第6話 クロノの彼女

 ──時は変わって、数日前。魔法学校の生徒、クロノ・ウィーンが奈落の底に落ちた直後。


「……う、うぅ……ひぐっ、うぁあ……」


 岩が崩れ、暗闇に吸い込まれる。四つん這いになって通路の下を覗き込み、泣きじゃくる少女の涙が、その岩にぶつかって弾けた。


「くそっ……もうこれ以上は届かない」

「ううぅ……うあぁああぁ……くろのおぉ……」


 嗚咽を漏らす少女の横に立つ壮年の男性教師が、放った魔法をキャンセルして舌打ちした。それを聞いた少女は一層涙を流し、その周囲にいた少年少女は、ざわざわと騒ぎ始めた。


「うそだろ? クロノ、死んじまったのか?」

「やぁ……もうこんなところいたくないよ……」


 衝動のまま言葉を漏らす。その視線のほとんどは通路わきの暗闇に向いており、強張った顔を冷や汗と涙が伝う。


 彼らは、魔法学校の四年生。クロノと同じクラスで、たった今までクロノも交えて迷宮内の見学をしていた。

 しかし、突如地面が揺れ始めて軽いパニックになり、教師が取りまとめようと声を荒げた瞬間──クロノの足元が崩れ、深い谷底へ落ちてゆくのを見た。


 クラスメイトが死んだ。そんな事態に陥って、もはや悲鳴を上げることすらできない。彼らは不意に突き付けられた死に、情け容赦なく心を砕かれていた。


「せ、先生……く、クロノは……? あいつは無事なんですよね?」

「…………」


 男子生徒の一人が、震えながら教師に質問する。……その答えは、沈黙。

 絶望に打ちひしがれた彼は、力なく地面に膝をついた。


「……とにかく、早くここを出よう」


 眉間にしわを寄せ、大穴を睨む教師の口から、漏れ出すように言葉が紡がれる。それを聞いた生徒たちは口々に「でも、クロノが……」「あいつを見捨てるんですか!?」と騒ぐが、


「今は彼のことを考える時ではない。ここにいてまた誰か落ちたらまずいだろう」


 教師の言葉に反論できず、皆渋々口を閉じた。


 他の生徒が少しだけ落ち着いてきた中、崖下を覗く少女は未だ泣き続けている。教師はしゃがみこんで彼女の肩に手を置き、耳元で「行こう」と声をかけた。


「ひぐっ……は、い……うぅ」


 教師の腕に支えられ、ふらつきながらもゆっくり立ち上がる。涙でぐしゃぐしゃになった顔を袖で拭きながら嗚咽を漏らす彼女は、教師に強く抱きしめられた。


「…………すまない」


 彼のつぶやきは、クロノを飲み込んだ闇の中に吸い込まれた。


     🐉


 クロノがいなくなってから、早くも数日が立った。


 事故が起きた次の日は臨時で休みになったが、その翌日からはまた授業も再開。クラスメイトとはいえども、彼らは家族ではない。

 身近な人間が目の前で死んだことにショックを受け、まだ雰囲気はどんよりと暗かったが、それでもかなり回復した方だった。


 ……だが、一人だけ。


「じゃあ次、ニア。この問題の答えを黒板に書いて。……ニア? おい」

「……あ、は、はい」


 俯いて、ぼうっとしていたニアは、教師が横にきて初めて、自分が指名されていることに気が付いた。


 ──彼女がクロノと付き合っていたことは、クラスメイト全員が知っている。二人はほぼずっと一緒に行動していて、カップルであることを隠そうとはしていなかった。


 だから、皆彼女に同情する。好きな人が目の前で死んでしまったら、きっと当分は立ち直れないと。


 席を立ち、おぼつかない足取りで黒板の前に立つ。ニアは教師に指定された問題を見て、ゆっくりと答えを書き始めた。


「……できました」

「正解だ。戻ってよろしい。……具合が悪かったら、正直に言っていいんだぞ?」

「ああ、いえ……大丈夫です」


 その顔色は、誰が見ても健康とは思えないほど青白かった。だが、彼女は何度言われても頑なに授業に出続けては、俯いてぼうっと固まっている。

 この日の彼女もこれ以降は席を立つことすらなく、ずっと俯いたままだった。


     🐉


 上の空で授業に出続けるニアは、放課後になると必ず行く場所がある。

 校門を抜けて、左へまっすぐずっと進む。突き当りにきたら右に。その後も数回曲がって、町のはずれへ。


 彼女の向かう先には、あの時クロノを失った迷宮──ヴェナム遺跡が建っていた。


 彼を失った日はそこそこ人が集まっていたが、今は入り口を見張る警備兵以外にいない。人に見捨てられたかのように静まり返っているその場所を、ニアは遠目から見つめていた。


 もうすぐ日が落ちる。空が済んだ水色から茜色に染まり、もう家に帰る時間であることを告げる。


 彼女の瞳から、涙が一筋。それを指ですくって、さあ帰ろうと背を向けた、その時。


「何者だ!」


 警備兵の怒鳴り声が聞こえて、はたと足を止める。ヴェナム遺跡の方へ視線を戻すと、そこには背の高く露出の多い女性と、その背におぶられている黒いフードを被った男が、警備兵二人に囲まれていた。


「何やってんだよ!」

『仕方ないじゃろ! 興奮すると揺れてしまうのだ!』

「動くな! そこで止まれ!」

「ひいぃっ」


 唐突に表れた二人組に、目を奪われる。外見はずいぶんとちぐはぐで、何をしようとしていたのか見当もつかない。


 いや、彼女にとっては外見など重要ではなかった。……さっき聞こえた悲鳴が、いやに耳に馴染んだ。


『我は原初の古龍、ヴァーングルドであるぞ。刃をむけるならば容赦せぬ』


 女性の方が、とんでもない発言をする。一瞬ニアの瞳が揺れたが、すぐに立ち直った。


 ……唐突に女性が飛び上がり、鮮やかな足さばきで警備兵の長剣を蹴り飛ばす。一瞬あっけにとられていた警備兵は、すぐに立ち直って二人組を連行すべく動き出した。


 懐から捕縛用の魔道具を取り出し、二人組に迫る。正常に作動したそれは、フードの男に呻き声をあげさせた。

 

「…………やっぱり……」


 ニアの口から、ぽろりと言葉が漏れる。ずっと強張っていた彼女の表情が、ほんの少しだけ柔らかくなった。

 ──ぐしゃっ、と痛々しい音が響いた。


「あ゛ぁあ゛あ゛ぁあ゛ぁ゛ぁあ゛ぁ゛ああ゛あぁ゛あぁ゛っ!?!?!?!?」

「ひっ……あっ、おいまて逃げるな──がはあっ!」


 女性には魔道具が効いていなかったらしい。股間を蹴り上げられた警備兵が、高く宙を舞ってニアの目の前に落下する。


「ふぎゅっ!!」

「……うわぁ」


 あまりの悲惨さに眉を顰める。彼の股間部は蹴り上げた足の形に大きく陥没し、男性として重要な部分が潰れていることは想像に難くなかった。

 

「本当に、古龍なの……?」


 目の前で気絶している警備兵から、ヴェナム遺跡前に視線を戻す。そこには、


『怪我はないか?』

「うん。ありがとう」


 ボンキュッボンな自称古龍の女性に抱きしめられ、とても嬉しそうにしているフードの男がいた。


「──~~ッ!!」


 ぶわっ、とニアの周囲の空気が凍り付いた。爪が手に食い込むほど強く拳を握り、歯ぎしりをしながら二人組を睨む。


「あの、女ァ……私の彼を……」


 射殺すほど鋭い視線で女性を睨み続け、延々と呪詛をこぼす。二人組が雑木林に隠れ、野次馬が集まってきた後にこっそり逃げ出すまで、一瞬たりとも目を離すことはなかった。


 しばらくは二人組が去っていた道を睨んでいたが、周囲が暗くなってきたことに気が付く。ニアは大きく息を吐いて、元来た道をたどっていった。




「あいつもあいつよ……私と“約束”したのに、なんであんな女に……はぁ」




 ぽつりとこぼした文句を聞いていたものは、誰もいない。

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