12話 笑う男
真っ白だったはずのシドの制服は今や血の色に染まりきっていた。ヒデは真っ赤な雨が降り注ぐ中、初めて笑うシドを見た。人を殺すのにあんな表情ができるものかと思っていると、不意にシドと目が合った。シドは見慣れた表情に戻ると、構えた銃を下ろした。視線をそらさないままヒデに近づくと、グイとヒデの胸倉を掴み「覚悟のない人生はさぞかし幸せだろうな」と吐き捨てた。射殺すような視線で一瞥すると、制服を翻し再び争闘へと身を投じた。
怒りか、悔しさか、悲しさか、心の底から様々な感情があふれ出た。ヒデは静かに息を吸い、弓を構えた。周りの景色も音もすべて消え、無我の境地に至った。
光すら切り裂くかと思える矢が一本、一直線に飛んでいった。
そこでヒデは我に返り、慌てて目を逸らす。やがて悲鳴とも、叫びともつかない声が聞こえてきた。恐る恐る矢を放った方を見ると、人が倒れていた。ピクリとも動かないそれは、遠くからでも死んでいることがわかった。
自分のしてしまったことに呆然とする間もなく、今の出来事でヒデに気づいた大柄の男たちが数人向かって来る。シドもヤンもこちらには目もくれない。
覚悟は不思議と決まっていた。
ヒデは身体の一部を造作なく動かすように弓を構える。今まで何百、何千と繰り返してきた動作だ。第六感までもが研ぎ澄まされた状態のヒデにとっては止まっている的も、動いている人間も同じことだった。ヒデの鬼気迫る表情にひるんでいた男が自分を鼓舞するように叫び声を上げた。しかし、今のヒデにとっては拳銃を構えたその男ですら恐れるには値しなかった。ピンと張られた糸で繋がってでもいるかのように、ヒデが放った矢は男を目掛けて真っすぐ飛ぶ。ジュラルミン製の安価な矢が、簡単に人の命を奪った。
残されたもう一人の男は、声もなく倒れた仲間を振り返った。ヒデはそんな一瞬の隙を見逃さず、矢を手に駆け寄った。勢いよく飛び掛かるヒデの影に男が気づいたときはもう遅かった。矢じりが男の眉間に突き立てられ、恐怖で見開かれた目をそのままに男は後ろ向きに倒れた。馬乗り状態になったヒデは男から矢を引き抜く。栓が抜かれた炭酸飲料のように血が噴き出し、顔の右半分に吹きかかった。ヒデは手の平と手の甲で一回ずつ目を拭う。ぬるりとした不愉快な生暖かさが手袋越しにも伝わる。
「やっぱり、気持ち悪い」
そう言葉を吐き出し、離れた場所のヤンに目を向けた。すると、そこには今にもヤンの背中にナイフを突き立てようとする男がいた。ヒデは足を踏み込み、駆けだす姿勢を取った。しかし、ヒデが「ヤン!」と叫ぶよりも早く、元から気付いていたと言わんばかりにヤンは男に回し蹴りを食らわした。自分が殺されそうになっていた状況に眉一つ動かさない。そして、何事も無かったかのようにまた前に向きなおした。わずか数秒の出来事だった。その一撃で、遂にその場に生きているのは
男はシドの前に跪き、手を合わせた。
「
男は雛形のような姿勢と言葉で命乞いをした。シドは相変わらずの感情のない顔で男を見下ろしている。ヒデの後ろからはズルズルと何か重い物を引きずる音が聞こえている。ヤンが死体を花畑へと運んでいる音だ。ヒデはそんな作業を手伝う気にはなれず、シドと男の行く末を映画のワンシーンでも見るように眺めていた。
男は震える声で言葉を続ける。大の大人、裏社会で生きてきたであろう人間でも怯えるときがあのかと、月並みな感想をヒデは頭に浮かべる。
「金じゃなくてもいい。欲しい物はないか? 何か、願いは?」
「願い?」
シドが珍しく反応を返した。男は機を逃すまいとシドの言葉に食らいつく。
「そうだ。何でもいい。お前の願いを叶えてやろう」
ヒデですら「お前はランプの精か」と呆れ返る。命乞いをするならそれなりの態度というものがあるだろうと冷たい視線を送る。
「願い、か」
シドは目を細める。
「言ってみろ! 俺の力で叶えてやる!」
「俺が願うのは『死』。それだけだ」
目の前に火の海が広がっている。どす黒い煙を上げながら燃えているのは麻薬の原材料となる植物インスウと、麻薬密売組織の構成員たちだ。
「初めてにしてはよくやったな」
かすり傷一つない血に塗れた笑顔でヤンがちらりとヒデを見た。目を伏せ、「でも」とどもるヒデが何を言いたいかわかったらしい。今度は声を上げて笑った。
「人殺しになるのなんて簡単だっただろ?」
ヒデは黙ってうつむいている。「いつか」と思っていたことがもう過去になってしまった。今のヒデにはわからない感情が渦巻いていた。
「いいんだよ。死んで当然の奴等だ。お前が気に病む事じゃない」
「だけど」
「別に俺は人殺しを肯定してるわけじゃない。ただ、お前や俺たちがやったことはもう取り返しがつかない。だからこそ、迷っちゃいけないんだ」
説教とも励ましとも取れた言葉に優しさを感じる。
――もう、戻れない
炎が赤々と三人の顔を照らす。シドが一言、ポツリとつぶやいた。
「任務完了」
帰りの移動器では、朝から一睡もしていなかったヤンがさっさと寝てしまった。火の海は死体処理の担当が後始末をしてくれるらしい。帰り道で説明を聞きながらヒデは
話し相手だったヤンを失ったヒデはシドと話す気もしなかったので狸寝入りを決め込んだ。シドは暇そうに赤くなった銃の手入れをしていた。
事務所に帰ると、ルキが待ってましたと言わんばかりに喜色満面に出迎えてくれた。ルキに起こされてしまったヤンは寝起きが悪いのも手伝い、朝にも増して不機嫌だった。
ケイからの「しばらく休んでから帰って来い」という指示で、夜が明けるまで事務所で過ごす事になった。言うまでもなくヤンは帰りたがっていたが、ケイには逆らえないらしい。ルキにほぼ一日振りのご飯を食べさせてもらってから三人は二階へ降りる。窓の外はもう真っ暗だった。
ヤンは脱いだコートを枕代わりにすると、「起きてたらヤツにつかまる」と言い残し、再び寝始めた。「寝ていれば相手をしなくて済む」と言う単純な考えだ。シドはいつの間にかヒデも見慣れた甚平姿に着替えていた。確かにあんな鉄臭い服は嫌だろう。村で時たま見かけるシドはいつも甚平か着流しを着ている。これだけ似合う人も最近は少ないに違いない。
暇になったヒデもコートを脱ぎ三階へ上がった。特に用もなかったが、ノックすると「どうぞ~」と気の抜けた返事が返ってきた。ドアを開けると、ルキは接客用のテーブルに足を乗せ、煙草をふかしていた。視線だけ動かして、興味なさそうに「あ、ヒデだ」と言った。
「こんばんは」
「もうそんな時間?」
ルキがチラリと壁に掛かった時計を見た。その視線につられてヒデも何十日か振りに時計を見た。
「二時だって。そろそろなんだけどな~。でもせっかく来てくれたしな~。う~ん……。まぁいいか。今日が、っていうか昨日がはじめましてだよね~? 汚いけど座って~」
そう言うとルキは立ち上がり、向かいのソファに広げてある書類や雑誌、新聞をのらりくらりと端に寄せた。片付けるつもりはないようだ。
「何か用~?」
ソファに座り直したルキはにこにこと灰皿で煙草をつぶす。
「特にないんですけど……」
「シドと
「シドはいつも通りの無言で、ヤンは寝てます」
「そっかそっか~」
ヒデが自分のところへ来た理由を察したのか、ルキはうなずく。新しく取り出した煙草に火をつけ、細く煙を吐き出した。
「でも、ルキさんとこ来てもいいことないよ~? 楽しい暮らししてないよ~?」
「ここで暮らしてるんですか?」
「そうだね~。だから村には滅多にいないかな~。
ルキはそうあっけらかんと笑った。
この探偵事務所には様々な依頼がやってくる。その一部が任務として
「ルキさんは任務嫌いなんですか?」
「ん~? もう二年前だからね~
ルキはスーツに煙草の灰が落ちるのも気にせず自問自答に入った。そしてしばらくすると答えが見つかったらしく「あ~そうだな~。うんうん」と独りごちたが、ヒデに対しての答えはなかった。しかし、その代わりに「ヒデは?」と質問を返した。
「僕、ですか。人殺しはいい事だとは思わないです」
「だよねだよね~。まぁ任務って言ってもさ~災害地域支援とかの任務もたまにあるからさ~。まぁその場合は
ルキはお決まりのへらへらとした笑顔でソファにもたれた。天井を仰ぎながら今しがた吸い込んだ煙を長く吐き出し、今までとは少し違う声のトーンで言葉を続ける。
「
ルキは天井からヒデに視線を戻すと、もう見慣れた笑顔ではしゃいだような声を出した。
「うわ~! ルキさんいい事言っちゃった~!」
ルキは一人満足そうに再び煙草を灰皿で潰した。一体どれぐらいの時間でこうなるのか、灰皿から溢れ出ている吸殻をヒデは見つめる。
「煙草、吸うんですね」
「え~今更~? 体に悪いのは知ってるけどさ~仕事柄吸っとかないとナメられちゃうからさ~。ヤな世界だよね~」
しかし呆けたように笑うこの顔では、いくら煙草を吸ったところで効果はない気がした。
「そうそう、もうすぐお客さん来るからさ~二階戻った方がいいよ~」
ルキの中で会話はひと段落ついたのだろう。時計を確認し、ヒデを階下へと促す。
「こんな夜中にですか?」
「二十四時間年中無休で有名なんだよね~」
「大変なんですね、探偵って」
ヒデは堅洲村で規則正しい生活を送るアレンを思い出した。
「探偵って言ってもケイに依頼の詳細伝えるだけだけどね~。まぁルキさんこの仕事好きだし。探偵とかさ~あこがれなかった?」
「特には」
ヒデの即答に肩を落とし「ルキさんあこがれたんだけどな~探偵マンガとかすごい読んでたんだけどな~」と、小声で嘆いた。しかしすぐにパッと顔を上げ「無線!」と叫んだ。ヒデは突然の事に目をしばたたかせた。
「な、なんですかいきなり」
「忘れてたよ~やっちゃったよ~怒られる~」
ルキはわかりやすく頭を抱え、低い声でうんうんと唸っている。
「何をですか?」
「みんなの耳にピアスあったの、気付かなかった?」
ルキは困ったような笑顔をヒデに向ける。ヒデは一日行動を共にしていたヤンやシドを思い出すが人の耳など注意深く見てるはずもない。
「気付きませんでした」
「これなんだけどね~」
ルキはふわふわとした天然パーマの髪を耳にかけ、右耳のピアスを見せてくれた。小さくて黒いボールピアスだ。
「実はこれ無線なんだよね。ケイの
「痛いじゃないですか」
高校時分もピアスを開けている友人はもちろんいたが、ファッションに興味がない自分は絶対に開けるまいと決めていた。
「
「ピアスって言うんですかね、それ」
「細かい事は気にしない気にしない。ホントは任務前につけなきゃいけなかったんだよ~。ルキさん的にはケイに怒られたくないからさ~。一刻も早くつけたいんだけどさ~。……ねぇ?」
ルキはドアを見遣ると途中で話すのをやめた。するとヒデにも階段を登る複数の足音が聞こえてきた。ルキの言っていた客だろうか。ルキは気だるげに立ち上がった。ヒデはルキの指示で壁際に身を寄せる。
「ルキって、名前呼ばないでね」
そう笑った顔はいつもの腑抜けた顔ではなかった。それはつい数時間前に見たシドの笑顔だった。どれだけ間延びした声で笑おうが、彼も元
乱暴にドアが開かれると同時に、三人の大柄な男が無遠慮に乗り込んで来た。
「いらっしゃ~い。早かったね~探偵さんびっくりだよ~」
男たちはルキに詰め寄り、間近で口々に喚き出した。しかしそんな怒声は気にせず、ルキはいつもの喋り方で接客をする。
「でもさ~早すぎても遅すぎても駄目なんだよね~。この世界は時間厳守だよ~? たった一秒が命取りなんだから~」
ぐしゃぐしゃと髪をかき上げたルキは「ねぇ?」と、また、笑った。
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