11話 毒

 ため息をついたヤンは渋々一階のガラス戸を開け、階段で三階へと上がる。以前はきっちりと閉じられていた廊下と探偵事務所を隔てる鉄の扉が、今は不自然なほど大きく開いている。警戒する様子もなくヤンはずかずかと室内に入り込む。

「めんどくせぇからさっさと出て来い」

 三人しかいないはずの部屋でヤンが不機嫌そうに誰かに話しかける。しかし、ヤンがそう吐き捨てるや否や、ヒデは背後に気配を感じた。恐る恐る振り返ると、いつの間にか真後ろにへらへらと笑うスーツ姿の男が立っていた。男はふわりと曲線を描く黄金色の髪を揺らしながらシドとヒデを押しのけ、ヤンに近づく。

「つれないなぁ~遼平リョウヘイは」

「お前の無駄話に費やす時間はない」

 ヤンにたった一言そう一蹴されると、男は残念そうに窓際のデスクに座り、煙草に火をつけた。机の上には書類と吸い殻の山ができている。以前は片付いている印象があった事務所だったが、今は男の性格なのか、物が乱雑に置かれている。

「それにしても久しぶりだね~会いたかったよ~」

 男は煙を吐き出しながらにこにこと笑顔を作る。白い煙が霧散するのと同時に室内に煙草の匂いが広がる。

「俺は全く会いたくなかったけどな。やっぱり消えてくれ」

 ヤンは相変わらずのめんどくさそうな表情で辛辣な言葉を放つ。こんなに他人に嫌悪感を示すヤンは初めてだ。シドとヒデは話を続ける二人を横目に来客用のソファにそれぞれ座る。ヤンは男から距離を取るように入り口の壁にもたれかかっている。

遼平リョウヘイが出て来いって言ったんじゃないか」

「言ってません」

「いやいや! 言ったから! ルキさんちゃんと聞いたから!」

 どうやら男の名前はルキと言うらしい。一向に初対面のヒデは無視されている。

「そんな事はどうでもいい。任務だ」

「勿論聞いてるよー!」

 ルキと呼ばれた男は歌うように「どこにやったかな~」と独り言を言いながら、机の引きだしを開けたり閉めたりして何かを探しはじめた。いくつかの書類の山が崩れたあと、ルキはやっと一枚の紙を手に取った。

「しばらくしたらお客さん来るから詳細は省略するね~。それ読んどいて~」

 そう言うとシドに紙を手渡し、ひらひらと手を振る。

「気をつけていってらっしゃ~い」

 ルキは腑抜けた声で三人を階下へ促した。これにはヤンも反論もせず、率先して階段を降りた。ヤンは二階のドアを開け、窓際の床にどかりと座り込む。相変わらず殺風景な部屋だ。椅子すらないのでヒデも床に座り、先ほどの一部始終を質問する。

「今の人、誰?」

「ルキ。ただのバカ」

 侮蔑を含んだ表情で話すヤンの言葉にヒデは苦笑いで返す。シドは二人の会話に興味はないらしく、離れた所で先ほどルキから渡された紙を読んでいる。

「一応ここの管理人だ。この前話した探偵がルキなわけだけど、俺は好かねぇな。あの喋り方とか」

「まぁ、独特ではあるよね」

 確かに、今まで既死軍キシグンの中では会った事のない飄々としたタイプの人だった。しかしどうしてそこまでヤンが嫌っているのかは出会ったばかりのヒデにはわからなかった。

「あのバカのせいで何回も死にかけたし、訳のわからんことを言ってくるし、俺はアイツのことが嫌いなんだよ。今はもうイザナじゃないからあんまり会わないしいいけど。いや、よくはないんだけどさ」

 最早嫌いなのは話し方だけではないんだろうなと思ったが、ヒデは言わないことにした。

「そ、そう言えばリョウヘイって?」

 ヒデは話題を変える。このままだと呪いの言葉も吐きかねない。

「ヤツの弟の名前らしい。俺に似てんだとよ。まったく迷惑な話だ」

 段々ヤンの機嫌が悪くなっている気がする。

「お客さん来るって言ってたけど、どんな人だろうね?」

「だから裏の人。ヤクザとかそんなのばっかり」

「どんな依頼かな?」

「誰がどんな用事で来ようと、どうせ俺たちに任務としてまわって来るんだ。わざわざ知りたくもねぇよ」

 ヤンは素っ気なく返事をする。しかし、思い出したように「まぁアイツの暗殺なら喜んで引き受けるけどな」と付け足した。どうやら本格的に嫌いらしい。

 ヒデは何度か話題を変えたが、どう転んでも「ルキが嫌いだ」という発言しか出てこなかった。ヒデが会話に困り始めた頃、今まで黙っていたシドが立ち上がった。それに合わせてヤンも立ち上がる。

「ヒデはあそこから要る物持ってけ。矢とか、要るだろ?」

 ヤンが指差す先には簡易な棚が壁一面に設置されていた。棚には銃弾が入った箱など、いかにも武器として使いそうな物ばかり置かれている。ヒデは矢筒を取り、二人を追った。

 一階から地下へ降りると、見覚えのある移動器があった。それに乗り込み、ヤンが正面にある操作盤を触ると移動器はゆっくりと動き出した。乗るのが二回目のヒデが慣れない様子で車内を見回していると、無言でシドが紙を差し出してきた。

「それに任務の詳細書いてるから、ちゃんと読んで覚えろよ」

 ヤンが親切にもシドの言葉を補う。

 内容は箇条書きで書かれていた。恐らくルキが書いたのだろう。間延びした話し方をする彼らしい、上手いとも下手とも言えない微妙な字体だ。ヒデは備え付けられた座席に座り、資料に目を通す。依頼主は公表されていないが、ヤン曰く政府の人間からだろうということだった。

 今回の任務は麻薬密売組織の取り締まりだ。今から向かうのは、数年前に建設中の落盤事故で計画が頓挫してしまったトンネルだ。資料によると、その先で麻薬を栽培している組織があるということだった。麻薬の取り締まりは普通、治安維持隊の仕事だが、既死軍キシグンに依頼が来たのには理由があった。どうやらその組織を見逃す代わりに献金を受け取っている政治家がいるらしかった。今回は麻薬の取り締まりに乗じて組織と政治家ごと潰すというのが目的だ。そして、今日はその組織の人間が現場に来る日だそうだ。

 ヒデは読み終わった資料をヤンに手渡す。少し読んでからヤンは溜め息をついた。

「期待外れ」

「何が?」

「俺が追ってる麻薬密売組織じゃなさそう」

「そんな組織があるの?」

「あぁ。いつか潰してやるから別にいいんだけどな。なぁ、シド?」

 そう言葉をかけられたシドはまるで聞こえてないとでもいう風に、代り映えのしない窓の外を頬杖をついて見ている。

「まぁ自分で麻薬絡みの任務は必ず参加するって決めたからな」

 気だるそうに天井を仰ぐヤンにヒデは不思議そうに「どうして?」と首をかしげる。自分とあまり年も変わらない少年に一体どんな理由があると言うのだろうか。ヒデの問いにヤンは微かに口元だけで笑った。

「俺自身のためだ」

 それからはしばらく沈黙が続いた。気付いた時にはシドは座席にもたれかかって寝てしまっていた。おかげでヒデは初めてシドの顔を直視することができた。道を歩けば人々が振り向くと思われるほどの整った顔立ちだ。関係性さえよければヒデもそのかっこよさに憧れただろう。しかし数少ない会話で暴言しか吐かれた事のないヒデにしてみれば、寝顔ですら長時間見るのは恐ろしい。今度はヒデが溜め息をついた。

「どうした?」

「何で僕はみんなとこんなに違うのかな」

「そりゃ俺たちの方がこっちにいる期間長いからな」

「それはそうだけど……。ここに来る前に何をしてたらシドみたいになれるのかなって」

「シドは俺たち以上に普通じゃない人生を歩んでる」

 ヤンの言葉にヒデは目をしばたたかせる。一体どんな人生を過ごせばシドのような人格ができあがるのだろうかと思いを巡らせる。ヤンはちらりとヒデを見ると、窓の外に視線を外した。

「俺も詳しくは知らないけどな。そんな話を前にミヤさんから聞いた」

「そうなんだ」

「俺は思うんだ。既死軍キシグンの中で一番幸せなのはシドなんだろうなって」

「なんでそう思うの?」

「じゃあお前はここに来る前、幸せだったか?」

 ヒデは突然の質問に答えられず黙り込む。「幸せだった」とは間違っても言い切れない。口ごもるヒデを見てヤンは「俺もわかんねぇ」と笑った。そこでまた会話は途切れた。


「ヒデ、着いたぞ」

 荒っぽく肩を揺すられ、ヒデは目を覚ました。いつの間にか自分も寝てしまっていようだ。

「俺たちは基本早朝か夜中に活動するから慣れとけよ」

 あくびをするヒデにそう言うと、次はシドを起こしに行った。そばでシドの名前を何度か呼ぶが一向に起きる様子はない。呆れながらヤンが肩に触れようとした瞬間、その手は弾かれた。弾いたのは寝ているはずのシドだった。無防備に寝ていると思っていたが、無意識的な警戒心は強いらしい。ヒデが驚いていると、そこには寝顔から一転、いつも通り鋭い眼光のシドがいた。シドは無言でヤンを睨むとすぐに立ち上がり移動器を降りた。今まで寝ていたとは考えられないほど覚醒が早い。

 シドを先頭に地上へ続く長いハシゴを上りきると、数時間振りにやっと外の空気を吸うことができた。空は清々しい晴天で、まさかこれから麻薬密売組織などという後ろ暗い人間たちと対峙するとは思えなかった。

 ヒデがぐるりと周りを見渡すと、そこは山の斜面のようだった。少し歩くと、落盤事故があったというトンネルが見えてきた。入り口にはふるぼけた立入禁止の看板が置かれている。

 シドはそんな注意書きをものともせず中の様子をうかがうと一人奥の方へと歩き始めた。ヤンとヒデはその後を追う。トンネルの中は組織が作ったのか、政府がある程度片づけたのか、人が通れるぐらいの隙間が続いていた。

 なんとかトンネルを抜けることはできたが、そこからしばらく歩いたところで道は途絶えていた。高いフェンスが遮る先には草木が鬱蒼と生い茂っている。

「ここから先はないんだっけ」

「税金の無駄使いってやつだな」

 ヤンは鼻で笑う。ヒデはフェンスに手をかけ、隔たりの向こう側に目を向ける。資料によると、事故に加え近隣住民からの反対運動が激化し、ここから先は手つかずのままになっているらしい。

 シドは何かを探すように地面を見ていたかと思うと、右手の方へ向かって歩き出した。ぼんやりとフェンスを見上げていたヒデは慌ててシドとヤンの後を追う。

「どこ行くの?」

「お前は組織のやつらが毎回あのバカ高いフェンスを登り降りしてるとでも思うのか?」

 その一言で、ヒデはシドがしきりにあたりを見回していたのは、存在するであろう出入り口を探していたからだと気付いた。頭の回転の速さなのか、慣れなのか、ヒデは感心せずにはいられなかった。

 茂みの中に隠された無理矢理こじ開けられた穴を通り、またしばらく歩く。獣道ではあるが、確かに複数の人間が何度も行き来したような形跡が残っていた。行く手を阻むような木々の間を抜けると、突如として視界が開けた。

「もしかして、ここ?」

 ヒデは予想外の光景に驚く。麻薬だと言うのでいかにも毒々しい物を想像していたが、どう見ても普通の植物のようだ。

「これはインスウって名前だ」

 風に揺れる植物を手に取り、ヤンが答える。

「五月頃に花が咲く。花自体はきれいなもんだ。花が散った後にできる実を加工すれば、いわゆる麻薬になる。割とよくあるやつだから覚えとけ」

 ヒデは「よくあるやつとか言われても」と心の中で呟く。麻薬なら学校で「使ってはいけない」やら「人生が終わる」やら、嫌というほど講習会を受けさせられた。しかし、当時はまさか原材料の花を見ることになるとは思っていなかった。

「使えば抑圧から解放された気分になる。常用すると嘔吐感、眩暈、幻覚、全身衰弱を伴い、最終的には呼吸中枢の麻痺で急死する」

 ヤンは誰に聞かせるともなくその効果を口に出しながら植物を引きちぎり、眼前に広がる景色を睨んだ。

「絶対、殺してやるからな」


 太陽も南中を過ぎてだいぶ経った。三人は木の陰に隠れて組織の人間を待ち伏せているが、一向に現れる様子はない。隣にシドがいるというだけで、ヒデにとっては居心地の悪い雰囲気だった。だからと言ってため息をつけるはずもなく、ただひたすらじっと自分たちの来た方向を見張る。

 一体いつまで待たなければいけないのだろうと、ヒデが集中力を失いかけていたころ、遠くから話し声が聞こえ始めた。声の先には数人の「いかにも」な風体の男たちがいた。

「来たな」

 ヤンは先程とは違い、口元が笑っている。シドは無表情のままだ。

 男たちは何かを話し合いながら植物の方へ歩いていく。怖くないわけがない。今まであんな人達は関わった事もなければ、間近に見た事もない。ヒデは今にも飛び出しそうな心臓を押さえながら、とんでもない世界に足を踏み入れてしまったと今更後悔した。

 男たちは花畑の様子を確かめているようで、時折低い話声や笑い声が聞こえる。ヒデがハラハラと男たちとシドを交互に見ていると、シドが突然風のように駆け出した。

葦原中ツ帝国アシハラノナカツテイコク既死軍キシグン。違法麻薬取り扱いにつき、厳重に処罰する」

 今までに聞いたことのない声量でシドが男たちの背中に向けて簡潔に名乗る。驚いたように男たちが一斉に振り向いた。しかし、流石修羅場を潜り抜けてきたのだろう。男たちの驚いた表情も一瞬で、怒号と共に銃を構えた。そんな中、幹部の一人であろう男が、他を制しながら「誰だ」とシドを問いただした。

葦原中ツ帝国アシハラノナカツテイコク既死軍キシグン。違法麻薬取り扱いにつき、厳重に処罰する」

 シドはこれ以上の説明は不要だとでも言うように、先ほど同じ言葉をただ繰り返す。しかし、この淡々とした名乗りが彼らの逆鱗に触れたようで、男たちは再び騒ぎ立てた。それをまた男が制し、口を開いた。

葦原アシハラの、なんだって? 戦争ごっこするならヨソへ行きな」

 男たちからドッと笑い声がおこった。馬鹿にされても表情一つ変えることなく、ただただ相手を見ているシドは、一体何を考えているのだろうか。

「うるせぇ」

 様子をうかがっていたヤンはヒデの隣でぽつりと呟いた。作戦ではまだ二人は隠れているはずだったが、ヤンは勢いよく木の陰から飛び出した。

「ガタガタ騒いでじゃねぇよこの中毒野郎共!!」

 右手にはいつの間にか鞭が握られていた。ヤンの武器、隼風尖シュンプウセンだ。ヤンは目にもとまらぬ速さで男たちに駆け寄り、鞭ですべてを薙ぎ払った。

 ヒデも作戦を忘れ、シドの横に立つ。

「い、行かなくて、いいの?」

 シドからの返事はない。ヒデは再びヤンに目を向けた。気絶しているのか、死んでいるのか、あちこちに人が倒れていた。しばらくぼんやりと、映画でも見ているような感覚で目の前の光景を眺めていると、難を逃れた男たちもシドとヒデに気付いたのか、数人がナイフを手に向かってきた。初めて凶器を向けられ凍り付くヒデを尻目に、シドは自ら男たちに向かって行った。

「能無し」

 シドは振り返ってヒデにそう言い放つと銃を構えた。間もなく、人数と同じ数の銃声が聞こえた。

 そして、血の雨。

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