18話 価値

 朝になり、いつもと同じ朝食の時間にダイニングに行く。死体処理を行う「堕貔ダビ」という役職の人間は相当優秀なのだろう。昨夜の惨劇は嘘のようにきれいに片づけられていた。

 ヒデはシェフの代わりに朝食を準備してくれた執事の林を見る。仕事で不在にすることが多い正智タダトモの両親に変わって、お世話係も務めているそうだ。あんなわがまま気質な子どもともう十年以上も一緒にいるらしく、さぞ毎日骨が折れることだろうとヒデはぼんやりと思った。しかしいつもにこにこと笑顔を絶やさないその様子はアレンのようで、しばらく会っていない宿家親オヤを恋しく感じた。

 食後は与えられたシドの個室で作戦会議となった。チャコは相変わらず正智タダトモの相手に駆り出され不在だった。

「男の携帯電話を調べたところ、有益な情報が手に入った。毎日定刻に仲間に電話をしている。会話内容はケイが把握済みだ。昨晩もイチが男の声で定期報告をしている。抜かりはない」

 誘だけでの作戦会議に初めて参加したヒデは「普通に話せるんだ」と、とうとうと作戦について話すシドを見て内心驚いた。ケイからの無線も交え、一通りの流れを確認する。

 ついに護衛としての最大の見せ場、戦いの火蓋が切られた。

「今夜、決行だ」


 壁掛け時計が深夜零時を告げる。作戦決行の時刻だ。背格好がシェフをしていた男と似ているジュダイは山川邸のセキュリティシステムを解除し、仲間三人を屋敷内に招き入れた。正智タダトモの部屋でも計画通りに準備は整っていた。真っ暗な室内で、窓からの明かりだけを頼りに既死軍キシグンは全員配置についた。ヒデは銃を片手に、穏やかに寝息をたてている正智タダトモのそばに隠れた。

 廊下のきしむ音が聞こえ始めたかと思うと、間もなくゆっくりとノブが回されドアが開いた。呼吸音さえうるさく聞こえるほどの静寂の中、二人分の影が部屋をまっすぐ進む。一人は部屋の外で見張り番のようだ。小さな声で一言二言交わすと、一人分の足音がベッドへ近づいてきた。そして布団に手をかけようとしたその瞬間、先に布団から人影が現れた。

「残念だったな!」

 軽快な笑い声と共に、ヤンはベッドに近づいていた人影を打ち抜いた。それとほぼ同時に鈍い音が部屋の入り口でしたかと思うと、見張り役が仰向けに倒れていた。

「ほい、いっちょあがり!」

 満面の笑みでチャコがハリセンを振った。すぐに蛍光灯のスイッチが入れられ、室内が明るく照らされる。室内に残されていたのは一人の女だった。ヤンはすぐさま照準を女に合わせる。

葦原中ツ帝国アシハラノナカツテイコク 既死軍キシグン。住居侵入罪により、厳重に――」

「なによ、子どものくせに!」 

 ヤンの言葉を遮って女が発砲した。しかし弾は的を射ず、むなしくも壁に風穴を開けただけだった。

「要求は何だ。正智タダトモをどうするつもりだ」

 お互いに銃口を向けたまま、ヤンが問いただした。

「さて、どうしようかしらね」

 女はいやらしく笑った。


「銃声……」

 暫くの無音状態からの銃声。実際の正智タダトモの部屋からは少し離れた空き部屋で、ヒデは小さく呟いた。正智タダトモが眠るベッドのそばにしゃがみ、万が一に備え銃を構えている。

「俺が」

 不意に背後から声を掛けられ、驚いて振り返ると正智タダトモが目を覚ましていた。作戦に影響が出ないように睡眠薬で眠らせていたはずなのにと不思議に思う。

「俺が親父の子どもだから、お前らをこんな目に合わせてるんだよな」

 正智タダトモは起き上がり、ベッドに座りなおした。今までの態度からは想像もできないような悲しそうな表情をしている。わがままに見えた言動は彼なりの強がりだったのだろうかとさえ思える。

「俺がいくら俺は俺だ。親父は関係ないって言ったって、世間はそう見てくれないんだな。俺だって、好きでこんな家に生まれたわけじゃないのに」

「わかるよ。僕も同じこと思ってた」

 ヒデは卑屈な笑みを浮かべる。人生とは自分の思惑通りになることは決してないのだと知っている。独りで生きることなど到底できない、いつまでも付きまとう忌まわしき「家族」という呪縛を知っている。

「僕にも、親がいた」

 何もかもが思い出せない父親と、何もかもを思い出したくない母親が確かに自分と血のつながった人間だった。

「けど、僕は好きにはなれなかった。親だから、子供だから、家族だから、そんな綺麗事はただ僕を苦しめるだけの言葉だった」

 既死軍キシグンですらない赤の他人にここまで話す必要はない。話すべきではない。そんなことは十分理解していた。ヒデは自分を戒めるように唇を噛み締める。

「僕と違って正智タダトモ君は親に愛されてるんでしょ。お父さんもお母さんも、君を連れて逃げようと画策してくれてる。それには感謝したほうがいいと思う」

「俺には凛太郎の方が大事だ」

 正智タダトモはふいとそっぽを向く。両親は仕事ばかりで滅多に家に帰ってくることはないとは聞いていた。

「子供のときから一緒にいてくれた。いつも俺のことを一番に思ってくれてる。もちろんそれが仕事だってことはわかってるけど、それでも辞めずに続けてくれてる」

 結局は傍にいない親よりも、傍にいる他人なのだろうか。優しさなど与えてくれなかった親と優しさだけを与えてくれる宿家親オヤ。両極端の「オヤ」を知るヒデは同情よりも親近感を覚える。

「ところでさ」

 正智タダトモはベッドから降りてヒデの横に座り、おぼろげな月明かりだけを頼りにまじまじと顔を見る。

「ずっと聞こうと思ってたんだけど、お前らって一体何者? 親父に雇われたとは聞いてるけど、俺とあんまり年変わんねぇだろ。軍人でもなさそうなのに、なんでそんな銃持って、なんで、そんな顔して」

 一体自分はどんな表情をしているのだろうか。確かめる術もないが、朗らかな表情ではないことは確かだった。

「生きるのは、辛かった」

 ヒデは握る拳銃に視線を落とし、しばらく押し黙った後ぽつりとつぶやいた。

「僕は今の組織に助けられた。正智タダトモくんから見たら異常かもしれない。でも、僕は人を殺してでも生きたいと、助かりたいと思った。だから、こうして銃を持ってる。今は、生きるのは辛くない」

「後悔してないのか? 人を殺したこと。普通じゃない人生を選んだこと」

「してない」

 ヒデは強い眼差しで言い切る。自分はあの日、覚悟を決めた。何があっても既死軍キシグンとして生きていくと、自分自身に誓った。ヒデに二言はなかった。

「これからも僕は悩んだり、苦しんだりすることはあると思う。でも後悔はしない。だって、後悔したら、過去の僕がかわいそうだ。僕の選択は正しかった。そう信じてる」

ユイも、同じような人生なのか?」

「他の人のことは何も知らないけど、多分、和泉なりの覚悟はあると思う」

 お互いの本名はもちろん、ここに至るまでの経緯を知る由はない。しかし、誰もが似たような境遇だったことは薄々感じてはいた。

「じゃあさ、ユイも人を殺したこと、あるのか?」

 ヒデはわずかにうなずく。既死軍キシグンにいる限りはそれが生きる術であることは既に十分すぎるほど理解していた。正智タダトモは震えるような息を静かに吐き出し、立ち上がった。

ユイは俺のために誰かを殺すのか? 殺されるのか?」

 ヒデは咄嗟にドアに立ちはだかる。正智タダトモの次の行動は予測できた。

「何があっても正智タダトモくんには関係ない。僕らの任務は正智タダトモくんを守ること。この部屋からは出せない」

「そんなの不公平だ」

 正智タダトモは行く手を塞ぐヒデを睨みつける。

「お前らは自分で人生を選んだ。俺だって自分の意志で行動したい」

 そんなこと、と言いかけたヒデの全身を電流のような激痛が駆け巡る。正智タダトモはどこに忍ばせていたのか、ヒデの腹部にスタンガンを押し当てていた。初めての痛みにヒデは膝をつく。

 笑った正智タダトモはドアを開け、一足で廊下へ駈け出して行った。

「ちゃんと守ってくれよ! 俺のボディーガードなんだろ!」

 ヒデは慌てて立ち上がり、後を追いかけた。


 銃口を向け合ったまま、女は勝ち誇ったように言った。

「あんな子供、殺したところで、存在しない私たちには何の足枷にもならないわ」

 何かに気づいたようにヤンが呟く。

「お前ら、裔民エイミンか?」

「だったらどうなるの? 可哀想な生い立ちだと、同情してくれるのかしら」

裔民エイミンを憐れむ気はさらさらねぇな」

 ヤンは挑発気味に一瞬笑った。

「遥か黎裔レイエイからわざわざ殺されに来るなんて、さすが裔民エイミンだな。考えが浅はかだからいつまで経っても平民にすらなれない」

「あら、なんてお口の悪いボウヤなのかしら。ヒトを階級や身分で縛るのは良くないことよ」

 鼻で笑い飛ばしたヤンは聞き出すべき話題へと移った。

「御託はいい。誰の指示か答えろ」

 答えるつもりの無いらしい女は口角を上げたまま、沈黙を守った。時間さえ止まったような静けさを破ったのは室内に入ってきたシドだった。

「沈黙は、風真フウマと見なす」

 シドの「風真フウマ」という言葉に僅かながら女が反応した。このことばの意味を理解しているということは、既死軍キシグンの敵であるということに他ならない。女の軽い舌打ちが聞こえたと思った瞬間、弾丸がヤンの脇腹を貫通していた。ヤンも反撃の弾を放つが、不意の攻撃に手元が狂ったヤンの弾丸は辛うじて女の頬をかすめただけだった。シドとチャコはその場から微動だにしない。

「油断してたようね」

 激痛に耐えきれず崩れ落ちたヤンを女は人質に取り、額に銃口を当てた。

「さあ、息子さんはどちらにいらっしゃるのかしら」

「教えるわけ、ないだろ」

「あら、貴方は人質なのよ。いつまでそんな態度でいるつもりなのかしらね?」

「人質? そんなもん、おらへんわ」

 チャコは何が面白いのか、声を上げて笑い始めた。それが癇に障ったらしい女が声を荒げた。

「何がおかしいのよ!」

「勘違いするな。俺らはそいつがおらんなっても、なんの支障もない。なぁ?」

 チャコが横にいるシドを見遣る。シドはチャコでも女ではなく、ただヤンを見下すように「我々は、交渉などには応じない」と呟いた。

「俺に、価値なんてねぇよ」

 絞り出したような、息も絶え絶えのかすかな声が聞こえた。

「俺は人質にはなり得ない。価値はない」

 ヤンはかすれた視界でシドを見据えた。これで間違っていない。正しい受け答えをした。そう言いたげな目だった。

「死んでもいいんだ」

「そんなことない!」

 肩で息をしながら大声で叫んだのは、ヒデの制止を振りきって来た正智タダトモだった。

「俺の代わりに誰かが死ぬなんて嫌だ! 俺が人質になるから、そいつを離してくれ!」

 シドは後を追って入って来たヒデを無言で睨む。ヒデは申し訳なさそうに「ごめんなさい」と心の中で謝罪した。

「アホなことぬかすな。俺らはお前を守るために来たんや」

「うるさい! いいか、そこのワルモノ! 俺を人質にしろ!」

「黙っとれ!」

「黙らない!」

 正智タダトモはきっとチャコを睨んだ。

「選択肢がない人生なんて、嫌だ。俺は俺の道を、自分で選ぶんだ」

「今はそんな格好つけとる場合ちゃうんや!」

「うるさい! おい、そこのお前! 俺が目的だろ!」

 女はヤンに銃口を突き付けたまま、目だけで正智タダトモを見た。

「自分から死にに来るとは、とんだおバカちゃんなのね。山川さん家の息子さんは」

「やっぱり。殺すつもりだな」

 ヤンは赤く染まった腹を押さえながら脂汗を流している。呼吸もままならない。そんな瀕死の人間をよそ目にチャコは「コイツ殺したって、何も変わらんやんけ。やるなら親父の方がえぇんちゃうんか」と物騒な提案をする。

「あたし達の家族はね、コイツの父親のせいで殺されたの。わかる? 大切な人を殺された気持ち。だからあたし達も奪ってやるのよ。アイツの大切な家族をね」

 全員の息遣いのみが聞こえる中、俯いたままでチャコが静かに口を開いた。

「わかるで。家族を失ったその気持ち、俺はわかるで」

 チャコは顔を上げ、真っ直ぐ女の顔を見た。

「せやけど、家族が死んで、それが何や。復讐して何になる」

「貴方に何がわかるの!」

 女は近くに倒れている仲間の手から拳銃を奪い、チャコにも銃を向けた。しかしその手は怒りからかガタガタと小刻みに震えている。

「家族が殺された。それには同情する余地はある。でもな、俺は」

 チャコは女のもとへ駆け寄るが速いか、女の顔面へハリセンを思いっ切り叩きつけた。一瞬の出来事だった。

「もっと辛い失い方、知っとるんや」

 目にもとまらぬ不意打ちを食らった女はそのまま後ろ向きに倒れ、強く後頭部を打ち付けた。

「形勢逆転、だな」

 顔を歪めながらも、ヤンは笑った。シドはつかつかと女に近づき、無表情のまま銃口を向けた。

「住居侵入罪及び殺人未遂につき、厳重に処罰する」

 ヒデは無意識のうちに体が動き、正智タダトモの目を塞いだ。自分には既に恐怖心や嫌悪感はない。しかし、これから真っ当な人生を歩まなければならない少年に見せるものではないことは明白だった。

 悲鳴をあげることもなく、女はシドの弾に頭を打ち抜かれた。見事なまでに無駄の無い仕草だった。

 ヤンは消え入りそうな意識を辛うじて保っている。「出る幕無し、だな」と強がりながらも、その声はうめき声と共に吐き出されていた。

「誰か応急処置できるもんないか執事に聞いて来たれや」

 誰か、と言いながらもチャコの視線はしっかりとヒデを捉えていた。そして「誰かさんがややこしくしてくれたからな」と付け足した。

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