十.血統術
遠ざかっていく三人の背を見送りながら、リタは目の前の男に殺意をぶつける。城の中で何度か見かけたことのある顔だ。おそらく王宮魔術師の一人だろう。ひ弱そうな雰囲気だが、それでいて隙がない。かなりの手練れであることは間違いなかった。
「わ、私も舐められたものだね。君のような娘一人で足止めできるとでも思っているのかい?」
「それはこちらのセリフだよ。私は吸血鬼リタ・ブランドール。その辺の亜人と同じだと思っているなら、お前の血は全て私の物だ」
「生意気な口を……。ど、どいつもこいつも私を馬鹿にして……」
男の魔力が高まっていくのを感じる。まずは様子見、相手の力量や癖を見抜く。それが戦いの基本だ。
「風よ、驕り、昂ぶり、彼の者を切り刻め」
男がそう唱えると大気が揺れ動き、一瞬のうちに風が無数の刃となって飛来する。風を使った魔導術、視認しづらく軌道も変則的で読みづらい。詠唱は三段階、複数の命令を重ねて威力を増大させている。だが、この程度なら——
——
放たれた魔力の塊が風の刃を押しのけ、弾き飛ばす。男を狙ったつもりではあったが、かわされてしまったようだ。どうやら魔力感知にも長けているらしい。そうなるとこちらの攻撃を当てるのも、一筋縄ではいかなそうだ。
「風よ、驕り、昂ぶり、怒り狂い、彼の者を切り刻め」
再び男が術を唱える。今度は四段階、さっきよりもさらに威力が増しているはずだ。こちらももう一度、
男はすでに魔力を集中させ、次の術の詠唱に入ろうとしている。私にダメージを与えるためには、少なくとも五段階以上の詠唱が必要だと向こうもわかったのだろう。だが詠唱が長くなれば、当然隙も大きくなる。今度はこちらがその隙を狙う。
——
男は一度距離を取り、再び間合いを測りなおす。回避に専念している間は詠唱できないようだ。かといって闇雲に攻めても、全てかわされてしまう。なるべく戦闘が長引くのは避けたいところだが、まだ突破口は見えてこない。
「風よ、驕り、昂ぶり、怒り狂い、彼の者を切り刻め」
男の詠唱は四段階。それならば
「火種よ、燃えろ」
詠唱が短い。しかもこれは。気づいた時にはすでに視界が真っ赤に染まっていた。火炎魔法に特有の、血のように紅い炎。凄まじい衝撃と熱が、リタを体ごと吹き飛ばす。辛うじて受け身は取れたが、右足が激しく痛む。どうやら火傷を負ってしまったようだ。下手をすると骨も傷ついているかもしれない。
立ち上る黒煙の中、どうにか周囲の状況を確認する。目の前の地面には巨大な穴が開いていた。さっきの詠唱からして、おそらく地中に魔力式の爆弾が仕掛けられていたのだろう。ここは敵陣のど真ん中、対侵入者用の罠があっても不思議はない。男はその感知力で爆弾の位置を確かめ、戦いの中で気づかれないように私をそこへ誘導したらしい。
「こ、これでも死なないか。ま、まあ私はどちらでも構わないが」
黒煙の中から男が歩み出てくる。見れば肩のあたりの服が破れ、出血しているようだった。きっと
「お、おとなしく降伏しろ。君は貴重な吸血鬼だし、処刑されることはないだろう。他の仲間がどうなるかは、知らないがね」
立ち上がろうとするが、うまく足に力が入らない。状況は絶望的だ。だが——
「悪いけど、そのつもりはない!」
男に向かって
先に行った三人はどうなっているだろうか。まだここにいるだろうか。それとももう脱出しただろうか。彼には言わなかったが、もし外に出られるチャンスがあれば、互いを見捨ててでも外に出ようと二人とは約束した。私たち亜人が生きるためには、何かを犠牲にしなければならない時もある。二人はそれをよくわかっていた。
「風よ、刻め」
わずかな隙をつかれ、男の詠唱を許してしまった。威力は大したことはないが、この足では避けられない。やむを得ず
「風よ、驕り、昂ぶり、怒り狂い」
意識を集中させる。男へではなく、地面の下へ。
「喚き、泣き叫び、彼の者を——」
「火種よ、燃えろ!」
「——なに!?」
男の背後で爆発が起こる。私が使えるのは血統術だけではない。詠唱がわかっているなら、魔導術だって人間以上に使いこなせる。そうであれば後は爆弾の位置次第だ。この男ほどではないが、あるとわかっている魔力体の場所を探るくらいなら一瞬でできる。
やはり直撃はしなかったが、爆風で男は大きく体勢を崩している。いくら魔力が強くとも所詮人間、肉体的には亜人種に遠く及ばない。このタイミングなら、いける。
——
この足ではどうせもう逃げられない。なのに私は、なぜここまでして勝とうとしたのだろう。自分でもはっきりとはわからない。仲間のため、なのだろうか。おかしな話だ。自分を見捨てていく者を仲間と呼び、あまつさえそれを助けようとするなんて。
「気高く美しい、吸血鬼……か」
思いのほか悪い気はしなかった。
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