第30話 赤裸々な言葉

『ま、待て、貴様かなり勘違いしておるぞ──

「問答無用ッ!」

『ぬうっ!?』


 歯をむき出しに笑みを湛えるニアが、レジーナの胴目掛けて拳を振り抜く。レジーナは両手でそれを受け止めたが、その表情に余裕はない。


 俺は、悪魔の形相で責め立てるニアとそれを受け止め続けるレジーナを、ただ呆然と見つめていた。すると不意に、アスカに服を引っ張られ、声をかけられる。


「クロノさん、クロノさん」

「な、何?」

「クロノさんの彼女ってサキュバスだったんですか?」

「……さあ?」


 彼女の問いに答えることができない。俺は今までニアが普通の人間だと思って接してきていたのだ。まさかサキュバスだとは思いもしなかった。


 俺が答えに窮していると、何をどう解釈したのかアスカが顔を真っ赤にして「やっぱりクロノさんはえっちなんですね」とか言い出した。慌てて訂正するも、男性はそういうのが好きだから仕方ないですと言ってわかってくれない。


 一緒に旅をすることになったはいいが、いきなりこんな印象を持たれたら今後上手くやっていけるかが不安だ。


「くたばれ女ァ!」

『お、落ち着け! 我はあやつをたぶらかしてなどおらぬぞ!?』

「そんな見え見えな嘘が通ると思う!? 私知ってるのよ、ヴェナム遺跡の前でイチャイチャしてたでしょ! あんだけやっといてよくそんなこと言えるわね!」

『あれはそういう意図を持ってやったわけではないぞ!?』

「仮にそうだとしても! 毎晩彼にくっついて、あ、あんなことやこんなことしてたんでしょ!? 私だってまだなのに!」

『それこそ言いがかりではないか!』


 ……向こうでも、なんか盛大に勘違いしているニアが叫んでいる。ヴェナム遺跡での一件を見られていたとは思わなかったが、それにしたって俺がニア以外の女性に簡単にデレデレするわけがないだろう。


 俺は初めてをニアとするつもりなんだ。究極にロマンチックに、二人きりで……。


「クロノさん、鼻の下伸びてますよ」

「えっ」


 慌てて顔を隠したが、もう遅い。アスカに呆れたようなため息をつかれてしまった。多分もう取り返しがつかない。


 アスカの俺に対する印象改善は諦め、倒れた男たちから距離をとりつつニアたちの様子を伺う。


 ニアは常にペースを落とさずレジーナに攻撃している。殴り、蹴り、時には尻尾で突く。隙を与えない動きだ。


 それに対し、レジーナは防戦一方。反撃に出られない、というよりも、反撃に出ないようにしている様子だった。


 何か策があるのか。俺は固唾を飲んで見守ったが……結果は、唐突に訪れた。


「ふ、ふふ………あははははっ、思ったよりずっと強いのね」

『当たり前じゃろ、我は古龍であるぞ?』

「そう、ねえ? 人の彼氏を奪った古龍メギツネさん? そうやって油断してるから負けるのよ」

『ぬ? 何じゃ……──ッ!』

「やりなさい、あんたたち!」


 ニアが片腕を突き上げ指を鳴らす。パチン、と乾いた音が響くと同時、男たちが不自然な動きで立ち上がった。


 まるで糸で操られているようだった。レジーナは男たちに囲まれる位置に誘導されている。レジーナはどうにか一人、二人を捌き、しかしなおも襲いくる男たちに反撃を喰らう。


 男たちは、最初に襲われた時よりも格段に俊敏だった。ニアには劣るが、俺に比べたらよっぽど強い。レジーナは次第に圧され、やがては男たちの手によって地に伏した。


「マジかよ……」


 呆然と呟いた。彼女が古龍だというのも知っていたし、その強さも十分知っていた。だから、負けるわけがないと思っていたのに。


「何? 浮気相手が負けちゃって悲しいの?」


 ゾクリ──冷たい声が首筋を撫でる。まるで金縛りにあったように体が固まり、突如目の前に現れたニアになす術もなく押し倒された。


「クロノ、私と“約束”したよね? 一生共に過ごすって、さ」

「え……」

「二人で幸せになろう、って言ったよね?」

「…………」


 額がつくほどに迫り、ニアがか細い声で言う。悪魔の形相の裏に、泣きじゃくる彼女の顔を幻視した。


「私、サキュバスなの。悪魔なのよ。それは見ればわかるでしょ?」

「う、うん」

「悪魔ってね、契約を重要視するの。それも習ったよね?」

「……うん」

「……なのに、クロノはそれを破ったの!」


 悲痛な表情で叫ぶニア。その目に、わずかな涙がにじみ始めた。


「あんな女にうつつを抜かして、私を捨てたの! そんなの絶対に許さないわ」

「…………」

「だから、私はあなたを殺す」

「……えっ」

「あなたを殺して、お人形にして、一生可愛がってあげるの。あなたが私から離れないように縛り付けて、ずっと私のことを見てくれるように……だから、死んでちょうだい」


 ──刹那、ニアが手を振り下ろした。それは俺の首めがけて真っ直ぐに落ち、俺の首を……。


「……なんで」


 ニアの手刀は、俺の首にあたり、止まった。


「なんで殺せないの……どうして……」

「ニ、ニア?」

「話しかけないで! 私のことなんか本当はどうでもいいんでしょ? 以前家にきたって聞いたけど、どうせそれも建前でしかないんでしょ?」

「違う!!」

「──ッ」


 俺は思わず叫び、ニアを押し返し、押し倒す。涙で顔をぐしゃぐしゃに歪めたニアは、ついさっきは違ってひどく弱々しかった。


「俺はニアが好きだ! ニアと一緒に幸せになりたい! それはずっと変わらない気持ちだ!」

「なによ、今更……ッ」

「ニア、これを受け取ってくれ」


 俺は懐から布の包みを一つ取り出した。それをゆっくり開き、中に入っているもの──ブレスレットを見せた。


 ニアの目が見開かれる。俺と視線が交わった。“本当に?”と縋り付くように目で問いかけられる。


「ニア、改めて言わせてほしい」

「……」

「俺と付き合ってくれ。俺と結婚して、幸せになろう」

「…………は、はは」


 ニアの口から、乾いたような湿ったような、何とも言えない笑いが漏れた。片手で涙を拭いながら、震える指でブレスレットをつまむ、そして、左腕につけてくれた。


「ほんっと、馬鹿みたい……ムキになってたのは私だけだったのね」

「……俺も、勘違いさせちゃってごめんな」

「いいの、全部私が悪いんだから。……こっちこそ、ごめん」


 ニアと見つめ合い、衝動のままに熱く抱きしめ合う。もう絶対に離さないとばかりに唇を重ねた。


「ん……好きだよ、クロノ」

「俺もだよ。愛してる、ニア」


 耳元で囁き合い、再び抱擁する。ずっと二人でこうしていたかった。

 ……が、そういうわけにもいかず。


『のう……二人で盛り上がっておるところ悪いが、こやつらはどうするのじゃ?』


 無粋な声に顔を顰め、視線を移す。男たちの下敷きになっていたはずのレジーナがいつの間にか出てきて、気絶したままの彼らを積み上げていた。


「放っておいていいでしょ。……それより」


 ニアがそう言った直後、ふっと俺の腕の中からいなくなり、一瞬の後レジーナの目の前に立った。


「私はあんたを許したわけじゃないからね。少しでも怪しいことしたらタダじゃ済まさないから」

『そ、そんなことはせぬよ』

「本当かしらね。胡散臭いったらありゃしないわ」


 二人が再び険悪な空気で睨み合う。俺は内心で深くため息をつき、原っぱに身を投げ出した。

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