20話 長患い

 自分の名前を呼ぶ声と共に軽く頬を叩かれているのがだんだんとはっきりと感じられるようになる。はっと意識を取り戻すと、刺すような腹の痛みも再び全身を支配する。ヤンの口からは返事の代わりに小さく呻き声が漏れた。

「大丈夫~?」

「んな訳、ないだろ」

 目を開けずともわかる、不愉快な声の主。

「よかった~! 生きてた~!」

 ふぬけた声の方へ、残った力を振り絞って精一杯不愉快な顔をして見せる。

「何? そんなに痛いの?」

 わざとなのか、精一杯の嫌みすら通じないのがヤンを苛立たせた。

「失せろ、馬鹿野郎。お前に借りは作らない」

「困った時はお互い様でしょ~」

 鼻歌交じりにルキはヤンを背負った。

「降ろせ。三階ぐらい自分で」

「さっき大丈夫な訳ないって言ったじゃん~。たまにはルキさんの言う事も聞きなさいってば」

「こんな時だけ大人ぶりやがって」

「ルキさんはみんなの保護者だからねー!」

 そうヤンを背負うと軽々と地下の移動器から三階へ上がり、自室のベッドに静かにおろした。事務所の隣はルキが普段生活する部屋になっている。ベッドと水回りしかないその部屋の様子はあまりにも殺風景で、かつてヤンに「刑務所の方がマシ」と言わしめたほどだった。

「痛かったよね~?」

 ルキはしゃがんで目線の高さを合わせるも、ヤンはその温かい笑顔に背を向けた。

「丁度昔の所と同じ位置だもんね~。あ、そういえばちょっとヤヨイは遅れてくるみたいだよ~。でもそれまでルキさんがそばに」

「出ていけ」

「やだ」

「何で、俺が」

 ヤンは焼けつくような痛みに声を詰まらせる。止まらない痛みと滲む汗はわずかに走馬灯を見せた。

「何で、お前のこと嫌ってるか、わからないのか」

「わかりたくない。そばにいるのは死んでほしくないから」

 いつもの笑顔が消えたルキはただ真っ直ぐヤンの後ろ姿を見つめる。目の前に横たわる少年から発せられる言葉の端々からは怒りも憎悪も感じられる。強がっても、毒を吐いても、ここで生きる限りは己の抱える苦しみに耐えるのが日常の一部なのだと、境遇を哀れに思う。

「答えになってねぇよ」

「ルキさんが死んだ時、きっと気付くよ。必要だったってね」

「確かめてやるからさっさと死ね」

「つれないなぁ~遼平ってば」

 ルキはまたいつも通りのふにゃっとした笑顔に戻った。

 それからヤヨイが現れるまでのしばらくの間、ヤンの気を紛らわすように取留めのない話を続けた。しかし、ヤンは頑なに背を向けたまま目を閉じていた。

 そうして三十分ほど経った頃、荒っぽい足音と共に事務所のドアが乱暴に開けられた。面倒臭そうにルキの部屋へ入ってきたヤヨイはいつもの白衣にくわえタバコ、そしていつもの不機嫌な顔だった。

「俺の手を煩わせんじゃねぇよ、バーカ」

 開口一番そう言うと、目障りだと言わんばかりにルキを部屋からつまみだし、扉を閉めた。タバコを手近にあった灰皿に潰すと、鞄から治療道具を取り出して手早くヤンの処置を始める。

「たかが護衛ごときで怪我するようなやつはここには要らないんだからな」

「わかってるよ」

「何年イザナやってんだ。撃たれるなんてダセェんだよ」

 延々と続けられた小言とは裏腹に、ヤヨイは丁寧に手当てを終えた。

「刺し傷に銃創なんてお前の腹はにぎやかなもんだな」

 ヤンは身体を起こし、自分の腹部を見る。見慣れた傷跡に新しい仲間が加わってしまったなとかすかに笑った。どうやら今回も無事に助かってしまったらしい。

「ヤヨイがいるから俺たちは安心して怪我できるんだよ」

「俺はお前らの治療なんかには興味ないっていつも言ってるだろ。無様な格好見せやがって」

 そう舌打ちをすると、ヤヨイは今自分で治療したばかりの患部を一発殴った。痛みから解放されていたところの不意打ちにヤンは断末魔のような悲鳴をあげ、そのまま敢え無く気を失った。ヤヨイは鬱憤が晴らせたという満足そうな表情で帰ろうとドアを引いた。そこへドアに耳を当て、中の様子をうかがおうとしていたルキがバランスを崩し部屋に倒れこんで来た。

「覗きか? 悪趣味だな」

 ルキを見下げた状態でヤヨイはにやりと笑った。

「荒療治はルキさん好きじゃありませんので~」

 そう返すと、ヤヨイとはまた違った笑みを浮かべる。

「俺のやり方に文句があるなら最初っから呼ぶな」

「やり方は不満だけど、信頼はしてるからね~」

「こんな俺、信頼したって仕方ねえよ」

 ヤヨイは鼻で笑うと、デスクに置きっぱなしにされていたルキのたばこの箱をかすめ取り、手をひらひらと振りながら事務所を後にした。

「ヤヨイは照れ屋だなぁ~」

 すべてをいいように解釈しながら、ルキはヤンにやさしく布団をかけた。

「さて、今晩はどこで寝ようかなぁ~」


 正智タダトモの護衛任務から数日経った昼、蝉がけたたましく鳴く中、ケイがヒデを訪ねてきた。

「どうなったか、知りたいか?」

「何がですか」

「わからないならいいけど」

正智タダトモ君の事、ですよね」

 あの夜を思い出すのはヒデにとっても辛いことだった。行かないでくれと真っ赤な目で懇願する正智タダトモを一人残してきたのは心苦しかった。最後に見たのは、追いかける気力も体力もなくその場にうずくまる姿だ。今でもあの表情と声が脳裏に焼き付いている。

「教えてほしいか? 正智タダトモがあのあと、どうなったか」

 ヒデはしばらく沈黙した。知らないほうがいいこともある。知ってしまえば余計なものまで背負ってしまう。他人の人生なんて関係ない。そんな言葉が脳内を駆け巡る。

 知るべきではない。知ってはいけない。だが、絶望の行きつく先にも一縷の望みがあるのかもしれない。

 ヒデは小さく「はい」と答えた。

正智タダトモは自殺した。結局、両親も殺された」

 言葉もなく立ち尽くすヒデを見て、ケイは言い放った。

「お前らのせいではないことは確かだ。だが、知らない方がいいこともあるって、お前も知ってるだろ」

「じゃあ、何で。何で教えようとしたんですか!」

 さも情報を教えたケイが悪いとでも言うようにヒデは声を荒げた。怒りか、悔しさか、震え出した手をぐっと握る。

「もし他のイザナに同じ質問をしたとしても、全員首を横に振るだろう。そういう事だ」

 任務が終われば関係はそこまでだ。それをもっとよくわかっていれば、こんな思いはしなくて済んだのだ。ヒデは俯いて唇を噛み締めた。

「ヒデは優しすぎる。いつか、身をほろぼす」

 そう言い残すとケイは帰路に着いた。自分の宿イエまでの短い道のりを暗い面持ちで歩く。

 あの夜、ケイは死体処理の堕貔ダビから送られてくる映像をモニター越しに見ていた。あの瞬間が今も瞼の裏から離れない。人が絶命する瞬間をただ見ているだけが仕事なのだと、損な役回りだと諦めるしかないのだろうか。ヒデがあの問いにうなずくのは目に見えていたはずなのに、それでも問わなければならなかった。

「人が死ぬのは、全部俺のせいなんだ。今までもそうだった。今回も、これからもそうだ。シドの暴走も、全部、全部」

 ケイは自室で頭を抱えて机に突っ伏した。情報統括官などとは名ばかりで、実際はただの死神じゃないかと乾いた笑みを浮かべる。

 そんなとき、遠慮がちにトントンと肩を叩かれた。

[ケイさんのせいじゃない]

 そこにいたのはイチだった。今の独り言を聞いていたのだろう。イチは親が子供を慰めるようによしよしと頭を撫でた。

「どっちが親役なんだか」

 こんな年下の青年にまで気を使わせてしまっているようでは自分もまだまだ未熟だと、ケイは今度は呆れたように笑った。

「何か用か?」

[ミヤさんが呼んでました]

「わかった。じゃあちょっと行ってくるよ」

 そう立ちあがりかけたケイをひきとめて、イチは付け加えた。

[ヤヨイさんの宿イエです]

「ヤヨイの? 珍しいな」

 ミヤから呼び出された時は大体ミヤの宿イエでのお叱りかお小言なのだが、今回は既死軍キシグンの医師であるヤヨイの宿イエのようだ。色々と考えを巡らせながらケイは足早にヤヨイの宿イエへ向かった。玄関に手をかけると、薬品っぽいにおいに混じり、ふわりとタバコのにおいもする。

「よお、遅かったな。待ってたぜ」

 上がりかまちに腰かけていたのはヤヨイだった。白衣のままいつものように煙草をふかしている。

「ちょっと野暮用で出てたからな。しかし、ミヤからの呼び出しでお前の宿イエ集合とは、珍しいな」

「まぁ、なんて言うかアレだ。シドの事について」

 ヤヨイの後に続いて廊下を歩いていたケイはがっくりと肩を落とす。自分の責任を問われているようで心苦しかった。ヤヨイが何か話しているようだが、あまり耳には入っていない。奥まった一室のふすまを開けると、そこではミヤが茶をすすっていた。

「そんなに怯えなくても怒りゃしないさ」

 どうやら表情から心中を読まれたらしい。ちらりとケイの顔を見ただけで、ミヤはまた茶をすすった。

「ヤヨイからシドの事は聞いた。あれは事故だ。お前の責任ではない」

 ケイは座りながら一先ずほっと胸をなでおろす。シドの宿家親オヤであるミヤは誰よりもシドを気にかけている。それゆえ、シドの事となると烈火のごとく怒りだすことも幾度とあった。

「さて、今回のシドの件、俺は他のやつらと同様に『治療』する必要があると思うが、お前はどう思う? 勿論、シドの保護者様は猛反対だ」

 ヤヨイはケイの分のお茶をいれた。窓では涼しげに風鈴が鳴っている。

「当り前だろうが。シドは他のやつらとは違う」

「贔屓にするのは結構だが、それでシドが苦しんでるとしたらどうするんだ」

「シドはそんなに弱い人間じゃない!」

 早速白熱する二人を見て、ケイは自分が呼ばれた理由をやっと理解した。

 シドがケイの指示を無視することはほとんどない。基本的には命令に忠実で従順だ。しかし稀に、何がきっかけなのか手が付けられないほどの凶行に及ぶことがある。このシドの精神疾患とも呼べる暴走に対して『治療』を行うか否か、この二人だけでは意見が平行線のままなのだろう。

「シド本人はなんて言ってるんだ? まずは本人の意向を確認するのが筋じゃないのか?」

 ケイは二人をなだめながら一般論を投げかける。

「拒否するに決まってる。そもそもシドは何が良くて何が悪いのかわかっていないからな」

「本人が嫌がるなら治療なんてするべきじゃない!」

「大体善悪の判断ができない時点でシドは病気だ! 病気のやつに限って大丈夫って言うんだよ!」

「知った風な口を聞くな!」

 最早一触即発、ヤヨイもミヤも身を乗り出し、議論と言うより口論が始まった。


 結局、ケイが加わったところで何も進展はせず、当面は様子を見るということで無理矢理その場をおさめた。

 夕焼けの道をケイは宿イエではなく滝壺の方へと歩いていた。涼しげな水音が広がるその空間には予想通りシドがいた。任務に出ていない時は宿イエかここにいるのは最早誰もが知っていることだった。

「何の用だ」

 振り返ることもせず、シドはただ釣り糸を垂らしている。

「久し振りにゆっくりお前と話したいと思ってさ」

「話すことなど何もない」

「まあそう言わずに」

 ケイはシドの隣に腰を下ろす。ちらりと見たシドの横顔は相変わらず整っており、平気で人を殴り、殺してしまうような人間には見えない。

「なぁ、お前はいつも何を考えてるんだ?」

 生温い風が吹き、木々の葉がざわめく。聞こえるのは大自然の音のみで、シドから言葉が発せられることはない。無言を貫くシドにケイは続ける。

「ちょっとぐらい話してくれたっていいじゃないか」

 その言葉にシドは苛立った様子で立ちあがる。まだ先日の興奮状態からさめていないのだろうか。鋭い眼光でケイを睨みつける。

「話したところで、お前に何がわかる」

「何か、話したい事があるんじゃないのか?」

 ケイは出来るだけ刺激しないよう冷静に答えた。シドはいつもの不機嫌そうな顔とは違う表情を覗かせる。

「シド、俺は」

「ケイにはわからない」

 そう言い捨てると、シドは釣竿と魚籠びくを持ち、その場を去ってしまった。ケイは深く長いため息をつく。

「治療か」

 そのまま後ろ向きに倒れ、夕暮の空を仰いだ。シド本人にとっていいのはどちらなのだろうか。ケイはまた一つ問題を抱え込むはめになった。

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