第13話 先行きが不安な旅立ちになってしまった

「じゃあ、そろそろ」

「無理はしないでね? お母さんだって心配してるのよ?」

「わかってるよ、大丈夫。手紙も出すから」


 玄関前で、母さんと別れの挨拶を交わす。母さんは寂しげな顔で胸に手を当て、絞り出すように言った。


「……ちゃんと、帰ってきてね」


 それを聞いて、歩もうと上げた足を戻す。


 俺を見つめるその眼には、今度こそ死んでしまうんじゃないかという不安が、俺でもわかるぐらいはっきりと浮かんでいた。


 一度死んだと思った俺が帰ってきて安堵したのもつかの間、再び出ていくとなったら……俺が母さんと同じ立場だったら、間違いなく同じことを考えるだろう。


「大丈夫だよ、母さん」


 無意識のうちに言葉が漏れる。大した意味もない気休めの一言。


「絶対に帰ってきて、“ただいま”って言うから。……いってきます」


 やっぱり寂しいなあ、なんて思いながら我が家に背を向けた俺に、母さんは「いってらっしゃい」と優しく声をかけてくれた。


『キザじゃのう。格好つけて背伸びしておるところも可愛らしいぞ』

「う、うるさい」


 笑いながら俺の後に続くレジーナの茶化しに、顔が熱くなるのを感じた。ギルドでの一件レジーナの性癖暴露以降、こうして度々俺を『可愛い』と言って弄り倒してくるのが、本当にキツイ。主に羞恥という面で。


 ただ、まあ。

 このぐらいのノリで良いんだろう。


 別に俺は、死地に赴く兵士じゃない。ふざけた伝統に従って我が身を捧げる生贄でもない。これはあくまで旅だ。


 危険なことはあるだろうけど、死に直面することなどそうそうない。それに、同行者はあの原始の古龍だ。死ぬなんてありえないと言える。


 気楽にいこう。いろいろなところに行って、いろいろな体験をして。それを土産話として、父さんや母さんに楽しんでもらおう。結局親孝行はまだできていないけど、それも「楽しく生きてくれればそれでいい」と優しく返された。


 だったら、楽しまにゃ損である。


 俺はこれから訪れる場所に思いを馳せ、軽やかな足取りで目的地へと向かった。


     🐉


 ……とまあ、そこまでは良かった。


 ちょっとだけ傲慢なことを考えながら、初仕事のためにギルドへ行き、ちょっとした書類を受け取って今度は少し離れたところにある町の門をくぐり、近くの平原に停めてある目的の馬車のところに来たのは、まあ想定内だ。


 だがしかし。だがしかしだ。


「……おい」

『なんじゃ』


 一触即発の空気を放つ、鎧を着こんだ兵士とレジーナ。一方は怒りに顔を歪め、もう一方は心底楽しそうに相手を見下し。


「貴様、あの時の……」

『ふむう? 何のことじゃ、我には皆目見当もつかんの』

「法螺を吹くな!」

『抱いていた女にでも笑われたかの? 己の失態を棚に上げて八つ当たりは褒められたものでないぞ』

「こんの……野郎…………ッッ」


 とまあ、聞くにも堪えない舌戦を繰り広げているのである。


 それをもう一人の兵士といっしょに少し離れたところで見守る俺は、隣に腰を下ろした依頼主に対して、頭を下げた。


「知り合いが迷惑をかけてしまって本当に申し訳ございません……」

「ま、まあ、大丈夫ですよ……まだ時間もありますし……はは……」


 乾いた笑いが、男の怒声に掻き消された。


 なんと、俺たち以外に雇われていた人が、あの時ヴェナム遺跡で見張りをしていた警備兵たちだったのである……。


「どうしてこうなるかなぁ……」


 旅立ち早々憂鬱になる出来事に、俺は深く、ため息をついた。

 

     🐉


 がたがたと揺れる馬車の中で、相変わらず二人はにらみ合いを続けている。


 名をガースと言うその元警備兵は、胡坐をかいて無理やり俺を背中から抱きしめているレジーナに、忌々しげに吐き捨てる。


「貴様のせいで、俺は不能になってお気に入りの嬢に馬鹿にされたんだぞ! どうしてくれる!!」

『治せばよいじゃろ』

「治せるんだったらとっくに治してるんだよこの牛女!」

「馬が怯えちゃうので静かにしていてくださいね」

「……チッ」


 一応馬車に乗るところまではいったのだが、根本的なところは解決していない。まあ、要するに、あの時の一撃が男として致命的過ぎたわけだ。


「潰れたことに同情はするが、そもそもお前が女を悦ばせられるなど考えられんな」

「ええいお前も裏切るかブルック! その軽薄な顔面を叩き斬ってやろうか!?」

「ねえ、静かに、って言ったんだけどさ。聞こえてなかったかな?」


 あまりに険悪な空気は御者台に座る依頼人を静かに怒らせ、もうなんか、しょっぱなから最悪である。主な原因はレジーナにあるわけだが。


『元気じゃの。溜まっておるなら発散せねばなるまいて』

「てめえ……どの口で言いやがる」


 こんな調子で相手の神経を逆なでしては、ペットを愛でるように俺の頭や手や下半身を触ってくる。


 男二人は俺のことも睨みつけてくるし、依頼主には微塵も期待されていないというかもはやお荷物のように思われているっぽい(これに関しては男二人も同様だが)し、俺はこんなことで大丈夫なんだろうかと呆れながら、来た道をぼんやり眺め続ける。


「町中では全然見つからねえし、かと思えばのうのうと顔を出してきやがるし、疫病神か貴様ら」


 やがて疲れ切ったのか、力なく壁にもたれるガース。なんとなく虚しそうにしている彼を見て、俺は変な不安を覚えて自分の股間に手を当てた。……うん、大丈夫。ついてる。問題ナッシング。


「……なあ、治してやることはできないのか?」

『できるぞ』

「このままだと空気最悪なままだし、治してやって少しでも機嫌よくしてやった方がいいんじゃないかな。……というか、俺が嫌だよ。考えただけで痛いもん」


 レジーナだけに聞こえるよう耳打ちすると、しばらく黙りこくった彼女が、ポツリと一言。


『面倒じゃ』

「サイテーだな」


 一片の曇りもないゲスである。ヴェナム遺跡での一件は逃げないとまずかったとはいえ、向こうはただ職務を全うしただけだ。で、その影響で不幸が重なった相手を加害者側が何もせず傍観。


 結構がっつりレジーナに対する評価が下がったわけだが、続く彼女の、


『治すのは構わんが、治したら確実に我を抱こうとしてくるじゃろ』

「あー……想像つくなそれ」

『我は可愛らしいおのこであれば構わんがあんな無精ひげの中年に抱かれる趣味はない』

「ホント容赦ねえな……まあでも、確かにそうか」


 ちょっとだけ納得してしまった。


 とはいえちょっと痛ましすぎたので、頼み込んでどうにか治すよう説得した。

 

     🐉


 その晩。


『はあ……これで治ったか?』

「お、おお、俺の息子が!」

『これですべて水に流せ』

「何言ってる、俺はまだ気様を許さんぞ! おとなしく抱かれごぼっ」

『可愛いおのこになって出直せ』


 野営のテントから少し離れたところで、ガースが腹に一撃食らって沈んでいた。哀れなり。

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