第24話 酔っぱらい鬼娘に迫られた

 朦朧とした意識のなか、俺は必死に記憶を探っていた。


 頭がガンガンと殴られているように痛い。吐き気もある。いったい何をしてこうなったのだか。


 ……そうだ、気絶する直前に酒を飲んだ。たった一口だったが、それで意識が飛んだのだ。


 筋肉や関節の痛みをこらえ、薄めを開けて上半身を起こす。周囲は暗く、壁際に積まれた酒樽の影が微かに見えるのみ。


「あ、起きた?」


 背後で声が聞こえた。顔を向けると、丁度シュテンが酒瓶を開けるところで、周囲には六本ほど空の瓶が転がっている。彼女は薄いピンクのネグリジェに着替えていた。


「……これ全部一人で飲んだの?」

「そんなわけないでしょ。お姉さまとアタシで三本ずつよ。……あれ、お姉さまは四本だったっけ? まあいいわ」


 昼間よりもだいぶふわふわした声だ。シュテンは手に持っている酒瓶をぐいと呷って、半分ほどを一気に流し込む。


 豪快というか、なんというか。俺が一口飲んだだけで倒れた酒のようだが、これだけの量を飲んでほろ酔い程度なのは、蟒蛇とかいう次元じゃないな。


 アスカは少し離れたところで穏やかな寝息を立てていた。レジーナは……見当たらない。


「お姉さまなら外に行ったわ。風に当たりたいって」


 唇を尖らせて瓶を投げ捨てるシュテン。半分残っていたはずの酒は、いつの間にかなく鳴ていた。


 しばし無言が続いた。頭痛のせいで眠れそうにもなく、再び横になってシュテンの方をぼんやり眺める。


「……クロノ、だっけ?」

「え? うん」

「アタシの番になって」

「……いきなり何言いだすの」


 酔っぱらってタガが外れたか? なんだか嫌な予感がして目をそらしたが、ふわっと微風が首筋をなでたと同時、頭をがっちりとつかまれて顔を覗き込まれる。動いた音は聞こえなかった。


「アタシは本気よ? アンタだったらいいなって思うの」

「…………どうして」

「アンタの奥底に、強い奴の気配を感じる」


 その表情は真剣そのものだ。冗談で言っている様子はない。……昼間の一件を考えたら、これも演技である可能性もあるが、


「嘘じゃないわ。また変な嘘をついてお姉さまにあれやられるのも懲り懲りよ」


 身震いしながら告げるその言葉には、妙に説得力があった。


「確かにアンタは強そうに見えない。立ち振る舞いもまともに戦ったことがない奴のそれよね」

「ずいぶん言うじゃん」

「事実でしょ」

「……」

「まあそれは置いておいて。アンタの内側、その奥底にとんでもない力が眠ってるのも事実よ」


 妙だなって思ったことない? と聞かれて、俺は今までのことを思い返す。……ただ、記憶をたどるまでもなく、その『妙な事』には心当たりがあった。


 オルトロスと対峙し、勝手に手が動いて真っ二つにしたこと。真夜中、テントに入ってきたガースをいともたやすく押さえつけてしまったこと。そして何より──あの遺跡で奈落に落ちて、無傷のまま生還したこと。


「やっぱりあるのね」

「ああ、あの時──」

「言わなくていいわ。別にその内容には興味ないもの」


 シュテンが俺の頭をなでる。細い腕は、かなりの熱を持っていた。


「……その力が完全に目覚めたら、きっとすごいことになるわ。それを見込んで言ってるの。それに、顔も結構好みだし」


 穏やかに微笑んで、あざとく「お願い」とねだってくる。かなりの美少女なシュテンと深い関係になる、というのは確かに魅力的な話だ。だが……。


「無理だな」

「なんでよ? アタシの体が子供っぽいから?」

「いや、そういう問題じゃない。……俺には彼女がいるんだよ」


 彼女を裏切るようなことはできない。シュテンの切なそうな顔を見てちょっと後悔したが、ぐっとこらえる。


 ……しかし、シュテンの方はあきらめる気などさらさらなかったようだった。


「じゃあここで既成事実作りましょう」

「ちょ、はあ!?」


 シュテンがいきなり俺に覆いかぶさり、服に手をかけてきた。息を荒げて頬を赤く染め、蠱惑的な笑みを浮かべる。


「ま、待て待て! ダメだって!」

「別にいいじゃないの、愛人一人増えるだけよ」

「それがダメだって言ってるの!」

「英雄色を好むって言うし」

「英雄じゃないから俺!」

「これから英雄になるわよ。女二人満足させるだけの甲斐性はあるでしょ?」


 完全にその気になった彼女は聞く耳を持たない。ずっと纏っていた酒の匂いに混じって、艶めかしい女性の香りが漂ってくる。


 さっき「とんでもない力がある」とかいわれた俺も、今はただの貧弱な人間。鬼の腕力に抗えるはずもなく、地面に抑えつけられたまま大事な場所を隠す布が──


「ふふふ、御開ちょお゛ごっ!?」


 ──めくられることはなかった。


 いつの間にか戻っていたレジーナが、シュテンの脳天に空いた酒瓶を勢いよく振り下ろしたのだ。ドゴン! と鈍い音がして、割れた瓶の破片が四方八方に飛び散る。……いくつかはシュテンの頭に刺さっていた。

 

「何するのよお姉さま! あとちょっとだったのに!」

『我のおも……主に手を出すのは許さぬぞ』

「そんなの聞いてないわよお゛う゛っ」


 シュテンが腹に全力ストレートを食らってうずくまる。それを冷ややかに見下ろすレジーナが、一言。


『それと、御開帳は女性に使う言葉じゃぞ』

「そんなの……どうでも、いい……お゛おえぇ゛っ」


 シュテンの口から、水っぽいナニカがあふれた。


     🐉


 あのあとしばらく横になっているうちに眠りにつき、次に目が覚めたのはそろそろ昼になろうかという頃だった。


 頭痛や吐き気はすっかりなくなっていた。軽く伸びをして体を起こす。


「おはようございます、クロノさん」

「ん、おはよう」


 アスカと挨拶を交わして、あとの二人はどこかと周りを見ると、ちょうど外から戻ってきたところだった。


 レジーナは大きな獣の死骸を背負い、シュテンはウリ坊を一匹抱えている。以前畑で見たあの鬼ウリ坊だ。


 シュテンが抱えているウリ坊を降ろすと、元気よく駆けだしてアスカにじゃれついた。アスカも慣れているらしく、動じることなく元気いっぱいなウリ坊の相手をする。


「昼食はすぐにできるから、ちょっと待ってて」


 昨日とは違う着物を着たシュテンが、レジーナから獣を受け取り目の前に横たえる。両手をその表面にかざし、何かを呟くと、あっという間に解体された。


 いつ見てもすごいよ、とアスカ。彼女曰く、シュテンは風を操るのが天才的に上手だとのことで、確かにレジーナと戦っていた時も風を使って攻撃していたな、と納得した。


 ウリ坊と戯れるアスカを見守って三十分、出てきたのは山菜のスープと獣の肉の蒸し焼きだった。スパイシーな香りが鼻孔をくすぐる。


 全員で輪になって食事をとり、そのごはしばらくだらだらと過ごした。シュテンとレジーナは昼間からまた酒を飲んでいる。


 だが、さすがにそろそろ町に戻らないとマズイ。俺とレジーナはともかくアスカが。


「たまには顔出してよね?」


 ちょっと寂しそうに拗ねるシュテンに見送られながら、俺たちは山を下った。

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