13話 夜明け

 ルキの笑いながらの不真面目な対応は、言うまでもなく火に油を注ぐ最悪の結果となった。 「怒髪天を衝くとはこの事か」とヒデは部屋の隅で冷静に目の前の光景を見ていた。どうせ冷静さを欠いた男たちの視界には入っていない。

 ルキは笑顔で何度も「あ~もううるさいなぁ」「わかった、わかったから~」「探偵さん三人の話一気に聞ける偉い人じゃないから。困るから」となだめたが、そんな言葉で止まるはずもない。笑顔は苦笑いに変わり、そしてついに制止を諦めて胸ポケットからたばこの箱を取り出した。とんとんと箱を叩き、出て来た煙草をくわえて火をつける。

「君たちの訳わかんない主張聞いてるより、煙草吸ってた方がよっぽど身になると思うんだよね~」

 これで彼らの怒りは頂点に達したようだ。「舐めてんのか!」と一人が近くにあった机をいきなり蹴り上げた。ルキは今にも殴られそうな状況にも関わらず、至って平然としている。ふわりと煙を吐き出し、涼しい顔で笑って見せる。

「わかってる? ここ探偵さんのお部屋だよ。他人の部屋ではお行儀よくしなきゃって、ママに習わなかった?」

「うるせぇ!!」

 拳がルキ目掛けて降り下ろされ、ヒデは反射的に目をつぶった。ルキの身を案じたわけではなかったが、目の前での暴力沙汰を見る趣味はなかった。すぐさま拳がぶつかる音が聞こえた。しかし勢いよく殴られたにしては軽い音だ。ヒデが恐る恐る目を開けてみると、ルキが手で男の握りこぶしを受け止めていた。

「殴られるの嫌いなんだよね~。痛いしさ~色々思い出しちゃうじゃんか~。最低だな~も~」

顔ではにこにこと笑っているが、男の拳を掴む手には目に見えて力が入っていく。男は声もなく冷汗を流し始めた。ルキはそのまま表情を崩さずにこやかに「ムカついちゃったな~」と言ったか思うと、男が後方にふっ飛びそのまま倒れた。

「死刑にしてやるよ」

そう言うと今までとは違う顔をのぞかせた。笑っているのは口元だけで、残された二人を見据えるその目にはギラギラと炎が見えた。男たちが仲間の敵討ちと言わんばかりにナイフを取り出した。叫び声とも怒声ともつかない大声を出しながら二人がかりでルキに向かう。しかしルキはあっさりとかわすと、ズボンのポケットに両手を突っ込み挑発する。

「当たらないねぇ~?」

 その後、何度も二人からの攻撃をかわし、遂には一人からナイフを取り上げた。腕を男の首に回し、ナイフをその頬に沿わせる。

「へ~た~く~そ~。ナイフってのはさ~こう使うんだよ~?」

ルキは相手を馬鹿にしきった言葉と共に、ナイフを振り上げた。そのまま振り下ろせば心臓を突き破ってしまうだろう。しかしその瞬間銃声が響き、ルキの手からナイフが弾かれた。その音で戦いに目を奪われていたヒデは我に返った。

「夜中に何してんだ」

 静かだが明らかに赫怒かくどしている声の方向を見ると、ヤンが入口に立っていた。手に握られている銃口からは煙があがっている。

「人が寝てる時に上でギャアギャア騒ぎやがって。うるせぇんだよ。来て見たら案の定コレだ。なぁ、探偵さんよぉ? 自分が何しようとしてるかわかってんのか?」

 ヤンは男たちには目もくれず、つかつかとルキへ一直線に向かい、思い切り頬をはたいた。

「死刑はお前だ馬鹿野郎。テメェらもだ。死にたくねぇならさっさと帰れ」

 そう吐き捨てると、ヤンは踵を返しさっさと階段を降りて行ってしまった。ヒデは呆気にとられたまま一連の出来事をただ見ていた。

「い、いつからいたんだろう」

 ルキの「死刑」と言う言葉を引用した所を見ると、かなり前からいたように思える。

「え、酷くない? 遼平リョウヘイ酷くない?」

 心なしか落ち込むルキの目を盗んで、捕まっていた男は腕から逃げ出した。

「くそっ、どうなってんだココ!?」

「と、とにかく、覚えてろよ!」

 ただならぬヤンの様子に恐怖を覚えたのか、二人は月並みな捨て台詞を吐き、床にのびている仲間を引きずって帰っていった。そんな男たちは視界に入っていないようにルキは放心状態でぶたれた左頬をさする。ヒデはぐちゃぐちゃになった室内を整えながら哀れみの目でルキを見る。

「何? ルキさん何かした? 遼平リョウヘイ何怒ってんの?」

「いや、寝起きだから、じゃないですか?」

「あぁそうか、まぁいいや。危うく殺すところだったし。変なの帰ったし」

寝起きだからで納得したのか、ルキはその場にぐったりとしゃがみ込み新しく煙草をくわえた。

「あの三人は何を怒ってたんですか?」

「あ~どうだろうな~? アレかな~。う~ん」

 しばらく自問自答するとため息とともに言葉を吐き出した。

「今の、某組事務所の人たちなんだけどさ~この前依頼断ったんだけどさ~次に同じ内容で依頼に来た別の組はさ~引き受けたんだよね~。だからじゃないかな~? 情報網めんどくさ~」

「どうして断ったんですか?」

「お金なかったから」

「お金、ですか」

意外と現実的な理由だなとヒデはソファに座り直し、手近にあった書類をまとめて山にしていく。

「一応ここ探偵事務所だからさ~依頼料ってのが要るんだけどさ~それが法外な値段なんだよね。さっきのところはバックが弱いからね~。だから」

「そうなんですか」

ルキは煙草を持った手でくしゃくしゃと髪をかき上げる。

「それにさ~ルキさん人殺しちゃいけないんだよ~危なかった~」

「駄目なんですか?」

イザナ以外は殺しができない。それから許可されてない人を殺すのも不可。これは既死軍キシグンの掟だよ~? 不必要な殺傷は禁止なんだよね~。まぁ当たり前っちゃぁ当たり前なんだけどさ~。いつもキレたら忘れちゃうんだよね~。すんでのところで思い出すんだけどさ」

ルキは「あ~もう疲れたぁ~」とソファにだらりと仰向けになる。ナイフを手にしていた時とは二重人格かと思うほどの違いだ。色々な人がいる既死軍キシグンの中でも群を抜いて変わった人だなと目の前で横たわるルキをじっと見る。ルキと視線が合ったかと思うと「あ! そうだ無線!」と飛び起きた。


ヒデが耳に違和感を覚えながら二階に戻ると、ヤンはさっきと同じ所でさっきと同じように寝ていた。三階での出来事を覚えているかさえ怪しく思う。シドは窓際で胡坐をかき、微動だにせずただ一点を見つめている。この人は一体何を考えているのだろうか。放っておけばぺらぺらとしゃべり続けるルキと真逆の人だなとヒデは会話を試みる。

「えっと、今ルキが戦ってたんだけどさ、見た目と違って、強いんだね」

話題を必死に探したが、今までまともに話したこともないのに容易く見つかるわけがなかった。シドが興味を持つような話題ではない事はもちろんわかっていた。自分でもバカな試みをしたものだと後悔をした矢先、シドが口を開いた。

「人を殺した人間は強い」

 返事があると思っていなかったヒデは目を丸くする。しかし、すぐに眉をひそめた。

「そんなの、間違ってるよ」

シドが立ち上がり、ゆっくりと顔を上げてヒデを睨む。無言のままヒデに近づいたかと思うと胸倉を掴んだ。まさかの今日二回目だ。

「俺を否定するのか」

 シドは威嚇でもするかのように顔を近づける。さながら牙をむき唸り声を上げる猛獣のようだ。しかしヒデは一歩も引かず毅然と反論する。

「殺人を肯定するなんて間違ってる。シドが、じゃない。僕が言ってるのは人間としての話」

「お前も人殺しだろ」

「シドとは違う」

「お前は俺を否定する度胸があるみたいだな」

「これがシドの生き方なら否定はしない。でも、肯定もしない」

 シドはこれ以上は無駄だと振り払うように手を離した。

「俺の居場所は屍の上だ」

「人を殺して何も思わないの?」

「死んで当然の奴等だ」

 それは火の海でヤンに言われた言葉だった。死ぬべき人、殺されるべき人。そんな人間はいなくなればいいと思った。

 それからシドから話し掛けてくるはずもなく、数時間の沈黙が流れた。ヒデにとっては気まずく、永遠にも似た時間だった。シドがそばにいるだけで落ち着かない。どうしてヤンはこんな人に心酔出来るのか不思議だった。

やがて空がうっすら明るくなった頃、やっと救世主のヤンが起きた。眠そうに眼をこすりながらあたりを見回す。

「そうか、まだここなんだ。しかしアイツの朝飯食う気もしねぇな。帰ろうぜ、シド」

 シドは無言で立ち上がる。帰るという事だろう。

「よっしゃ! ヒデ、アイツに帰るって言ってこい」

嬉しそうなヤンの指示の通り三階へ上がり、ルキに別れを告げる。ルキは残念そうな顔をして「遼平リョウヘイをよろしくね」と言った。本当にヤンを弟のように可愛く思っているのだろう。それが本人にきちんと伝わっているかどうかはこの際別問題にしておこう。


 村に着いたのは、まだ日も昇りきらない早朝だった。ヒデは二人と別れ宿イエへ帰った。たった一日程しか離れていなかったが、ひどく長い間任務へ出ていた気がした。玄関を入ると、早朝にも関わらずアレンが出迎えてくれた。

「お帰りなさい。どうでしたか? 初任務は」

 その言葉にヒデは唇を噛んだ。シドにはああ言ったものの、自分ももう立派な人殺しなのだ。ただ黙っているヒデの様子を見て、アレンは「そうですか」とすべてを悟ったようにうなずいた。顔色を一つも変えないのは、アレンも既死軍キシグンイザナとして過ごしていたからだと痛感する。

「アレンさんは、何も、言わないんですか?」

「褒めてほしいんですか?」

 アレンの優しい声色にヒデは目を固くつぶり、首を横に振る。欲しいのはそんな言葉じゃない。

「私が何か言って、あなたは救われますか? たとえ私がヒデ君の期待に沿うような言葉を与えられたとしても、あなたが人を殺したと言う事実に変わりはありません」

アレンの言葉を聞いた途端、堰を切ったように涙があふれた。罪悪感か恐怖か、何を理由に涙が出たのかは自分でもわからなかった。生温い血の温度を肌で感じた。それは事実として一生消えはしない。

ヒデは震える拳を握り直し、歯を食いしばる。顔を上げ、自分に優しい眼差しを注ぐアレンを真っすぐ見る。

「僕は、強くなります。誰よりも、強くなります」

まだ涼しい夏の朝。それはヒデの覚悟の夜明けだった。

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