第16話 芋が美味い

 頭を抱えてうずくまりたくなるのを懸命にこらえて、カウンターの前に立つ。ものすごい早口でまくし立てる彼女の顔はあまりにも口調に似合っていないものだから、情報過多で頭がどうにかなりそうだ。


 長い銀髪は肩にかかって下に流れ、鋭さの残る瞳には暖かい光が宿っていた。柔和な笑みをたたえた口やはっきりと見えるほうれい線からして、そこそこ歳のいったご婦人と見える。顔だけは。


 声がキャピキャピしてるのもわからない。どうやってその声出してるんだと聞きたくて仕方なかった。


「アタシはカズナって言うの、よろしくね♡ それで、どのぐらい泊まってく? ベルガーはいっぱい見るところあるからいっぱい泊まっていきな?」

「あー……今手持ちがこのくらいなんですけど、これで何日ですか?」

「どれどれ~? おー」


 貨幣が入った革袋を覗き込み、時に中をまさぐる。そして「これなら朝と夜の食事つきで十日は大丈夫よ!」と元気に答えて──当たり前のように全額持っていかれた。というかあれでそんなに稼げてたのか。


「まいどあり~♡ はい、これ部屋の鍵ね! そこの階段上がって左側の奥から二番目! 夕飯はお部屋に運ぶから、待っててね♡」

「……あ、ありがとうございます」

「いーのいーの! ゆっくり休みなさい? せっかく可愛いお顔が台無しよ?」

「…………」


 可愛いって言われた。……可愛いって言われた! それだけは絶対に言われたくなかったのに!


『クロノ、部屋に向かうぞ』

「……おう」


 今ここで気絶してしまいたいと駄々をこねる体に鞭を打ち、カウンターの前を離れる。満面の笑みでカズナに見送られ、割り当てられた部屋に向かった。


     🐉


 鍵を開けてノブをひねる。ドアが奥に開くと、奥に大きめのベッドが置かれた部屋が視界に入った。


「ふう……はああ゛ぁああぁ゛あぁああぁ疲れたあぁ゛ああ゛ぁあ゛ぁ……」


 近くにあった棚の上に荷物を投げ出したら、迷いなくベッドに飛び込む。ぼふんっ、と俺の体を優しく受け止めるマットレスに顔をうずめ、これまでの鬱憤やその他もろもろを全部吐き出すように叫んだ。というより呻いた。


 しばらく野営で使っていた寝袋も悪くないじゃんとか思っていたけどやっぱりベッドに寝転がったときの幸福感には遠く及ばないよもう動きたくないこのままずっと怠惰に暮らしていたい。


『一応は宿も取れたが、明日からまた忙しくなるじゃろう。ゆっくり休め』

「うい……」


 ベッドの縁に腰かけ、俺の頭をなでてくるレジーナ。いつもは『可愛らしいの』などとからかってくる彼女だったが、今はそういうこともしない。その心遣いがとにかくありがたかった。


 しばらくそうやってボケっとしていると、誰かがドアをノックする音が聞こえる。レジーナが出て、戻ってくると二人分の食事が乗ったトレーを持っていた。持ってきてくれた人の声は聞こえなかった。


 体を起こしてテーブルの席に着く。荷物をどけておかれた食事は、蒸かした芋が二つに香辛料の効いた焼肉、具沢山のスープとカットフルーツだ。スープの具は芋と肉である。


 すごくすごく偏った食事だった。ベルガーは芋が美味しいと聞いていたが、ここまで推されるとちょっと困惑してしまう。


『……んむ、この芋は美味いな。味をつけずに食べられるぞ』

「ホントか? ……ん、おお、ホントだ。めちゃくちゃ美味い」


 一足先に食べ始めたレジーナは、芋を一口かじるなり目を丸くして手の中のそれを見つめていた。どんなものかと俺も手を出してみたが……たしかに彼女の言う通りだった。


 一口含むと口の中に熱が広がり、それに一瞬遅れて芋自体の甘みを感じた。ややさっぱりとした旨味が、確かな質量をもって口内を満たす。舌で潰せるぐらいに柔らかく、ほくほくしていた。


 なるほどこれは美味い。芋単体でここまでおいしいのは初めてだ。


 焼肉はレジーナ曰く猪肉らしい。一口噛めば脂がジュワッと口の中に広がって、ピリッとした香辛料が舌を刺激する。コクがある脂はベトッとせず爽やかで、そこにさっきの芋を含めば倍美味かった。


 スープは一般的なコンソメだったが、猪肉の脂が溶け込んで味わい深かった。


「美味かった。最初見たときは嫌になったけど、期待以上だったよ」

『我も気に入ったぞ。これは良いものじゃ』


 充実した夕食を摂ったことで少し元気も出てきて、食後しばらくレジーナと談笑した。金策のことは一旦脇に置いて、どこに行きたいとか、何をしたいとか、ある程度案を出してまとめ、メモに留めておく。


 そうこうしているうちに、またノックの音が聞こえた。レジーナが『ああ、器を取りに来たか』と言うので、今度は俺がトレーをもってドアを開けた。


「食器とトレーを受け取りに来ました。食事はお済みですか?」


 部屋の外にいたのは、小柄な銀髪の少女だった。狼の耳をピコピコと揺らしながら、照れ顔で両手を前に組み、上目遣いで見つめられる。


 めっちゃ可愛い。もっと年齢が上の落ち着いた人が来ると思っていたから、ちょっとびっくりした。


「じゃあ、これ。お願いします」

「はい!」

「すごく美味しかったです、ごちそうさまでした」

「それは良かったです!」


 食事の感想を言うと、すごく嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。その顔になんとなく既視感を覚えながら俺も笑顔を返し、ドアを閉めたところで気づいた。


「ああ……カズナか」

『うむ? 何がじゃ?』

「食器受け取りに来た子のこと。あの受付にいた人に似てるなって」


 宿の仕事のお手伝いだろうか。健気で良い子だな、と先ほど向けられた笑顔を思い返す。俺は小さいころ親の手伝いなど全くしてなかったからなあ。


 その後も雑談していたが、満腹になったことで眠気はすぐにやってきた。軽く体を拭いた後ベッドにもぐりこんで明かりを消し、レジーナに背を向けて目をつぶった(レジーナは上裸で寝るから、目を開けて見えるようだといろいろ困るのだ)。


 今日はレジーナがいたずらをしてくることもなかった。


     🐉


 次の日、朝食のパンを片手に少し早く宿を出た俺たちは、ギルドで請けられる仕事を探していた。観光するにしても物を買う金がなけりゃどうにもならない。ということで、滞在しながらできるものを片っ端から見た結果、畑の見張りをする奴に決めた。


 仕事を請けてさっそく目的地に向かう。今回は地図を貰ってめちゃくちゃ丁寧に教えてもらったので、さすがに迷うことはなかった。


 眼前に広がるは山の森に面した大きめの畑。背の低い緑が生い茂るそこを管理しているのは体格のいい黒毛の狼獣人の青年だった。快活なしゃべり方で、仕事を始める前に離した時もかなり気分がよかった。


 話によると、最近は野生の獣に畑を荒らされることが増えたらしい。見回りとかは彼自身もしているそうだが、ずっと見ているわけにもいかないから雇ったそうだ。


 宿で出た芋もここで作っているものと聞いて、俄然やる気が出てきた。俺は「お任せください」なんてちょっと調子に乗って、意気揚々と仕事を始めた。


 と言っても、そうすぐに何か起こるわけもなく。


「楽だなあ」

『気を抜くのはどうかと思うが、まあ楽じゃな』


 レジーナと話をしながら、のんびり歩いて畑を見て回る。異変はナシ。このまま何も起こらないで終わるだろうなと安心しかかった、その時……。


『……む?』


 レジーナが森の方に目を向けると同時、何かが迫ってくる音を聞いた。

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