19話 人形

「あのアホがちゃんと正智タダトモ見張ってたらなぁ。こんな事にはならんかったかもしれんのにな」

 チャコは笑いながらヤンが身体を起こすのを手伝った。

「まぁしゃあないか。物事はいつもうまくいくとは限らへんってことやな」

「ひとつ、聞きたい事がある」

 ケイへの連絡を終えた見張り役のジュダイが部屋へ入って来た。険しい表情はシドに向けられている。

「話は無線で聞かせてもらった。さっき女に言ってた裔民エイミン黎裔レイエイ。一体なんだ、石田。俺は知らないぞ」

「言う必要も、ねぇだろ」

 シドの代わりに、覇気の無い声でヤンが答えた。やっとのことで壁にもたれて座ってはいるが、顔色は悪くなる一方だった。

「しかしこの任務に関わることだ。俺にも知る権利がある」

 ジュダイはヤンに向き直った。

裔民エイミンが関わってるなんて、俺たちも知らなかった。だから」

 そこまで言って、ヤンは苦痛で顔を歪めた。腹部からの出血はいまだにじわじわと広がっている。

「もういい。わかった」

 恐らく情報を握っているであろうヤンは今にも死にそうな顔をしている。シドに至っては何を言われたところで口を割ることはないだろう。「知らない方がいいこともある」とジュダイはつぶやくと、もうそれきり裔民エイミン黎裔レイエイの事を口には出さなかった。ピリピリとした空気がその場を支配し、チャコですらジュダイとヤンを交互に見ながら渋い顔をしていた。

 そんなところへ爽やかな声が響く。

「ずいぶんと派手に暴れられたようですね」

「凛太郎!」

 部屋の入口には救急箱を手にした執事が立っていた。事がおさまったのち、改めて現状を理解した正智タダトモは部屋のすみで小さく震えていた。しかし林の姿を見た途端安心したように笑顔になった。

正智タダトモ様、お怪我は」

 林は真っ先に正智タダトモのもとへ駆け寄り、心配そうな表情で安否を確認した。

「大丈夫! この俺がそんなヤワなわけ無いだろ!」

「安心いたしました」

 執事はほっと胸をなでおろし、正智タダトモの不安を取り除くように笑顔を作った。

「ところで執事さん。安野、見んかったか」

「いいえ、どなたにもお会いいたしませんでしたが」

「さよか……」

「銃声が聞こえましたので、どなた様かがお怪我をなさったのではないかと思いまして」

 林はそういうと、ヤンに歩み寄った。

「浅井様のお怪我が酷いようですね」

 林はてきぱきと応急処置を始めた。死体は部屋の隅に移動させはしたが、血痕も臭いもそのままの部屋に林は眉一つ動かさない。執事とはそれほどまでに主第一なのだろうか。そんな様子をチャコは少し眺めてから、部屋を出た。


「林さん、どこに行ったんだろう」

 小走りにヒデは各部屋を見て回っていた。ノックもそこそこに林の部屋に飛び込んだものの、もうそこに林の姿はなく、ぬけの殻になっていた。

 ため息交じりに「また怒られるよ……」と角を曲がったところで、人影が現れた。

「和泉!」

「執事ならお前と入れ違いにもう部屋に来とるで」

「なんだ。探し損じゃないか」

 ヒデはがっくりと肩を落とす。

「まぁ執事探しの件はえぇわ。けど、お前に一つ忠告しといたる」

 チャコは声をひそめた。


「簡単に止血はしておきました。ですが安静にしておいてください。さて、これで護衛の任務は終了されたかと思われますが、石田様、いかがでしょうか」

 シドが無言でうなずくと林は「では、明朝、使いの者に事務所まで送らせますので」と、救急箱を手に部屋を出た。

「大丈夫か?」

 正智タダトモは心配そうにヤンの赤く染まった部分に目をやる。

「気にするな。俺たちには日常茶飯事だ」


 翌朝、玄関でひとり名残惜しそうに正智タダトモが手を振った。

「色々あったけど、お前らといるの、楽しかったぞ。和泉、ありがとな」

 和泉、もといチャコはほとんど一か月にわたる護衛だった。泣きそうな顔をする正智タダトモにチャコは「またすぐ会えるって」と、月並みなことばを贈る。

「そう、かな」

「あぁ。すぐ、会える」

 そのことばに正智タダトモは笑顔になり、全員が車に乗ったところで「元気でな!」と勢いよくドアを閉めた。車がエンジンをかけると、どんどんと手を振る正智タダトモの姿が小さくなり、やがて見えなくなった。

「ホンマ、厄介な依頼やで」

 ソファのような座席に座りなおし、チャコがため息をついた。

正智タダトモ様、お別れはすみましたか?」

 車が見えなくなった後も、しばらくその場で立ち尽くしていたところに林がやって来た。

「昨夜は何もできず、申し訳ありませんでした」

「いいよ。あんな護衛なんて、凛太郎の仕事じゃないでしょ」

「ありがとうございます。時に正智タダトモ様、新しいお部屋をご用意いたしましたので、ご案内いたしますね」

「うん」

「今夜は、ゆっくり、おやすみください」


 車から降りた一行はミヤの事務所からほど近い移動器に腰を下ろした。

「さて、ひとまず正智タダトモの護衛は終わりやな。こっからどうしますかね、大将」

 シドは無言でヤンを見遣る。その目線に気づいてヤンは笑った。

「足手まといは要らないよな」

「ヤヨイに連絡しといたるから向こうでちゃんと手当てしてもらえ」

「了解。悪ぃな」

 ヤンは一人別の移動器に乗り込んだ。仰向けに寝転がり、まだズキズキと痛む腹に手を置いて目を閉じた。血を流すのは自分の言葉通り日常茶飯事だ。しかし、それでも腹部からの流血には胸が締め付けられる。

「もう、忘れさせてくれ。一体、何年前の話だ」

 ガタン、と自身を乗せた移動器が動き出したのにも気づかないうちにヤンは意識を失っていた。


 ヤンと別れたシドたち四人は、再び山川邸の最寄りまで戻っていた。しかし地上には上がらず、薄暗い移動器の中で時が来るのを待っていた。護衛中は誰もまともに寝ておらず、シドやジュダイはすっかり寝てしまっていた。

「可哀相」

 これからの出来事を想像し、眠れそうもないヒデはぽつりと一言こぼした。その言葉を聞いたチャコがあくびをしながら「何がや」と反応を返した。

「だって裏切りじゃないか、こんなの」

「お前が裏切りや思えば裏切りや。けどな、勝手に仲間や思てたんなら自業自得やで」

「いつもそんな事ばっかり」

 ヒデは顔をしかめた。しかし、そんな表情を見たチャコは笑った。

「お前はホンマに染まらへんな。えぇこっちゃ」

 ヒデは昨夜のチャコとの会話を思い出す。


「けど、お前に一つ忠告しといたる」

 チャコは声をひそめた。

「今回の任務はこれで終わりちゃう」

「え?」

「ケイはお前に先に全部言うと、先の任務が上手くいかんと思ったんやろな。やから俺から今回の任務の全容について説明させてもらう」

「どういうこと?」

「まぁ黙って聞いとれ。今回はなんと、二本立てや」

 チャコはお得だとでも言うようにブイサインを作って笑った。

「まず一つ目、今のやつらから正智タダトモを守ること。これは無事終わった。そして二つ目、あの執事から正智タダトモを守ること」

 ヒデは驚きのあまり声も出なかった。やっとのことで「林さんから?」と聞き返した。

「せや。今のやつらと執事はグルではない。でも正智タダトモを狙ってる事に変わりはない。執事がどっからの指令で動いとるんか俺は知らんが、ケイが言うなら間違いない。執事はきっと俺らが帰った後に事を起こすはずや。正智タダトモは殺される」

「そんな、あんな優しそうな人が」

 呆然とするヒデを横目に、チャコは「この世に善人なんておらん」と吐き捨てるように言った。


 月が空の真ん中を通過した頃、ケイから山川邸のセキュリティを切断したと連絡が入った。監視カメラにもダミー映像が流れている。既死軍キシグンの制服に着替えた四人は一番目立たない扉から敷地内に入っていった。既に寝静まったらしく、暗くしんとしている。全員が音もなく作戦通りの位置についた。

 ヒデはするりと正智タダトモの新しい寝室へと侵入し、ベッドで眠る少年を見た。昨晩は一睡もできなかったようで、心地よい寝息を立てている。できるだけ驚かせないように正智タダトモを起こすと、状況が呑み込めない様子で「あれ? 帰ったんじゃなかったのか?」と目をこすった。素早く正智タダトモを別室に移動させ、「残党が襲ってくる」とだけ簡潔に伝えた。

 やがて、コツコツと林の静かな靴音が聞こえてきた。ここ数日、深夜は息をひそめてばかりだとヒデは銃を片手に、またしても静寂に紛れた。正智タダトモも、もう昨夜の惨状に巻き込まれるのはごめんだと言わんばかりに今回は物音一つ立てず大人しくしていた。

 ドアの隙間から漏れ出る光を林は不思議に思うことはなかった。正智タダトモが電気をつけっぱなしで寝てしまうのはよくあることだった。「またですか。正智タダトモ様」と、この数年幾度となく繰り返してきた愚痴をこぼしながら林はドアを開ける。

「残念だが、作戦は失敗だ」

 明るい室内、林の目に飛び込んできたのは、既死軍キシグンの制服を着たジュダイの姿だった。既に刀に手を添え、臨戦態勢だったジュダイは呼吸する間も与えず抜刀した。すんでのところで林は身をひるがえし、後ずさった。

「その身のこなし、やっぱり普通の執事じゃなさそうだな」

 至って冷静にジュダイは分析する。林はスーツの汚れを払い、「いつ、お気づきで?」と懐から拳銃を取り出した。今まで見せたことのない冷酷な顔をしていた。

 林が引き金を引く動作を読んでいたかのようにジュダイは銃弾を避ける。武器を構えた時の集中力は既死軍キシグン随一だ。林の動きを見切り、再び閃光のごとく切りかかる。しかし刃先は肉に食い込むことなく、服の上をむなしく滑った。ジュダイは「防弾か」と舌打ちをした。

「チャコ!」

 刀では狙える箇所が少ないと判断したジュダイは打撃系の武器を持つチャコを呼んだ。

「ほい来た!」

 廊下から飛び込んで来たチャコは大振りに林の防具で守られていない部分に攻撃を加える。何回かダメージを与えたが、大打撃を加えようと大きくハリセンを振り上げた瞬間を狙われてしまった。右肩を撃たれた衝撃でチャコは態勢を崩した。

 再びジュダイが対峙する。相手が防弾服を着ている以上、刀で狙える場所は限られている。ジュダイが放つ、空気まで凍るような研ぎ澄まされた緊張感が周囲まで伝わる。一部の隙も見逃さず林の首に刃を滑らせた。しかし、接近しすぎた刀では、放たれた銃弾に勝つことはできなかった。

 林はその場に膝をついたジュダイを蹴り上げた。ジュダイは苦しそうに血を吐き、咳き込む。そして喉がつぶれたような呼吸音をさせながらも震える手を刀に伸ばした。

「任務? 護衛? あなたたちは大人に利用されて、悲しくないのですか?」

 林は首にうっすらと滲む血を拭い、ジュダイの手に唾を吐いた。

 怒声を上げながらチャコがハリセンで殴り掛かるも、林は呆気なく見切り避けてしまった。利き腕をかばいながら戦うチャコは呼吸を整える間もなく、刻一刻と失われる握力に絶望する。再び自分を鼓舞するかのように叫び、チャコは最後の力を振り絞る。特大ホームランを狙う四番さながらにハリセンを大きく振りかぶった。しかし、ジンが与える宰那岐カンナギの力は、戦闘能力を上げるだけで、治癒力は一切ない。ついには震える手からハリセンを落とし、その場に膝をついた。

 そんな二人の様子を見て、林は勝ったと言わんばかりに吐き捨てた。

「大人しく帰れば、正智タダトモ様一人死ぬだけで済んだのに」

 そんな時だった。

 「葦原中ツ帝国アシハラノナカツテイコク既死軍キシグン。殺人未遂につき、厳重に処罰する」

 聞き慣れた名乗り。イザナの叫び声を聞いても微動だにせず、表情一つ変えず、その時を待っていた。

 既死軍キシグンの制服をまとったシドは、二人にとってまさしく軍神だった。

 シドはジュダイの刀を拾い上げると回転するように切りかかり、林の拳銃を持つ手首を切り落とした。華麗に舞うシドの黒く長い髪はまるで黒い稲妻のようだった。ひるむ林にそのままもう一度切りかかるが、防弾服で効果がないとわかるや刀を投げ捨て、使い慣れた拳銃に持ち替えた。そしてあっさりと銃口を林の額に当てる。

「誰の指示だ」

 手首を失いながらも、叫び声一つ上げない林にジュダイもチャコも不気味さを感じる。

「答える義理など、ございません」

蜉蒼フソウ、どこまで関係がある」

 林は痛みを感じていないのか、ニヤニヤとさっきと同じ言葉を繰り返す。

「あなたたちような操り人形に、答える義理などございません」

蜉蒼フソウの、風真フウマの目的はなんだ。答えろ」

 シドは普段から何を考えているかわからなかったが、今日の様子はどこかおかしい。飛びそうな意識の中で、チャコは声を振り絞る。

「殺すな、シド」

 それはケイからの唯一の指示だった。林は既死軍キシグンを標的にする謎に包まれた集団である蜉蒼フソウ、それに関係があるかもしれないのだ。つい昨夜正智タダトモを狙った女たちとは比較にならないぐらい、蜉蒼フソウの情報を握っているらしかった。

 いつも冷静なシドの呼吸が乱れる。唇をかみ、震える手で床に向かって威嚇射撃をした。

「殺すな」

 シドはチャコのことばを、ケイからの指令を何度も繰り返す。そんなシドの様子を見た林は下卑た声で笑う。

「所詮、『あなた』は人形なんですね」

 プツン、と何かが切れた。

 シドは拳銃を投げ捨てると林の胸倉を掴み、力任せに殴りつけた。そして衝撃で仰向けに倒れ込んだ林に馬乗りになり、執拗なまでに殴り続けた。

 チャコが咳き込みながらも制止を試みるが、その声は届かない。

「シド!」

 そこへ駆け込んできたヒデがその勢いのままシドを突き飛ばした。しかし戦い慣れたシドはすぐに受身を取り、今度はヒデに殴り掛かってきた。

 正気を失っているのは明らかだった。いつもなら恐怖の対象でしかないが、止められる人間は今やヒデしか残っていない。必死にシドの名前を叫びながら攻撃を防ぐ。見えずとも殴られた箇所は青あざになっていることがわかる。口の中に広がる不愉快な血の味に耐え、あわやとどめの一撃かと思われたところでシドが倒れた。腹部には血が滲んでいる。

 ヒデが振り返ると、ジュダイがシドの投げ捨てた拳銃を握っていた。床には必死に這いずった血の跡が残っている。ジュダイはかすかに笑うと、「あとは任せた」と意識を失った。

 ヒデは鼻血をすすりながら全員の応急処置をする。ケイから緊急の無線が入ったときは一体何事かと思ったが、こんな暴走状態のシドがいるとは夢にも思わなかった。林は虫の息だった。もう長くはもたないだろう。

 かろうじて会話ができるチャコが「正智タダトモは」と短くつぶやいた。

正智タダトモ君なら」

「俺なら、ここにいるぞ」

 廊下から声が聞こえた。部屋に入ってくる様子はない。ヒデが廊下に出ると、正智タダトモはドアの横でうずくまって泣いていた。

「何で、凛太郎!」

 その声に反応したのか、ゆっくりと体を引きずる音が近づいてきた。そして途切れ途切れに林の声が壁の向こう側から聞こえた。

「わたしくしは、ただ、復讐のために」

「そんなの、嘘だ! だって、凛太郎は、だって」

 正智タダトモは大粒の涙を流すと、「優しかった」と声にならない声で叫んだ。

正智タダトモ様はわがままで向こう見ずで、わたくしは、あなたのことが大嫌いでした」

 林は残された血まみれの左手を廊下の方へ伸ばした。

「どうか、わたしくしのことなど、忘れてください」

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