第8話 明日の話と古龍の戯れ

 俺の扱いをどうするか、ものすごく雑に決めてから五分と少し。俺たちの目の前に、豪勢な料理が並んでいた。


 母さんは、俺とレジーナが隅で話をしている間にキッチンへ移動していたらしい。俺が好きだった母さんの手料理は、その匂いで俺の食欲をそそってくる。


 ……ただ、いかんせん量が多い。家族全員で食べる分の量が、大皿で四種類も並んでいる。さすがにさっきの時間で作れるとは思えないが……。


 何気なく聞いてみたのだが、母さんは表情に陰りを見せて、しばらく俯いたままだった。聞いちゃいけなかったかと、俺が焦り始めたところで、ようやく話し始める。


「実はね、クロノが死んじゃったって連絡が来てから、毎晩作ってたのよ……。無駄になっちゃうって、わかってたんだけど……それでも、クロノの好物を作ってたら、いつもみたいに元気な顔を見せてくれるんじゃないかなって」


 そこで一息ついて、「でも」と俺の顔を見つめる。


「無事に帰ってきてくれた。良かったわ、本当に……良かった……」


 母さんの目尻に涙が浮かぶ。だが、すっきりとした笑顔が、喜びから来るものだと告げていた。


 一度は大変な心配と迷惑をかけちゃったけど、帰ってこれてよかったな。俺は母さんの手料理を口いっぱいに頬張りながら、改めてそう思った。


『あむっ、んむ……はぁ、どれもこれも素晴らしく美味いな! 最高だ!』


 この空気をぶち壊す奴がいなければ、もっと良かったんだけどな。


「あら、気に入ってくれた? 私の得意料理なのよ。たくさん食べてね」

『うむ。斯様な美味いもの、いくらでも食えるぞ』

「全部平らげて『まだ足りぬ』とか言い出すのはやめろよな」


 ちょっとしんみりしていた俺たちなんかどこ吹く風で、レジーナは母さんの料理を一心不乱にかきこんでいる。それだけ美味しいのはわかるんだが、早く食べないと俺の分まで食われそうだな。


 一人増えて少し手狭になったダイニングに、明るい笑い声が響く。感動の再開……なんていうのも悪くはないんだろうが、俺にとってはこのぐらいがちょうどいい、かもしれない。


 久しぶりの和気あいあいとした夕食の時間も、そろそろ終わりに近づいてきた。その時、ロースト肉の最後の一切れを持っていた父さんが、「そういえば」と切り出す。


「クロノ、お前は今後どうしてくつもりだ?」

「あー、レジーナと旅する、ってことしか決まってないや……」


 言われて、具体的なことを考えてなかったなと気づく。レジーナが世界を見て回りたいと言っているから、それについて行くのは確定だが……まずどこに行くのかすら決まってない。


『気の向くままでよかろ』

「行き当たりばったりじゃねえか……」


 そうだろうとは思った。思わず口からため息が漏れる。

 まあでも、目的を持たずその場の勢いで旅して歩く人もいるとは聞いているから、できなくはない。


 問題は、旅をするにあたって必要な知識がないこと。レジーナに尋ねてみたが『我もお前も強い。何とかなるじゃろうて』と笑い飛ばした。まるで論外なのである。


 町を出る前に、そういった関連の本を読めればよいが、と考えていると、父さんが思いついたように言った。


「そうだ、困っているなら、ギルドに行ってみたらどうだ? 旅人もあそこを利用すると聞いているぞ」

「えっ? ああ、確かに……それならいけるか」


 レジーナは初めて聞いたのだろうか、首をかしげていた。


 ──俺が今住んでいるセプト王国を含む周辺諸国には、ギルドという施設が各所に設立されている。一言でいえば、様々な仕事を斡旋してもらえる場所だ。


 安定した職に就かない、あるいは就けない人が利用して、日銭を稼ぎ暮らすためにある。昔に比べて利用者はかなり減ったが、それでもある程度の需要があるそうだ。


 さっきレジーナが『宝物庫のものを売れば問題なく暮らせる』と言っていたが、それにばかり頼るわけにもいかない。それに、ギルドの依頼は長距離移動するものもあるそうなので、旅をする身としてはちょうどいい。


 名案だった。


「じゃあ、さっそく明日ギルドに行くか」

『ちょ、ちょっと待て。そのギルドとやらは、何だ? 昔──むぐっ』

「しー」


 嫌な予感がして、慌ててレジーナの口をふさぐ。父さんと母さんに変な目で見られて、俺は「気にしないで」と雑にごまかした。


 ……さっきの反応から知らないと思ってたんだが、もしかしてギルドを知っているんだろうか。そんなに古くからあるとは。


 とりあえず、両親の前で大昔の話はできない。


「今日は疲れたし、もうそろそろ寝るよ。レジーナも俺の部屋で良いよね?」

『我は構わんぞ』

「まあ、大丈夫か。おやすみ、クロノ」

「おやすみ。いい夢見てね」


 おやすみ、と両親に告げて、そそくさとダイニングを後にする。レジーナの手を引いて二階に上がり、数日ぶりの自室に入った。


 部屋の中は記憶にある通りだった。入口から向かって右側には大きめのベッドがあり、その奥に木の机、左奥にはぎっしり詰まった本棚と小さいタンスが並ぶ。


 俺は真っ先に秘密のコレクションを隠してある場所を確認した。どこも触られた形跡はない。


「よかった……」

『……それほど見られたくないのか』

「当たり前だろ、そんなん」


 ベッドの上へ仰向けに倒れこんで、レジーナを近くの椅子に座るよう促す。しばらくぼうっと天井を見つめていたが、はっと起き上がって彼女と向き合った。


「そういえば、さっき何か言いかけてたけど、あれなんだったの?」


 聞くと、彼女はあっさりと答えてくれた。


『ああ、昔戦争があったころだがな。どこの勢力にも与さない人間が集まって、組織を作っておってな。それが、あー……何だったか、何とかギルドって言われてた。』


 その頃は人間にあまり近づかんようにしておったから、記憶も定かではないがな、と付け加える。


 なるほど、そんな話は初めて聞いた。今あるギルドと直接つながりがあるのかわからないが、名前が似ているのは偶然とはいいがたい。


「仮にそれと同じ感じだったとして、そこにかかわっても大丈夫?」

『何の問題もない。というか、どうしてそんなこと聞くんじゃ』

「いやあ、離れてたっていうから嫌な思い出でもあったのかなーって」

『ただ戦争に巻き込まれるのが面倒だっただけじゃ。気にするでない』


 そういうことなら大丈夫だな。さっき決めた通り、明日ギルドに向かうとしよう。

 窓の外を見れば、黒く染まった空はたくさんの星々で輝き、その中で半月が煌々と漂っている。


「もう寝るか……ふあぁ~あ」


 口を開けば、大きなあくびが一つ。瞼も重いし、もう限界だった。

 電気を消して、布団にもぐりこむ。


「俺端に寄るから、ベッド使って」

『良いのか?』

「うん」


 自分で言って、何かされないか不安になったが……まあいいや。今は疲れた。きっとレジーナも同じだろう。部屋に入れて、寝るときになって追い出すなんてクソ野郎すぎる。

 ──ただ、この後彼女がとった行動は予想外も甚だしかったが。


 カラン、カラン、と金属が床に落ちる音がした。レジーナが寄ってくるのが分かる。

 ギシッとベッドが軋んで、布団が動く。そして、


「っ!?」


 反対をむいた俺の背中に、柔らかいものがむにいっ、と押し付けられた。レジーナに手を回されて、抱きしめられる。


 あまりに急な事態で、俺はびくりと震えた。首筋に暖かい吐息が吹きかけられる。くすぐったくて、同時に変な気分になった。


『くふふふ……かわいらしいの、弄びがいがあるわ』

「や、やめろよ」

『そう言われて、やめる奴がおるか? それ、それ』


 背中に当たる二つのふくらみが、より強く押し付けられる。逃れようともがいたが、背中で潰れるそれが、俺の冷静さを奪っていった。


 密着する背中が熱い。腰に回された手が少しずつ下に移動して、体をまさぐられる。


『彼女がいると言って居ったが……こういう経験はまだか? くふふ、我が相手してやってもいいぞ?』


 鼻孔をくすぐる甘い匂いが、部屋に漂い始めた。レジーナの言葉は一つ一つが艶めかしい響きを持っていて、気を張っていないとされるがままになりそう。


 結局この晩はしばらく好き勝手弄られて、全然寝付けなくなってしまった。夜が明けたら、文句の一つでも言ってやろう。


 ……嫌だったかと言われれば、それは嘘になるけど。できれば、こういうのはニアとしたかったな。

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