第12話 ニア、失踪
ニアは、たくさんの人でにぎわう大通りを歩いていた。
黒いフードを被り、ぱっとしない服を着て、人混みの中をまるで流れるように進んでいく。
向かう先は、古い石造りの建物。ギルドと呼ばれている場所だ。
「……はぁ」
心底面倒臭そうなため息が漏れる。立ち止まって建物を見上げ、入口の扉に手をかけたとき。
扉が開いて、中から二人組が出てきた。長身でスタイルの良い女性と、少し小柄な男性。
彼女は知っている。二人とも外見が変わっているが、昨日ヴェナム遺跡前で警備兵を返り討ちにしていた、あの二人だ。
──思うんだが、もっと手加減した方がいいんじゃないか?
──何を言っておる。手加減はしたぞ。
すれ違いざま、二人の会話が聞こえた。やはり、あの二人組。そして、確信を持って言える。
この男は、クロノ・ウィーンだと。彼女は、彼の声も、彼の顔も、はっきりと覚えている。間違えるはずがなかった。
扉をくぐったとき、二人のにおいが微かに鼻孔をくすぐった。大人の女性が纏う妖艶な匂いと、少年の汗の臭い。
「チイ……ッ」
下唇を噛み、拳を握りしめる。苛烈な嫉妬の炎に燃える目は、ただ虚空を見つめていた。
「あら、ニアさん。いらっしゃい、お客さんはもう来ているわよ」
声をかけられて、はっと我に返る。スーツで身を固めた茶髪の女性が、書類を抱えながら近づいた。
ニアは小さくうなずき、誰に案内されるでもなくカウンターの横を抜ける。右端の通路を進み、突き当りの部屋に。
薄暗いその部屋で交わされた会話は、当人たちだけの秘密。
🐉
一時間ほどたっただろうか。
ニアが入ったあと、誰も出入りしなかった部屋のドアが、音もなく開いた。
出てきたのは、相変わらずフードを被ったニア。そして、不気味なほどに瘦せこけた、丸メガネの男。
「しかし、大変なことになったな」
男が渇いた唇を開き、しわがれた声を響かせる。それに対してニアは、何でもないように返した。
「大変なこと? そんなことないわ。何も問題ない」
しかし、と反論しようとした男だったが、その口はニアの指で封じられた。
「安心して」
それを聞いた男は、渋々といった様子で「わかりました」とだけ告げて、それっきり口を開くことはなかった。
ニアと男は、カウンター前で別れた。男は丸テーブルで談笑するうちの一組に混ざり、ニアはすぐに外へ出る。気が付けば、空はだんだんと赤みを帯びてきていた。
家に帰ると、すぐに夕食となった。母親とニア、二人だけで囲む食卓。
そこで、ニアにとって予想外ともいえる言葉が放たれる。
「そういえば、さっきクロノくんが遊びに来たわよ」
「えっ?」
食事を運ぶ手を止め、茫然と母親の目を見つめる。母親はそのまま話をつづけた。
「あなたが落ち込んでるって言ったら、すごく悲痛な顔をしてたわよ。……本当に愛されてるわね。あの子があなたの彼氏で良かったわ。明日も来るって言ってたから、楽しみにしてなさいな」
その言葉の内容は、ニアの頭に入っていなかった。ただ上の空で相槌を打つ。
だが、それまで何の感情もなかったその顔に、ほのかに笑みが浮かんだ。そして、気が付けば涙も。母親はひとつ息を吐き、慈愛の笑みを浮かべて彼女も見守った。
その晩ニアは、自室でクロノとの思い出の品を引っ張り出しては眺め、笑った。
アクセサリーや、バッグ、ちょっとした小物だったり、はたまた絵だったり。相当数あるそれを、一つずつ順番に眺め、当時のことを考えながら夜空に輝く星を見た。
やがて一通り見た彼女は、虚空に手を突き出した。そして、何かをつかんでひねるような動作。
グオン! と、空中に黒い穴が空いた。
ニアはその穴の中に思い出の品を放り込む。それが済んだら、今度は服を何着か放り込んだ。
その後も考え込んではものを放り込み、彼女がその黒い穴をふさいだころには、部屋の中の物は半分ほどに減っていた。
「……ふ、ふふふ」
ベッドに体を投げ出し、楽しそうに笑う。その顔はわずかに醜く歪み、瞳の奥では仄暗い炎が燃え盛っていた。
──そして、次の日。
「ニア、ニア! どこにいるの! ニア!!」
──彼女は、忽然と姿を消した。
🐉
「ニアがいなくなった?」
「ええ、本当よ。どこを探してもいないの」
残酷な報告に、俺は意識が軽く遠のくのを感じた。
……ニアが、行方不明になった。翌日の昼下がりに彼女の家を訪ねたら、ニアの母親から告げられたのだ。
せっかく会えると思っていたのに。さすがにそれはないだろうと、足元を睨みつける。
「今頑張って探しているんだけど、全然見つからないの……どこかに行った跡もないみたいで」
そんなのあり得ない。見落としてるだけなんじゃないのか。怒鳴りたい。でも、悪いのはこの人じゃない。
「……部屋を見せてもらっても良いですか」
「いいわよ」
ニアの母親がドアを大きく開けて、俺とレジーナは家の中に入った。
何度も来たことがある、馴染み深い家。ここでニアと送った日々を思い返しながら、二階にある彼女の自室に入った。
『……むう?』
レジーナが首を傾げ、部屋のあちこちを睨みつける。そして、虚空をつかむように手を振った。
何がしたいのかわからず、俺はレジーナを無視して机の方へ向かう。俺と違って整頓されたそこには『旅に出ます。探さないでください。 ニア』と書かれた紙が置かれていた。
『……ふむ。クロノ、安心せい』
「はあ? こんな状況で何言って──」
『確実に、お前の彼女は自分の意思でこの家を離れた』
自身満々に言い放つ。俺はそれが、まるで信じられなかった。
「その根拠は? 断言できる要素がどこにある?」
『お前に見えるものはない。……我を信じろ。これは事実だ』
レジーナは何らかの確信を持った瞳で、俺を見つめてくる。そんなんで納得いくわけないだろ、と怒鳴ったが、それでもただ『ニアは生きている』とはっきり言い続けた。
「……わかったよ。信じる」
『それでよい』
「ただ、俺だってニアのこと探すからな。それぐらいならいいだろ」
『まあ、それで何が変わるわけでもなかろうて。構わぬよ』
そう告げるレジーナに、もう帰ろうとだけ返して、俺たちはニアの家を後にした。
手土産にニアの母親が手作りのシフォンケーキをくれた。それを食べたら、幾分か落ち着いたような気がした。
🐉
結局その後、初仕事の日までニアを探し続けた。
結果は、収穫なし。ニアの姿はおろか、ニアが通った痕跡も何一つ見つけられず、日を追うごとに不安が増していく。
だが、そのたびにレジーナに諭された。『ニアは生きている』と。
俺はそれを信じることしかできない。たまに思い出の品を眺めて、早く再会したいと願うばかりだった。
そして、今日はとうとう初仕事。
俺は、この町を離れなければならなくなった。
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