17話 思い出すこと
車は巨大な門の前で止まった。軍幹部の人間が持ち主らしい、いかにも「金持ちが住んでいます」と言いたげなその門は山川家の正門だった。家の周囲はぐるりと高い塀で囲まれている。塀の高さや仰々しく設置された数台の防犯カメラからして、簡単には侵入できそうもない。
門が自動で開き、車を敷地内へと導く。一行が目にしたのは、本当に一個人の家なのかと疑ってしまうほどの広大な敷地を持ったお屋敷だった。門から建物の玄関までは優に数十メートルはあり、車道がきちんと整備されていた。ヒデが呆気にとられていると玄関先で停車し、扉が開けられた。
「お疲れ様でございました。ようこそ、お待ちしておりました」
長身の若い男が深々と頭を下げ、四人をそのまま応接室へと案内した。室内はアンティーク調の家具で統一され、落ち着いた雰囲気だ。
「申し遅れました。わたくしは
四人が椅子に座ったところで林は自己紹介をし、深々とお辞儀をした。いまだかつてこのような対応を受けたことのないヒデは物珍しそうに物腰柔らかな林を見ていたが、他の三人は無関心だった。
このような場所にも対応にも慣れきった様子のヤンがお構いなしにいつもの調子で質問を始めた。
「それで、俺たちが護衛する
「今は高校が夏休みですので、四日前から部活動の合宿に行ってらっしゃいます。今日の夕方にお帰りになる予定です。そうですね、あと二時間ほどでしょうか」
壁に掛かる豪勢に装飾された時計は十四時過ぎを指していた。
「呑気に合宿か」
ヤンはソファに体を預け、天井を仰いだ。
「なんで金持ちはこう、家を広くしたがるかな」
「
「見栄張って、バカじゃねぇの。金持ちなんて俺は嫌いだ」
ヤンにしては意外と庶民的な発言だが、この家に仕える人間を前にして文句を垂れることができるのはさすがだと、思わずヤンの度胸に感心した。
そんな話をしていると不意に応接室の扉が開いた。そこには日に焼けた制服姿の高校生が立っていた。この高校生が山川
「お前らも俺の事を守りに来たんだろ。全く親父もいい迷惑だ。家ならまだしも、合宿にまでついて来るんだもんな」
「そりゃ悪かったな」
疲労感が漂う声とともに
「もしかして、合宿にも行ってたの?」
「せやで。この状況で合宿行くとかほざくアホの護衛は元野球部の俺が適任ってわけ」
チャコは笑いながら荷物を肩からどさりと降ろす。学校名が入った重そうなエナメルバッグだ。そう言えば運動部はみんなこんなかばんを持っていたなとヒデは過去を思い出す。たった数か月前まで所属していたはずの「部活」という言葉自体懐かしく感じる。
「フライごとき取れなくてなーにが適任だよ」
制止する者もいなかったのでしばらく口論が続いた。しかし、さすがのヤンも嫌でも聞こえてくる低レベルな騒音にウンザリしたのか、「うるさい」といつの間にか持っていたチャコのハリセンで二人の頭を叩いた。
「痛ってぇ! お前! 俺を守りに来たんじゃねえのかよ!」
「守ってほしかったら軍人の息子らしく静かにしてください」
「親父なんて関係ない。俺は俺だ。次に『軍人の息子』とか言ってみろ。絶対に捕まってやるからな!」
「お好きにどうぞ」
それから何事もないまま、依頼されていた護衛期間も残すところあと二日となった。ケイからの追加情報によると、山川氏は雲隠れが終われば家族全員で国外に逃げるのだそうだ。「このまま何も起こらなければ」とヒデは祈りにも似た気持ちで毎日を過ごしていた。
護衛のために人払いされた家では、住み込みの執事を除けば出入りするのはお抱えシェフや食材の配達ぐらいだった。もちろん真っ先に交友関係や私生活を調べ上げられたが、特筆すべきような情報は出て来なかったようだ。屋敷に通勤するシェフもボディチェックを済ませたあとはシドの刺すような監視の中、おびえながら調理をするだけで何事も起こる気配はない。
ヒデたちの日課と言えば、
「目星もないんじゃ探すのも限界があるね」
ヒデは普段目にすることのない電子画面を見すぎたのか、目に疲れを感じ休憩を始める。
「ここに来てからの収穫と言えば和泉の格ゲー技術ぐらいなもんだな」
ヤンもそう笑いながら資料をテーブルに放り出す。
「こんな外に出ないのも、いくら家が広いっても息が詰まるな。なぁ、
「
「何も、ないけど」
ひじ掛けに頬杖をついたヤンは一言「そうだよな」とつぶやく。
「僕思うんだけど、一番疑うべきなのは林さんなんじゃないの? いい人だと思うけど、一番
「まぁ、そうだな」
ヤンはいつになく歯切れの悪い返事をする。そんな会話が聞こえていたのか、
「凛太朗が悪いやつなわけないだろ!」
険しい表情の
「俺が子供のときから一緒なんだ。疑う方がどうかしてる」
「そうだよな。悪かった」
「わかればいいんだよ」
反論することもなくヤンがあっさり謝ると、
「唯! もう一戦しようぜ!」
「お前、俺に一回でも勝ってから指図せぇ」
そんな会話をしているところへシドが足早にやって来た。ノックもせずにドアを開けたかと思うと、ヤンに「読んでおけ」と電子端末を投げて渡し、そのまま踵を返して部屋を出て行った。シドからの伝言を受け取るや、何かを悟ったようにヤンがニヤリと笑い「最後の晩餐だな!」とシドの後を追った。電子端末にはケイから送られてきた有毒植物についての報告書が表示されていた。
しばらくすると、いつも通りの時間に夕食に呼ばれた。
「護衛も残り二日、いつも飯作ってくれてるやつに礼が言いたいんだが、呼んでくれないか?」
「かしこまりました」
突然の申し出にもきちんと応え、林はキッチンに消える。間もなくオドオドとした様子で落ち着きがない様子の中肉中背の男を連れて戻って来た。
「当家で長らくシェフをしてくださっている草壁さんです。それでは私はこれで失礼いたします」
林は男の簡単な紹介を残してダイニングを後にした。
「ど、どうも。この度はわざわざ、ご、ご挨拶をしてくださるとのことで」
男はコック帽を取り、うつむき加減でもごもごと口を動かす。ジュダイが立ち上がり、「いつもありがとな」と近づいた。ジュダイは手を差し出し、握手を求める。男がわずかに笑顔を作り、それに応えようとすると、ジュダイの突然シェフの髪をひっ掴みテーブルに叩きつけた。食器がけたたましい音を立てて割れ、鮮血が白いテーブルクロスににじむ。
「てめぇが食わせようとしたもん、てめぇで食ってみろ!」
必死でもがく男の頭をジュダイは力づくで押さえつける。空いた手でフォークを持ち、丁寧に盛り付けられたジャガイモによく似た何かに突き立てる。
「ほら、お前が大事に、心を込めて、俺たちにお料理してくれたやつだ」
ジュダイは男の口をこじ開け、無理矢理料理を押し込もうとする。男は青ざめた顔で脂汗を流し、抵抗する。そこにテーブルに飛び乗ったヤンが加勢した。辛うじてテーブルに残っていた料理を踏みつけ、男に顔を近づける。
「食えよ。食事は粗末にしちゃいけねぇ」
いつも見せる意地悪そうな笑顔を見せたかと思うと、そこら中に散乱する皿の破片を掴み、男の手の甲に突き立てた。会心の一撃に叫び声を上げた男はそのまま気を失った。死んではいないようだが、出血量は深刻そうに見える。
目の前の凄惨な光景を椅子に座って見ていたヒデは冷静に「食べ物を粗末にしているのは自分たちの方なのでは」と眺めていた。我ながら日に日に常識的な感情が欠落していっている気がする。
「それ、ほんとにジャガイモみたいだね」
ヒデはジュダイが手にしている見慣れた食べ物を訝し気にじっと見る。言われなければジャガイモとは全く別の有毒植物とは気づかなかっただろう。これをシドはキッチンで一瞥しただけで見分けたと言うのだからその知識量に驚かされる。当のシドはというと一連の出来事に身動き一つせず、腕組みをしてただ座っているだけだった。
「俺たちを一網打尽にしようなんて、浅はかだな」
ジュダイは不愉快そうに掴んでいた男の頭を床に投げ捨てる。どうと倒れた勢いで男の顔には更に破片が刺さる。ヒデは同情することもなく、ただ痛そうだなと思うだけだった。
一方、
事は護衛対象が現場に近づくこともなく収束した。
夜は更け、真夜中になった。
静寂の中、ふいにケイから『部屋から出るな』と静かに無線が入った。
既死軍にはまだまだ自分の知らないことがたくさんあるのだろうと、ヒデは震える息を深く吸った。
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