十四.旅支度
いつかここは商業都市だとフェルが言っていたが、その規模は俺が想像してたものを遥かに上回っていた。都市の大きさは把握しきれていないが、その人通りの多さ、人口密度に関しては、現代の新宿や渋谷すら軽く凌駕するほどだ。城下町の商店街には無数の露店が立ち並び、狭い通路には多くの人がひしめき合っている。
「ここまで人が多いと亜人じゃない俺でもちょっと引くな……。ラヴは大丈夫か?」
「想定外。でも任務は絶対にこなす」
「そうだよな。とにかくはぐれないようにしよう」
「わかった」
そう言ってラヴが俺の手を握ってきた。正直かなり落ち着かないが、拒絶するのも感じが悪いし、実際はぐれないようにするには一番合理的な方法だ。そのまま人ごみをかき分けつつ、どうにか目当ての店を二人で探す。
そして道の左右にある様々な店を見ているときにあることに気づいた。時折店のそばに看板のような板切れや布が掲げられ、そこに文字らしき記号が書かれているのが見える。そう、それが記号にしか見えないということは、俺はこの世界の言葉は理解できても文字は読めないままだということらしい。
ラヴによれば俺が言葉を話せるのは高度な錬金術のおかげらしいが、どうやら文字は翻訳してくれないらしい。それに先日リタが言っていたライドという謎の単位。普通に会話が成立しているのであまり気にしたことはなかったが、やはり錬金術による翻訳も完璧ではないようだ。そして何より困ったことが一つ。
「ラヴ、もう一度確認しておきたいんだけど」
「うん」
「100ファンが1クラウスで、50クラウスが1ケム。つまり1ケムは5000ファンで、今俺たちが持ってるのは、5ケムと20クラウス……であってるよな?」
「正解」
「よかった、やっと覚えられた……」
この世界で円やドルが使われているはずはない。当然独自の通貨が流通していて、計算の方法も異なる。だいたいパン一つで50ファン程度らしい。物価の違いも考慮しなければいけないが、円に置き換えると1ファンが2、3円ほどだろうか。硬貨の種類も五つほどあって、それと合わせて覚えなければいけないのでかなり苦労した。
やはりここは異世界なんだ。俺の信じていた常識は通用しない。まだ俺が気づいていないだけで、後でとんでもない事実が発覚するなんてこともあるかもしれない。とにかく心構えだけはしておこう。そんなことを考えながら歩いていると、道端の雑貨屋がふと目に留まった。店頭には帽子がいくつか並べてある。
「ついでに何か耳を隠せるものを買ってきてくれ」
そうフェルが言っていたのを思い出した。やはり帽子やフードで隠すのが無難な選択だろう。人の波にのまれながらラヴの手を軽く引く。
「あの帽子、フェルに買おう」
「わかった」
この人通りでは目当ての場所に移動するのも一苦労だ。もみくちゃになりながらもなんとか雑貨屋にたどり着くと、気さくな感じの女店主が声をかけてきた。
「おや、デートかい? ずいぶん可愛らしい彼女だねぇ。せっかくだし何か買ってあげるってのはどうだい」
あまり意識はしていなかったが、確かに若い男女が手をつないで歩いていたらそう思うのが自然だ。とりあえずはラヴへのプレゼントという体にしておいた方がいいか。
「じゃあえっと、帽子を一つ」
ぱっと目についたのは何かの毛皮を使ったもこもこした感じの帽子だ。デザイン的にはロシアとかの北欧の人が身につけている物が近い。これから行くのは北だと言っていたし、ここは日本ほど温暖な気候でもないようだ。値段にもよるがこれでいいんじゃないだろうか。
「あら、そんな地味なのでいいのかい? この白いのとか似合いそうじゃないか」
「その、これからちょっと旅に出ようかと思ってて」
「まあ、もうそんな仲なのね。あんた、なかなかやるじゃない。じゃあ、ついでにこれなんかどうだい? 今若い子に人気なのよ、ってあんたらの方が詳しいか」
そう言って店主が取り出したのは、水晶のような石でできたペンダントだ。丁寧な彫刻が施されていて綺麗なのは確かだが如何せん高そうだ。他にも買わなければいけない物はあるし、何より俺たちは偽金しか持っていないのだ。あまり高価な物を買うのは良心がとがめた。
「いや、今は手持ちが……」
「男がそんなけち臭いこと言うもんじゃないよ。彼女にいいとこ見せてやんな、ねえ?」
ラヴは相変わらず無表情だ。動じている様子もないが、何かをしゃべる気配もない。店主はそれを肯定と受け取ったようだ。
「ほら、あんまり女を待たせるもんじゃないよ。今ならちょっと安くしとくからさ」
「わ、わかったよ……。じゃあ、それもください」
「毎度あり! 二つあわせて30クラウスだよ」
正直高いのか安いのかよくわからないが、値切り交渉なんてやったことはない。まだ手持ちに余裕はあるし、おとなしく買うことにした。店主に見送られながら、また人の波の中へ帰っていく。しかしこのペンダントはどうしようか。俺がつけていてもしょうがない。
「ラヴ、これいるか?」
「……わからない。僕にあげたいの?」
「まあ、せっかく買ったんだし俺がつけるよりいいかなって。ラヴなら似合いそうだし」
「……じゃあ、もらう」
ペンダントをつけたラヴはいたって普通の女の子に見える。今まで特に人間との違いを感じたこともないし、ホムンクルスという存在は相変わらず謎に包まれたままだ。ただ直接本人に聞いても俺が理解できる答えが返ってくるかどうか。あまり期待はしない方がいいように思えた。
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