんな話をしたのよ……」

『そ、そこまで怯えるとは思っておらなかったのでな。すまぬ』


 本当に悪気はなかったようで、レジーナは少々困惑していた。あの話が怖いと感じるのは普通だと思うのだが……もし引っ掛かっても抜け出せる確信でもあるんだろうか?


『まあ、我がいれば容易く逃れられる。安心せい』

「それを先に言え!」


 予想は当たりだった。俺がむしゃくしゃして足元の小石を蹴ると、大きく横にはねて川の中にぽちゃんと落ちた。


 今俺たちは、川に沿って上流へと歩いている。まだ森の中に道が続いていたが、レジーナはその道を行く必要はないと断言したので、休息も取りやすいからと川をさかのぼっているのだ。


 さかのぼるほどに木々の密度が高くなり、それに反して陽光は強く差し込んでくる。太陽は見えないはずなのに明るいというのが、とにかく不思議だった。


『まもなくじゃ』


 レジーナが呟く。俺はちょっとだけその言葉を疑っていたが……その数秒後、木々が生い茂るだけの視界がパッと開けた。


 湖だ。森の中の、巨大な湖。さあっと吹いた風が水面を撫でて、小さな波を作った。


「綺麗ね……」


 ニアが呟く。湖の水は信じられないほどに透き通っていて、少し離れたところの湖の底が、くっきりと見て取れた。


 森の中に横たわる巨大な鏡のような湖に圧倒されていると、アスカがおもむろに湖の中へと歩を進めた。気を抜いていたため制止するのも間に合わず──アスカは、湖面に立った。


「な、なにが」

『ほう、さすが狼獣人じゃ。この手の魔法は効かぬか』

「見えるわけじゃないです。ただ、何かがあるということだけ」

『その齢でそこまでできれば、中々優秀な方じゃぞ』

「本当ですか!」


 レジーナに頭を撫でられ、アスカは湖面でぴょんぴょん飛び跳ねる。俺はそれを、ただ呆然と眺めていた。


 レジーナ曰く、ここの湖にかけられた対岸へ続く足場は、見えないように魔法が施されているらしい。以前彼女が使ったような、見えなくするものではなく、これは存在感を極限まで薄くするものなんだとか。


 そして、狼獣人はそういう類の魔法に騙されにくいそうで、アスカが感づいたのも納得だった。ちなみにニアははっきりくっきり見えているらしい。「石造りの簡素な奴で、遺跡みたいな雰囲気があって良いわね」と言っていた。


 アスカの先導で俺たちは湖面にある足場を渡り、対岸にたどり着く。底で待ち構えていたのは大きな木造の門とエルフの弓兵二人。


「人間に竜人に獣人に……サキュバス、ですか。ずいぶんとまあ、奇妙な集まりですね」

「私たちの町に何の用ですか?」


 訝しげにこちらを警戒する二人だったが、レジーナが一歩前に出て奇妙な言葉を発したかと思うと、エルフたちはまるで人が変わったように俺たちを歓迎してくれた。その顔は若干青ざめていて、なにをやらかしたんだと不安になって聞いてみたが……。


『まあ、大丈夫じゃ』

「それじゃ答えになってないよ」


 適当にはぐらかされてしまう。


 門を見張っていた彼らに話を聞きながら、町の中を歩く。ここはイルミスという町で、住人は全員エルフなんだとか。家はすべて木の上に作られていて、それらは石やレンガなどを一切使っていなかった。


「エルフの住まう地なんて、初めて見るわ……」

「エルフ以外の種族を招き入れることはほとんどありませんからね、当然でしょう」


 森とほとんど変わらない町を歩き、やがて少し大きな木の前に来た。門番は「ここが宿になります」と最後に告げて立ち去り、俺たちは設置された梯子を上って宿に入る。


「お邪魔します」

「あ、いらっしゃいませ」


 宿の中は不思議な光で満たされていて、外から見たよりも広く感じた。俺たちがカウンターの前に立つと、そこで下を向き何か作業をしていたエルフの女性が顔を上げる。


「……あ」

「あ、あなた、あの時の変態!」


 水浴びを見てしまったあのエルフだった。

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