第10話 古龍の実力の一端を見た

「では、始めます。準備はよろしいですか?」

『構わんぞ』


 部屋の中央で、二人が向かい合う。


 一方はゆったりとしたスーツ姿の男性。赤髪は短く後ろに撫でつけてあり、堀の深い深紅の瞳は鋭く細められている。どうやら彼も素手で戦うらしい。お姉さんとはまた違った構えで、静かに佇んでいた。


 対するレジーナは……まったく力が入っていない。片足に体重を預け、腰に手を当てて、面白いものを見るように笑っている。


「ずいぶんと余裕そうだな」

『当たり前じゃ。


 確信を持って言い放つ。男はかなり気に障ったのだろう、眉間に皺を寄せてレジーナを睨みつけた。


「その驕り、粉々に打ち砕いて差し上げましょうか」

『驕っているのはお前の方ではないか?』

「……いきます」


 堪忍袋の緒が切れた男が、体をかがめる。前に傾いて──地面を蹴った。


 ゴウッ、と風を切る音がしたと思えば、男は一瞬でレジーナの前に躍り出ていた。強く握りしめられた拳が、寸分の狂いなく彼女の顔へ迫る。


 それを、レジーナは。


『遅いな』

「なにっ!?」


 片手で軽く払った。


 男の拳が耳元すれすれを抜ける。焦りの色を見せた男は咄嗟に膝蹴りを入れたが、それも難なく躱された。


 男は地に着いた片足を軸にして体をひねる。そのまま大ぶりの蹴りを放った。だが、それも、


『不安定な姿勢での攻撃とは、舐められたものじゃな』

「くっ……ただの牽制ですよ」

『ぬかしよる』


 体を大きく後ろにそらして、レジーナは蹴りを避けた。龍の尾で全身を支え、すぐに体勢を立て直す。


 男は数歩後ろに下がり、再び特攻を仕掛けた。今度は腹部に向けたアッパー。ブォンッ! と異様な音を立てたそれも、レジーナはいとも簡単に受け止める。


 男は間髪入れずにストレートを放った。そこから連続して、目にもとまらぬ速度で拳を放ちまくる。


 まるで腕が数倍に増えたかのような、重い拳の雨あられ。壁のような圧となって襲いかかるそれを、レジーナは的確に手の甲で受け止めた。


 ──横に一閃。レジーナが男の膝めがけて蹴りを入れる。すんでのところで後ろに飛び、回避した男は、宙で一回転して地に戻った。


『こんなものか?』

「そんなわけ、ないでしょう……ッ!」


 睨み合いが続く。じりじりとお互いの距離を測り、わずかな隙も見逃さず、虎視眈々と攻め時を窺う。


『では、次は我からゆくぞ』


 先に動いたのはレジーナだった。確かめるように拳を握っては開き、軽い足取りで一歩を踏み出す。


「ぐはあっ!?」


 ──直後、男の体がくの字に折れ曲がって吹き飛んだ。ドゴオッ! と鈍い音を立てて、奥の壁に激突する。遅れて、ブワアッ、と空気が揺れた。


 レジーナは……直前まで男がいた場所の一歩手前で、すでに拳を振り抜いていた。


「…………」


 言葉が出ない。


 強いだろう、とは思っていた。そりゃあ曲がりなりにも彼女は原初の古龍なわけで、そんな存在が人間に化けても、力が弱くなるなんてことはないと。


 しかし……ここまでとは。甘く見ていた。甘く見過ぎていた。


 最初のレジーナの防戦はまるで、羽虫を払うようだった。普通の人が受けたらまずよろめくような拳は、彼女にとって児戯に等しいのだ。


 最後の一撃に関しては、もはや瞬間移動だ。男の拳は残像が見えたが、こっちは残像すら見えなかった。瞬きをしたわけではない、はっきりと目にとらえていたはずなのに。


 男が弱いわけではないだろう。むしろ、かなり強い。戦いを見て分かった。だが、彼女はそれを歯牙にもかけない。底が見えなかった。


「し、終了です」


 お姉さんが慌てて立ち上がり、拳を構えるレジーナを止めに行く。彼女は『なんじゃ、これで終わりか』などと呟きながら、伸びをしてその場にどっかと腰を下ろした。


『……はぁ』


 拍子抜けしたような顔で、倒れた男を見つめている。俺はその横顔に若干の恐怖を抱いた。


 ──もし彼女が俺を殺そうとしたら、きっと抵抗などできない。まるでありを踏み潰すように、簡単に終わる。


 俺は殺されない、とは思っている。現状俺は彼女に好かれているようだし、なによりここまで一緒に行動してきたのだ。


 だが、今後どこかで致命的な仲違いでもしたら? それが、俺の終わりだろう。

 彼女が的でなくてよかったと、俺は大きく息を吐いた。


『のう、クロノ』


 いつの間にか、レジーナは俺の横に座っていた。角を手で触りながら、どこか寂しそうな笑みをうかべてこちらを見つめる。


『お前の考えていることはわかる。……我の力が恐ろしいのだろう』


 俺は唾をのんだ。彼女は俺の肩に手を置いて、話をつづけた。


『かつて我が地上にいたころも、畏れる者は多かった。我の実力を見れば、それは無理もないであろうな。我が本気を出せば、いや、本気でなくても人間の営みを脅かすことができる』


 それはそうだろう。さっきの戦いを見れば、嫌でもわかる。


 人は、この古龍に抗うことなどできない。敵対すれば、それで終わりだと、確信を持って言える。


 彼女は俺の頭に手をのせてきた。大丈夫だと言い聞かせるように。


『我は古龍だ。長く生きている間に、人間を殺めることもあった。……だが、安心せい』


 そこでレジーナは一拍置き、今度は満面の笑みで、






『可愛らしいおのこを傷つけるのは我の道義に反する。故に我がお前を傷つけることはないぞ!』

「…………………………はぁ?」






 自分でも驚くぐらい低い声がでた。


 ……今、こいつ、なんつった?


『ま、まあ、おのこだけではないぞ? おなごも傷つけたりはせぬし、そもそも人間を傷つけるなど──

「そうじゃなくてさ」


 別に人間がどうこうって言うのはどうでもいいんだ。害意があれば今頃この町は滅んでるし。


 問題は。


「さっき言ったのはさ」

『う、うむ』

「つまり、俺のことが、可愛いって意味かよ?」

『そうであるな』


 ……うわあ。


「最悪……」

『何を言うか! 可愛らしいのは素晴らしい事であろう!』

「俺のことを可愛いって言うなよ!」

『事実を言って何が悪いのじゃ!』

「恥ずかしいんだよ!!」


 お世辞にも、俺がカッコいいところを見せられていたとは思えないが、それにしてもひどい。


 俺はカッコいいって言われたいんだ! 魔法学校で頑張っていたのも、半分以上はニアに「カッコいいね、クロノ♪」って言ってもらうためだった!


 それなのにどうして! 可愛いって!


「もうやだ……」

『くふふ、そういう意地っ張りなところも可愛いな』

「やめろおっ!!!」


 ギルドの一室の隅っこで、俺はレジーナとぎゃあぎゃあ言い争う。男を運んで戻ってきたお姉さんに止められるまで、俺はずっと声を張り上げ続けていた。

 気分は最悪だった。死にたい。

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