十五.出発前
「ただいま」
「お、うまくいったみたいだな」
買い物を終えて例の倉庫に戻る頃には夕方になっていた。数日分の食料と衣類、そしてフェルの耳を隠すための帽子。必要なものは全部そろったはずだ。
「リタの足はどうだ?」
「火傷はほぼ治ったよ。夜が明ける頃にはきっと完治してるはずだ」
「吸血鬼ってほんとにすごいんだな。何か弱点とかないのか?」
「弱点というほどではないけど、日光は苦手だね。吸血鬼は皆、先天的にそういう体質らしい。あとは血統術を使うためには人間の血が必要だということかな」
「あ、ああ、なるほど」
「ふふ、その時はまたよろしく頼むよ。君の血はなかなか……いや、なんでもない」
まさか寝ている間にガブリ、なんてことはないだろうがやはり本能的な恐怖を感じてしまう。できるだけリタが戦わなくてすむよう祈るしかない。
「……ん? ラヴ、その首にかかってるやつも買ったのか?」
「うん」
フェルが言うのはあのペンダントのことだろう。帽子と一緒に買ってしまったから、結局いくらなのかわからないままだ。まあ宝石の類でもないし、綺麗ならそれでいいんじゃないかと思う。
「あんたがラヴに買ったのか?」
「ああ、ちょっと断り切れなくて」
「……ふーん」
「な、なんだよ」
「いや、別に? ところでこの帽子選んだのもあんたか?」
「そうだけど、何かまずかったか?」
「なるほどね。まあ、及第点かな」
「はあ」
「……私にはないのかい?」
「え?」
「フェルには帽子、ラヴにはペンダント、私には、何もないのかい?」
「あ、それはその……ごめん、気づかなかった」
「いや、気にしないでくれ。……またいつ血が必要になるかわからないしね」
「え」
何やらややこしい事態になってしまった。こういう時にさりげなく贈り物を用意しておけるようなスキルなど持っているはずがない。血を全て持っていかれなければいいのだが。
「これで準備完了。明日には出発できる」
「まともな服も手に入ったわけだし、今夜は宿屋にでも泊まりたいな。この倉庫じゃあまり安心して眠れないし」
「宿屋かぁ、なんかちょっとわくわくするな。あ、でもリタは……」
「大丈夫、少し手を借りれば歩けるくらいには回復してるよ」
「じゃあ着替えて出発しよう」
そう言ってラヴはマントを脱ぐ。ここでは女性の方が多数派だ。俺が外で着替えた方が良いだろう。そう思って立ち上がろうとした。だがラヴの動作は止まる気配がない。つまり——
「ま、待って! ラヴ」
「なに?」
「はぁ……。まだ服は脱がないでくれ……」
「……わかった」
あきれたような表情のリタとは対照的にラヴはいつも通りの無表情だ。フェルは特に反応はないが、逆にそれが不気味に感じられる。
「び、びっくりした……」
「……すまないね。この通りラヴは女性としての自覚に欠けるところがあるというか、まあホムンクルスとはそういうものなのかもしれないが。これでも出会った頃よりはだいぶマシになってるんだけど……」
「ま、とりあえず出て行きな」
「あ、そ、そうだな」
着替えを抱えてそそくさと外に出る。これから三人と行動を共にしていく以上、こういう場面は今後も起こりうるかもしれない。気が重いというほどではないが、やはり色々と考えてしまうところはある。といっても俺がこの世界を一人で生きていくのはかなりハードルが高い。慣れる以外に選択肢はないだろう。
柔らかいベッド、明るい照明、冷たくない床、もちろん見張りもいない。普通の部屋というのがこんなに居心地がいいものだとは少し前までは思ってもみなかった。無事宿屋にたどり着き、リタとフェルは相部屋、俺とラヴは個室ということになった。思えば一人の時間というのも、この世界に来てから初めてかもしれない。だがあまりその余韻に浸っているわけにもいかない。廊下に出て隣の部屋に向かう。
ドアをノックすると少し間があってからフェルが出てきた。どうやらノックという文化は異世界でも共通らしい。
「ん、あんたか。どした?」
「それがその、風呂の使い方がわからなくて」
「はあ?」
風呂と言ってももれなく魔力式だ。壁に回路が描かれているのはわかるが、文字が読めないため何をどう操作すればいいかさっぱりわからない。
「異世界人なんだし大目に見てくれよ」
「しょうがないなぁ。今リタが入ってるからあんたの部屋で説明するよ」
これもあまり深くは考えていなかったが、この世界にも風呂という文化は存在している。当たり前と言えば当たり前だが、牢獄にいた時はその当たり前すら許されなかった。しかしそうなると気になることが一つある。
「なあ、牢にいた時は体の汚れとかどうしてたんだ?」
「あ? なんだよ急に」
「いや、俺より長くいた割には皆きれいだなと思って」
「……兵士に頼めば水浴びくらいはさせてもらえたよ。監視付きだけどね」
「あ……そう、だったのか」
「あんたじゃどんなに頼み込んでもダメだっただろうな。ほら、ここを触るとお湯が出る。止める時はこっちで、これは温度の調節だ。わかったか?」
「あ、ああ」
「正直あんたちょっと匂うぞ。早く入った方が良い」
「ま、まじか……。そうするよ、ありがとうフェル」
「このくらい一人でできるようになってくれよ」
そう言ってフェルが出て行く。浴室には俺だけ、また一人の時間だ。
この世界だけじゃない。彼女たちもまた、俺の知らない苦しみを心の内に抱えているのかもしれない。俺は彼女たちに寄り添えるだろうか。答えは出ない。それでもいつかきっと。今ならそう思えた。
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