第4話 古龍の哀愁と初めての戦闘
何十分か真上に飛び続け、ようやく遺跡のところまで戻ってきた。
ものすごい速さだ、なんて思ってたが、レジーナが『クロノが頑丈ならもっと早く飛べたのだがな』とこぼしているのを聞いて、嬉しいような悔しいような、何とも言えない気分になった。
まあ、それは置いておいて。
「それにしても、ずいぶん閑散としてるなあ」
『このあたり、我とお前以外誰もおらんな。静かなものだ』
俺が落ちたところより数階下と思われるフロアに到達し、ふらふらと歩いているのだが人っ子一人見当たらない。
モンスターはレジーナにビビッて逃げていくのをたまに見かける。おそらく本能で勝てないとわかっているんだろう。
だが、人間にそんな危険予知なんかできない。ここはいつもたくさん人がいると聞いているから、ばったりと会ってもおかしくないんだが。
『お前が話していた、地震とやらを恐れて逃げたんではないのか?』
「ああ、それもそうか」
言われて気づいた。
そりゃそうだ。結局のところ生きてはいるが、あの状況だけ見たら明らかに人身事故。しかも原因が謎の地震ときたら、危険視して封鎖するのは当然だ。
当たり前すぎて、考えつかなかったのがちょっと恥ずかしい。ちょっと考えたらわかっただろ。
とまあ、悔やむのもそこそこに、俺たちは階段を上る。ヴェナム遺跡は結構な広さだが、通路はそこまで入り組んでいないから結構簡単にたどり着いた。
上階に付いたところで、レジーナが『……地下四階か』とこぼした。その視線の先には、絡まった紐みたいな文字が刻まれた壁があった。
『我が最後に見たときよりずっと荒廃しておるな……時の流れとはかくも残酷なものか』
しみじみとつぶやく。指で壁の文字をなぞって、しばらく俯いていたが、俺が声を掛けたらすぐに戻ってきた。
今の様子からして、ここに深い思い入れがあろうことは想像に難くない。しばらくこの中を見て回ろうかと提案したけど、またあとでくればよかろうと却下された。
あんまり知られたくないことでもあるんだろうか。俺はこれ以上追求しないでおいた。
🐉
その後も順調に進み、今は地下二階から地下一階に向かう階段の前にいる。
本当ならこのまま上に進む予定だったのだが……レジーナが一つ、面白いことを提案してきたのだ。
『せっかくその装備をやったのだ、一度モンスターと戦ってみてはどうだ?』
モンスターと戦う。俺にとってはちょっとした夢の一つだった。
当然そんな甘美な誘いに乗らないわけもない。レジーナの提案に勢いよく首肯したところ、ちょっと準備をすると言ってまたあの魔法言語を唱え始めた。
『……と、これで大丈夫じゃ。我に怯えて逃げ出すこともないだろう』
彼女曰く、気配遮断の魔法を使ったらしい。自力でもできるが、念のために魔法も、とのことだ。
魔法のおかげで俺まで見失いそうになるが、肩に手を置いてもらって解決。
案内されるがまま、階段の前を離れて通路を歩いた。
階段を正面に、右の通路を突き当りまで、そこで右折し、ちょっと進んだ先に──いた。
双頭の巨大な狼、オルトロスだ。
「ちょっと待ってオルトロスは無理でしょ」
『何を言うておる、その武器ならさっと近づいて一振りでやれるぞ』
古龍基準で言われてもなあ。
オルトロスは、この遺跡で確認されているモンスターの中で一番強いと聞いている。手練れの騎士なら一対一で倒せるそうだが、それでも楽勝とは程遠いものらしい。
当然、戦闘ド素人の俺が倒せるような存在ではない。
だが、古龍は俺でも楽に倒せると言って聞かない。もしかして俺を殺す気なんじゃなかろうか、と思って逃げ腰でいたら、いざという時は助けるとまで言ってきた。
……古龍であるレジーナなら、なんとかなるんだろう。助けてくれる、というのを当てにして、俺は一歩ずつ距離を詰める。
後ろでレジーナが見守る中、俺は人生で初めてオルトロスと相対した。
「グァルルルルルルルルウゥ……」
鋭く伸びた不揃いの牙をむき出しにして、青紫の瞳で俺を睨みつけてくる。黒い毛皮には紫電が走り、バチバチと音を立てていた。
視線が交差し、両者ともその場で固まる。オルトロスの方はこちらを警戒してのものだろうが、俺は完全に気後れしていた。
こんなのに、勝てるわけがない。改めてそう感じた。そこに立って、目を合わせるだけでこの威圧感。向こうが動けば一瞬で死んでしまうだろう。
後ろから、かすかにレジーナの声援が聞こえる。俺の何に期待しているっていうんだ。
──ひた、と歩を進めるオルトロス。その目は敵を見るそれではなくなっていた。今の俺は、ただの餌だ。
膝が震える。無意識のうちに後ずさる足を、止めることなどできなかった。
「グルル…………ガアアアアアアアアアアッ!!」
「ひっ!?」
オルトロスが、その口を大きく開いてとびかかってくる。血で汚れた牙を、俺の体に突き立てようとしているのだ。
俺は何もできない。ただ目をつぶり、うずくまる──
──シャッ! ゴオオッ! ザシュッ……ドサッ。
「ギャンッ!」
「……え?」
それは一瞬だった。剣の柄に添えていた俺の右手が、俺の意思に反して剣を抜き……オルトロスを真っ二つに切り裂いた。
ちゃんと見ていたわけじゃない。でも、今俺が右手に持っている血にまみれた長剣と、双頭の根元から綺麗に胴体が二つに分かれたオルトロスを見れば、簡単に想像がつく。
俺が、オルトロスを殺した。今ここで、傷口を焼かれ横たわっているオルトロスの死体は、さっきまで俺を獲物としてみていたあの怪物だ。
わからない。どうして俺なんかが倒せたんだろう。そして、今の俺の動きはなんだったんだろう。考えたところで、答えは出ない。
『ほほう……これはすさまじいな』
いつの間にか、レジーナが俺の横に来ていた。
『クロノ、お前はなかなか数奇な運命をたどっているようだ。我の住処に落ちてきて最初に話した時も感じたが、相応の覚悟をしておいた方が良いかもしれんな』
神妙な顔で言う。でも、俺はそんな事言われたって何が何だかわからない。
言葉の意味を聞いたが、レジーナは『いずれ嫌でもわかる』の一点張り。俺はもやもやとした不安を抱えたまま、彼女とともに元来た道を引き返した。
ちなみにオルトロスの死体だが、いつの間にかレジーナが回収していた。どうやらオルトロスの肉は好物らしいのだが、歩きながら豪快にかぶりついているのはなかなか猟奇的だった。
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