第十二伝 『辻川沼』

のどかな小道を歩く二人。朔の住んでいる寮や学校は閑静な住宅街で、少し電車に乗れば都会に出られる。そんな場所からバスで一時間程度移動するだけで、こうも景色は変わるものなのか。ビルやマンションはない。緑溢れる景色に朔は感嘆の声を漏らす。



「たった一時間で、こんなにも風景って変わるもんなんだな。」



折角なので、この風景を楽しむ事にする。学校で友達が出来るかすら微妙な状況の朔。仮に出来たとしても、その友達とここにまた来るとは思えない。再び足を向ける事があるかどうかすら分からない。日頃のストレスを発散、疲れを癒すように大きく息を吸い込みながら歩く。


それから数分も経たずして目的地の沼へと辿り着いた。



「ここが?」

「そう。五大妖怪、河童を封印する沼。“辻川沼”」



朔はぐるりと辺りを見渡した。

決して小さくはない沼。湖ほどの大きさはないし、池ほど小さくもない。水質はあまり良くなく、少し水が濁っている。中から河童が出てきて引きずり込まれても気付かれなさそうだ。とは言え、そんな不穏な空気は全くなく、至って穏やかな水面である。



「ただの沼に見えるけど。」



人気もなくて朔達二人しかいない。二人を尾行して来ている葛葉も入れれば三人か。

今はまだ封印が解けていないとはいえ、ここは河童が封印されている地。人間二人に妖かし二人となると分が悪かろう。しかも朔は神の従者ですらないパンピーなのだから。


その状況を考えると緊張感が走る。そしてその延長線上に浮かびあがった質問を投げ掛けた。



「そういえば、なんで辻川沼ここからなの?この間の稲荷神社は?」



葛葉を裏の世界に返す為にも稲荷神社から行った方が良いのでは?

しかも何より、この沼まで来るのにバスで一時間も掛かる。断然稲荷神社の方が近いだろうに。

だがそれには明確な理由があるらしく、双葉が朔へと目を向けてその質問に答えた。



「かつて行なわれた封印は、天狗、鬼、妖狐、化け狸、河童の順だったから…。」

「あ、その逆から行かなきゃいけないって事か。」

「・・・・・。」



何か考え込むように俯く双葉。だが朔はそれには気付かず、視界に入った“あるもの”が気になった。


沼の畔に小さな神社がある。やはりここも稲荷神社同様、神の従者が妖かしを封印した地として神社とは切っても切れない縁があるという事だろうか。

稲荷神社程ではないが、小さくとも立派な神社である。朔は神社へと足を向けて、きちんとしたマナーで参拝した。



「!」



朔の律儀な姿に双葉は目を丸くする。そして一連の参拝儀式を終えた朔に、双葉は問い掛けた。



神道しんと?」

「どうかな。分かんない。俺、両親事故で亡くしてて、ずっとじいちゃんと暮らしてたから。宗教とか全然知らなくて。」

「暮らしてた?」

「うん、そのじいちゃんもこの間死んでさ。」

「!」



突然のカミングアウトに双葉は再び目を見開く。そして眉尻を下げ、申し訳なさそうな顔をしながら視線を反らした。



「ごめんなさい。」

「え?あぁいや、大丈夫。じいちゃん老衰だから、ある程度の覚悟は出来てたし。八十歳越えてたからむしろ大往生。親の事故は俺が小さい頃の話だから。正直あんま覚えてなくて。」

「・・・・・。」



少し考えれば分かるような事を問い返してしまった事で嫌な思いをさせてしまったのではと双葉は思った。そしてその気遣いに朔も気付く。朔は気遣い無用と言わんばかりに笑顔で手を振る。だが双葉にはそれが少し無理しているようにも見え、沈黙を落としてしまった。

双葉は心優しい人間だと朔は痛感する。まだ知り合って間もない朔をこんなにも気遣ってくれる。いや、気遣いだけではない。これまで何度も助けられた。それだけでも十分である。


そんな双葉に対して少しでも誠意を見せられるように。朔は少し掘り下げて己の身の上を語る。正直、当初は話すつもりはなかったが、関わるなと言われた妖かしの件について教えてくれた彼女に対し、応えなければならない気がした。



「…じいちゃんが死んだ事よりも、正直その後の方がしんどかったかな。俺を誰が引き取るかって話で親戚で揉めてたっぽくて。直接言われたわけじゃないけどさ、そういうのって何となく分かるし。」

「それで寮に?」

「うん。そんな状態で引き取られても気ィ遣ってしんどいから。それなら最低限の援助だけしてもらって、後は寮に入って自分で生活する方が良いかなって。」

「・・・・・。」



これは朔の本心である。“遠くの親戚より近くの他人”という言葉からも分かるように、血の繋がりがあっても関わりのない親戚なら他人より遠い。頼りづらい。むしろほぼ他人と同じだ。そんな間柄で引き取られても息が詰まりそうだ。

それならいっそ、寮で一人暮らしをする方が断然良い。朔はその本音を笑顔で語る。



「そんな気遣わなくて大丈夫だから。むしろ下手に親戚に歓迎されてた方が気ィ遣ってしんどかっただろうし、この方が楽だったっつーか。」



話した事で朔は何処かすっきりした顔を浮かべる。話す事で少し肩の荷が下りたのだ。何かが解決したわけでなくとも、話す事、吐き出す事で楽になる事もある。


そして朔は腰に手を当てて双葉へと向き直る。



「俺の話する為にここに来たわけじゃないし、さっさと済ませよう。…ん?」



と、そこまで話したところで何やら気になる影が。

葛葉ではない。推定年齢五歳ぐらいの男の子が、社の裏からひょっこり顔を出し、トテトテと駆け寄って来た。そして少年は双葉の脚にひしっと抱きつく。双葉も彼の事を知っている様子で、微笑を浮かべて少年の頭をそっと撫でた。

仲良さげな二人を見て、朔は突飛な見解を口にする。



「…隠し子?」

「んなわけないでしょ。この子は…。」



双葉が少年の事を説明しようとしたその時、二人の会話に割って入る者が登場!



「ちょーっと待ったーーーァァァ!!」

「!」



聞き覚えのある声、葛葉である。あたかも正義のヒーロー参上と言わんばかりの立ち居振る舞いに二人は呆れ顔だ。



「フハハハハ!てめーらがここの封印を強化しようとしてるのは分かってた。だがそうは問屋が卸さねぇぜ。何故なら!この俺様がこの場にいたからだ!!」

「いや、思いっきりついて来てたよな?」



さもここで待ち伏せてましたと言わんばかりの葛葉に鋭いツッコミ。

ギクリ。

葛葉は自分の尾行が完璧なものだと思っていたらしい。思わぬ指摘に汗ダラダラだ。そして葛葉はしどろもどろになりながら口を尖らせる。



「び、尾行なんかしてねぇ。人違いじゃね?」

「いや、いいって。バレてるから。思いっきり分かりやすくついて来てたから。バス降りた時、茂みのところにいただろ。」

「…っ!」



ここまで言われてはどうしようもない。だが正直それは葛葉にとってはどうでも良い事。問題はそれじゃない。葛葉の目的は封印強化を阻止する事。それを葛葉は右手を振りかざして大いに語る。



「とにかくだ!てめーらの目的は果たされねぇ。俺が阻止し…。」

水牢スイロウ

「!?」



言葉中ほどで双葉が神術しんじゅつを解き放つ。朔と葛葉が言い争っていた隙に護符を取り出したのだ。護符から現れた水は葛葉を大きく包み込む。そして息だけは出来るように、葛葉の首から上だけ出た状態で水に拘束された。

それを見た朔は、げんなりした顔を浮かべる。



「えええぇぇぇぇっ。弱っ。つーか、弱っ。」

「二回言わんで宜しい!」

「ダセェ…。」

「うるせーな!!」



水の中でもがくも葛葉は術を破る事は出来ず。格好付けて登場した割には悲惨な結末となった。そんな葛葉に朔は冷ややかな視線を送るが、同時に不憫にも思った。

そして二人が会話をしている隙に、双葉が新たな祝詞のりとを唱え始める。



「『神の従者の名の下に…。』」

「!」

「しまった!」

「『今此処に汝の封印を解き放たん。』」



ゴオオオォォォォォ…!!

双葉が唱え終わると同時に、沼の水が大きく波打ち始めた。そして沼の中央に大きな空気の渦が出来て強風を解き放つ。構えていないと吹き飛ばされそうな勢いだ。

そしてその大きな渦は暫くの間風を放ち続けた後、小さく収束する。風も治まった。


その情景を見ていた葛葉は唖然とした様子で目を見開く。



「お前…っ!何…やってんだよ・・・・!!」

「やった!これで封印は強化されたってわけだな!」



朔は満面の笑みを浮かべる。

だが次の瞬間…


ズゥゥン!!



「え?」



大きな物音に朔は思わず振り返る。すると沼の畔に巨大な河童が出現していた。



「ここの封印を解いたのは、お主か?」



双葉は至って冷静な顔つきで河童の問い掛けに応える。



「ええ。」

「…え。えええぇぇぇぇぇ!?」



静かな沼地に朔の叫び声が大きく響いた。

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