十一.恩返し

「お、外だ!」


 ガリガリと壁を掘り続けていたフェルが声を上げた。追手は見当たらない。逃げるなら今の内だ。だが——


「リタの方はどうなっただろう……」


 先ほどの爆発音を最後に大きな動きはない。戦いに決着がついたのだろうか。それにしてはリタが来るのが遅すぎる。


「あなたに言わなければいけないことがある」


「え?」


 ラヴは相変わらず無表情だが、その青い瞳はどこか暗い影を落としているように見える。何か、嫌な予感がする。


「リタの生死はわからない。でも僕たちは今から脱出する。それがリタとの約束」


「脱出って……、それにリタとの約束ってなんだよ? まだ生きてるかもしれないのに、置いて行けるわけないだろ……!」


「三人で決めたんだ。いざという時は自分のことを優先するって」


 穴から顔を覗かせたフェルが言う。その顔には硬い決意が感じられる。


「でもリタがいたからここまで来れたんだろ!?」


「んなこたぁわかってるよ! けど今戻って捕まったらどうする? 即刻処刑されたっておかしくないんだぞ」


「リタは吸血鬼、一番強いし、殺される可能性も低い。だからあえて残った……僕たちを行かせるために」


 リタは何も言わなかった。だけどきっと二人の言うことは本当なんだろう。わかってる。わかってはいるけど、どうしても心が追い付いてくれない。


「もう時間がない。外は人間だらけだ。夜が明ける前にどこか隠れ場所を見つけないと、遅かれ早かれ捕まっちまう」


「行こう。それが最良の選択」


 ここに来て皆の足を引っ張るわけにはいかない。さっき誓ったばかりじゃないか。俺は今の俺にできることをする。それが俺の、仲間としての覚悟だ。


「わかった。……俺のことは置いて行ってくれ。俺はリタのところに行く」


「な……!?」


「……」


「約束は守るべきだ。それがリタの願いならなおさら。でも俺はそんな約束した覚えはない。だからリタのところへ行って、もし生きてたら彼女を連れて外に出る。それが仲間のために、今俺ができることだ」


 もちろん俺だって死ぬのは怖い。だけど俺がこんな目にあっても、まだ生きることをあきらめないでいられたのは、リタのおかげだ。まだ恩は返せていない。少しでも生きている可能性があるなら、今度は俺がリタに手を差し伸べる番だ。


 二人は何も言わなかった。俺は城壁に背を向け、走り出した。






 暗い夜の空が見える。魔力灯に照らされたこの庭でも、かすかに空に光る星を見ることができる。吸血鬼にとっては最高の天気だ。冷たい夜の空気をゆっくり吸い込むと、足の痛みも和らぐような気がした。


 少し魔力を使い過ぎたようだ。長い奴隷生活で、気づかないうちに体が鈍っていたらしい。たかだか人間の魔術師一人倒したくらいでこの様とは、きっとあの人が知ったら呆れてしまうだろう。


 衝華しょうかをくらったあの男はまだそこに転がっている。もし意識を取り戻せば今度こそ私に勝ち目はない。やはり私は甘いのだろうか。だとすれば、今私がこんな状況にあるのも、自業自得ということになる。別にそれで構わない。誰かを恨まなくてすむだけ気が楽だ。


 その時、遠くから声が聞こえた気がした。追手がやってきたのだろうか。あれだけ派手に戦ったのだ。もうとっくに居場所はばれているだろう。並の兵士ならまだどうにかなるが、今更抵抗する気力もなかった。フェルとラヴならきっと大丈夫だろう。気がかりなのは彼だ。魔法も使えないし、この世界のことも全然知らない。ちゃんと脱出できていればいいのだが。


「——リタ! リタ! どこにいる!? 無事なら返事してくれ!」


「……まさか、そんな」


 向こうから走ってきたのは、漆黒の髪と瞳をした青年、間違いなく異世界人の彼だった。

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